NHKのクローズアップ現代で私たちの取り組みが紹介された。そして私も顔がでていた。そんなことはともかくとして、懐かしい顔や風景だった。
F先生がインタービューをうけているときの右隣のキッチンボーイ(彼はのちにF先生と私が登山を行ったところのベースキャンプで拾った酸素ボンベを火にかけボンベを大爆発させ、5000mの湖に爆音を響かせただけではなく、ボンベが爆発するときの炎で眉毛がなくなり、手のひらに切り傷をした。もっとも危うく死ぬとこだったのだが)。また、私が荷物のチェックをしているとき(ルクラから50km、標高差2000mを数日、23人のポータたちが運んでくれた)の薮田さんや、シェルパの親分のサーダーであるラックパヌルさん。全ての人が懐かしかった。
大学4年生のとき、テレビマンになって番組を作りたいと思った。学生時代に知り合ったテレビマンたちの熱意に感銘を受けたからだ。今も昔も、テレビマンの就職は狭き門だ(当時、プロダクションだとかをあまり理解していなかったため、テレビ局を受験した)。結局、受からなかった。そんなことで、ちょっとテレビマンには思うところがあった。
ところが、今回ヒマラヤでテレビマンと3週間以上一緒に動いていたら、「俺にはできん」と確信した。情熱は負けないが・・・。社交性と大胆さは、俺には無理。毎朝テントにやってきて「今日はなにしますか?」なんていニコニコやってきたり、食事前や食事中におもむろにテントにやってきて、ニコニコしながら情報収集。集めた素材を切ったり貼ったりして自分の物語を作る大胆さ。あーーー、俺にはできん。どちらかといえば孤高でいたいし、主義主張はたとえ締め切りすぎるとしても慎重でありたい。
やっぱり、いまの仕事があってるのかなぁ。そんなことをテレビを見ながら思った。
こんにちはお久しぶりです(^-^)昨日何も知らずにテレビのチャンネルいじっていたら、らしき番組をやっていてちらっとでしたが見れました。テレビの向こう側ってだけじゃなく、探検冒険みたいな土地に先生が居たのがとても不思議にそして何故か誇らしく思ってしまいました(^-^)しかし…ちゃんと始めから終まで観たかった(。・_・。)ではまた…
どうも、どうも・・・。
おそらく、NHKからDVDが送られてくると思うので、観れるよ。
今回はしっかり見せてもらいました、家族で。しかし5000m越えはすごいですね、私は3700mです。