一週間くらい前だろうか、いつものようにいたずらメールが届いた中で、タイトルが「I think you are my old friend」というものが来た。最近は、さもありなん、という感じのタイトルのいたずらメールが多いので、そのメールもそのうちの一つだろうとおもって削除しようとした。しかし、文章が短く、卑猥なキーワードや値段や写真がなかったので、削除の前にとりあえず読んでみた。すると、たしかに「私のかつての友達」だった。
このブログの中で16年前に初めての海外旅行でタイに行ったといったが、そのときにであった女の子からだった(いまではもうたぶん30前半の女性だと思うが)。タイで最も楽しい思い出が残るカンボジア国境の「チャン島」で出合った4人組の中学生・高校生だ。
おっと、誤解してもらってはこまるから説明を。
一人旅していた僕は、港で船にのり島へ向かった(言葉が通じぬその国で、いま思うと良くやったと思うが:もっともポム・ジャッ・パイ・○○。タオライ?ティーナイ?なんていっていたら大体の用事が足せた)。彼女達とは、その船でのり合わせ、同じビーチで降りた。他にそのビーチで船を下りたのは、トップレスで海水浴するドイツ人女性(20代前半)とその2人の男の友達、日本語を少しだけしゃべるタイの有名大学の女子大生とその弟と叔父、そして私。それだけ。つくやいなや、タイ人・ドイツ人・日本人(僕)は打ち解け、2泊くらい行動をともにして、いろいろ話したり、ビーチで泳いだりした。
もちろん、そのときとった写真は現像して、日本土産をつけて、タイ人・ドイツ人に帰国後送った。それに対して返事をくれた人もいた。けれど、その後2・3回の手紙のやり取りはあったけれど、いつのまにかフェードアウト。記憶の片隅にホコリをかぶった思い出になった。
けれど、4人の女子中高生の中で、「パンちゃん」という女の子がいた。とてもかわいい子だった。僕のすりむいたヒザ頭に、夕暮れのビーチでとなりにきて、「バンドエイド」を貼ってくれた。また「ムーちゃん」がいた。「ムー」はタイ語で「ぶた」を示すらしいが(ちなみに、パンはリンゴを示すらしい)、皆からムーといわれ、自分でも「私はムーよっ」て言ってた彼女。この2人は名前と顔を覚えていたが、他の2人の女の子は顔はハッキリ覚えているが、名前を忘れてしまっていた。
ムーちゃんから16年ぶりの「声」を聞き、その後「どうして僕のメールアドレスわかったの?」と聞いたりして、メールがきた状況が大体わかったのだけれど、その後メールするにも、ムーちゃんとパンちゃんのことしかたずねないのは不自然だ。だから、他の2人の名前を探そうと、先ほど、「16年前彼女たちに送った手紙の控え(だいたい人に送った手紙の控えはとっておく性格なので・・・)」を探した。しかし、1年前の掃除でどこかにしまいこんで、ファイルが出てこない。じゃぁ、彼女達から帰ってきた返事を探そうとした(中学のころの年賀状から大体人がくれた葉書・手紙は保管している)。ところが、これも掃除でどこにしまいこんだか解らなくなってしまった。
万策つきるところだが、そうだ、あそこにあったかも?と「書き溜めている文章を入れているミカン箱」そこには、広告の裏に書いた「日々思ったこと」からノートまで保管している。そこを探していたら、91年のタイ旅行のノートがでてきた。そしたら、ムー・パンいがいの2人の友達の名前もでてきて、やっと心静かにムーちゃんにメールできる。
ついでに、ノートの後ろをみると3人の日本人を含む20人近くの様々な国籍の人の名前と住所がかいてあった。その名前の脇に、どこで知り合ったどんな人なのか?ということが書いてあった。「バンコクであった学生」「チェンマイ駅であった二人(夫婦)」「ドイタノン国立公園のレンジャー」ここまではいい。しかし、「無職のタイ人青年」「美人のタイ人」「ブルネイで2年働いたことがあるコラートから来た英語を話す女性」「56歳なぞの人物」「バスの切符切りの兄さん」・・・。彼ら、彼女らの住所が書いてある。誰だったけぇ~。しかも、なぜ彼らの住所を僕は知っているのだろう?どうやって仲良しになったのだろう。24歳の僕は「不思議ちゃん」だった。
ちなみにその思い出深き「チャン島」いまは、観光開発で大きく様変わりしたことを、ネパールに行く途中でよったバンコクで聞いた。