月別アーカイブ: 2008年8月

NEW COMMER

cb72a3b1.jpg ついに来た。バイク。初めての新車。先日、名古屋にいったついでに立ち寄ったバイク屋まで今日とりに行って来た。

 やはりバイクは楽しい。通勤がこれから毎日小旅行になる。

 バイク屋を出て3キロくらいしたところで、トヨタのレクサスが後から車間をつめてきた。前の車と同じ速度で走っているにもかかわらず車は近寄ってくる。後を振り返り確認をするがかまわずそのアンちゃんは私の横をすり抜けていく。どうも、俺は原付と勘違いされているのか・・・。そんなこともあったが、何しろバイクの名古屋⇒岐阜の55キロは楽しい道だった。名古屋の矢田川にかかる橋を渡ったとき、涼やかな香りがしてきた。なんだこの匂いは・・・。記憶をたどると、それは洗剤の匂いだった。橋の下にある堰堤で泡立つ川。名古屋市民の排水が川にこれだけ流れ込んでいるのだと実感。

 一宮を超え岐阜に向かう22号線上で、なにやら海の匂いがする。なんだろうこの匂いは。道沿いに○○マリンとかいたモーターボートを販売している店がある。もしかして、そのボートの匂いなのか。

 名古屋から一宮、一宮から岐阜に来るにしたがって、空気がうまくなってくる。岐阜城が目印の我が家。遠くからでも自分の家までの距離が目測できる。

 木曽川を渡る。金華山のトンネルを抜ける。金華山と長良川にはさまれた道路を通る。「おー、山の匂い」。家に着く。

 これから始まるライダーの毎日。季節を感じること間違いない。暖冬であるといいのだが・・・。

Google Earth

a3b236ae.jpg このところ英語とソフトウェアと格闘しているのは、JICAが毎年行っているGIS研修の講師を引き受けているからだ。これで7年目。昨年は2日にわたって講師を務めた。言語は英語。昨年、全てを英語でというわけには残念ながら行かなかったが、まぁ許容範囲で講師を務めることができた。今年は、それに加えて3.5日の研修メニューの担当になった。その研修は、頼まれたとき、とても教えられるレベルにはなく、というかほとんど無知の部分であったが(GRASSというGISソフトウェア)、以前から「いつかはマスターしないと」と思っていたため、これを機会にスキルアップしようと引き受けた。

 話は今年の冬からあったが、ヒマラヤで忙しく、帰ってきたら授業で忙しく、夏休みも「岐阜シンポジウム(8月2日)が終わってやっと本腰を入れる時間ができた。ケツに火がつかないと何もできない性格なので、いま格闘しているというわけだ。

 さて、この研修は発展途上国の方々を一月ちかく日本に招き、母国の一線で活躍されている行政担当者・大学の先生・研究所の所員の方々に、近年、無料で配布されているGRASSというGISソフト(商用ソフトだと何百万もする)の使い方を伝授し、母国に帰って、日々の業務で使ってもらえるレベルにして、母国の発展に役立ててもらおうという国際援助プロジェクトだ。私はその中で、GPSをつかった測量技術の担当をしてきた。今年は、GPSとGRASSとの連携と、GRASSをつかったデータ管理と解析について語るつもりだ。

 このGPS研修では、イントロダクションにGoogle Earthで気になった場所にGPSをつかって到達する、そんな内容を盛り込んでいる。また、再来週はGPSでとった情報をGRASSで表示したり、Google Earth上で表示したりを考えている。そのため、今朝、Google Earthを使っていた。

 それで、ちょっと息抜きに天文バージョンを見ていたらびっくり。写真のように当たり前のように「銀河」がある。これは想像以上の数だ。こんなに銀河が沢山あるということをこの歳まで、感覚として持っていなかった。ハッブル望遠鏡(地上の天文台の望遠鏡ではなく、宇宙の衛星に積んだ望遠鏡だと理解している)の画像だというが、これはスゴイ!天文少年だった、当時、もしもいまのようにGoogle Earthがあったら、きっと竹島少年はGoogle Earthでみる銀河の数と場所を夏休みの自由研究で数えていたに違いない。そして、宇宙にうごめく物語を妄想して楽しんでいただろう。

 最近、BSで30年近く前の「機動戦士ガンダム」の放送をやっている。今回の銀河の多さなど、また、25cmの望遠鏡を買ったりと、最近マイブームとしては宇宙づいている。もう、私の宇宙を取り巻く妄想力は加速し始めた。

 しかも、回りまわって、いまは衛星画像をつかった情報処理を仕事にしている。なんとも面白い毎日だが、昨日のように「頭がオーバーヒート」するには困ったものだ。昨日はとうとう水風呂に入りながら潜って頭を冷やしていた。

ナイスアイデア

96260878.jpgコンピュータの情報処理は、CPUといわれる中央演算装置を核として行われている。コンピュータを動かせば、CPUは熱を発する。その熱を発散しないとコンピュータは安定して動かなくなる。

なんだか、頭もそんな感じがする。このところ、英語の本とコンピュータソフトに格闘しており、あたまの中が「ズデン」という変な感覚がし、それをオーバーヒートと理解している。

これまでもそんな感覚がしたときは、夏でも冬でも頭を冷やしに、水道で頭を洗う。それでも「ズデン」は解消しないから、おとついから職場に「トニックシャンプー」を持参し、気分転換にハッカのシャンプーをしている。そんな感じで、なんとか頭の中をスカッとさせたいと思いいろいろ試してきた。しかし、どうも今回はトニックシャンプーでもダメのようだ。

ダメなのを理解したうえで、先ほどシャンプーしてきた。しかし、今日タオルを家に忘れてしまい。頭を拭くことができない。そこで、仕方ないので頭をぬらしたまま、部屋に戻り、タオルの変わりにジャージで頭を軽く拭いて、水が垂れるのだけは防止した。

仕事をしていると、なんだか頭が涼しい。そうか、ふき取れない微妙な水が蒸発する際、気化熱を奪っているのだな。これはいいことを発見した。頭がびしょびしょにはできないが、霧吹きで頭に水滴をかけてやればいい。なんと私の頭は水冷エンジン。たいした中身の頭ではないが、これはいまの「ズデン」を解消するには欠かせない。坊主頭でよかった・・・。

そなえ

cb69a7c8.jpg数年まえまで趣味は?と聞かれたときは「考えること」といってた。しかし、いま趣味はといわれたらなんとこたえるか。さっき考えていたら「可能性の先にチャレンジすること」ではないかと思った。自分の可能性にチャレンジするのではなく、可能性の先にあるものへのチャレンジだ。理解しがたい表現だが、そんな気がする。

さて、今日は朝から雨である。走ろうかと思っていたが、それはやめた。その代わり金華山に登ることにした。まだエベレストに登頂されていない時代、人はとにかくエベレストに登ることに燃えた。しかし一旦登頂できることがわかると、同じエベレスト登山でもより困難なルートで登るバリエーションルートが主流となる。

私の金華山もそれに近い。金華山がらくらく登れるような体になると。こんどは夜に登ってみる。雨の日登ってみる。重りを担いで登ってみる。雪の日昇ってみる。一日になんかも登ってみる・・・。いろいろチャレンジした。さて、今日の金華山はどんな登り方をしようか。

そこで思いついたのは、雨の日かさをささずに登ってみるということだ。つまり濡れながら登るということだ。合羽をきると蒸し暑い。傘はいぜんにさして上ったことがある。のぼりから下りまでずぶ濡れになってのぼる経験は未知なのだ(不愉快なのか、そうでないなのか・・・)。だから、家に駆け込むことができる金華山でそれを体験することにした。ところが、登山前にインターネットで雨雲の様子を見てみたら、雨は止む方向にあるようだった。それだけでは山に登るモチベーションイはならない。

それを踏まえて今日の金華山の課題を設定した。雨の日に雨に濡れながらサンダルで登るということである。山をサンダル履きで登って批判を受ける富士山登山者などがいる。もちろん、金華山をサンダルで登るなどは、山登りをする人からは「コラッ山を甘く見るな!」と怒られてしまうが、ここはあえてトレーニングである(私はトレーニングでサンダルで登っていますとプラカードをもって登りたい気分だが)。日々の仕事で出かける山でも、山ではなにが起こるかわからない。ときにサンダルで山をあるく必要があるときがあるだろう。実際に、サンダルで沢登をすることもあった。そのため、やはりサンダル登山の限界を知るため、またサンダル登山の技術を編み出すため、短パン、はだしサンダル履きで、帽子をかぶって金華山に向かった。未知へのそなえだ。

ところで、最近、山に登るときには登山靴をはかない。理由は同じ人間であるシェルパが草履でヒマラヤをあるいていたからだ。同じ人間、鍛えれば登山靴などいらないハズ。登山靴は、もっと限界に近いところで履けば、その効果は倍増だろう。それまで取っておこう。靴底が減る・・・。勝手にそう思っている。だから最近は3000円のスニーカーだ。ところが、先々週、金華山を下っていたとき、足がすべり、くるぶしを岩でこすった。そのとき、くるぶしが見える靴下だったので、すりむいて血がでた。さて、今日のサンダルはというと、足全体がむき出しだ。また、足の裏とサンダルの間に小石が入るし、枝も入る。だから、登山靴やスニーカー以上に注意して歩かないと足は泥だらけだし、怪我をする。だから、このサンダル履きの登山というのは慎重な足運びやバランス、体重移動の修練にはもってこいだ。つまり、行動を慎重にさせる訓練になるのだ。

そしてふと思った。そうか、バイクの運転も慎重にしないといけないから、この慎重な行動をする訓練はバイク乗りになろうとする自分にうってつけの訓練だ。われながらよいことを思いついた。

実際問題、足がすべる岩や木もあったが、やはり足運びに注意をするようにしたおかげで、足も汚れることもなく怪我もなく、金華山を2往復できた。ようし、この上り方のバリエーションも私の辞書にいれることにしよう。

危険な一歩

CB400SS 昨日、終日名古屋で用事があった。夕方用事がおわったあと、家に帰ろうか、それともバイクを見ようか悩んだあげく。自分が考えているホンダCB400SSというバイクの実物を見て、エンジン音をきき、できれば試乗したいとおもいバイク探検に行くことにした。

 バイクの用途は通勤と野外調査の出張等。ツーリングの予定はない。しかし、東京や大阪ぐらいだったらバイクで出張するのもいいと思っている。この前のように長期で移動の多い九州出張などなら間違いなくバイクになるだろう。だから通勤のため、基本的には燃費がよく音が静かで、しかし高速にのっても快適なバイクを探していた。その結果が、ホンダCB400SSだ。

 もちろん、悩みがないわけではない。車体価格はともかく、重量が重いので日々の通勤の出し入れに負担になる、また車体が美しすぎて気軽にのれない、車検など。いまパジェロと軽トラを維持している上に400CCの車検付バイク・・・。自分はそんなに道楽していてはいけない・・・。・・・。いろいろ3週間悩みつづけていた。しかし、いろいろ自分に条件を課し400ccをのることにした。しかし、問題があった。近所のバイク屋には在庫がないので、実は現物みたことがない。これはいかん。それで、名古屋にいったついでに在庫のある店にいったわけだ。

 CB400SSにまたがせてもらった。以外に足つきがいい。やはり美しいバイク。念のためにCB400SSの230CCのモデルにまたがせてもらった。400をあきらめたなら、このバイクになるかな。ついでに、以前から気になっていたが生産終了になったバイクをたずねてみた。すると、この店では流通在庫として買い占めていたようで、倉庫の3階から10台ちかくのバイクがでてきた。自分が気になっていた色もある。ハンドルの角度がちょっと自分の体にあっていなく、手首が若干痛い。でも、許容範囲。これもいい。

 どうやらその店、そのバイクを売りたいらしい。言葉巧みにそのバイクのよさを説明するし、値段についても良い条件を出してくる。

 たしかにこの店のように沢山の新車の在庫を抱えていたら、資金調達も大変で、いつまでも在庫で眠らせていたら大変だ。今日だけ価格を提示するなどしているが、そんなことは私には関係ない。あのてこの手で今日、私に判断をしようとさせている。

 これまで考え続けてきている。オッサンのトークなどは頭の中ははいらない。その場でオッサンの話そっちのけで「足し算」「引き算」の演算を続けていた。そこで、いままでも色んな悩みを総合して、そのバイクで手を打つことにした。高速をつかう長距離出張をバイクでいくのはあきらめよう。日々の通勤に徹し、低燃費、低音。軽くて気軽に乗れる250cc。よし、このオッサンの売りたがっているこのバイク(生産終了になるまで、もっとも関心をもってみていた)バイクを買おう。車体定価が40万近くだが、27万近くに値引いてもらい新車バイクのオーナーになることになった。

 このオッサンの営業トークに負けたように写り、自分のトークにと技術にさらに自信を持つこの経営者の勘違いを増徴させてしまうのがなんとも悔しいが・・・。まぁよしとしよう。
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自動二輪

50d008a2.jpg 約二週間。バイクを買う行為を決断できないままだが、今日二輪の免許が取れた。これまで数々の修羅場をくぐってきたせいか、平常心で検定を受ることができた。気楽に「まぁ、オッサンだから一回、二回落ちても恥ずかしくないや」という気持ちでこの日を迎えた。結果は、あろうことか検定員から「減点はありません。丁寧な運転をされてますね」とコメントを受けた。しかし、だからといって路上にでたら事故をしないわけではない。これからもこの調子で注意深くいこうと思う。

 さて、この二週間、自動車学校のバイク部門には入れ替わり立ち代り人がやってくる。まだバイクの免許を持っていない者達が、免許を得てブンブン走ろうという気持ちなのだろう。そんな彼ら、もちろん自分も含め、ここに集う人々を前に毎回思っていたことがある。

 車と違ってバイクは事故が起きたとき、運転者が怪我または死亡する確率が高い(おそらく)。いまこの部屋にいる数人のうち、皆元気で、順風満帆に見える人生も、これからのバイク人生で、何人が死亡事後にあい、何人が病院で入院するか・・・。誰にその悲運が降りかかるのか。この部屋に集っている人間は、なんと危険な領域に踏み込もうとしているのだろう。いつも、そして免許をとった今もそう思う。ただただ、その悲運が自分に降りかからないのを、祈る気持ちだ。注意以外でそれを防ぐ方法はしらないから、これまでの車の運転以上に気をつけよう。

 なんたって兄弟の一番慎重な「兄」はバイク事故で入院したことがある。あの兄が事故を起こすなら、そそっかしい、そして短気な自分が事故にあわないわけがない。いままで車で事故にあっていないのは、まことに「ラッキー」以外のなにものでもない。安全運転、安全運転、車・バイクともに改めてそう思う。

 ところで、知らなかったがバイク取得から1年以内に減点3点以上になると、もれなく再度、学科と実技の試験をうけなければならないらしい・・・。驚いた。

悩ましい夏休み?

今年の夏はサマータイムで過ごすと決めていたが、そんなこと、なんのことか。最近はそんな毎日だ。夏休みだから、マイペースで自分の決めたことを機械仕掛けのロボットのごとき毎日を送ろうと思った。しかし、なんだかんだと、締め切りものの仕事があり、締め切り直前までアップアップ。したがって、いつも夜更かしの毎日となり、サマータイムどころではない。
嵐そんなことで、朝早起きして農場の草取りだとか金華山登山などもここ3週間、やっている余裕もない。夏休み?という感じだ。ほんとうなら、日々毎日の授業に追われてまとまった時間が取れない通常期間にはできない、「研究のようなもの」や「あたらし知識や技術」を身につけるための自分の投資をしたいのに・・・。まぁ、バイクの免許は自分への投資か・・・。ともかく最近は農場で草をとる時間も作れない。しかも、農場は2週間前に岐阜でヒョウが降り、大風が吹いたようだが(乗鞍に行っていたためしらなかった)、その強烈な暴雨のせいで、トウモロコシは二度目の試練を迎えた。トウモロコシが倒れそうだったのだ。あれから二週間で、自力で持ち直してきてはいるが、このありさま。なんとか一本、1・2本の身はつけているので、なんとか収穫まで持ってくれ!と思っている。

今日は、自動車学校の帰り道時間があったので、農場で草むしりを少ししてきたが、ほんの少しいるだけで蚊にくわれた。この職場に来る前まで、蚊にくわれると痒くてしょうがなかったが、なんでも蚊にくわれすぎると免疫ができるらしく、やっと最近は蚊にくわれても、最初、ちょっとかいぃーなぁーと思うくらいで、かきむしることもなく腫れは収まるようになってきた。これまで、蚊にくわれても塗り薬などを塗らず我慢してきたおかげか。ここまで体をつくるのに7年かかった計算だ。もしくは、歳をとってきたから鈍くなってきたのだろうか。前者だといいのだが。

蚊

免許はいいけど・・・

 2輪の免許も半分以上の過程は終了した。うまくいけば来週には免許が取れそう。となると気になるのは、バイクをどうするかだ。

 いま原付をのっているが、その原付を入手するのには一苦労あった。当初、カブの新車を買って一年ものって元をとる計画だった。しかし、カブの新車を買うにはいたらなかった。新車を買う勇気がなかったのだ。ずいぶん悩んだが結局、知り合いから無料で原付を譲ってもらった。

 さて2輪の免許をとったらどうするか。つまり免許をとったその後がそろそろ気になる時期にきた。そもそも2輪の免許をとったのは、ガソリン高騰のおり日々の通勤に使うため。そして野外調査で岐阜県のあちこちにいくときに省ガソリンのバイクで出かけるため。2年間、いろいろ調べているが、自分には400ccの静かで低振動のバイクがいいように思っている。さて、問題は新車か中古かだ。

 この年になるまで、車は5つのってきた。9-23才まではCIVIC(兄貴のお下がり)、26-29才まではジェミニ(リーダーの営業車の払い下げ)、29-現在はパジェロ(兄貴の形見)、33-現在、軽トラ(オヤジの払い下げ)。
 一方、原付も5台乗ってきた。タクト(兄貴のお下がり)、ハスラー(同級生から3万で譲ってもらった)、ジョグ(弟のお下がり)、名前忘れたスクーター(弟の友達のお下がり)、XL50S(知り合いからのお下がり)。
 つまり、この年まで動力つきの新車にのったことがない。さらに、自転車もいくつかのってきたが、新車で買ったのは中学にあがるときの自転車、サイクリング用の7万円の自転車、ママチャリ二台(一台は盗まれた)。あとは中古ばかり・・・。

 さて、バイク。ガンガン二輪で旅するつもりもないし、峠を攻めるつもりもない。制限速度でとろとろと・・・。つまりあまりバイクを傷めないのり方をするつもりだ。長くのる!となると中古で買えば、きっと一生、車もバイクも新車を乗ることはないだろう。折角だから人生の一度くらい新車を買ってみたい気がする・・・。けれど、原付でさえ換えなかった自分がいる。悩ましい毎日だ。

悩ましいキャンプ場

 昨日乗鞍方面から帰ってきた。キャンプ場について思うこと一つ。

 大学生になってから、あちこちに出かけるようになった私。でかけたときの宿泊地は「友人の下宿」または「野宿」。野宿はなるべく、公園、学校。やむを得ないときは駅。水、トイレがあるからだ。それらがないときは、海岸、川原。当時は、あまりそんな「わびしい宿泊をする」人も見かけなかったので、私一人が一夜の宿としてつかったところで、それらの施設へのインパクトはなかった・・・と思う。これがいまから二十数年前。あれから日本の休日の過ごし方もかわった。多くの、キャンパーが出現。いろんな野営設備もホームセンターなどで売られている。いまでは昔の私のように「諸般の事情でしかたなしに野営」ではなく「積極的野営」が主流のようだ。

 こうなったら、私が昔やったように、公園、学校、駅、海岸、川原で皆がキャンプをしはじめたら、それらの場所へのインパクトもあまりに大きすぎる。だから、決められた場所で、適切な管理が行われている場所でキャンプするのが大人の行動。自分勝手に「原野」に入り込んでワイルドにキャンプをするわけにはいかない時代になったのだろう。そう思って、最近はいろんなところにキャンプ場ができているから、出かけたときはまずはキャンプ場を探し、そこで宿泊するようにしている。

 ところが、近年。ほんとうに、近年だが、利用者が無視できないほど多くなったからなのか、キャンプ場の利用料金が高くなってきた。むかしは、役場がしかたなしに経営していたので、テント1張300~500円くらいだった。しかし昨日、おとついは、テント1張1500円、1700円。加えて一人、400円、450円の料金。これだと、田舎のビジネスホテル(私は出張では安旅館を探してとまるのが趣味になっている)と同じくらいの料金だ。

 昔は、利用者もすくなくやる気がなかった(利用者がすくないので、どうせ赤字経営だった。料金をたかくすれば利用者がすくなくなってしまっていた当時)キャンプ場も、いまではそれがドル箱になったため、管理費以上に「儲け」るようになったのだろう(いまでは積極的キャンパーが多くなり、利用料金がたかくても野営を選択する)。それはそれで、いいことだと思うけれど、貧乏旅行を趣味にしてきた私としては、もう、そこには自分の居場所を見出せなくなってきた。さりとて、公園、学校、海岸、川原でキャンプしてしまうと、それは他の人への配慮がない人となり、格好悪い。

 どうしたらいいのだろう、キャンプ場。もしかしたら、もう残された宿泊の手段はキャンピングカーなのか・・・。

雷雨

140ee04b.jpg朝六時半に起き、乗鞍高原で午前にシャワークライミングをし、昼飯は天然こうぼのル・コバンでパンとイワナ燻製ピザとワイン。自転車で高原ロードをサイクリングしたあとは一の瀬キャンプでテント。晩御飯を食いに行こうと思ったら凄い雷雨。雨と風、カミナリで凄いことに。