そなえ

cb69a7c8.jpg数年まえまで趣味は?と聞かれたときは「考えること」といってた。しかし、いま趣味はといわれたらなんとこたえるか。さっき考えていたら「可能性の先にチャレンジすること」ではないかと思った。自分の可能性にチャレンジするのではなく、可能性の先にあるものへのチャレンジだ。理解しがたい表現だが、そんな気がする。

さて、今日は朝から雨である。走ろうかと思っていたが、それはやめた。その代わり金華山に登ることにした。まだエベレストに登頂されていない時代、人はとにかくエベレストに登ることに燃えた。しかし一旦登頂できることがわかると、同じエベレスト登山でもより困難なルートで登るバリエーションルートが主流となる。

私の金華山もそれに近い。金華山がらくらく登れるような体になると。こんどは夜に登ってみる。雨の日登ってみる。重りを担いで登ってみる。雪の日昇ってみる。一日になんかも登ってみる・・・。いろいろチャレンジした。さて、今日の金華山はどんな登り方をしようか。

そこで思いついたのは、雨の日かさをささずに登ってみるということだ。つまり濡れながら登るということだ。合羽をきると蒸し暑い。傘はいぜんにさして上ったことがある。のぼりから下りまでずぶ濡れになってのぼる経験は未知なのだ(不愉快なのか、そうでないなのか・・・)。だから、家に駆け込むことができる金華山でそれを体験することにした。ところが、登山前にインターネットで雨雲の様子を見てみたら、雨は止む方向にあるようだった。それだけでは山に登るモチベーションイはならない。

それを踏まえて今日の金華山の課題を設定した。雨の日に雨に濡れながらサンダルで登るということである。山をサンダル履きで登って批判を受ける富士山登山者などがいる。もちろん、金華山をサンダルで登るなどは、山登りをする人からは「コラッ山を甘く見るな!」と怒られてしまうが、ここはあえてトレーニングである(私はトレーニングでサンダルで登っていますとプラカードをもって登りたい気分だが)。日々の仕事で出かける山でも、山ではなにが起こるかわからない。ときにサンダルで山をあるく必要があるときがあるだろう。実際に、サンダルで沢登をすることもあった。そのため、やはりサンダル登山の限界を知るため、またサンダル登山の技術を編み出すため、短パン、はだしサンダル履きで、帽子をかぶって金華山に向かった。未知へのそなえだ。

ところで、最近、山に登るときには登山靴をはかない。理由は同じ人間であるシェルパが草履でヒマラヤをあるいていたからだ。同じ人間、鍛えれば登山靴などいらないハズ。登山靴は、もっと限界に近いところで履けば、その効果は倍増だろう。それまで取っておこう。靴底が減る・・・。勝手にそう思っている。だから最近は3000円のスニーカーだ。ところが、先々週、金華山を下っていたとき、足がすべり、くるぶしを岩でこすった。そのとき、くるぶしが見える靴下だったので、すりむいて血がでた。さて、今日のサンダルはというと、足全体がむき出しだ。また、足の裏とサンダルの間に小石が入るし、枝も入る。だから、登山靴やスニーカー以上に注意して歩かないと足は泥だらけだし、怪我をする。だから、このサンダル履きの登山というのは慎重な足運びやバランス、体重移動の修練にはもってこいだ。つまり、行動を慎重にさせる訓練になるのだ。

そしてふと思った。そうか、バイクの運転も慎重にしないといけないから、この慎重な行動をする訓練はバイク乗りになろうとする自分にうってつけの訓練だ。われながらよいことを思いついた。

実際問題、足がすべる岩や木もあったが、やはり足運びに注意をするようにしたおかげで、足も汚れることもなく怪我もなく、金華山を2往復できた。ようし、この上り方のバリエーションも私の辞書にいれることにしよう。

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