あした教育委員会の方と会う。ちょっとこんな手紙を保管してもらえないか聞いてみようと思う。
***********
このすり鉢片と接合するすり鉢片を拾った方へ
手紙の宛名のあなたは一体、西暦何年にこの手紙を読まれることでしょうか。私は西暦2007年12月31日金華山登山中、このすり鉢片を見つけました。そのときの喜び様は過去のインターネットのhttp://blog.livedoor.jp/takejima/(当時)に埋もれていることでしょう。
2008年1月半ばに、こんなニュースがありました。小学校の何周年記念行事で風船に手紙をつけて空に放った小学一年生の手紙が、海の底からカレイに引っ付いて見つかり、カレイを収穫した漁師と当時小学生だった、その手紙を書いた現在大学生の女性とが対面したというものです。私は時代を超えて繋がったこの話に、なにかときめき、今こうしてこの手紙を書いています。おそらく私が存命中にこの手紙が読まれることはないでしょう。けれど、時代を超えて、あなたと私の気持ちが共鳴できればと思います。
さて、私が生まれ育った家の近くには貝塚がありました(愛知県西尾市八王子貝塚)。小学生の高学年で縄文時代に興味を持ち、今となっては問題行為なのですが、友達と自転車で八王子貝塚に乗り付け、せっせと貝塚をほじって、縄文のカケラを探したものでした。友人の中には“ヤジリ”を発見したものもいました。ですが、私達の収穫でいまでも覚えているのは、完品のやじり一点、数点のヤジリの一部、あとは土器でした。そんなことで、今から思えば、子供の頃、興味をもって貝や土や石の中から土器片を見つける訓練をしていたおかげでしょうか(中学生になって西尾市の教育委員会が八王子貝塚を発掘していることを知り、社会の先生に口ぞえしてもらいボランティアで発掘を手伝った)、今回、何気なく目をやった地面からすり鉢片が、あたかも、そこだけ目立つように色がついて見えるかのように見え、すぐにわかりました。すり鉢が使われていた時代はわかりませんが、ちょうどその上に金名水の井戸もあることですから、きっと岐阜城が加納城に移築される前、金華山山頂で着物姿の人々が往来していた時代のすり鉢ではないだろうかと思いました。そして、今回のすり鉢に触れたのは、すり鉢にとっては400年ぶりの人です。それが、登山靴をはきトレッキングパンツと登山シャツを着た私なんだと思ったら、なんだか楽しくなってきました。
私は、2007年10月下旬から11月下旬、仕事でヒマラヤに行き、地球温暖化による氷河湖の調査に行ってまいりました。この仕事のため、体を整える目的で、2007年夏は、朝仕事に出かける前に家(湊町)と金華山を往復し、山登りに体を慣らす訓練をしていました。その後は、筋力をつけるため、また学校が始まり朝早く出かけることが難しくなため(私は美濃市で教員をしています)、仕事から帰った夜、丸太を背負い金華山を無灯火で登り、ヒマラヤのためのトレーニングをしていました。2008年の春にも私が参加した隊(慶応大学イムジャ湖調査:文部科学省 学術フロンティア デジタルアジアプロジェクト)が再度ヒマラヤ入りするというので、それに備え、職場の了解がとれれば参加できるよう冬休みも毎日金華山に登っていました。今回のすり鉢はそんなある日の発見です。
私は、比較的日本の歴史に興味があります。また織田信長に大変興味をもっています。ですから、今回のすり鉢も記念に自分が保管することも考えました。しかし、そのような記念品もそれは私にとっての記念品であって、私の子孫がそれを大事に扱う保障もありません。それではせっかく400年のタスキを受け継いだ私が、駅伝を途中リタイアするようで、とても残念です。せっかく400年ぶりのタスキを受け取ったのです、私はそのタスキを確実に次の世代に、何百年でもかまいません、手渡し、地球と歴史を共有してきた日本人としての責務を果たしたいのです。そこで、自分で保管せず公のところに届けることを選びました。その甲斐があり、こうしてあなたにタスキを渡せてとても安心しました。(子供の頃貝塚でひろった土器片は結局、こどものころの私のおもちゃ箱にある時期まではありましたが、そのご散逸し、私は歴史遺産をなくしてしまい、後悔の念にさいなまれています。今回はそんな思いはしたくないと思います)
改めましてこんにちは。
あなたも私と同じように自分で保管することを選択せず、公の機関に届けられたのですね。いつになることかわかりませんが、善意の人々が手にした歴史遺産をこうして時代時代に拾っては届け、やがて一つのすり鉢が完成し、全貌を明らかにする日がくるのを私は気長に待つことにいたします。
さて、あなたの時代、この岐阜はどんなふうに変わっているのでしょうか。信長がいまの時代を想像できないように、私もあなたの時代を想像できません。でも、考えるだけでも楽しくなります。どうぞこれからも元気で楽しい毎日をお過ごしください。
おはようございます。こういうの好きです!倅に「21世紀への手紙」(筑波博のころ2001年元旦に着くようにした手紙)を送ったことがあります、感動でした。
自分も二十歳になった時に幼稚園の頃の自分から手紙が届き感動しました。キン肉マンの絵しか書いてありませんでしたが・・(汗)。
竹庵先生らし過ぎておもしろ過ぎです。