悩ましいキャンプ場

 昨日乗鞍方面から帰ってきた。キャンプ場について思うこと一つ。

 大学生になってから、あちこちに出かけるようになった私。でかけたときの宿泊地は「友人の下宿」または「野宿」。野宿はなるべく、公園、学校。やむを得ないときは駅。水、トイレがあるからだ。それらがないときは、海岸、川原。当時は、あまりそんな「わびしい宿泊をする」人も見かけなかったので、私一人が一夜の宿としてつかったところで、それらの施設へのインパクトはなかった・・・と思う。これがいまから二十数年前。あれから日本の休日の過ごし方もかわった。多くの、キャンパーが出現。いろんな野営設備もホームセンターなどで売られている。いまでは昔の私のように「諸般の事情でしかたなしに野営」ではなく「積極的野営」が主流のようだ。

 こうなったら、私が昔やったように、公園、学校、駅、海岸、川原で皆がキャンプをしはじめたら、それらの場所へのインパクトもあまりに大きすぎる。だから、決められた場所で、適切な管理が行われている場所でキャンプするのが大人の行動。自分勝手に「原野」に入り込んでワイルドにキャンプをするわけにはいかない時代になったのだろう。そう思って、最近はいろんなところにキャンプ場ができているから、出かけたときはまずはキャンプ場を探し、そこで宿泊するようにしている。

 ところが、近年。ほんとうに、近年だが、利用者が無視できないほど多くなったからなのか、キャンプ場の利用料金が高くなってきた。むかしは、役場がしかたなしに経営していたので、テント1張300~500円くらいだった。しかし昨日、おとついは、テント1張1500円、1700円。加えて一人、400円、450円の料金。これだと、田舎のビジネスホテル(私は出張では安旅館を探してとまるのが趣味になっている)と同じくらいの料金だ。

 昔は、利用者もすくなくやる気がなかった(利用者がすくないので、どうせ赤字経営だった。料金をたかくすれば利用者がすくなくなってしまっていた当時)キャンプ場も、いまではそれがドル箱になったため、管理費以上に「儲け」るようになったのだろう(いまでは積極的キャンパーが多くなり、利用料金がたかくても野営を選択する)。それはそれで、いいことだと思うけれど、貧乏旅行を趣味にしてきた私としては、もう、そこには自分の居場所を見出せなくなってきた。さりとて、公園、学校、海岸、川原でキャンプしてしまうと、それは他の人への配慮がない人となり、格好悪い。

 どうしたらいいのだろう、キャンプ場。もしかしたら、もう残された宿泊の手段はキャンピングカーなのか・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です