月別アーカイブ: 2007年10月

バンコク到着

約六時間のフライトのうちの四時間寝てていまバンコクつきました。全部で51キロの荷物になり高額超過料金。はじめての体験。高い!
今晩は20年近くぶりのタイランド。

忘れ物はないだろうか?

e70b44de.jpg現在 午前三時半。出発前の積み残しの仕事があるが、少なくとも 11月2日まではインターネットがつながる可能性があるので、仕方なくパソコン持って出発。途中で帳尻あわせられるだろうと誠に勝手な希望的観測でイザ ヒマラヤ エベレストへ。
調査の荷物てんこもり。やっといま多少の忘れ物はご愛敬で荷造り完了。朝が早いがヒコーキの中でも寝るしかないので何とかなるだろう。
明日はひとまずタイランド。エブリデイ サマーの素敵な国。極寒のヒマラヤ前の一息の休息。

先発隊今バングラディッシュとネパール

昨日(土曜日)、先発隊が2手に分かれて日本を出発した。かなり以前に予約していたKOボーイズチーム(山岳部)とFS隊。KOボーイズチームは今日、ネパールカトマンズについたという連絡があった。一方、FS隊は航空券の予約が送れ、便利なタイ経由の便が取れず、バンクラディシュ経由(しかも、そのうちの一人は、名古屋から陸路成田にいき、成田からバングラディシュ)。といころが、バングラディシュからカトマンズへの便で一本前のものに変更できたということで、早々とネパール入りかと思いきや、その便が飛ばず、現在バングラディシュに足止め。
そんなメールが時々刻々状況を知らせてきてくれる。大臨場感。

さて、私達後発隊は、KO隊の3人は成田から、私は中部国際から、30日の午前それぞれタイへ向けて出発し、タイで落ち合う。タイからネパールまでは16時間くらいの待ち時間があるので、一旦バンコクの街中にホテルをとってタイの夜を過ごす。タイは、思い出深い土地。初めての海外旅行がタイだった。当時経済発展が著しかったタイでは、その頃タイに通っていた日本人がこういっていた。

タイは来るたびごとに、草履が靴に、素足が靴下に、靴下がストッキングに・・・。来るたびごとに服装が変わっている・・・。そういっていた。さて、あれから20年近くたつ。タイはどんなに変わったのか?

でも、今回は仕事なので、学生のころの一泊600円の安宿、一食60円の屋台料理とは行かないだろう。セレブ食が好きなKOの先生。さて、20年ぶりのタイはどんな顔をしているのだろう。

しかし、今回、荷物が多い。どうやって中部国際まで運ぼうか?

リアル高山病!?

teisanso1 昨日、東京の「低酸素ルーム」で一泊してきた。こんな感じだった。
 やったことといえば、単に部屋に寝袋を持ち込み、床の上で寝るというもの。ただ、普通と違うのは、酸素濃度が普段の生活は21%の酸素がこの部屋では13%くらいにしていること、脈拍、SPO2(血中酸素濃度)を計る心拍計に、心電図の機械を装着していることだけ。そんな環境で擬似高山病体験をしてきた。(ほんとうの高山病はそれにプラスして、気圧の変化が加わるので、今回の低酸素ルーム体験と高山病とは同じものではないとのことだが)

 体に酸素を送るのは、血中のヘモグロビンというものの仕事だ。平地ではヘモグロビン、よく働き自分の能力の100%を出し切ることができ、元気に酸素を体に運んでいる。ところが、酸素が薄いところにいくと、ヘモグロビンが酸素を運ぶ能力が低下して、ヘモグロビンの能力の80%や70%・・・になるということらしい。となると、各細胞に送られる酸素が少なくなって、緩やかな酸欠状態になる。張り切って風船を膨らませた後のようなものか・・・。これに対して、人間の体は、心拍数を上げて血液を送る量を増やしたり、ヘモグロビンが低酸素になれれば、郷に入らずんば郷に従えのごとく、低酸素でも能力の100%に近い酸素を送るようになり対処するらしい。そこで今回は、ヘモグロビンの能力を事前に少しだけ高めるために(低酸素にならすため)低酸素ルームで一泊することで、高山病対策をしようということだった。このとき高山病に対するからだの順応をチェックするのがSP02という血中酸素濃度で、それを22:00-7:00まで低酸素ルームで計測して体の対処をみてきた。

低酸素2 設定された標高は3500-4000程度。これまで3700mの富士山には3回登っているが、3回ともなんともなかった。だから、今回もなんともないだろうと思ったが、いきなり3500mのときは、一瞬耳鳴りがして、目のまわりがちょっとボーっとして、頭の左上が鈍くいたいかも・・・という感じ。つうじょう、私は脈拍が低く45くらいだが、今回は60以上で鼓動した。なるほど、自分では少しの変化だけだけど、しらないうちに体は変化を大きく感じているのだと関心した。

 さて、この低酸素ルーム、酸欠状態なため、よくわからないが「帰りに忘れ物」をする人が多いらしい。私は大のウッカリさんである。財布などを忘れかねない。念には念をいれて低酸素ルームを後にした。

 その後、東京で用事があり地下鉄で移動した。そして、途中の駅のトイレで「朝のお勤め」をした。ところで水洗ボタン、最近はそれが便器の前にあったり、床からでていたりするのに加えて、壁から出ているものもある。今回は、和式トイレ左側の壁にボタンがあるタイプのものだった。私はいつも気になっている。果たして、水洗ボタン、あるいはレバーは、「足」で踏むのか「手」で押さえるのか。明らかに高い位置にあれば、手であろうが、多くは高さが微妙である。誰かが手でレバーを押すものを、私が足で踏むのも申し訳ない。いつもいろんな葛藤がトイレではある。そんな中、壁からボタンがでていれば、明らかに「手」でボタンを押すことになるので、私は用を足しながらこころ穏やかに「お勤め」をした。そして用事を追え、水洗ボタンをおしたら「緊急事態が発生しました。○○・・・」と構内放送がながれた!。えっえっーーー!なに俺のせいか?とその水洗ボタンを確認すると「非常用ボタン」で(トイレでぶっ倒れた人用)で、水洗レバーが別の場所にあった・・・。私はなんとか、構内放送を止めるべく、キャンセルボタンをさがしたり、ボタンかもしれない形状の物体をなんどか押したり努力したが、もうあとの祭り・・・。実際の水洗バーをおして駅員に一刻もはやく侘びを・・・とトイレからでたら、制服姿の駅員さんはすでにスタンバイしていた・・・。ゴメンナサイ 駅員さん。だって、だって、さっきまで低酸素ルームにいたので・・・。許して・・・。

 さて、今日は先日禁酒をちかったが、もう、出発までの授業の準備は一段落したので、たまには酔っ払いたくなり、今日はお酒を飲んでしまいました。

新幹線

8925d8c5.jpg現在19時。新幹線で東京に向かっている。ここまで来たら背にはらは代えられない。どんな効果を期待できるか解らないが、ワラにすがる思いで東京チームが声かけるままに新幹線に飛び乗った。プロスキーヤーの三浦雄一郎が経営する低酸素室で一泊し高山病対策(?)するのだ。

境界線

背負子小学校のころから体力測定をしても、取りだてていいほうではなかった。もちろん、クラブ活動もレギュラーの手前の補欠。ソフトもサッカーも。唯一、平泳ぎの水泳だけは選手になれたが、結果は、市内の大会で確か拍手で励まされたとおもう。成績もなんのとりえもなかった。ただどこにでもいる小学生。しかし、中学・高校とカンフーに目覚めるようになってから、ストレッチで恐ろしく柔軟性の高い体になり、アクション研究を通してそこそこ筋肉もついた。ちょっとだけ、運動神経がよくなり、自分でも驚いていた。ところが、体力測定をしても取りだてていいわけではなかった。
大学生のとき、どこかでひどく頭でもぶったのか?行動は奇行を極め、おもむろに愛知から新潟。沖縄本島、愛知から北海道を歩いたり、長良川をいかだで下ったり、山に川に外で激しく遊ぶようになった。こうなると、どこにでもいる子供だった私は、おいそれと人が真似できる体力仕事以上のことをするようになっていた。ところが、体力測定をしてみると、抜群になにかがいいというわけではない。どこにでもいる体力、むしろ筋肉はあまり強いほうではない。・・・でも岩を登れば、そこそこ登れる。山を登れば、人に遅れることもない。なぜだろう・・・。
僕は、それについてこう考えている。いままでの経験から、そう考えるのいたったのだが・・・。
それについて語るには、まず僕が考える人間の能力について説明しなければならない。僕は、それについてこう考えている。
人間、個人の能力はとても高い。けれど、能力をフルに出し切るのは、危険だ。我慢の限界を超えればもちろん命取りだからだ。そこで人間の脳みそは能力の限界に近づくまえに、「もう、やめよう」という信号を出す。私の根拠のない感覚では、最初の「もう、やめよう」という信号は、その人の能力の30%の時点で出されると思っている。しかし、多くのひとはそこでやめることはなく、「もうちょっと続けてみようかと思う」。もちろん、続ければ、その後も、二回目、三回目の「もう、やめよう」とう信号が脳から出される。そして多くの人は、息切れしながら、能力の50%くらいで、「もう、だめだぁ~」と行動を中止する。そんな感じがする。
寝袋 なぜ、体力のない僕が、人ができない領域に足を踏み入れるか?なにか特殊な力があったり、体力測定では測定できない、瞬発力や持久力があるのだろうか。僕はノーだとおもう。体力測定の数値は正しい。では、なぜ、僕は・・・。
こう考えている。ただ単に人が50%でやめる、つまり限界に達する遙以前に手を引いてしまうところを、僕は能力が低い分、能力の70%くらいまではつづけることができる精神構造をもってしまったため、基礎体力が低くても、成果はそこそこのものを得られるのだと。でも、いままでは大丈夫だ。日常生活の中で、限界に近づいても、限界の30%手前でやめれば、命とりになることはない。
さて、今度のエベレスト。僕は自分で心配している。僕は人よりも能力の限界いつも平気で近づいてしまう。人は余力を残して「やめる」のかもしれない。しかし、僕の場合同じやめるでも、そのときには「余力」の残りが少ない。つまり、ヒマラヤの極限の状態でも「ここで諦めたら一生後悔する!」などと歯を食いしばり、気づいたときには、つまり「だめだ」と思ったときには、もう余力がすくない。ウルトラマンのように僕にカラータイマーがついていたなら、極端なことを言えば、ぼくには点滅期間がない。となると、つまり限界に近づき、限界の一線を人よりも早く越えてしまい命を危険にさらしてしまう可能性がたかいのだ。・・・まずい・・・。

この限界の境界線、僕は人よりも高いところに設定されている。なんとかヒマラヤ中は意識して、限界線を低いところに設定するようにして、脳からの「もうやめようよ」といういかなる小さな信号を無視することなく、小さな声に傾け、命を危険いさらすことがないよう。気をつけよう。

2日前に、やっと名古屋からバンコク、バンコクからネパールの航空券が取れたが、せっかくとれた往復航空券が、片道航空券にならないように・・・。

写真は今日、二往復した金華山にもっていたオモリ(17キロ)と、今日、とどいた厳冬期用寝袋です。

浮気

60968bab.jpg 昨日、夜登山していない。なにも職務質問のショックからではない。今日の授業の中で当初からGPSをつかった山登りを予定していたからだ。本当は、乗鞍(先日いったところ)の一日山登りを考えていたが、バスの予約がとれないだとか、実習に至る前の机上の説明などが伸びたため、手近なところで済ます必要があったから、別の激しい山登りの予定があったから、昨日は夜登山をしなかったのだ。

 そして本日は「古城山+α」。「金華山」から浮気した。

 さて、学生は空身で登らせるが、もちろん私はオモリを背負う。丸太はかっこ悪いので(だって昼間だもん)、職場に杭の包装があったので(総重量11キロ)、それに2リットルのペットボトルをくっつけて、いざスタート。

 最初ののぼりは標高差240メートルの急な斜面を一直線に登りきる。これはつらい。学生のなかには、斜面がきつすぎ滑って登れないものもいた。

 さて私、つらかったけど、まだまだいける!そう確信した。

 写真は、筋トレが趣味の学生が私のオモリを背負って、腕立て伏せをしているところ。

ついにその日がやってきた パート3

ebef1fbb.JPG 先日トレッキングシューズの破損を見つけた。また、アイゼン(鉄のつめ)をつけるためのブーツも古くなっている。そこで、今日、トレッキングシューズと登山靴を購入した。今回のトレッキングシューズはなかなかよさそう。そこで、その靴をためすため今日の金華山は登りも下りももっとも激しいコースとなる馬の背を行くことにした。

 しかも出発まであと10日をきっている。今日はいつもの12キロの荷物に2リットルのペットボトル2本をくっつけ、つまり16キロの荷物を担いで金華山に登った。4キロのふえただけだけれど、背筋に負担がくるようになった。よかった・・・。本番登山の前に問題を発見できた!背筋を鍛えないと。

 さて、下り道。この馬の瀬登山道、上りは道を間違えることはないが、夜だと下りの道を間違えることがある。今日は、もっとも間違った。といってもたいしたことないが・・・。途中一旦、草むらのようなとこを通ることがあった。

 そんなことがありながら、なんとか下山した。今日のトレッキングシューズ。なかなかいい。最初は足袋で登山をして足を鍛えた。次に、ティンバーテックという会社の靴を履いて登った。たいしたメーカーではない(とおもっている)がさすが足袋よりも山登りのことをかんがえているなぁ。丸太を担ぐようになってからは不足の自体もあるだろうから、足首の保護を考えトレッキングシューズ。ティンバーテックのなんちゃってトレッキングシューズとくらべ、本物のトレッキングシューズは岩場でも滑らない。すごい!さすが!とおもったが、今日のシューズはそれ以上。すばらしいではないか。軽いし、岩も滑らないし・・・。

 山から下りて、日中友好庭園にはいり街頭のしたにきた。すると、黒いピチピチ登山シャツの袖に、草むらを通り抜けたときの草の種が引っ付いていた。私はあるきながらそれを一つづとった。日中友好庭園を抜けて道路に出ようとしたとき、おもむろに足元をみると、ズボンにも草の種が。そこで私は黒いズボン・黒い登山シャツ、丸太+3本のペットボトルといういでたちで、街頭の下、草の種を取り始めた。家の中で種を落とさないように・・・

 とそのとき、車が目の前で止まった。・・・ん・・・。とおもって見上げると、おまわりさんである。とうとう、わたしは職務質問をされた。そうか、これが職務質問か。そりゃ、そうだ。私はどう見ても怪しい。トレーニングだといって説明し、事なきを得たが、よかったぁ~。今日はヌンチャクを持ってなくて・・・。(熊よけの鈴を変わりに持っていた)

 おまわりさん、夜回りご苦労さん!

村祭り

e2280a8f.JPG 土曜日、仕事が終わると金華山に登らず、高速道路で2時間はなれた実家の村祭りの手伝いに行ってきた。今年は厄年なので、それがらみの手伝いだ。

 写真は子供頃、誰もがやった「棒の手」という江戸時代から伝わる農民武術を子供たちがほ奉納している写真。この「田貫のお宮」としか認識していなかったお宮さんも、「神明神社」という名前があること、また、お宮にある小さな祠(ほこら)も、白山神社、八幡神社などの名前がついていることを改めて知った。

 最近、仕事がら文化の点からいろいろ神社のことを読んだりしたが、神明神社が「万能の神」さんを祭り、白山神社は「山岳(岐阜と石川の間にある白山)宗教」、八幡神社は「武勇の神」などなど、いろんな役割があり、その地域にそんな神社があるってことは、それを昔、自分が育った住んだ地にそれを信仰していた人がいるってことで、なんとも感慨深かった。

 また、子供の頃、山のように見えた、大きな灯篭も、自分がオッサンになって見るととてもちっぽけだった。子供の頃クワガタを発見した大木も、いまではありきたりのサイズの木だったということにも気づいた。蛇やキヤッチボールでなくなったボールが隠れている、あのミステリーな草むらはいまではなくなり、コンクリートとジャングルジムに変わっていた。

 もちろん、こどもの頃見かけたジジ・ババはもう見当たらず、僕の知らない顔ばかり。

 なんとも、不思議な気持ちがした。2007年村祭り at 田貫町。

夜空

 先日、発見したトレッキングブーツの破損。代替品を購入すべく(名古屋で)今日は休みを取っていた。ところが、調子がいまいち良くなく家で仕事をしていた。そんな夜、コーラ(カロリーゼロのやつ)を買いに外にでた。今日はじめての外出だ。
 冷たかった雨もあがり、星がヨロヨロ輝いていた。うす雲があるせいか、オリオンも風邪気味のようで、あの猛々しさはない。

 ところで、ネパール。思いをはせれば、電気もきてない。空気も薄い。工場もない。周囲は人跡未踏。どんな星空なんだろう。キンキン冷える夜空のした、オリオンはどんな輝きをしているのだろう。なんだか、楽しみだ。

 いまのところ僕がみた最もきれいな星空は、いまから20年近く前、愛知から北海道まで歩いていったとき(一月半の徒歩旅行)、知床岬先端付近の漁師の小屋に泊めてもらったときの夜空。それに勝る星空が、かの地で見えるか!?期待は高まる。けれど、高山病なんかでそれど頃じゃないかもしれない・・・。

 ちなみに、話は飛ぶが、南半球だとオリオン座は頭を下にしている。NZの夜空は日本で見る星と大きく違った。その点ネパールは日本と同じような感じだろうけど、輝きが違うだろう、と期待大。