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金華山に集う人々 なぞの人物編 TSさんの毎日 その2

金華山に登ってみるとそこは予期した以上なワンダーランドであった。確かに山頂には岐阜城があり、リス園がある。そんなことは百も承知。登山していて自分は汗水たらして登りきったら、涼しげな顔をしたハイヒールの姉ちゃんが山頂を闊歩する。そんなのは覚悟の上。
山頂に御岳教の小さな社があった(ここまでは心の準備もできていた)。そしてその社に向かって拍手を打つ人もいた(ここも理解可能)。その拍手を打っていたおっさんがおもむろに社の端に目立たぬようにおいてあったブリキ製の菓子箱を開けて、なにやらノートを取り出し書き込んでいるではないか?なんじゃぁそりゃー?
私は入れ替わり立ち代り社に向かって拍手を打つ人らを観察し、その中の多くの人が菓子箱を開けなにやら書き込んでいるのを確認した。そして、人の流れが滞ったとき、おもむろに菓子箱を開けノートを取り出した。ノートを取り出しあけてみると、そこには何時何分、誰がここに来たかというのが書いてあった。これには驚いた。なんじゃそりゃー。私にははじめての体験である。登った山頂に宿帳があったのだ。・・・とは言っても今考えてみれば、それは理解できないわけではない。その4年後私は毎日の金華山登山をブログに載せている。きっと何かの励みにしているのだろう。
では何がワンダーランドで私の予想の閾値を超えたのか?宿帳に記載されたTSという人である。この人の行動を紹介しよう。TSさん(男性)は毎日金華山登山をしている。しかも必ず一日3回。不思議なのは彼の名前が宿帳で連続していることである。なぜ、連続するのか?彼は一人、草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)から太陽が昇る間、一人3往復しているのである。しかも1往復は決まって1時間。おそるべしミスターTS。私は想像した。
可能性1。彼は新聞屋か牛乳屋である。昼間には登れない。かといって一仕事終えたときには疲れていて、金華山を登る気力がない。したがって彼は新聞業務が始まるちょっと前におき、ひたすら金華山を登り日々の仕事の体力づくりをしている。
可能性2.彼は岐阜市にある山岳会の会員で近々ヒマラヤ遠征を控えている。そのヒマラヤ登山のため彼はリュックの中に重いオモリを入れ込み、一人深夜の金華山を登り続けているのだ。
可能性3。彼はすでに80歳を超えている。年齢とともに朝早起きが高じ、いまでは午前零時に目が覚める。ところが、午前零時ではバアサンはまだ夢の中。午前零時に目が覚めてごそごそしていたらバアサンに怒られた。そこで彼はまだ人気のない、しかも徘徊老人として警察沙汰にならないように金華山に登り続ける・・・。
しかし、なぜだろう・・・。TSさんはいったい何者?あれから4年たったいまでも、山頂のノートにはTSさんのリズムが刻まれている。そんなTSさんと山で待ち伏せし彼の正体を突き止めたい!そんな好奇心が私を夜の金華山に誘うのかもしれない。・・・。とはいえ深夜予期せぬところで人に会うのが怖いので午前0時以降の登山をする勇気がまだ満ちていない弱虫の私である。おそるべしTSさん。

金華山に集う人々 なぞの人物編 TSさんの毎日 その1

 私がこの金華山の麓に越してきて今年で3度目の夏を迎える。

 ここに越してきた初年度、山好きの人たちは私に、私が金華山をときどき登っているかのように話しかけてきた。ところが冗談ではない。金華山のどこに魅力的があるというのだ。清流があるわけでもなし、ロッククライミングのゲレンデがあるわけではなし。大体金華山なんてファミリー向けの山だろう?なんでそんな山に登るのか?登山のための登山はあまり得意ではない。登山にはなにか不純なな動機がなければ・・・。そんなことで、私は一度たりとも登ったことがなかった。むしろ金華山には興味もない。そんな気持ちであった。
 ところが、その年の冬登らざるをえない事情ができた。これまで鉄筋コンクリートのマンションなどに住んだことがなかった私。学生時代の下宿はもちろんのこと、サラリーマン時代でさえ、壊れそうな木造アパート。サッシは木製。隣の部屋の明かりが漏れてくる。そんなアパートに住んでいた。むしろ私はそんな雰囲気のところがすきなのだ。ところが訳あって、このマンションですむこととなった。そのときの驚きは、その冬の暖かさであった。基本的に寒がりの私であるが、夜帰宅し、家のドアを開けると少々暖かい。昼間にマンション全体が暖められ夜に放熱をしているため、また、上下左右の方々の暖房が壁を暖めるためか、私の部屋も屋外に比べて暖かくなっているのだ。そうなのだ、冬でも暖房要らずで暖かかったのである。だから私は正月休みにこそ一日家にいることが多かったため、床暖房(暖房器具はそれしかなかった)をつけることもあったが、日常は暖房なしでくらせた。
 ところが、2月ともなると冷え込みはきつくなり12・1月のような暖かさがなくなってきた。・・・。暖房をつけようか・・・。だいぶ苦しんだ。いやいや、暖房はつけないと途中で決めたじゃないか?私は自分に言い聞かせて厚着をして寒さに耐えた。でもさすがに2月の下旬にもなると、とにかく寒くてなにもできない。そこで私は考えた。なんとか暖かくならないか?

 私が思いついた結論は、裏山の金華山に登って体を温めよう!である。私はその年の冬、生まれて初めて金華山に登った。

(つづく)

山を越えて

ee8ecc83.jpg今朝、私の住む家から金華山の反対側に用事があった。道路で行けば金華山を大回りして12キロくらい。その距離も車で行けば10分。自転車でなら20分。走って行けば1時間。やっぱりここは、せっかくついた筋肉を落とさないように、片道1時間半で金華山を登頂し、反対側に降りる登山コースで用事を足しに行くことにした。うひひ、もう最もきつい「馬の背」以外での金華山登山は考えられない・・・(他は辛くもなんともなく、登れてしまうので)。
結局、のぼりに20分。下りに10分。家から金華山の上り口、金華山の降り口から用事のあるところまでの時間を加味したら55分で用事を足せた。帰りは、用事さきの方が家まであっという間に送ってくださり、本日二往復を覚悟していたが、幸か不幸か一往復。

しかし、きっと道がなかった大昔、人はこうして峠を越えていたんだなぁ~~。

異文化コミュニケーション

今日は、今年で7回目の「日本国際協力センター JICA」の研修の講師をした。今年もいろんな国から来た人が私の職場に来てくれた。

アルゼンチン・ミャンマー・パレスチナまでは世界地図のどこにあるのかわかる。しかし、グアテマラ・マケドニアとなると位置が怪しい・・・。ところが、ブルキナファソ・バヌアツとなると、申し訳ないけれど、そんな国があったのか!という私の無学さをさらけ出すこととなる。とほほ・・・。恥ずかしい。

しかし、自分のこの目で見たことのない国がこの世に存在して、そこでも自分が感じていると同じような他の人の喜びや悲しみの舞台があるだなんて思うと、なんだか気分が楽しくなる。子供のころ、離れて暮らすばあちゃんの家にいったとき、一人ちょっと路地裏に入り、そこに知らない人が生活する様を見たときの、あの新鮮な感覚がよみがえる。いまでも思い出すあの映像。もう35年くらい前の映像もしっかり私の脳裏に焼きついている。年をとれば自分の縄張りが広くなった分、あの新鮮な驚きを感じる機会も少なくなった。しかし、毎年一年に一度この研修の時には、あのばあちゃんの家の近所で感じた新鮮な驚きを思い出す。

金華山につどう人々 その1 女性編

 回想金華山。思い出深きは金華山ですれちがう人々。

 夏の初め朝6時半。顔を紅潮させながら、彼女は一人黙々と山に挑んでいた。まったくよくいるタイプの女子高生(女子中生?)とすれ違った。おはようございますと投げかけると小さくはあるがちゃんと返事が返ってきた。えっ、一人で?しかもいまどきの女の子じゃないか!なんでこんな時間にひとりで登ってんだろう。ダイエットか?いやいや、太ってはみえないからそうではないだろう・・・。すれ違ってから想像をたくましくして楽しんだ。
 さて、今日もいるかな。おっと俺は変態おやじか・・・。でも、私はがんばる子にエールをおくりたい(もちろん話しかけるわけではないが)と思った。しかし、彼女、あの日以来見ていない。どうしちゃったんだろう。あの黙々さ。もしかして夏休みに引越しがあり、それで思い出深い生まれてからずーっと育ったこの環境をこの足で最後にしっかりと踏みしめたくて、引越しの車の出る前に、一人黙々と顔を紅潮させながら(ときには涙なんか流したりして・・・)登っていたのだろうか。まぁそんなことはあるまい。三日坊主だったのかなぁ~。

 金華山にはなぞの女性が多い。朝6時かならずすれ違う美女(に違いない)がいた。瞑想の小道を降りるとき、一人ゆるゆる登ってくる年の頃は20台後半から30台後半。・・・と思われる女性がいる。彼女はノッポさんがかぶる帽子を深くかぶっており、下りの僕は何度すれ違っても彼女の鼻以上の部位は確認できない。彼女は帽子を深くかぶって顔を隠しているだけではない。Tシャツと長ズボン、トレッキングシューズといういでたちまでは普通であるが、腕に日焼けどめの白い布切れ(昔事務屋のおっさんがしていた黒い袖が汚れないようにするやつの白版)をつけている。アウトドアなことを自分から積極的にもとめているはずなのに、日焼けをひどく恐れている・・・。また、すれ違うときに私は挨拶するが、返って来るのは「蚊がなくような」か細い声。あきらかに返事をするのが面倒そう。もしくは、話しかけられたくないというオーラ噴出。僕はそれでも興味本位に「おはようございます」を投げかけ続けた。ほぼ、無視され続けても・・・。
 そんな孤高な女性は素敵だとおもった。僕は、彼女を孤高のダイエット美人と名づけた。顔隠し。日焼け防御。そして、早朝の人がすくないときのお隠れ登山。もしかして彼女は岐阜をベースに活躍する超有名モデル、タレント・・・。だれだろう~。・・・想像をたくましくしていた。そんな27-29回目の登山のとき、山頂で仲良く爺さんたちの輪に加わって歓談している彼女を発見。

 そうか、ねぇちゃん、はげ頭の俺がそんなに怖いかい?

諦めなければいけない現実

bb383f74.jpgこの夏決めていたこと。
1 金華山30往復
2 あることのお勉強
3 体重62キロを下(4月は70キロだった)
それぞれは自分の中で高いハードルだったけれど、期限を9月10日と決めて完全達成を目指していた。そして割と難しい目標だったので、自分のモチベーションを高めるため買おうと思っていた望遠鏡を我慢し、3つの目標を達成したら自分へのご褒美にしようとおもっていた。
目標1、2は満足いく結果になった。
しかし、昨日の夜体重計に乗ったとき62.4キロだった。これは想定外だった。体脂肪が下がったが、一方、筋力がついて山に登り始めてから体重の減りが鈍くなったのだ。でも、結果は結果。甘んじて受け入れよう。望遠鏡も我慢、我慢。

インターネットから拾ってきたほしい望遠鏡の写真でも眺めて我慢だ!

人間ドック

予告どおりの人間ドック。いま下剤のせいで、落ち着きがない時間をすごしていいる・・・。

驚きました。驚きました。体重の減には気づいていたけれど、なんと胴回りが12cmも一年前よりも減少。しかも、体脂肪も10%ダウン。現在、腹回り73cm、体脂肪18%。ちょっとびっくり。いまでもまだまだ、腹筋が割れるような状態には程遠いけれど、それでも体脂肪が10%ダウンしていたということは・・・。

よーーし、なんとか体の制御は面白そうだから、15%くらいになるようにがんばってみようかなぁ~。でも、金華山30のような目標は辞めておこうと思う。

30/30 達成!

9492716c.jpg有言実行。夜の八時半に家を出でた。最後の道は、昼間と同じ馬の背コース。
最後となるこの1往復は、一度もライトを使わないと決めていた。条件が厳しければ厳しいほど燃える自分。最後はもっともキツイ道を、もっとも過酷な条件で登って燃えて締めくくりたい。おかげで歩みは遅くなったが1時間で往復完了。

何がなんでもやらなければと、いつも何かに背中を押され
文字どうり、雨が降っても、太陽が沈んでも、雷がなっても、スズメバチがいても・・・。金華山に上り続けた2007年夏。もう、これで魔法は解かれた。明日から平穏で穏やかな毎日が始まる。

そして、この魔法が解かれたと同時に、僕の今年の猛烈に暑かった夏が終わったことにも気づいた。夜道の登山道をそよぐ風は、乾いた葉のこすれあう音で満たされ、秋の虫の合唱で埋め尽くされていた。やがてこの金華山の木々たちの葉は色づき、落ち葉するだろうが、それを踏みしめる僕の足音はきっとない。
明日から、僕の姿がなくなる金華山。だけれど、金華山にとってはそんなことは関係ない。これからも多くの人を受け入れ、季節を見送るだろう。

この登山道で、僕は体脂肪の落し物をだいぶした。代わりに筋肉をもらったこの夏。目標の達成と、夏の終わりで妙に感傷的になる今宵。2007年初秋。

29/30 達成

994c2266.jpg一時はどうなることかと思ったが、なんとか土日で残り4往復というところまできた。この残り4往復を二日でどう処理するか(確かに、9月10日(月)が最後期日ではあるが、以前いったようにバリウムを飲んで下剤を服用しているために、腹痛で満員電車にのるようにかなり危険な状態になるため、9月10日は除外する)。4÷2で各日 2往復ということも考えた。ところが、この2日間考えたが、どうもそれは私の美学に反する。これでは、ギリギリで見苦しい(実際はギリギリなのだが・・・)。やっぱりこれは余裕をもって涼しい顔で終わりを迎えたい。だから、今朝、3往復してきた。これで29/30を達成。あと1往復だ。
ひそかに、最後の1往復は象徴的な夜登山で締めくくろうと思っている。今晩、よなよな出かけて静かに閉じようと思う。

さて、土曜日の8時半ともなれば、多くの登山者がいる。平日の朝5時半とは大違いだ。

今日の3往復はすべて健脚コースの「馬の背」。

最初の1往復目。上のほうで、黄色い子供の声がする。言葉はハッキリ聞こえないが、どうやら「文句」を言っているようだ。さては、土曜日の朝、親子で登山かぁ~。とほのぼのとした気持ちになった。どんどん、その黄色い声に近づいていった。この急斜面、目の前の岩のみに目をやっていたら、視界に信じられないものが飛び込んできた。いわゆるサンダルである。なにぃ~。なめとんかコイツとおもい姿を見上げる。キティちゃんのスエット。青白く光るアイシャドウ。そして、先ほどの黄色い声。おーーー、これは年端もいかないヤンキー娘ではないか。どうやら二人のヤンキー娘を一人の兄ちゃんが(この兄ちゃんはちゃんと靴を履いていた)山につれてきているようだ。私は、何が彼女らを山に駆り立てたのかよくわからないが(たぶん、兄さんにだまされたのだろうとおもう)、例の「おはようございます」と言えば、3人から気持ちのよい返事が帰ってきた。がんばれ、ヤンキーィ!

さて、二往復目。また馬の背で登る。これは一番からだに負荷がかかる登山道。腿の筋肉を一番使う激しい道。こんなのが一日つづくような山だったら、これは参る。しかし、この登山道、きつくても20分も我慢していれば山頂にいけちゃうほどなので、この短いのを何往復もして筋力アップを計る。そして2往復目。残り10mのところで、またあの黄色い声に出くわした。もちろん、今回もとりあえず「おはようございます」。すると、すれ違いざまに「おはようございます」。しかし、2mも行き過ぎたところで、さきほどのキティちゃんが「あれぇ~、今の人・・・さっき・・・」。もちろん、時々、戦国落ち武者の出る金華山である。目を疑うことも多い。しかし、私は生身の人間。キツネにつままれた状態の娘を救うべく、振り返り「えへぇぇ、二往復目です」と声をかけた。彼女らから歓声があがった。たいしたことはない。照れるじゃないか・・・。でも、娘さん、サンダルでこの崖を降りようっていうことのほうが、驚きだよ。サンダル登山なんてぇーのは、尋常なことじゃないよ。そう声をかけたがったが、もちろん、そんな勇気ははない。

さて、三往復目。またまた馬の背で登る。いい加減に足が上がらなくなってくる。元気なころは筋力にに余裕があり、自然と足も必要以上に高く引き上げられるためか、つまづくことはない。しかし、例えば、30cmの石を登るとき、元気なときなら意識せずとも40cmくらい足が上がるのだろうが、疲れてくるとギリギリ30cmを狙うから結果的に29cmとなって、つまづく。そんなことがあり、足もふらふらだ。そんなフラフラではあるが、中盤にさしかかったとき、キティちゃんにあう。今登っている崖から、崖の上にいるキティちゃんを見上げると、キティちゃんは満面の笑顔で私を迎えてくれた。「あはぁはぁ、はやいですねぇ~~」「ええぇ、まぁ、今日の最後です(ほんとは夜もう一回登ろうとおもっているけど)」などと会話もはずみそうであったが、修験者の一人と他が認める私である、そんなコミュニケーションは修行の妨げ。もうひとりのキティちゃんの「すげぇぇぇーぇ」という感嘆の声に見送られながら、ふらつく足にムチ打って涼しい顔でキティちゃんたちが見えなくなるところまで駆け上がった。

26/30 達成

a7223df5.jpg台風が来ていて今朝は雨だろうと昨夜思った。
だから金華山への心の準備が出来ていなかった。
しかし、いつも起きている時間に目が開いた。
耳をすませば雨の気配はなし。10分間葛藤のあげく、布団をはねて、いざ出陣!

これであと4回。目標達成も射程圏内だ。