月別アーカイブ: 2008年8月

ちょっと避暑に・・・。

 明日、夏休みをとった。午前中はこれで4・5時間めとなる自動車学校にいき、昼飯前に乗鞍・木曽方面に向かう。もどりは日曜日。もちろん、星をみるための道具を持って。

 星・温泉・乗鞍でのシャワークライミング・避暑・木曽方面の探検。二泊三日をキャンプしながらの夏季休暇だ。なんとか夜晴れて綺麗な星がみえるとありがたい。昨年はラフティング・うどん・ラーメンめぐりをしながら四国で夏休みをとったが、今年は時間の都合で近場ですます。しかし折角の遠出なので屋久島のあたりから気になっている木曽の森での資源発掘ができればと思う。また車に余裕があれば、乗鞍に自転車を持っていき夏の高原でサイクリングできたらと思う。そうすれば、ヒマラヤから引きずる張り詰めた精神もだいぶ休まるのだが。

 しかし、締め切りすぎた仕事がまだあり、もしかしたら気になって気になって、逆に精神が休まらないことも考えられる。

寝苦しい夜は・・・

 人から変わっているといわれることがある私だが、そんな私から見て「変人」と感じる人がこれまでの人生で3名いた。私の指導教官だったS氏、大学の同級生(卒業が同じ)で林野庁に勤めるS氏、元同僚のU氏である。指導教官のS氏、元同僚のU氏は、見るからに変人のオーラが出ている。しかし、林野庁のS氏は学生時代(留年するまで一年したの学年だった)「ジャニーズ系」といわれていたため、卒業後、いっしょにスキーやキャンプにいくまで彼のことを変人とはとても思えなかった。

 さて、その林野のS氏の教えてくれたこと。私が名古屋で勤めているとき、彼は松坂にいた。東海地方の夏の夜は暑く寝れない。彼が教えてくれた、寝苦しい夏の夜を涼しく寝る方法。結論は、風呂は水風呂で、しかも、5分以上つかりつづけるようにして、体を心から冷やすということ。いくら熱い夏の夜でも水道の水は生ぬるい(名古屋の水は牧尾ダムからの水なのか冷たいくらいだが)。この水風呂にちょっとやそっとではなく、長時間入り、完全に血液を水道水の温度にするくらいの気持ちで体を冷やす。中途半端は冷やし方だと、かえって体が火照ることもあるが、徹底的に水風呂で体を冷やす。そうすると、夏でも足は冬のように冷たくなる。ある意味気持ちいい。その冷えた状態で布団にゴロリとすると、たとえ暑い熱帯夜でも寝つきがいい。

 さて、今日事情があり、水風呂が可能な日になった。私は浴槽に水をはった。ところが、水をはってから気づいたが、今日は夕立があって風が涼しいのだった。水風呂につかるにはかなり勇気がいったが、はやり気持ちがいい。明日の朝は、その浴槽の水をカブって仕事に出かけよう。

 きっとこれは、今風に言えばエコロジーライフなのだろう。

人の講義を聞く

 今日、昼から有給休暇をもらい自動車学校に行って来た。50人くらいの入校者がいたが、おっさんは、そのうち3人。牽引免許のオッサン一人と自動二輪のオッサン(私を含め)2人であった。50人くらいの一斉ガイダンス。気になる学びがいくつかあった。

 まず50人を4つのグループにわけて1グループから4グループの順に、会計・写真撮影・視力検査を行う。それらは別の教室に移動して行い、終わったら元の教室に戻ってくるというもの。その後、適性検査だ。

 あらかじめ、学校側ではグループ分けをしており、私達は名前を呼ばれ、前に書類をとりに行って、会計・写真・視力検査を行う。なので、1グループの最初に呼ばれた人間と4グループの最後の人間とでは約50人分の自分が呼ばれるまでの”間”ができる。これ、私が授業をする時「この間」がとても気になっていた。名前を呼ばれないものにとっては、無意味に過ごす時間がとてつもなく長く、手持ち無沙汰になった者から「だれ」始めてしまうからだ。また、会計終わっての写真撮影や視力検査では、これまた前の人が終わるまで「なにもしない」時間が多い。この「待ち時間」を私は自分の授業ではとても気にする。もしも自分が学生の立場だったら時間がもったいないと感じ、なんでもいいからなにか有意義なことをさせて欲しいと思うからだ。という訳で、授業をする立場でものを考えると「この間」にとても苦しんできた。ところが、今日、授業を受ける立場になると案外「この間」は気になるものではなかった。状況を見れば分かるし、しょうがないし、この間は学校側の段取り問題でもなさそうだし・・・。これは大いに学びになった。そんなに私が授業をするとき、神経質にならないでもよさそうだ。

 適性検査の試験用紙を配るときもそうだ。教室の右端先頭が用紙を手にしたときと、左端最後がてにしたときには「間」がある。この間はなにも生み出さない。だから学生にとっては無駄な時間だ。授業料をこの空白の時間のために払っているわけではないので、配布の時間は極力スピーディーに。しかし、配布される立場に立ってみるとこれまたたいしたことではないことを発見した。状況をみればしかたないではないか・・・と。だから、これについても神経質に考えなくてもよさそうだ。

 また話す内容がとても薄いのに、やけに時間をかけて冗長なしゃべりをする。目の前に資料の説明をしているだけなのに、しかも読めば分かるだけなのに、ほんとうに冗長なしゃべりだ。正直私はその喋りができない(これが不思議だが、文章を書くときには冗長になる)。単刀直入にポイントを話すタイプなので、そんなしゃべりの内容は一言で終わってしまうではないかと感じている。しかし、今日この冗長な話をききながら、たまにはこの喋りがよいときもあると感じた。冗長なことに半分耳をかたむけながら、他の資料に目を通したり、資料に書いてあることを元にして「関連する事項を想像」したりして、戻ってきたときには、まだ同じ話をしているということがあったからだ。そして思った。おそらく、話の筋道があって、はじまり⇒おわりまで一貫しているメッセージがあるもの(話を聞き流すと流れが分からなくなって理解がとまってしまうようなもの)は、冗長な話をするには向かないだろう。一方、一つ一つのトピックには関連がないぶつ切りの話では(話を聞き逃してもついていける)適当に冗長なほうがいいのだろう。そんなことを感じた。やはり、ときには他人の授業を受けるのは本題以外の部分でも学びが多い!そして、先日の岐阜シンポジウムの多くのスライドを削った経験と、今回の自動車学校の冗長な話で、これからの学会発表の発表を上手にこなす光明が見えた。

 さらに、隣に座った自動二輪のオッサン。38歳。ガイダンスの「間」で話をはじめて分かったこと。このオッサン、パンチパーマでかなり顔が怖い。持っている車のキーにはベンツマーク。その彼が、免許をとったのは28歳。わりと遅い。常識ではありえない感じだったが、話をきけば、19のときから10年間、ずーっと「無免許」運転で、すこし落ち着いてきたころ「そろそろ免許をとらないといけないなぁ」となったとのこと。さらに、今回は大型自動二輪の免許までを希望しているが、すでに1500ccのハーレーを購入し、さらに「友達に」「おい行くぞ」といわれて何度もツーリングにいっているとのこと。なるほど・・・。こんな人もいるのだと感慨深い。

 

この歳にして・・・2

8fa6739b.jpg 中学一年生のとき、成績は半分以下だった私。そんな私の成績があがるきっかけになったのは、親の「成績があがったら望遠鏡を買ってやるから」という言葉と、一年生の最後の期末試験が「天文」だったため、誰にも負けてなるものかとテスト勉強をしたこと。
 そう、かく言う私は「天文少年」だった。

 また、高校・浪人時も希望していたのは「工学部」で「宇宙開発に携わること」であった。(いまでこそまわりまわって宇宙開発と関係ある仕事をすることになったのだが・・・)

 そんな気持ちがあるので、前回、前々回のヒマラヤでは星の写真を取ってきた。

 昨年の夏には、たてた目標を達成したら「望遠鏡を買う」ということで、ひと夏金華山30往復などに精をだした。結果的に30回登ったのだが、当時、目をつけていた望遠鏡が、59800円から69800円円になってしまったので、理由をつけてあきらめることに。しかし、その後も、もちろん望遠鏡が気になる。しばらくしている間に、69800円の望遠鏡は79800円になってしまった。もう無理。あきらめる時期だと思い気持ちは萎えた。とはいうものの・・・時折、インターネットで意中の望遠鏡(最安値の品)をのぞいてしまう私がいた・・・。

 そんな中、先日、憧れの望遠鏡がサマーバケーションセールということで、79800円のが59800円になっていた。しかも限定20台である。もう、「これは」と思い注文した。そして今日、納品。

 いまは亡き「岡田昇さん」というプロカメラマン(プロカメラマン+ロッククライマー+アマチュア天文家)が、天文台を清里につくった。縁あって、そのとき建設のお手伝いをした。天文台が完成して、50cmの反射望遠鏡でのぞいたオリオン座のM42の美しさ・・・。自分がもっていた8cmの屈折望遠鏡とは雲泥の違いに、震えが来た覚えがある。そのときに思った。いつか自分も大口径の望遠鏡が欲しいと。いまから15年前。

 さて、今日手にしたのは25cmの反射望遠鏡。写真撮影用ではないが、この25cmの反射望遠鏡でこれからときおり30年前の自分にタイムスリップしようと思う。

この歳にして・・・

 以前から、原付通勤(25キロ)をしていることは報告しているが、とうとうそれも限界になってきた。片側1車線で、しかも路測が凸凹している場所が多いこの岐阜。名古屋と違って、車のために路のわきによって走っていると危ないこと極まりない。かと言って、いつも思うのだが、私一人が通勤するために「鉄の塊」+「体重」を移動させるため、高騰している化石燃料を毎日使い続けるのにも、気がひける。さりとて、ときどきやってきたような「自転車」通勤は「原付以上に危ない(歩道がないのでほんとに危ない)」。こうなったら、車の速度で走れるバイクに乗るしかない!

 とはいうものの、私には自動二輪の免許はない。理由は、学生の頃に免許を取りたいとはおもったことはあるが、ヘルメットをかぶるこの乗り物にのることで、ハゲが加速することを恐れたからである。だから、あえて免許を取る行為は避けていた。しかも、乱暴者の私のことである、若気の至りで「無意味にスピード狂」になることもありえた。危ない・・・。ハゲと事故に近づかないため免許を取ろうと思うこともなかった。

 ところが、ハゲについては周知の通り。もう立派なハゲである。髪も刈っているのでヘルメットを脱いだ後に昆布をかぶった海坊主のような状態にはならない。また、スピードについても、最近は原付でも車でも「スピード」を出すこともない。運転に集中することもなく、いつもよそ事を考えてハンドルを握っているからか、車間距離も長いし、スピードを出すこともない。

 よし、時期が来た!バイクの免許をとろう。ということで、昨日自動車学校にいってバイク免許を申し込んできた。さて、いつまでかかるのか分らないが、なんとかこの夏の間に免許が取れればと思う。

つくつくぼうし

 8月2日は「岐阜シンポジウム」というのが岐阜大学で開かれ、そこで話題提供をしてきた。このシンポジウムについては既にヒマラヤにいる頃に照会があったので、十分事前の時間はあった。だから、実際に発表の資料を作らないにしても「どんな話の流れにして」「何がいま手持ちの資料でないく」・・・などとあれこれ考え、きっと余裕をもってベストな資料ができあがってるだろうから、職場が夏休みにはいっても、毎日、規則正しい生活ができるだろうと思っていた。

 ところが、違っていた。8月2日が目前に迫っても、たしかに毎日この講演の発表内容のことを考えてはいるものの、資料をつくるためのモードになれずに、よそ事をしては気を紛らわせ、仙台の出張から帰ってもなかなか腰が上がらない。それで、結局8月2日の午前2時ごろまでかかって、やっと講演の最初から最後までの話の流れと資料(スライド)ができる事態に陥った。ところが、これらの内容と資料では、35分から40分の講演時間をオーバーしそう。でも、なんとか鍋に収まったので、その後就寝。そんな中、8月2日の午前5時半に目が覚める。

 大体、いつも発表などの私の資料の作り方は、まずは言いたいことを言いえるように時間を気にせずにスライドを多めにつくり、その後、時間を配慮してスライドを削っていくというやり方をする。
 8月2日の寝るときには「あー、スライドがえらく多い」とおもっていた。そのため五時半に目覚めたときに、先ず最初に頭に考えたのは「どのスライドを削ろうか」であった。それを考えていたら、もう寝ていられなくなった。3時間くらいしか眠っていないが・・・。えーーい、起きてしまえ!と再びパソコンに向かう。すると、あー、このスライドが足らない、あれが足らないとまた昨晩のような修羅場になり、気づけばスライドの数が増える。削らないといけないのに・・・。結局、最長編の資料が朝の7時半くらいに出来上がってしまう。いかん削らないと!そこで、9時までかけて、「このスライドを使いたい気持ちはわかるが、今回の話にどうしても重要なことなのか・・・」と自問してスライドの数を激減させる。

 ひさしぶりだった。迫る時間(9時家を出る)と仕事の未完成どあいに「ゲロがでそうに」なった。

 そして会場に出て、さらに輪をかけて具合がわるくなった。主催者からは「小学生」「中学生」にも分る内容でお願いします、といわれていた。そのために、複雑な物事をシンプルにした。ところが、会場で思わぬ人をお見かけした。日本の京都議定書にからむ森林政策で中心的役割を果たしている、M氏。岐阜県の県職員で森林を担当しているY氏、F氏。(あとでわかったが、私のしている森林域でのリモーセンシングの日本の大御所のA氏)。彼らの顔を発見。さらに、会場には小学生も中学生はいない。いるのは、少数の大学生とオッサンばかり。しかし、そんな専門家のために話を組み立てなおす時間はない。

 なんとか、ゲロをはくこともなく仕事は終わった。M氏やF氏からコメントをもらったり、岐阜大学の副学長からコメントを直接いただいたりした。これらから判断すると、どうやら講演は無難に終えることができた。

 さて、私の本当の夏休み(?)が8月2日の昼から始まることとなる(催促のある仕事が2つあるが・・・)。とおもった矢先、8月4日に職場に来てみると、まだうまく鳴けてはいないが、夏の終わりを告げるツクツクボウシが鳴き始めた。泣きたい気持ちになった。