月別アーカイブ: 2007年12月

全日本実業団女子駅伝

 今日は山に調査にいくよていだったが、雪で延期。そこでかねてから見学したいと思っていたトップランナーの走りをみてきた。岐阜実業団女子駅伝。早かった彼女たち。あっというまに走り抜けた。

動画の編集を勉強中だが、サイズの設定がうまくいかず、小窓の動画になってしまった。

回想ヒマラヤ9 キッチンボーイの毎日

ガーリック ヒマラヤでの道中、僕らの食事はすべて専用に雇用したキッチンボーイがつくってくれる。どうも彼らはポーターとシェルパの間の役回りをする。さて、ネパール料理とはいったいなんだろう。
 大学の同級生がネパールへ卒論のために3ヶ月ある村に滞在した。彼は言っていた。「あの人たち、毎日カレー。しかも想像を絶する辛さ。そして、毎日同じものばかり食べている」。まぁ僕らのヒマラヤ道中も毎日カレーだろうとおもった。そしてそんなカレーの作り方を覚えて「カレー仙人」(私のブログに登場している)に自慢しようと思ったが、約二週間のトレッキング中カレーらしいものがでてきた覚えはあまりない。
 カトマンズでは、いろんなものを食べた。うまかった。「モモ」という餃子に近い食べ物、「スプリングロール」の春巻き、もちろんカレー・・・。さて、料理専門のキッチンボーイは何を食べさせてくれるのだろう。期待して望んだ彼らの始めての料理。でたー待望の「ガーリック・スープ」(写真)。カトマンズでネパール人に聞いた「高山病予防にいい」といわれているスープ。初めて口にしたときの感想。「うまい!」。
 たしかに、うまい。でも毎日でてくるそのスープ。味がいつも違う。アバウトなのか、それとも微妙に変えているのか・・・?そんなスープの作り方を聞いてみた。材料はいたって簡単。すりつぶした「にんにく」に「塩」、少量の「ミルク(たぶん脱脂粉乳)」それだけだ。けれど、うまい。・・・けれど・・・。
 こんなことがあった。日本から持っていった、ラーメン、そば、うどん。トレッキングも半ばになり、そろそろネパール料理も飽きてきたころ(私は飽きていないが)、彼らにその麺類を渡した。すると器用に、ラーメンも、うどんも、そばもつくってきた。ところが、麺は日本の麺そのものだが、彼らは、スープに「すりつぶしたにんにく」をいれ、全て「ガーリックスープ」風に仕上げる。こうなると・・・。うーーーん。これって、ラーメンなの?ソバなの?うどんなの?となる。
 ガーリックスープ以外に、印象に残った食べ物は、チャパティ(小麦を焼いたパンみたいなもの(パンほどうまくはない))、ダルバート(カレー風煮込み野菜と豆の汁などがセットになったもの)。などなど。
 いつも残るほど作ってくれた。かといって、シェルパはわれわれと一緒に食事をするが(それでもシェルパも給仕を手伝っていた)、ポーターやキッチンボーイらと僕らは一緒に食事するのではない。ポーター、キッチンボーイは外で粗食とのことだった。

顔あらい キッチンボーイの仕事は、① モーニングティー。あさ「ティー」「ティー」とロッジの個室の前で声をかけ、僕らが扉を開けるとベッド(といっても板張りのベッドに敷布団があり、その上で寝袋で寝ている)まで、紅茶を運んできてくれる。②紅茶が終わると、顔を洗うため洗面器にお湯をいれて部屋の前の廊下においてくれる。こんなことがあった。トレッキング初めての朝、彼らが洗面器を置いていった。同室のF先生が廊下で洗面器のお湯をつかい顔を洗っていた。そして寝袋から出た私も廊下にでた。ちょっと躊躇したが、郷にいらずんば郷にしたがえ、洗面器が1つしかなかったので、F先生が顔を洗った洗面器で顔を洗った。よかった、年長者よりも先に顔を洗わなくて・・・。僕が先に顔をあらったらF先生、しかも僕にとってこの調査のスポーンサーに、僕がつかったお湯で顔を洗わす羽目にならなくて。しかし、これはちょっと屈辱だった。
洗面 たまらず、「先生、先生のつかったお湯で顔を洗わせていただきました」と報告すると、彼は「キョトン。・・・。ワハハハ、ヒィヒィヒィ・・・。ドアをはさんで反対側にもう一個洗面器あるだろう」。確かにあった。誰も使わなかったきれいなお湯が・・・。
 さて、話はキッチンボーイの仕事。③朝食。僕らが部屋で寝袋を片付けたりリュックの荷物を整理していたりすると、キッチンボーイが廊下を「スープ・レディ」といいながらあるく。スープができたよ~と教えてくれる。朝飯の始まりだ。④ 移動中も彼らは私たちの先回りをし、昼飯前に ⑤ティータイム。 ⑥昼飯、⑤ティータイム、⑥晩飯、これらが彼らの仕事だ。

BC食事 イムジャ湖(調査対象地)のベースキャンプでは、なぜか朝はいつも外で朝食。気温は氷点下20度だ。割と寒い・・・。けれど、キッチンボーイはわれわれよりも先に早くおき、いつもどおり紅茶をいれ、洗面器にお湯を入れ、朝食を出してくれる。ちなみに、ベースキャンプで出される料理は全て、氷河湖の泥水(割とうまかった)を使ってのものだ。

クムジュン そんな、トレッキングも2週間くらいで終わり、ナムチェバザールのちかくにある「クムジュン」という村でキッチンボーイたちとはお別れだ。写真は最後のティータイム。こんな大きなヤカンで紅茶やジュース(レモンやオレンジの粉末をお湯で溶いたもの)を「もういい」というまで注ぎ続けてくれる。温かい、オレンジジュースやレモンジュースは割りとうまかった。
 ちなみにこのクムジュン、ただの町かとおもったら違っていた。シェルパの町。しかも、日本山岳会が最初のエベレスト遠征に来た前年、植村直己がこのクムジュンで気象観測をしながら、毎日、エベレストの見える丘まで登山靴をはいてジョギングしていたところ。「青春を山に駆けて」や「植村直己物語」で、僕の頭のなかに強烈に焼きついているシーンの場所。確かに、クムジュンから丘に登るとエベレストが見えた!しかし、こんなところをジョギングするなんて、考えられない。近所の子供はサッカーをしていたり、鬼ごっこして駆けているから体が慣れればジョギングできるのだろうけど、よっぽど高地で住まないことにはジョギングなんてとても、とても・・・。

金華山で調子を確認してみた

 今回のヒマラヤ、前に書いたが6189mのアイランドピークには酸欠で登れなかった。それまでは金華山のトレーニングのおかげで、山登りもたいして苦しいと思わなかった。しかし、アイランドピーク以来、いや、思い返せば4700mのチュクンの町で体調を崩し始めて一日オフをもらったあたりから調子が狂い始めた。
 『心技体』というまことに美しい考え方があるが、とにかく、心技体のバランスが崩れ、体力はあるけど苦しい、やる気はあるけど体がついてこない・・・。なんだか運動会の行進で手足をバラバラに振る小学生のように、うまく自分の体が制御できず、そのまま帰国となった。そして下痢に悩まされ、咳・鼻水あげくのはてに発熱(熱があると思わなかったが、あまりに長い間なんだか変だったので体温をはかって初めて分った)。これには弱った。
 しかし、先週終わりあたりから体も回復し、今秋終盤には完全回復。なんだか、長良川で寒中水泳さえ可能な気持ちになってきた。そこで、自分の山登りのリズムや体力が壊れてしまったのか、恐る恐る確認するため、今朝金華山に登ってきた。

 結果、空気があるってすばらし~~~い!!!を実感。山に入る前のちょっとした坂道を目の前にしたとき、一瞬、ヒマラヤの苦しさがよぎった。しかし平地と同じような感覚で坂道を登る。しかも、だんだんスピードアップ。
 いつもの馬の背だって、ゼイゼイしない。はぁはぁ、といってりゃ上につく。筋肉も苦しくないし、呼吸もヒマラヤ的ではない。なんだか濃厚な酸素が体中にいきわたった。おー、これはいつもどおりだ。決して、ヒマラヤで基本が崩れたのではない。なんだか、ヒマラヤでは未知の世界に心が乱れ、浮き足立ったのだろう。結局夏と同じ玄関を出てから45分で山頂を往復できた。

 帰り道の瞑想の小道。下り始めたら、なんだかいつものナイトハイクと違って回りが見える。足場がみえる。ちょっと小走りに走ってみた。おっ、これはいける!!!このまま走っちゃえ~。とくだりの道は走りはじめた。すれ違う、ハイカーに挨拶をなげる。
 いつの間にか風切る耳に聞こえてきた。未来少年コナンのテーマ曲。岩や木の根っこをコナンのように軽やかに飛び越え、風よりも早く山を駆け抜け・・・。
 
 どうやら、ヒマラヤで頭がいかれたようだ。
 

回想ヒマラヤ8 たくましきシェルパ民族

キッチン 空気が薄いということを体験したことがなかった私。まぁ、ガッツと根性で解決できないことはないだろうと思っていた。しかし、実際行ってみるとちょっと坂道を登っただけでも、ゼイゼイしなければ死にそうだった。しかも、このゼイゼイ、単に下を向いてゼイゼイしているだけではダメだ。胸いっぱいに空気を吸い込み、胸がはちきれるまで空気をいれてゼイゼイしなければ、息継ぎをしないで50mプールを泳ぎきる45mからの苦しさ・・・。
 僕ら平地の民(平民)は、シェルパ民族に脱帽せざるをえない。上の写真は僕らのキッチンスタッフの荷物である。彼らは水の入ったポリタンク、食材、食器、などを背負い、ゼイゼイいって亀の歩みの僕らを、たとえ朝後発しようが途中で抜かしていく。息も乱さず・・・。

石運び たとえば、この写真。標高3800m付近、シャンボチェ空港からナムチェバザールへ降りる山道の何気ない風景。もちろん、車など通る道はない。したがって、物流は全て人力。建築材料などになる「木材」は近くにない。そこで、この地域は石材が建築材料の主流だが、その石材もこうした人海戦術で一つ一つ人間の手で運ぶ。

板運び 資材の産地と使う場所がちかくでない、木材など、これだって人力で運ぶ。僕が平地でも2枚くらいしか持ち上げられないような分厚い大きな板。そんな板も5つまとめて、持ち上げた上、数日かけて4000mオーバーの場所を運搬していた。長さが7m、直径25cmくらいの塩ビパイプだって、インドの大蛇使い以上の迫力で黙々と運んでいた。車がないってことは、僕たち日本人には信じられないが、ココでは普通。こんなのトラックなしでどうやって運ぶのかとおもうようなものでも、彼らは人力で峠を超え、谷を越えていた。トラックで運べないもの?そんなのは使わない、必要ない世界だ。つまり、重機もないから工事だって、人力でできる範囲の建築スケール。

ハイポーター 僕らトレッカーは自分の着替えと水筒・カメラ等を入れたリュックくらいしかもてない。それ以上は耐えられないくらい重く感じる。じゃぁ、着替えや仕事の機材はどうするか?といえば、ポーターと呼ばれる運びを仕事とする人たちにお願いすることとなる。僕らの荷物、日本の空港から出発すとき、つまり僕らが平地で重たいなぁ~とおもう荷物でも、彼らは2つ、3つと信じられない方法で運んでいく。リュックの肩紐を使うことなく、複数のリュックを紐で強引に結び、または竹かごに入れ、全ての重みをデコでささえる。僕らがこの荷物を平地で担いだら・・・。きっと立っていることさえできないだろう。

 そんなたくましい彼らに驚嘆してばかりいられない。彼らを見てすぐにおもったことは、あれだけ体を酷使すれば寿命がさぞ短かろうとうこと。ああすることしか、仕事がない(自給自足では生活はできなそう)。逆に、あれをすれば家族を支えられる。父ちゃんたちは毎日朝から日が暮れるまで、重い荷物を背負って山道を往復する。

 ポーターの日給をネパール人に聞いてみた。一日だいたい500ルピーだとのこと。しかし、それは食事や宿泊は含まれてない。宿泊だって、彼らはロッジではなく、そとで寝る。食事だってお金を節約するため粗末なものしか食べないそうだ。きっと家族に一ルピーでも多く持って帰るためそうするのだろう。英語が話せれば、シェルパというガイドの仕事もあるのだろうが、教育を受ける機会がなかった彼らは、こうして毎日おもい荷物を背負って死んでいく。

 でも彼らの表情には悲壮感がない。

 こんなつらい仕事(もしかしたら、やっとありつける仕事)も、実は厳冬期と雨季にはトレッカーが来ないため、一年のうち半分以上はなにもすることがない。しかもトレッキングのシーズンでさえ、仕事がありつけるかどうか分らない。僕たち文明人は日給×365日で収入を計算するが、かれらの場合は、日給×180日×仕事にありつける率である。500ルピーが高いか安いかわからないが、僕らが高い安いというべきではない気がした・・・。

 ここに来る前は、ポーターだって最小限、キッチンスタッフだって自分たちで自炊して、宿泊だってテントで・・・、僕が学生の頃やってきたような貧乏旅行の感覚をもってヒマラヤに入ったが、ヒマラヤの国情や同じ人間としての生活を考えると、僕らが彼らにできることは、多くの人に雇用の機会を提供すること、そんな気がしてきた。

今日

今日はKOの殿から、ブログをかいているのもいいが、それならヒマラヤの報告書をまとめてくれと依頼がありました。それも最もなので、今日の「回想 ヒマラヤ」は休刊します。

さて、話変わって。ヒマラヤに行くために風邪などひいてはならぬと10月から大好きな原付通勤(40分)を控えていました。ヒマラヤで崩した体調も、もう戻り、長良川で寒中水泳をやってもいいかなぁ(冗談)と思うくらい回復しました。
今日から原付通勤復活です。やっぱり、風景と季節の匂いを感じながらのバイク通勤は寒かろうが楽しいです。張り詰めた毎日もバイク通勤で行きかえりの一時間半もリゾートしてるみたいでウッヒッヒです。仕事もさらにがんばれる!これから厳冬期に向かいますが、目指せ原付通勤エブリデイ。

回想ヒマラヤ7 あらたな冒険


今日は冒険だ。はじめての動画投稿。さいきん、このライブドアのブログで動画を受け付けるようになった。ちょうど、いまビデオと動画編集ソフトを大金を出してかったので、このネパールをネタに動画編集を覚えることにした。またまだかろうじて動画になっているだけだが、そのうち立派な(?)動画をアップするつもりだ。

さて、今回のヒマラヤ回想録。なんかいもカトマンズの空気は最悪だったとうことをいった交通渋滞。交通ルール。排気ガス。道路の路面。どれをとっても困った状態だ。それを紹介するには動画がいいと考えた。上の動画は8月だったか9月のブログで紹介したビデオ(ハイビジョン:先日われわれのプロジェクトがNHKの国際ニュースで放映されたが、そのニュースの中でつかわれた割ときれいに取れるビデオ)で撮影した。動画の編集はAdobe Premiere Proというのでやっている。今日はじめて使ってみた。もちろん、今日から使える代物ではないが、試行錯誤でやっとこんな動画を作ってみた。最初の場面はネパールの繁華街。人力車や車やバイクがこの細い路地をクラクションならしながら通る。次のシーンはホテルの前の繁華街につながる大通り、バイクも人も自転車も車もスレスレで走ってる。その次はこの渋滞を右折するわれわれの車!信じられなかった・・・。そして最後は夜のカトマンズ。渋滞しているので車道を平気でバイクが走ります。おー、危ない・・・。


 次はデジタルカメラでとったカトマンズの交通事情。歩道を走る車!(われわれの車だが・・・。ネパールでは歩道を車が走るのは日常茶飯事のようだ)。渋滞のさなかのユーターン。小さなこどものノーへルでバイク。まったく日本では信じられない。

空気の悪さが伝えられないのは残念だが、カトマンズに一週間もいたら、クラクション音と排気ガスで体がおかしくなりそうだ。昔タイにいったとき、タイも渋滞が酷かったが、タイの渋滞は「都会の喧騒」という表現がぴったりで、なんだか楽しくなるような渋滞だったが、カトマンズの渋滞は・・・。大きな違いは車の巻き上げる砂埃にあるのだとおもうが、思い返せば、タイ・バンコクでは舗装されていて、カトマンズは土むき出しの道路。日本にいては無味乾燥のコンクリートジャングルのアスファルトに嫌悪する私だが、変わって日本であれだけ渇望したノン・アスファルトの道路で日々生活してみるとアスファルトの道路がなんと健康的かと感じる。

なんとも身勝手な自分だとつくづく思う。ただ、・・・、交通量しだいだと思うのだが・・・。

回想ヒマラヤ6 非日常その3

【紳士?の身だしなみ?】
pantsu これまでの41年の人生の中で風呂または水浴びをしないですごした日々は最大でも4、5日か?きっとネパールではそれを越すだろう。覚悟していた。結局、風呂または水浴びをしなかった期間は2週間に及んだ。しかもそのうち着替えをしたのは2回。
 一回目は一週間目で初めてパンツとシャツと靴下を変えた。バンコクではシャツとパンツの節約のため(?)同室のKO大学のF先生に笑われたりしようが裸で寝たり・・・涙ぐましい努力をしたが、一日洗濯する時間があったのでそのとき初めて日本を出て下着を替えた(ちなみに寝るときも靴下を履いていた・・・)。場所は4300mのディンボチェである。さて、洗濯。もちろんコインランドリーなどない。洗面所もない。はたまた水道もない。氷河の融水の川も遠い。そこでシェルパのリーダー(サーダー)に聞いた。「洗濯をしたいのだが・・・?」かれは言った。あそこにある洗面器をもって、キッチンスタッフにお湯をもらって洗濯しなよ。そこで私はちかくにあった、洗面器をもってキッチンスタッフのところにいってお湯をもらい、ネパールではじめての着替えをしてすがすがしい気持ちで洗濯をした。気温は氷点下。洗濯物は乾くだろうか?そんな心配をよそに、空気がめちゃくちゃ乾いているから(だから喉と鼻をやられたのだが・・・)数時間で氷点下の寒空の下、直射日光を浴びたパンツは乾いた。
 ただ問題がないでもなかった。というのは、私が洗濯をした昼間。それから数時間して食事の準備が始まった。昼のティータイムでつかった食器をキッチンスタッフが洗っていたのは、私が洗濯をした洗面器だった。僕たちは、僕の下着をあらった洗面器で洗った食器で紅茶を飲み、飯を食った。もう、このあたりでは高山病で日本でいけば酔ったような気分「あーーー、どうにでもなれぇ~」という感じになっていた。もう矢でも鉄砲でも持って来い!

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 さて、結局二週間風呂に入らなかった。途中の着替えは上のディンボチェと、その2日午後のチュクン。チュクンで着替えた理由はちょっと風邪気味になり一日オフをもらった。たぶん、熱があったのだろう。夜寝ていて汗をかいた。そのとき2度目の着替えをして、そして初めてウエットティッシュで体を拭いた(タオルで拭くにも水がない。あっても外で凍っていた)。結局、二週間で2回着替え、一度ウエットティッシュで体を拭いただけ。
 今回のネパール合計3週間。もっていった着替え、パンツ3枚、登山シャツ3枚、靴下4枚。洗濯をしたためパンツもシャツも2枚使っただけ。靴下は4枚全部使った。そんな使い古した下着類を岐路のナムチェバザールで選択をした。ここはデラックスルームをかり、シャワー(ただし、宿のほかの人がお湯を使えばお湯は出なくなり水に変わる)あり、洗面所あり。洗面所のシンクで使い古したパンツとシャツを洗った。すると写真のように砂と油で洗剤+砂+人油で水は大いに濁っていた・・・。しかし、シャツもなにもかも、空気が乾いて汗をかかないし、冷たい空気でにおわないし・・・。数週間風呂に入らなくたってご機嫌な毎日だった。

【仕事風景】
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【偉大なシェルパ】
rakupanul 片言の日本語を話すシェルパ。彼の名前はラックパヌル。45歳。「チャムイネェ~」「ションベ」「キュウケイ」。ユーモラスな喋りとは裏腹に、彼はいままで「エベレスト」に4回チャレンジし、2回登頂。「マナスル」にも登頂。「マカルー」にもチャレンジしている、スーパークライミングシェルパ。とても素敵な人だった。

回想ヒマラヤ5 非日常その2

【夜】
夜いま日本に帰ってきて、部屋の電気を消さずに別の部屋でテレビ見たりしてしまうことがある。前はあまり何も思わなかったが、ネパールから帰ってきたいまは、電気の無駄づかいをするたびに、あのヒマラヤを思い出す。カトマンズ、つまりネパール王国の首都でさえ停電がある。夜中に突然、電気が消えることがあるのだ。また、町には街灯がなく、といってもどこかの国の援助で街灯ができていても、明かりはともっていない。したがって夜の街は行きかう車やバイクの明かり。もちろんネオンなんかはない。
 これが山奥にいくともっと状況は悪い。まず、トレッキングの起点ナムチェバザールという町。ロッジの食堂ではかろうじて読書ができる程度。これが各個室の電気となれば、肌電球が一つあるだけ。裸電球といっても読書はできないくらいの暗いものだ。また日本からもっていったパソコン・デジカメなんかを充電するためのコンセントはない。でも、ナムチェもあとから思えば極楽だった。
 キャンプサイトの5000mに行くまでにはナムチェをでてから3箇所で宿泊をした、テンボチェ(3800m)、ディンボチェ(4300)、チュクン(4700m)。テンボチェでは食堂はナムチェなみだったが、個室は裸電球、それも、日本で言えば豆球のような暗さ。廊下には明かりはない。したがって、高山病対策で水を大量に飲んでいるため頻繁にトイレにいくが、ヘッドランプ持参。
 これが、ディンボチェになるとちょっと泣けてくるほど暗くなる。このあたりになると座布団程度のソーラーパネル1枚で電気を作り、それをバッテリーに充電して宿の一日の電気をまかなう。みんなが集う食堂でさえ、夜になると料理の中身が良くわからないほどくらい。かりに半焼けの肉がでてきたとしても、肉の赤い部分は確認できない。しかも、トイレも電気はあるけど、電球がはまっていない。部屋の電気も豆電球なみ。こんなんじゃ何も見えやしない。
 チュクンなるともっと過酷。電気は食堂に豆電球が一個だけ。写真のように人の顔さえ良くわからないほどくらい。部屋や廊下には電球はない。別のロッジでデジカメの電池を充電したが、充電は一時間300ルピー。つまり600円。
 もちろん、カトマンズ、ナムチェ以外は、家電を見たことがない。冷蔵庫、炊飯器、洗濯機、掃除機・・・。なにもない。でも現地の人はだれも不便に感じてなさそうだし、みんな幸せそうだった。発電所もちかくにないし、電線だってない。

【トイレ】
トイレネパールに入るまでは、ネパールの便所は日本のボットン便所のようなところだろうと思っていた。・・・が、実際いってみると、それ以上でもありそれ以下でもあった。便所は大体3タイプあった。
 一つは、写真のように小屋があって、小屋の床にいたが引いてあり、そこに穴が開いているタイプ。どっちを向いて排便していいのもなのか悩むところだが、まぁいい。便所はもちろん個室で人がみているわけではない。反対側を向いて排便していても・・・。面白いのは、なかには枯葉がつんであり、用を足すたびに枯葉を便所の中に落としウンチを隠す(たぶん、ウンチの腐敗を促進とにおい消しの役割があるのだとおもう)。
 二つ目は、20年前タイにいったときのような和式(キンカクシはない)の陶器でできた便器があり、排便後は便所内にある大きなバケツの水を小さな桶で汲み、自分で流すタイプ(もちろん、下水施設はないので、その流されたウンチは近くのどこかに垂れ流しのハズ)。このての便所で、ちょっと躊躇することがある。それは紙の始末である。便器に紙は入れてはいけないことになっていて、用を足すときにしゃがんでいる右前方にポリタンクを二つにわったようなプラスチックの容器があるが、用をたして尻を拭いたあとの紙(つまりウンチのついた紙)はその容器にいれるのである。もちろんふたはない。しかも、ウンチをすればするほど、容器はてんこ盛り状態となり、うんちのついた紙がエベレストのようにつもっている・・・。これには参った。ただ、郷にいらずんば郷に従えということで、そのうち手動水洗用の水おけの水を手でぬらし、尻を洗うようになったが・・・。でもウンコ紙のヒマラヤ山脈には少々ドキドキした。
 3つ目のタイプは、ウンチも紙も同じところに排泄する日本の海の家のような(といても一つ目のような床板に穴があいているタイプ)ボットン便所。ただ、日本と違うのは、寒いのでウンチが凍っていていたり、水はけのよい地面に穴がほってあるだけで水分が日本のようにたまっていない。だからお釣はこない・・・。その分、地域の水が心配だ・・・。きっと糞尿が染みた地下水を料理に使っていたりするのだろう・・・。

 一つ目の便所は、まだ木が生えている地域の便所、二つ目の便所は木のない標高の高いところの便所。三つ目はなんでもありにならざるをえない、人間の生存が極限になる5000m近くの便所。そんな気がした。

 しかし、総じてこの季節の便所は寒いのでにおわない。日本の海の家や、しけたキャンプ場のようにキツイ匂いはしなかった。ウンコの行き先は不安だが、トイレはわりと想像以上にきれいだった。

しかし、電気がなくても、トイレが簡素でも幸せに暮らせる自信ができた!時間と土地があれば、ネパールのロッジのような小屋をつくってみたい!!

回想ヒマラヤ4 非日常その1

【気圧】
 スキー場にいくとポテトチップの袋がパンパンになっている経験はだれにでもある。1500mオーバーの乗鞍青年の家でもそうだった。ポテチにパン・・・。みんなパンパン。
 ほんじゃぁ、ヒマラヤはどうよ。

 ところで、平地の気圧はだいたい1000ヘクトパスカル。熱帯低気圧の台風は950ヘクトパスカルだと、お天気姉さんはこういう。「超大型の強い台風の・・・」。しかし、超大型台風がきたからといって、ポテチの袋が膨らむことはないから、スキー場の気圧はきっと950ヘクトパスカルよりも小さいのだろう。
 でも、どうだろう。もしも台風が来てポテチの袋が膨れたら・・・。コンビニの店員はきっと、台風が来るたびに袋が膨れて棚からおちるポテチを、台風で客足が遠のいたガラガラのコンビニで、棚に戻しては落ちるポテチと格闘する。
レーズン さて、話はそれた。ヒマラヤではどれくらい袋が膨れるのだろう。そんな疑問に答えるべく、写真をとってきた。写真は5600m地点のお菓子の包み。気圧はなんと、550ヘクトパスカル。登山では昼飯は朝弁当をつくるわけでもないし、昼間からコンロを出して湯を沸かし・・・なんてことはしないのが「山屋の行動」だ。昼飯はなし、というか、チョコレートだとかビスケットだとかカロリーが高いお菓子を食べてそれで終わり。だから今回のアイランドピークアタックも昼飯は菓子。日本にいるときダイエーの菓子コーナーでカロリーが高くて軽い菓子を探して、ヒマラヤに持っていたビスケット。爆発寸前。パンパンだ。

【水】
 人間、飯を食わなくても数週間は生きれるらしい。ただし、水を飲んでいればの話。水、もちろんそんなものは蛇口をひねればガブガブのめる。ん!山?山の水もうまい。今年の四国のラフティング途中で飲んだ沢の水。愛媛の山で飲んだ湧き水。水の味にドン感な僕でもウマイ!と思った。けれどそんなことを思えるのは、きっと日本だけでは・・・。いままでいったいろんな海外でも水道の水を気にせず飲めたのはニュージーランドくらい。あとは、ちょっと飲むのを控えた。
 さて、ネパール。水状況は最悪。水は飲めない。細菌は目では見えないけれど、ネパールの首都の5つ星ホテルでさえ、シャワーの水を良くそうにためたら、色がついている。錆び水のような色。
 だから、ミネラルウォーターを買って飲む。ネパールの首都カトマンズでは1リットル15-20ルピーくらい。日本円にして30円から40円。さてこの値段、5000m地点へのトレッキングでは標高があがればあがるほど値段は高くなっていく。まず、カトマンズからヘリで飛んで到着トレッキングの起点ナムチェバザール。飛行場からナムチェバザールには400mくらいの山道を降りる。移動は徒歩。車や自転車なんかが通れる道ではない。日本で言えば登山道(まわりに大きな木はない。富士山の登山道みたいな感じ)。もちろん、ミネラルウォーター、ナムチェバザールでつくっていないからどこから運んでくるのだが、飛行場からナムチェまでは人力かヤクという動物の力をかりなければならない。けれど水。重い・・・。だから一回に運べる量はすくない。その結果、ナムチェで水をかうと一リットル100ルピー(200円)。ここから5000mまでどこのロッジやレストランでも水はうっているけれど、「誰か」が足で運ぶことになる。酸素が薄く「われわれ一般ピープル」では空身で坂道登るのも息切れするのに・・・。その結果、たとえば4300mのディンボチェでは一リットル200ルピー(400円)、4700mのチュクンでは230ルピー(460円)となっていった・・・。
 一日4リットルくらいの水を飲むようにしていたた(高山病対策)。もちろん値段には返られないが、そもそも山の中ではクレジットカード使えない。手持ちの現金(ルピー)もあまりない。となると湯水のようにお金をつかいミネラルウォーターを買うことにも気が引ける。そのため、キッチンボーイが「煮沸」した「現地の水(どこの水かわからない)」を飲むことになる。その水、あるときは、アルミのヤカンの風味がした(たぶん、紅茶をいれるヤカンなのでその匂いだとおもうが)。ちょっと勘弁してほしい味。というわけで、次善策としてアルミ水をさけるため、その水でつくった紅茶を持ち歩くことにした。

 ところが、氷河に隣接した5000m地点でのキャンプ3日間。水を買うところはもちろんない。キッチンボーイの水が命綱だ。そのキッチンボーイ、ここでは水を氷河から汲んできた。そいつを沸かしてお湯や紅茶、料理のスープに使っていた。氷河の融水!なんて素敵な響きだろう。氷河をピッケルでかち割って、ウイスキーのオンザロックでもすれば、さぞうまかろう。・・・と思っていたが、現実は違った。氷河の融水は泥水だった。また別に紹介するつもりだが、ここの氷河は砂と雪の混ざった氷河で、それが融けた氷河湖は粘土のような細かい砂の混ざった写真のような泥水。

氷河水 この泥水、紅茶にしても紅茶がにごっている・・・。ときどきテレビでアフリカの人々が泥のような川水を生活についかい、病気になっている話しがでてくるが、まさにそれに近い状態・・・!?でも、人は水を飲まないと生きていけない。しかも高地では大量に・・・。煮沸した水を飲む勇気がないので、目をつむり、鼻をつまみ、色が少しでもついた紅茶でごまかす。
 さて、味は?これが意外にいままでの得たいのしれない水よりでつくった紅茶よりもうまかった。こいつは以外だった。もちろん、泥水なんて飲んだことはないので味の想像はできないのだが、こいつは無添加生の味。それで、ドキドキしながら煮沸した泥水に挑戦してみた。おっ、こいつはいける。いけるぞーーー!

回想ヒマラヤ3 神々の座

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これまで読んだ本の中でヒマラヤのことを「神々の座」といっている人がいた。
また僕の本棚には『憧憬のヒマラヤ』という本がある。

しかし、いまいちピントこなかった。ところが、今回行ってみたらヒマラヤの山々は『神々しい』という表現がぴったりだったということが判った。人を寄せ付けないあの山肌・・・。
そんな山々はきっと一目見れば「登るか登らないかは関係ないにしても」誰もが「憧れ」の気持ちをもつだろうと思う。
絵葉書のような景色、CGと見まがう。

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上の写真のようなとんがった山もある。既にだれかが登ったのだろうが、おいおい、このトンガリ山、登ったところで何がある?こんな山をみると「ひとはなぜ山に登るのか」と改めて僕も思う。山は眺めるもの!?

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今回、僕らが登った山(僕は前述の通り途中でギブアップ)、アイランドピーク(6189m)。この山ならなんとか登れそうな気がするが、それでも僕は酸欠でのぼれなかった。人を寄せ付けない山・・・。あの狂ったような金華山トレーニングはなんだったのかとおもうくらい、あまりに僕は無力だった。

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