昨日、私の日ごろの取り組みに興味を持ってくださった名古屋の会社を訪ねた。その社長とは10年前に面識はあったが、ほとんど話をしたこともなかったので、ほとんど初めてといってもいい会合となった。
11時アポでその時間に伺いプレゼンテーションをしていたら、12時になった。すると社長は秘書を呼び、「12時から外出するアポがあったが、話が面白いので、キャンセルの連絡を入れてほしい」となり、結局、弁当の食事を挟んで2時まで社長と雑多なことを話した。なかなか共感するところが多く実り多い時間だった。本題は終わり、世間話をしている最中のこと、社長に日ごろから考えていることを小出しに披露してみた。この社長なら私の話と同じようなことを思うのではという感が働いたからだ。
最近、私はとても違和感を感じる言葉がある。先日もロシアの大統領選挙で当選した次期大統領が「私はロシアの国益を最優先に考えていく」と。また、まいどのことであるが、ブッシュ大統領も「アメリカの国益を第一に」といっている。その結果、ご覧の暴れん坊将軍である。私はその言葉を聞くといつも空恐ろしい気分になる。アメリカの国益を第一にということは、他はどうなってもいい、アメリカの反映を第一優先にして、有権者のご機嫌をとります。そう聞こえるのだ。実際、いまのアメリカ選挙戦を見ていると、一瞬のCM・一時の演説で票が大きく動くらしい・・・。そのものではないか・・・。そんなのを目の当たりにするたびに、将来の人類のありように不安を感じる。
だから、試に社長に「「国益・国益」といっている考え方では破綻するのでは・・・」。実はその裏には、最近、日本の政治かもときどき「国益」といい始め気になっているのだが・・・(ただし、○○の安定供給は国益にかなうので、○○をするというのは違和感はない)。
すると社長からは見事に返ってきた。最近、日本の政治かもそんなことをいい始めた。それはおかしいと感じていると。
やっぱり、いた!私と同じ考えの方が・・・。外国人ばかりの国にいったときに、久しぶりに日本人にあったときの安堵感にちかいものを感じた。
根拠はないが、僕ら日本人は自分の権利を最大に主張する文化で育ったのではなく、自分の権利を我慢して他とどれだけ共存できるかに重きをなす文化で育ってきたのではないだろうか?
日本の国益を第一優先にという考えは、日本文化に相容れないのでは、そんなことを思ったりする今日この頃。