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今年の夏・・・

 いかん、折角へこんだ腹がこの夏の暑さでビールを飲みすぎたせいか、一日二食しか食べていないのにポッコリしてきた。今年の夏は怠けてしまった。

 ・・・と8月の下旬は思った。昨年は、金華山登山30回だとか英語のお勉強などとテーマを決めていたし、その前の年は・・・。

 振り返ると大学に入ってからの自分は、「あとから一年を振り返ったとき、あのときは「これをやった!」と語れる年にしたいと思うようになり、41才のいまも18歳くらいから毎年、あのときは何をしたのかと思い返せる年になっている。さて今年の夏は・・・思い返すと残念な年だった、と感じていた。

 ところがここに来て、ことしの夏はこれをやったという実感がめきめきわいてきた。もちろんバイクの免許をとったということは一つのイベントには違いないが、そんなことは人生の横道の話。人生のメインストリートとして「何をやった」かが自分には重要だ。

 今年の夏は「いま格闘しているGISソフトを覚えた」。またそのソフトはマニュアルが英語であり、しかも来週その研修をしなければいけないので、悠長に英語をゆっくり読んでいる時間がなく苦しんだが、死中に活を見出すことができて「英語の本を読むスピードが格段にアップした」。そんな実感を得られる夏になったようだ。

 GISソフトは非常に高価で、個人でとても買えるものではない。それは自分の研究環境を一定に保つ点で大きな問題。また、GISを学生につたえたところで、ソフトが職場で購入できなければ折角の技術も役に立たない。ところがいま覚えているソフトは、無料のソフト。これまでは敷居が高いと思い、あまり深入りしてこなかったが、このところの格闘で「ツボ」を得た。このことは自分の研究と教育を支えるうえで大きな収穫だ。また英語の文章を読むスピードもそうだ。

 この大きな収穫を考えると、ちょっぴり腹がでてきたことは、たいしたことではないかもしれない。そう思えるようになってきた。来週が終われば、また激しく走り始めればまた腹は減るのだから。

 ことしの夏は得がたいものを得られた夏。そう決算することにしよう。

ショック

f9a39c10.jpgこのところ毎晩2時過ぎまで来週の研修のためのソフトウェアと格闘している。だいぶ自分の自由に操作できるようになった。バイクもだいぶ勝手が分ってきた。車間距離やカーブにも慣れてきた。雨の日もずぶぬれになりながらバイク通勤だ。せっかくの新車だけれど、いつかは風雪にさらされるのだから、もったいぶらずに雨も気にしないようにしている。

・・・が、ショックだ。昨日職場の駐車場おいてあるバイクに雨をよけるためのシートを被せた。そこで発見したバイクの派手な傷。まるでこけたような、しかもエンジン部分。鉄を削るということはよっぽどのこと。もちろん、こけた覚えはない。買ったときに既についていた傷か、悪戯か・・・。人間不信・・・。昨日の午前中はかなりショック。

しかし、よくよく考えてみるとこの傷の犯人は十中八九自分だと思うに至った。おそらく先日雨の中、中部大学にいったとき、長靴代わりにトレッキングシューズを履いていった。そのトレッキングシューズの金具(わりと頑丈)が、あの道中こすれて鉄を削ったのだと思い始めた。あーーー、新車が・・・。むかしから親にお前は「壊し屋」だと注意されたが、まだ健在だった。三つ子の魂百までとはよくいったものだ。シュン・・・。

少しだけエコ

 今日、朝から雨の中、春日井の中部大学にバイクでいってきた。片道一時間半の道のりだ。そしてとうとう、早くも恐れたことが起きてしまった。

 事故ではない。ガツ欠である。

 タンク容量が7リットルくらいしかない小さなバイク。リザーバータンクが1リットルか2リットルくらいあるから、正味5リットルくらいが勝負。ガソリン残量を示すメーターはこのバイクにはない。けれど、根拠はないが、まぁ、200キロくらいは走るだろうとおもっていた(原付は200キロくらいで給油していたから)。

 性格がねじれている私のことだ。一目おく高杉晋作の辞世の句「面白き こともなき世を 面白く」で、日々の単調な生活の中、強引に面白きことを作ろうと、ガス欠ギリギリまで給油せず、いつもあのどきどき感を楽しんでいる。とくにディーゼル車では、ガツ欠は命取りとT自動車の関係者がいっていたので、それを肝にめいじて、ギリギリの限界に挑戦する。おかげで、車についてはガス欠は大学生のときの一回だけではある。

 しかし、あまり気を使わなくてもいい原付は既に3回ガス欠になり、延々美濃の田んぼの中を原付を押して歩いた経験がある。さて、今回のバイク。

 今日、中部大学からの帰り道、173キロのところでガツ欠になった。はじめての給油がガツ欠のため・・・。なんとも恥ずかしい限りだ。リザーバータンクに切り替えようと思ったが、目の前がガソリンスタンドだったので、そのまま直行。給油量4.8リットル。それで燃費を計算してみると35キロ。173キロの走行は、名古屋から岐阜 一回。岐阜と美濃を往復。岐阜と春日井を片道である。岐阜と美濃の往復よりも平均して信号に多く止まったかと思う。それでも平均値で35キロを示した。ということは岐阜と美濃の往復だけなら、燃費はもっと延びるのでは・・・。コイツは原付なみの燃費だ。カタログ性能だと60キロの走行で54キロ。他の250ccのバイクの燃費が40キロから45キロくらいが多いなか、ダントツの燃費を仕様上は示しているが、実燃費でもきっとこのバイクはいいのだろう。ちょっとだけ、嬉しい。財布にも優しいが、何しろ化石燃料の使用量を押させることができた。

(それなら自転車がいいには違いないが、岐阜の道は歩道のない1車線が多い上、路側帯は波打ち、雑草が道までギリギリ生い茂っているため、危ないこと極まりない。自転車25キロ通勤もしていたが、これは命の危険を感じた。原付も然り。その中での最善の選択のつもりだ)。

政局

自分にすみよい国にしたい。な~んて思うのはやめにして、「俺はこうなれば」と思うけれど「みんなの世の中だから決めるのは皆で話し合って」。ただ、求められれば「個人的な意見は主張する」。けれど決まったことに対しては、文句は言わない。いやなら、そこを立ち去る。そんな気持ちで職場も日本との距離を持っている、つもり・・・。

だから、政治がどうなるかは大きな関心事。そんな中、突然の首相辞任。かなりビックリした。世のマスコミは福田総理を評価していないけど、というより、面白がって評価しないようにしているように見える。私はがんばっているからこそ、そして自分が彼の情熱と頑張りほど政治のことを考えるのに精力を使えないから、情熱とがんばりをしている彼に、右に左にどうなるにしろ自分の運命を託したい。そんな気持ちだ。肝炎のも問題のときの電光石火の決断などは、ちょっと惚れ惚れした。しかし、マスコミは評価できることはすぐに忘れてしまう。

いやー、残念だ。

辞任の記者会見を聞いた。またそれの解釈をしているニュースも見た。けれど報道されているのと、真相は違うと思う。ちょっとだけ、妄想力を披露したい。

マスコミなどの作為的な世論と自民党内での多様性のため、首相のリーダーシップを発揮できないようになっている。支持率も低迷。そこに来て問題は、公明党の位置づけ。公明党は自民党と民主党との間に立つように、自民党と距離をおこうとしたいる。それが、最近の公明党の国会運営や補正予算の出かた。勝手な解釈をすると、日本の長期的視点での発言というより、ポスト福田政権で公明党の立場を優位にすすめる党運営本位の発想ではないだろうか(と勝手に思っている)。

一方、民主党。党内選挙で盛り上がっている。また、政権をとることが目標(に私には映る)。だから、自民等のやることにはことごとく意を唱える。

となると、福田政権をつづけても、重要法案の審議は進まない。しかも、危機をむかえる自民党では、それを救うのは自分の考え方だと、各人の個性を主張する。となるとますます、まとまらなくなる。民主と自民、自民と公明、自民内部。いま閉塞感に満ちている。なにをどうしても右肩下がりだ。これを建て直し、状況を改善するためには「なにかが」変わらなければいけない。民主VS自民。改善の余地はない。自民内部。これも難しい。となると改善できるのは自民VS公明との関係だ。公明党の行動原理は乗り遅れない(にうつる)。いま自民党の支持率がさがっているからこそ、自民との共倒れをさけて自民から故意に離れる。首相の支持率の低迷はマスコミの操作で望むべくもない。

となると、公明党がもどってくるには、自民党の支持率、内閣支持率をあげるしかない。そんな中、最近麻生が表舞台にでてきた。彼には内閣支持率回復の潜在力があるかもしれない。そこで、福田⇒麻生のラインで世論を引き戻し、公明党を引き戻し、安定した政権を築くためには、自分が身を引くしかないと決断したのだと思う。

アメリカの大統領選挙をみていると、アメリカ的民主主義に失望する。本質はかわらなくても演出をかえるだけで票が、右に左に。そんな大国の口癖は「国益第一優先」。世界の経済を揺さぶる。アメリカ人のお祭りイベントで世界は右往左往させられる。たまったものではない。

大事なことは、長期的展望じゃぁないだろうか。どう考えても、景気がわるいからといって大規模な補正予算、しかも財源は国債。淘汰されるモノが、淘汰されない施策をうてば結論は先延ばしになるばかりか、負の遺産が増えるばかり。そう思う。空間的にも時間的にも日本を鳥瞰した施策をうつには、安定した方針・哲学が必要なのではないかなぁ。絶対の判断力などこの世にあっても、現世にいきる人間は分かりはしないだろう。だから誰の方針・哲学が一番よいかなんてことは、政治には関係ないと考えている。「信じるに足る人」「誠実な人」これが重要なんだろうと思う。一生懸命に作ったということが実感できれば、味がまずくてもおいしく感謝して料理を食べられるように、信じるに足るかどうかが、托せるかどうかの判断基準(私は)。

それにつけてもいつも不愉快に思うのは、小沢だ。以前、小沢は選挙にまけたら政局から引退するといった。そして、公言どおり引退した。ところが、請われて出てきた。引退するといって、そのケジメをつけずにまた舞い戻ってデカイ口をたたくのは、いかがなものか。その態度が政治不信を僕にいだかせる。人間として信用できない。たしかに、戦略と戦術には長けているが、そもそもその戦争は仕掛けるに値するのかで(?)で疑問が残るし、信用できない人に国政を託すのはどうかと・・・。

というようなことを感じている。
政治はずぶの素人なので、詳しいことは理解できてはいないが、辞任の驚きのあまり思ったことを文章にしてみた。

とにかく驚いた。ビックリした。

落とし穴

 折角の新車。しかし、神様は意地にも雨を降らせた。したがってバイクはデビュー早々、濡れた・・・。

 しかし、そんなことよりも意外な盲点があった。

 バイクのことなどさっぱり分からないので、たまたま買ったそのバイクが単気筒だった。単気筒への思い入れはない。しかし、単気筒のエンジン音を聞いていると、なるほど、これが単気筒の音か。もうすこし静かにならないかとおもったりもした。当初かおうとしていた400CCのバイクだったら、もうすこし音が大きくなり、振動も大きくなる。まぁツーリングするには楽しいだろうが、日々の街のりのことを考えると250CCでよかったと実感。

 また、今回のバイク購入のポイントは振動がすくなく音が静かであること。このバイク50キロくらいのときには変な雑音がする。高速にまわる扇風機に紙でもつっこんで、ペチペチと音がするような感じのおとに似ている。気になる。耳障り。

 しかし、それよりもなによりも想定外だったのは、なまじ車の速さで走ると「考え事」をする余裕がないということだ。前に追突しないように、うしろに迷惑をかけないように、前の車との車間距離を・・・などという具合だ。原付のときは抜かされるのが前提だったので、きわめてマイペースでその時間がいい気分転換だったが、なまじ車と一緒に走ると運転にいっぱいいっぱいで、大好きな妄想している時間がない・・・。これは大いなる誤算。

 明日からは、原付にのっているつもりで、抜かされることになれることにしようと思う。それなら妄想できるから、まいにち朝晩の格好の気分転換になるはずだ。