乗鞍雪崩講習で思ったこと その1

 先週の乗鞍での雪崩講習会。全員で20名くらいの参加。私のような立場での参加もいるにはいるが、なかにはイマドキの男女もいた。そんななか、年のころは20代前半の女性が言った、自己紹介の言葉が印象に残る。

 私の家は、乗鞍でペンションを営んでいます。だから私は乗鞍でいつも遊んできました。最近、外から来たたくさんの人が、バックカントリー(スキー場を離れて山に登って新雪を滑る)で山に行きだして、いいなぁと思ってます。私も行きたいと思うけど、地元にいると「山は、熊が出る、だとか、雪崩に巻き込まれる」だとか悪い話ばかりです。今回の研修で雪崩に対する正しい知識を身につけて、安全に山にいける技術をマスターし私もバックカントリースキーができるようになりたい。そう思ってこの研修に参加しました。彼女は大体こんなことを行った。

 これを聞いて、少々感動した。後で知ることになるが、最近は冬山のトレーニングを積んでいるわけではない、普通の人たちが、どんどん、雪を求めて冬山に入っている。イケイケ的なノリで・・・。そんな中の彼女の言葉。

 で一方、スキーから思いを離して持続的社会だとか宗教・文化・文明というのに思いが行った。いままで迷信だとか、言い伝えだとか、およそ科学的には考えられないような話が伝わり、人は事前に危険から遠ざかってきた。そのおかげで、限界に到達する前に手が打たれ、安全が担保され、人類100万年の歴史が成り立ってきたのだと思う。

 ところが、西洋文明の中で生まれた「科学」というか、合理主義というか、のおかげで、これまで迷信で近づかなかった危険な領域に安全に踏み込む術を知り、危険にギリギリまで近づくようになった。そして想定外のちょっとした出来事が事故につながる。つまり危険と裏腹に人は生活を送るようになった。これは人類存亡の危機をはらむ考え方ではないかと思う。

 あまり科学に拘らないほうが・・・、と思ったりもするが、科学の前進に一役買うのが私の仕事。

 僕は限界にいつもチャレンジしたい。無駄に見えるものを排除し目的を絞って特攻したい。けれど、一見無用に見えるものも、目的が異なれば必須のこともあるだろう。でも僕はそれを排除し、目的に突入しようとする・・・。だから取り返しの付かない失敗も多い。本当は「適度」「適当」「緩く」「流され」そのときのベストの選択がよいのだろうけど・・・。
 僕は、社会は「怖きものには近づかない」迷信を崇拝する一方で、個人では「怖きものを分析・克服し、怖きものへの限界まで近づきたい」と思っている。われながらどうしようもないヤツだと思わないこともない。この矛盾と揺らぎにもまれながら生きていくのが人生の面白さということか、といまのところは思うようにしている。

彼女の自己紹介に感動し、それを冬山で反芻していたら、思わぬことに思いがいった。2008年2月7日 乗鞍にて。
 

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