月別アーカイブ: 2007年12月

回想ヒマラヤ2 ヒマラヤ行きの目的

ところで、遠路はるばるヒマラヤまで「あいつは何しにいった?」と思われているのでは?とひそかに感じている。今日はそのことをお話しするとしよう。

地球温暖化により陸域氷床が少なくなっている。陸域氷床の現象は長期的には海面上昇につながるが、それよりも緊急に問題なのは氷河の後退によって起きている氷河湖が決壊する危険性をもっていること。氷河湖が決壊するとヒマラヤから注ぐ川が一気に増水し、洪水や橋の流出など人々の生活に直接影響する。こういった問題は世界のあちこちにあるが、とくに氷河後退が顕著なのがヒマラヤということになっている。このヒマラヤで拡大している湖のうち「ツォローパ」という湖はそういった危険性ナンバー1の湖ではあるが、数年前に工事や付近住民への警報装置をつくったことで一段落した。その次に・・・というのがいまいちよく分っていない。ところが、イムジャ湖という湖はエベレストに近く、ネパールでも人気のトレッキングコース。この湖が万一決壊したら、前述、洪水・橋の流出などに加え、世界の最貧国とされるネパールの重要な観光資源を失うことになる。(橋がなくなっただとか、あの未知は危険だとか噂がたてば人が来なくなる)。これは長期的に世界の最貧国を見守る国際社会にとっても大問題。そこで、このイムジャ湖の状況を常にインターネットで世界中で監視し(温暖化問題の現状を世界にしらせ、環境問題に関心をもつ人々を増やしながら)、なにかが起こりそうなとき付近に警報をだすようなシステムをつくろう、というプロジェクトをKO大学が企画した。私はそのお供をしてきたというわけ。 

10月30日に日本をたち、タイ経由でネパールの首都カトマンズにつき、カトマンズで3日間で情報や装備を入手し、輸送計画とシェルパ等の手配をし、ネパール4日目からカトマンズから東に数百キロいったところにチャーターヘリで落ちたち、目的の湖に向けてあるきだした。下の写真はあるきだして一週間くらいして目的の湖に到着する数時間前の景色。その日は積雪があり寒かった・・・(なんども雪が舞ったがこの日は積もっていた)。

アプローチ

そんな湖も近くから見たら全体像が良くわからない。だから、高いところに登り湖全ぼうを捉えようと標高6189mのアイランドピークという山に登ることにしていた。したの写真はアイランドピークの山腹のアタックキャンプからみたイムジャ湖の全ぼう。巨大な風呂のようにカタチがシッカリした湖だった。湖面は凍っており、朝にはー20度の気温。昼でも氷点下・・・。
イメージしていたよりも小さい湖。しかも、湖の先端には川できていて、水を排水していたから、「これが洪水の恐れがある湖か?」と正直思った・・・。

さておき、アイランドピーク。この山に登る申請をしているのは3名(登山には許可がいる。許可には金が要る。だからみんな登るというわけにはいかない)。3名でシェルパ2名の援助をうけ深夜3時出発でアタックをかけたが(下山が遅くなると強風が吹いて危険ということで夜登山)、私は酸欠で「これは無理」と判断し、早々と撤退。(無理しないという信条でヒマラヤにいってるので)KOの現役山岳部員は6100mくらいまで行きながら凍傷の危険等を感じ撤退。上りきったのは51歳のKOの先生のみという結果に終わった。

全容

この氷河僕が驚いたのはその氷河湖の作られ方。氷河湖の形成だとか氷河の後退は、夏の乗鞍の雪渓がとけるように、ちょろちょろと雪が溶け出し、そのだいぶ下のところで湖ができているのかと思った。ところが、イムジャは違った。まるで南極の氷が海に崩落していくように、どうやら氷河のしたには既に水で満たされ、氷河の先端は水に浮いているため、どんどん氷河が崩落して湖を拡大しつつ、氷河が後退していた。なんでも90年代の後退速度は40m/年だったそうだけれど、現在は70m/年になっているという。

最前線

そんな現在もっとも熱い(話題性のある)氷河にいってきた。
調査隊はの構成は、KO大学5名、CB大学1名(長期出張を許してもらえなかったため途中帰国)と私のKO隊7名に加え、湖に設定するカメラを設置する日本隊3名とネパール隊7名の混成チーム。これにシェルパ3名(シェルパの親分をサーダーという)、ポーター数名(荷物を運んでくれる専門の現地人)、キッチンスタッフ5名でのヒマラヤ行だった。

回想ヒマラヤ1 ネパールの夜空

バンコクについてから消息不明になっていたように見えた私ですが、11月21日に日本に生還しました。ところが、帰国直前からヒドイ下痢で無事帰国!という具合にはいかず、ブログの更新をするエネルギーがありませんでした。最近体調がもどってきましたし、個別に連絡をくれた方々が「バンコクから消息不明だから・・・、ネパールで・・・ ・・・」などと心配をしてくれていたので、まずは帰国の報告をと、今日、一月ぶりにブログの更新をしてみました。

さて、ネパール。想像を絶する国でした。なにが想像を絶するのか?については追々ふれていくことにします。また、イベントが多すぎて頭の整理がついていないため、すぐにお話できるかどうかはわかりません。
ですから、まずは小出しに整理のついている事柄からブログります。

その第一歩。以前のブログで「ネパール」の夜空が楽しみだということをいいました。星好きの少年だった私は、5000mオーバーの山々、エベレストなど以上に期待していました。
ところが、ネパールの首都のカトマンズ。夜空は望むべくもない。もちろん、世界最貧国に必ず名指しされるような国ですから、いまの日本のようにイルミネーションはない、もちろんネオンもほとんどない、はたまた街灯さえ皆無に等しい。想像してみてください、日本の道路にネオンも街灯もなかったら・・・(もっとも戦後はそんな状態だったはずですが)。夜はまっくらのはず・・・、だけど、車の排気ガス(なんというか、交通量がやたらおおく(これについてはそのうち写真を掲載します)、道路は舗装されていないので、排気ガスと砂埃で体を悪くするような空気。いつも景色が霞んでいた。したがって、夜空は貧相な光害都市東京の新宿でみるような、宇宙の終わりのような寂しい夜空だった。
けれど、調査のためにナムチェバザールという町にとび、カトマンズから数百キロ、標高も3000mオーバーの場所に降り立った。
ずいぶん期待をしてナムチェの夜空を見上げたけれど、今年は異常気象らしく曇りの日が続いた。

さて、ネパールにはいって一週間後には、標高4300mのディンボチェという町についた。町といっても家は数えられるほど。もうこの標高だ、樹木もない。雪は目の前にの6000mから8000mの山々にはつもっているけれど、町々には雪はない。石と岩の世界。この町に入った2日目の夜、初めて夜空が晴れた!
高山病対策のため大量に水を飲んで寝ていると、夜中に尿意をもようし、寝袋からでてトイレ(といっていい代物か)にいく。しかし、トイレは外にあるため用をたしに外にでること一時間半おき・・・(だから熟睡できないのだが・・・)。
そんな深夜10時くらい(宿泊しているところには電気がないので、夕食を6時から7時の間にとるとやることがないので、8時には寝袋に入っていた)、トイレのために外にでると、星が・・・!寒さを忘れるほどきれいな夜空。おそらく氷点下5度くらいだったとおもうが(朝はかったときの気温がそれ)、寒空のなかカメラと三脚をとりだし、夜空の写真をとった。
amada

もちろん、それよりも高い標高(最高地点は5600mくらい)にいくまで、毎晩天気はよかったけれど、ディンボチェの町以降は夜が寒すぎて、写真に取ることはできなかった・・・。だって、マイナス20℃。寝袋からでて、防寒タイツと防寒肌着にダウンジャケットをきてても、さすがいに数十分そとにでてたら死にそうだったので・・・。写真はとれなかったけど、ディンボチェ並みにきれいだった。もしかしたら、いままで見た中で一番きれいな夜空だったかもしれない。

大学生のころ両目が2.0の視力があったときに見た北海道知床の夜空。いまは1.5と0.9くらいに視力がおちて見える星の数もへった(?)。けれどそれでも昔感動した夜空に劣らぬ星の数。もちろん、流れ星も普通に何個も流れていた。

今日の結論、ヒマラヤの星空は凄いきれいだった!

everest