回想ヒマラヤ14 非日常その8

闘牛 この回想ヒマラヤを書くようになり、おそらくブログの読者は減った、そう思う。そりゃそうだ。文字数が多すぎる!!!読む気にもならん。
 以前ある人に言われた。仕事中調度信号で止まったときに読むにちょうど良い長さだからときどきチェックしてます、と。しかも、面白くもない。淡々と私の個人的感想をつづっているだけ・・・。そう思いながらも「思いを吐き出してきたこの『回想ヒマラヤ』、今日でほぼネタは尽きる。最後の回想です。お付き合いください。
 さて、私たちモンゴロイドは青い目の西洋人と違って、そうそうサングラスなど必要ない。海でも、山でも、スキー場でも、なければないですごすことができる目を持っている。そんなことをどこかで読んだことがある。今回のヒマラヤ、それでも私はサングラスを持っていった。なんとなく・・・。
 道中、サングラスをかけてちょっと気取ってみようかと思った。けれど、それは無理だった。なぜなら、乾燥して埃っぽいトレッキングルート、私はマスクを常時着用していたので、サングラスをかけると自分の鼻息でサングラスが曇り、ラーメンでめがねが曇る人のように前が見えなくなるからだ。特に、標高があがればあがるほど、私の鼻息の影響は顕著だった。だから、とくに運動量が激しくなる斜面を登るときは、サングラスなどはつけていられない。足元さえ見えなく危ないのだ。だから、何回もチャレンジしてはみたがサングラスは不便であった。そこでサングラスをかけて気取ることを諦めた。そんな中、チュクン(NHKでF先生が取材を受けていた場所。イムジャ湖への玄関口 標高4700m)のある朝、積雪があった。

アプローチ チュクンからイムジャ湖まで雪道(積雪は3センチくらいか)。上り坂。もちろん、サングラスがあったほうが気取ってていいのだろうが、そんな状況ではなかった。僕たちモンゴロイド。サングラスなくたって大丈夫。そう思って一日仕事をしていた。仕事からもどってチュクンでの夜、尿意をもよおし起きようと思った。しかし、目が痛い・・・。イタタタタ・・・。まるで、目を開けたまま、砂か塩で目を洗っているような痛さだ。もちろん、目を開けることができない。目を開けようとすると涙がでてくる・・・。中学・高校のときの自転車通学で、春一番の風が運んできた砂が目に入ったときの痛さが、涙を流そうが、なにをしようが持続する。そして、気づいた。仮に目があけられても、目が見えないのだ!私は別の意味で凍りついた。こりゃ、アカン。失明しちゃうのか・・・と・・・。
 畜生、完全失明だけは逃れたい!視力が落ちようが、死のリスクを覚悟してまでやってきたヒマラヤだ。少しの光だけでも残れば、ありがたいとしよう。そう思って30分くらい、目の痛さと涙と格闘した。目だけは少しだけ開くようになった。しかし、視力はほとんどなくなった・・・。私は、壁づたいに便所にいって用を足した。そして、涙を流しながらまぶたを閉じ、眠りについた。

グラス 翌朝、目の痛さは残っていたが、幸い視力は落ちたが、以後なんとか眼鏡にたよらず生活できそうである(最近、乱視で見難くなったが、最近まで両目2.0あった)。共同装備で用意した目薬をもらい、赤いウサギの目が白に戻るのをまった。3日ぐらいで目はもとに戻った。後で、サーダーにこの話をすると、彼はいった「私たちは、そのことをグレイシャー・アイ(氷河目)と呼んでいるよ。サングラスはしとらなあかんよ」。彼はそういった。まぁ確かに日本では「雪目」というのを聞いたことがある。きっとそのことだろう。私はもう、サングラスは気取るためのものと考えないことにした。生活の必需品。紫外線から目を守る道具。こころを入れ替えることにした。

 そして、今日、意味もなくサングラスをして金華山に登ってきた。もちろん、すれ違う人でサングラスをしてるのは私だけだった。でもいいのだ。今日からのサングラス登山は「サングラスを自分の鼻息で曇らせないで山に登るにはどうしたらいいのかを発見する」という新しい課題への発見を求めているのだから・・・。

 さて、KO大学では今年の4月下旬から5月下旬まで再びヒマラヤ行きを計画している。こんども声がかかるり、職場の理解も得られれば、今回の反省点を全て解決し万全の体制で臨むのだが・・・。どうなることだろう。

 これで、回想ヒマラヤシリーズは終わります。今後は短い文章を心がけます。どうもありがとうございました。

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