月別アーカイブ: 2008年3月

西東

 金曜日は朝5時50分に起きて、車で豊田(足助)に学生さんの就職関連で出かけてきた。
11時に岐阜に戻り、車を置いて、今度は名古屋⇒大阪。夏のブログで異文化コミュニケーションだとか、1月くらいのブログで「発展途上国への援助」の件で意気投合したというあの延長の話。
 ときどき、大学にいって学生さんの様子を見ていると、大学とうちの学校との違いが歴然としていて刺激になる。話は、大学構内と周辺居酒屋で盛り上がり、名古屋から岐阜へは終電車になった。
 日曜日から一週間、九州(熊本・鹿児島(屋久島)・福岡・宮崎)への出張が始まる。今朝は出張前に出さねばならない原稿に苦しんでいる・・・。

恐怖体験

 このところ職場の隣町にある温水プールで「心肺機能をたかめるために(?)」1・5キロくらい泳いでいる。これで5回めくらいか。当初は4年ぶりくらいのプールだったので、最初の一回目は、1キロ連続して泳ぎ、一旦足をついて500m泳いだ。いまでは1.5キロくらい平気で泳げるように調整できてはいる。ところが、この平気が問題だ。いまは体脂肪を燃やすことではなく、心肺機能の向上を主眼においているので、「平気」に泳げるのではダメだ!!!ダメだ、ダメだ。もっと苦しくなければ。そう思って昨日は500、500、500を割りと早めに泳ぎ、ヒーヒー、はーはーいって泳いだ。
 しかも泳ぎだけではダメだ!初公開であるが4月19日から5月14日までヒマラヤに声がかかっている(けれど、事務局の人事異動が4月にあるので、それを見極めてから職場で話をしたほうがいいといわれ、まだオフィシャルにヒマラヤ出張は認められてはいない)。もう一月しかない。そこで昨日片足2キロのオモリを買って足につけることにした。

 泳ぎ、オモリ、それだけではダメだ!昨日激しく泳いだが、夜金華山に足首にオモリをつけて登ってきた。曇りだったため、町の明かりが雲で反射し割と明るい金華山登山だったが、帰り道、もう道路に出るというところで、下側20mくらいのところで、枯葉を踏みしめて走り抜ける小動物の影をみた。猫より大きい。以前の猪と思える動きよりも小さめの動き。だいたいシバ犬くらいのサイズ。猪の子供か?野犬か?
 
 背筋が凍った・・・。怖かった・・・。

カメの手

ea56ea68.jpg 今日の昼、浜松出身の学生さんが「カメの手」を食べますか?とやってきた。元同僚は、以前、大きなミドリガメを捕まえて、カメの甲羅をわって「鍋」とフライにして食べてしまった。またその同僚は「ザリガニ」のエビチリにして食べてしまった。だから、カメの手を食べますか?といわれて、ゲテモノ嫌いの私はかなり引いた・・・。
 しかし、話を聞くとフジツボの仲間で貝の仲間らしい。ものをみると、確かにカメの手だ。まだまだ目にしたことない食材がこのようにあるのだと関心した。
 塩茹でなので、塩湯でした貝のような味なのだが、なんとも言えぬ不思議な味わいだった。http://allabout.co.jp/gourmet/sanchoku/closeup/CU20060210A/

名古屋女子国際マラソン

先頭集団 今日、名古屋に用事を作り、岐阜から名古屋まで出かけて、名古屋女子国際マラソンの沿道応援にいった。もちろん、ゆくゆくはフルマラソンまたはトライアスロン参戦を狙う自分の気分を高めるためである。また、実物のQちゃん、弘山晴美、大南、坂本、原などの走りを実際に見たかったというのも正直なところだ。
 おにぎりをつくり、水筒を持って名城公園でのんびりくつろいで沿道に陣取る。ところで話は変るが、おにぎりだとか水筒だとかであるが、これはマイブームだ。お金を出せば今じゃどこでも飯は食える。水も取れる。けれど、エコというか、なんというか、自分の飯ぐらいは自分で完結する生活に近頃は憧れはじめた。弁当をもって飯を食うよりも、レストランで食事をしたほうが昔はカッコいいように感じていたが、いまでは逆。コンビニの弁当だってゴミがでるし・・・。そんなことで、エコでセコ(せこい)い、エコセコな毎日を送って見ようと近頃思い出している。(きっとヒマラヤの体験が大きいのだと思うが・・・)
 さて、話はマラソン。世界のトップと張り合う選手たち、早い!それが驚き第一号。驚き第二号はマラソン体形でない人でも早い人がいる。ぽっちゃりなのに・・・。そう考えると、やはり私はフルマラソにチャレンジすべきだ!そんなことを思った。顔を真っ赤に、片方の足をかばいながら、あえぎ声を上げながら42キロを走りぬく彼女たちのパワー。敬服だ。

高橋 陣どった場所は22キロ地点くらい。そこでは目の前を3回選手が走りぬける。そのなかに高橋選手の姿があった。先頭集団からはるかに送れ、もう北京の切符は手の届かぬところなのは確実だ。彼女を一目見ようと今年はいつもの倍以上の人が沿道に詰めている(僕もその一人)。だから彼女の走るところはいつも大声援につつまれ、彼女は声援の雲につつまれ続けていた。
 彼女を見ていたら思わず涙が落ちた。がんばっている姿が伝わってくる。理由をつけてリタイアしたっていいのだし・・・。けれど彼女はいまの順位を甘んじて受け入れ、ゴールに向かって走っていた。拍手と声援。なんだか高橋選手の選手生命の終わりを沿道の人が一体となって送っているように見えた。まるで、引退の花道のような・・・。そんな高橋選手の背中を見ていると、不景気でよい話題のなかったあの時代に、日本に元気と活力をくれたあの走りを思い出し、「ありがとう」の気持ちが湧き上がり、自然に涙が落ちる。
 さっき、インターネットで引退はしませんといっていたようだた、ともかく、一時代は終わったのかもしれないが、高橋選手ありがとう。納得するまでかんばってください。そんな気持ちになった。

江ノ島

江ノ島 7・8日と横浜方面に出張した。KO高校で測量に関するお話をするのと、KO大学の会議室を借りさせてもらい、最近思いついた商品開発の企画について打ち合わせをし、翌日、魚群探知機や船外機などのことの情報収集のためである。7日のオフィスワークは滞りなく進んだが、8日は変幻自在で臨機応変で大変だった。
 KO大学近く江ノ島近くにあるマリンスポーツショップで魚群探知機のことを聞こうと江ノ島近くにいく。しかしせっかく江ノ島の近くに来たのだから、ちょっと島でも拝んで行くか!と思い、江ノ電の江ノ島駅からテクテク歩いて江ノ島に渡った。KO大学で研究員をしていた98年の一年間この近くに住んでいたのだが、江ノ島周辺は社会人二年生のときの研修で江ノ島に足を踏み入れた一回だけ。今回は、「まぁ江ノ島ぐらいはその一回足を踏み入れただけで十分だろう」とおもったが、マリンスポーツショップが開くであろう時間まで1時間くらいあったので、ちょっと回ってやろうと思い二度目に踏み入った。

エレベータ 橋を渡って江ノ島に入る。すると「島まるごとミュージアム」という看板があった。正直、こういった考え方は個人的に割と嫌いなほうだ。わざわざどうでもいいような小さな資源を掘り起こして、さも大げさに紹介する企画者だけが満足するような匂いがするからだ。まぁ、そんなことはどうでもいい。江ノ島なんて小さな島に見える。だから、見るものもすくなくあっという間に回れるだろうと思って歩き始めた。エスカレーター乗り場があったが、あまり気にもとめなかった。
 ところが、江ノ島を歩いていると、登りに次ぐ登り。神社も散在して沢山あった。また神社だけでなく、みやげ物屋や旅館・民家もある。車が通れないこの道脇の家、果たして材料はどうやって運んだんだろうなどと思い、次第に江ノ島に興味を引かれてきた。そういえば、あちらこちらにある「史跡の案内板」。数え切れないほど沢山あり、その一つ一つがなかなか興味深い・・・。なるほど、これが島まるごとミュージアムか!江ノ島は面白い!!!そう思った。

冨士 ところで、この岐阜に住み始めてご機嫌な毎日を過ごしているのだが、唯一、参ってしまうことがある。それは冬の朝が曇りの日が多く、おきたときが薄暗いことだ。越してきた当初は「あれ、今日は雨かな、雪かな」そんなことを感じていた。朝が暗いと、滅入ってくる・・・。そんな中、この江ノ島の朝、晴れ渡り気分がいい。目の前には水平線が見えて・・・。うーん、まるで高知にいったときのような気持ちの良さだ・・・。山に囲まれて毎日を過ごしているが、やはり海はいい。

 そんなことを考えると、江ノ島は高知に次ぐ、住みたい町NO2になった。

国益第一優先という考え

 昨日、私の日ごろの取り組みに興味を持ってくださった名古屋の会社を訪ねた。その社長とは10年前に面識はあったが、ほとんど話をしたこともなかったので、ほとんど初めてといってもいい会合となった。

 11時アポでその時間に伺いプレゼンテーションをしていたら、12時になった。すると社長は秘書を呼び、「12時から外出するアポがあったが、話が面白いので、キャンセルの連絡を入れてほしい」となり、結局、弁当の食事を挟んで2時まで社長と雑多なことを話した。なかなか共感するところが多く実り多い時間だった。本題は終わり、世間話をしている最中のこと、社長に日ごろから考えていることを小出しに披露してみた。この社長なら私の話と同じようなことを思うのではという感が働いたからだ。

 最近、私はとても違和感を感じる言葉がある。先日もロシアの大統領選挙で当選した次期大統領が「私はロシアの国益を最優先に考えていく」と。また、まいどのことであるが、ブッシュ大統領も「アメリカの国益を第一に」といっている。その結果、ご覧の暴れん坊将軍である。私はその言葉を聞くといつも空恐ろしい気分になる。アメリカの国益を第一にということは、他はどうなってもいい、アメリカの反映を第一優先にして、有権者のご機嫌をとります。そう聞こえるのだ。実際、いまのアメリカ選挙戦を見ていると、一瞬のCM・一時の演説で票が大きく動くらしい・・・。そのものではないか・・・。そんなのを目の当たりにするたびに、将来の人類のありように不安を感じる。
 だから、試に社長に「「国益・国益」といっている考え方では破綻するのでは・・・」。実はその裏には、最近、日本の政治かもときどき「国益」といい始め気になっているのだが・・・(ただし、○○の安定供給は国益にかなうので、○○をするというのは違和感はない)。
 すると社長からは見事に返ってきた。最近、日本の政治かもそんなことをいい始めた。それはおかしいと感じていると。
 やっぱり、いた!私と同じ考えの方が・・・。外国人ばかりの国にいったときに、久しぶりに日本人にあったときの安堵感にちかいものを感じた。

 根拠はないが、僕ら日本人は自分の権利を最大に主張する文化で育ったのではなく、自分の権利を我慢して他とどれだけ共存できるかに重きをなす文化で育ってきたのではないだろうか?
 日本の国益を第一優先にという考えは、日本文化に相容れないのでは、そんなことを思ったりする今日この頃。

水泳

 今日、念願の水泳をすることができた。職場の隣町にある一回400円の温水プール。

 久しぶりの水泳だった。確か2002年にナタで足を切り7針の大怪我をしたあと、そのリハビリにと、当時通っていたスポーツクラブ(家を買ってからは節約のために解約したが・・・)で時々泳いでいた。平泳ぎすると足に激痛が走ったので、不得意のクロールで泳がねばならなかった6年前。はじめはクロールでは100mも泳げなかったのが、鍛錬により1500mくらいは泳げるようになった。そして記念に、アクアスロン(スウィム750m、ラン10km)に出場。ところが、プールと勝手がちがったため早々とスウィムでリタイア。あれ以来のプールだ。

 1000mのクロール、500mの平泳ぎ。やはり久しぶりの水泳だと泳ぎきれるのかは不安だったが、なんとかガッツと根性で泳ぐことができた。4月10日までにはクロール2000mの水泳までいけたらと思う。

 ただ、3月は土日も含めて出張が多いからどうなることやら・・・。

金華山物語 土器編その7

すり鉢 今日は暖かく天気もよかったので、体もよく動きそうだと思った。そこでまた新たなトレーニングコースの開拓に乗り出した。これまで岐阜公園⇒山頂⇒岩戸公園(岐阜公園の山を挟んだ反対側)⇒徹明町⇒岐阜公園⇒帰宅というコースで、登山40分、ランニング40分がいまのところ最長コース。今日はそれのランニングをもう少し延ばすための新コースにチャレンジ。登山後のコースを岩戸公園⇒徹明町⇒忠節通⇒忠節橋⇒直ちゃんロード⇒帰宅に変更して距離と時間を計ってみた。そのところ、ランニングコースは53分で13分長いコースになった。
 本当は今日、サイパンで思ったことをまとめてみようと思ったけれど、今日のトレーニングでそれを越えることがあったので、サイパンで思ったことは後日として今日の話を進めることにした。
 以前、すり鉢を拾って、そのすり鉢の隣のすり鉢片を拾った方への手紙というのを岐阜市教育委員会に出してきたといったが、なんと、その手紙の受取人がもしかしたら「私」になったのでは?と思えるすり鉢片を今日金華山で拾ってしまった。
瓦 しかも拾ったのはそれだけではない。今日は大収穫。いままで丸瓦と平瓦を拾ったのだが、新しいタイプの瓦を拾った。おそらく屋根の末端。なんというのか分からないがよく屋根の末端で紋がついている部分と思われるような屈曲した破片。それだけではない。ある場所から連続してザクザクと瓦片が見つかった。
 妄想力には自信がある私。今もいろいろ妄想して楽しんでいる。同じ場所から連続して瓦が発見されたといことは、おそらく一枚の瓦がその場所で割れたのではないだろか?もしも、瓦が屋根から落ちて、どこかで割れて転がってきたのなら、その破片は小さいはず。ところがある場所から連続して瓦が出てきたということは、屋根から瓦が落ちたとき(しかも焼けたことを示す白いかわら)ファーストタッチダウンしたのは、その場所。いろいろ考えると山頂に向かって右側(瓦発見場所の南側)に瓦葺きの建物があり、それが燃えて北側に崩れてかわらが落ちたのではないだろうか。しかも、平坦な南側の土地から数十メートル離れているから、もしも、発見現場が瓦のファーストタッチダウンの場所ならば、その建物の高さは10メートル以上の高さではないだろうか・・・。もしかして天守閣があったのか!?通説ではそこには台所だというが、一方、台所に瓦なんかを使わないらしいから、やはりそこには天守閣があったのか?胸は高鳴る歴史ロマン。早く教育委員会に知らせなきゃ!

南の島

ビーチ 3ヶ月前、氷点下20度のキャンプ、着替えを二回しただけの二週間の風呂なし生活をしていたとき、張り詰めた神経を緩めるために、暖かい南の島にいって、ジャズでも聞きながらのんびりしたいと思った。そんなとき、今年の1月1日に新聞に「先着100名 サイパン 1.98万円」というチラシがあって、それに応募した。申し込んだときはキャンセル待ちということだったが、その後キャンセルがでて2月27日から3月1日まで3泊4日でサイパンに行ってきた(といっても出発日は深夜2時に寝て、戻り日は午前5時起きというタイトなスケジュールだったが)。

魚 サイパンには初めて行ったが、驚いたことに「ガラガラ」。随所で日本語が通じてしまう異国情緒の薄い地ではあった。ビーチや繁華街も人がすくなく、つぶれている飲食店・ショップが各所で見られ、私がイメージしていたサイパンとは大きく違った。現地の人にそのことを聞いたら、JALが直行便をなくしてからグッと人が来なくなり、閑散とした毎日だとのこと。こんなに人が来ないのなら、フライトはタイトだが、3時間でこれるお値打ちな場所として記憶に残しておこうと思った。

バイク 本当はズーッとビーチで本でも読んで寝ていたかったのだが、折角の暖かい地。いつも厳冬期のジョギングで辛い思いをしているので、暖かいサイパンで8キロほどジョギングしてみた(ジョギングの後は、プールサイドでビールを飲んでしまった。折角のダイエットなのに・・・)。また、最近、自然体験を飯のネタにしている会社がいろいろあるので、その技と問題を学ぼうとマウンテンバイク・シュノーケリング・ビーチでのBBQのツアーに参加したりしてみた。感じるところがいろいろあった。日本でこうした体験を提供して喜ばれる要件は何だろう、そんなことを考えながらサイパンのジャングルをマウンテンバイクで走っていた。