月曜・火曜と仙台に行ってきた。涼しい街だった。岐阜から片道4時間半。以外に近い街だった。
20年近く前の仙台の印象はもっと小さな町のイメージだった。駅前に歩道が大きな通りがあるのを覚えているが、あとはあまり街という印象はない。その前年に沖縄で知り合った同世代の友人(僕が沖縄徒歩一周しおわった日に、彼は沖縄いりしてママチャリで沖縄一周をはじめようとしていた)の下宿が確か、青葉区だったとおもうが、彼の友達の軽で連れて行ってもらった青葉区は低層住宅の街だったように記憶している。いやー、でかい街だった。名古屋と同じくらいでは・・・。野球チームもサッカーチームもそれはできるわい。そう思った。
ところで、仙台には大学の同級生のM氏が環境省の役人として赴任している。今回の仕事でご一緒したM氏を知る同業者がいた。彼がいうには、彼はこのエリアのナンバー1か2の役職で、突然行って会えるような人ではないという。彼とはいまでは年賀状のやり取りだけだが、せっかくの機会だと思い名詞をおいてくるだけだと思って役所に顔を出した。彼はヒゲなんかをはやしていたが、まったく変らない風体。一緒に長良川を川下りしたころのままだった。こんな自分でも、なんだか懐かしい気持ちで楽しい気分になった。この気持ちはなんだろう。身の回りの仕組みが比較的単純で毎日を楽しめた若かったころにタイムスリップした一時の清涼感か。それとも、20年近くあっていなかった友人とお互い元気でいたことを喜ぶ気持ちなのだろうか。もしも清涼感で楽しい思いを感じたなら、まだ修行が足りない・・・。もしも元気でいたことを喜ぶのだったなら、それは嬉しい新しい感情の誕生で、喜ばしいことだ。
彼と再会したからといって、オフィシャルな自分の人生には影響はない。もちろんプライベートでもこれから何か始まるというわけでもない。しかし、古き友人に再会することで考えもつかなかった「こんな感情」が沸き起こるのかと、自分のDNAに仕組まれていた(ただしくはそうではないが)現象に驚いた。