月別アーカイブ: 2008年10月

NHKのニュース

 とりあえず、TVのニュースは毎日いくつも見るようにしている。朝7時のニュース、可能なら夜7時のニュース、そして夜9時のニュース。

 最近、見ていて頭にくるニュースがある。「夜九時のNHKニュース」だ。ニュースキャスターが、細部に自分の見解を言い過ぎるのが鼻について気分が悪い。あれは、いかん・・・。そう思っていたら、ライブドアのネットニュースでhttp://news.livedoor.com/topics/detail/3881539/そんなことを書いた記事があって、思わず笑ってしまった。なるほど、やっぱりそう思っているのは私一人ではなかったかぁ・・・。

 実は更なる問題点にも私は気づいて、あのニュース番組が心配になっている。どうしちゃったのだろう、NHK・・・。それはなにかというと、左隣の女性のキャスターである。スポーツを担当しているだけのときはよかったのだが、彼女はいま、あるニュースが終わった後に、となりの男性キャスターに「・・・では、これからどうなるのでしょうか?」などと聞いている。それが問題だと思っている。

 理由1 これからどうなるのでしょう?って聞くけど、それだけ日ごろから情報収集して考えていないということをさらけ出している人が、その記事がおわって次の記事のニュースを読み上げていると、「おいおい、そんな無知なあなたに私たちは情報を”頂いている”のだから、しっかりしてくれよぉ」と思うのである。しかし、これは、私の妄想力ではありえない、あの女性のニュースキャスターは、別にスポーツだけ楽しんで報道しているわけでもなく、日ごろの政治や事件などにも関心が高く、勉強しているはずだ。なんといっても、狭き門のニュースキャスターという職についているのだから、意識は高いはずなのだ。となると、理由2の問題がでてくる。それはこうだ。

 つまり、無知な人として、男性キャスターに見解を尋ねるのは「演出」なのだ。いくら鮮度が大事なニュースにしてもリハーサルくらいはやるだろう。あの女性は、リハーサルを想像させなく素の「真顔でたずねている」ようにみえるが、リハーサルをして、質問の内容とそれに対する答えの時間を計っているはずだ。いくらスポーツで時間調整をするにしても、それくらいの時間を抑えていないと、ニュース番組が成立できない。時間内にきちっと終わらない。・・・と、思っている。だから、あの女性キャスターに「素の質問」をさせるのは演出に違いなく、それを演じなければならない「意識の高いあのキャスター」の胸中は穏やかではないだろう。そう考える私は、あのニュースのディレクターかプロデューサーの構成力に問題を発見する。

 あのニュース、男性キャスターの「すべてを知り尽くしているぞ的な物言い。しかも、よいことは”よい”といわず素通りし、”ん”と思うことをトコトン批判するあの態度は、見るものに不快感をあたえる(上記、ライブドアのネットニュースでそう感じるのが私だけではなかったことがわかった)。さらには、あの演出によって女性キャスターを「無知に仕立て」、その彼女に我々は「日常の出来事の善悪を考えるネタを貰っている」ことの不愉快さ。
 そんな意味で、ディレクター・プロデューサーの良識を疑う。大丈夫だろうか、NHK・・・。心配になってきた。受信料を払っているんだから、そう発言する権利は私にもあるだろう。NHKしっかりしろ!

大阪、そして老い・・・。

 先日大阪にいった。大阪は正直、あまりいったことがない。というか、行く用事がない。サラリーマンのときに大阪には、月に1度出張していたが、そのお店に足を踏み入れるだけで、大阪という街を探検したことがない。なんといっても、飛び交う言葉の刺激が強すぎて、あまり心地いい感じがしなかったからだ。先日、そんな大阪にこれまでの人生で最長の滞在をした。(といっても半日だが)

 一番驚いたことは、地下鉄のエスカレーターだ。これまでの体験で、エスカレーターを歩く人は、右側通行というルールがあることの認識をしている。日本の空港でもそうだ。ところが、大阪のある駅ではエスカレーターを歩くのが左側通行だったのだ。これには驚いた。なんというわが道を行く地域なのだろう。驚きと感心だ。
 しかも、地下鉄や鉄道の道案内がなんとも解りづらい。大阪のイロハを知っている人には便利なのだろうが、ぜんぜん知らない私には全く理解できなかっ。おかげで、乗り換え場所が発見できず、一本電車を見送った。インターネットや携帯の路線検索では、○○鉄道○○線とあるのに、駅に降り立った看板では、いきなり○○線という看板。○○鉄道を探すのに一苦労・・・。

 エレベータも鉄道案内も分かる人には解るが、解らない人にはさっぱり解らない。排他的な雰囲気を感じた。良くはわからんが、大阪はきわめて保守的で我の強い文化の地ではないだろうか。まいりました。やはり私が近づけるような場所ではない・・・。

 しかも、最近「機械オンチ」のオッサンの気持ちが良くわかり、機械オンチになりかけの私に大阪は優しくなかった。そこで、ますます足が遠ざかりそうだ。

 機械オンチ事件とは次のような事件だ。
 先日の東京での出来事、どこぞの地下鉄の券売機。複雑な路線の起点になっているその駅で、切符を買おうとおもったら少々、名古屋や岐阜の状況とは勝手が違っていた。お金を入れるが、お目当ての券を買おうとおもったが、路線を指定していないためか、券を買う(指定する)画面がでてこない。5秒くらい券売機とにらめっこしていたが、どこのボタンかわからない。仕方がないので、思いつく画面をくまなく押していたら、画面に「購入する切符の画面下のボタンを押してください」という文字があった。そこで液晶画面をくまなく探したが、ボタンはない。そんなはずはない・・・。もういちどなめるように探した。しかし、ない・・・。視界の左側に人影・・・。あー、誰かが待っている・・・。そこで、一旦、切符の購入をあきらめてお金を払い戻した。そして後(うしろ)を振り返る。よかった、誰も待っていたわけではなかった。
 そこで、気分を新たに別の自動販売機にむかう。こころの中では、あの自動販売機が故障しているのだ・・・(笑)と思いつつ・・・。しかし、現象は同じ。切符が買えない。しかし、そんなことを延々とやっていたら、気づいた。画面下のボタンは、どうやら画面の下ではなく、画面の下のボタンだったのだ。どーゆーことかというと、液晶画面の画面の中の下のほうではなく、液晶画面から外れたところにあるボタンという意味だった。これじゃぁ判らん・・・。
 それらの原因は、一つには、私の視野が狭くなったことと、もう一つには、私の頭が固くなった(あまりに論理的になった)ことと、もう一つは、老化などがあるのだろう・・・。
 そしてこの東京の惨事につづき、もう詳細は忘れてしまったが、大阪でも券がしばらく買えないという現象があった・・・。もう沢山だ!!!

 これまでの人生で自動販売機で自ら切符を買う経験の少ないうちのオヤジが、いまだに電車の切符を買えない状況が良くわかった。きっと、私が切符が変えなくなってきたというのは、そういったDNAを持っているのかもしれない。

山谷ホスピス

 先日、東京出張で宿泊した「宿」の潜入レポートをブログに書いた。そして、あの南千住という土地柄とそこに集う人々の人間模様をたくましく妄想した。
 この前の日曜日、TBSのサンデージャポンで、あの地域にあるホスピスのレポートが放送されていた。ホスピスとはwikiペディアによれば『ホスピス (hospice) とは、ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設または在宅ケアのこと。日本では施設の数は少ないが、近年、QOL(Quality of Life,生活の質)の意識の高まりなどから、徐々に増加している。』である。

 あの南千住界隈は「山谷」といわれるドヤ街で、現在高齢の日雇い労働者たちが、誰に見とれることもなくなくなっていく中、ある方が、山谷地区にそういった死を目前にした方々を受け入れ、ホスピスを開いている潜入レポートだ。ホスピスを開いた人が、私と同じようなことを言っていてびっくりした。

『日本の高度成長を支えた市井の庶民の最後を○○(○○を忘れてしまった)に送ってあげたい』と・・・。高度成長を支えた市井の庶民という表現が、まったく私のイメージと同じだった。ますます、あの地域に惹かれる・・・。

 先日、京都で大部屋宿泊で雰囲気はつかんだ。今度はノー予約で南千住に潜入しようと強く思った。ちょっとだけ薄暗く廊下を照らすあの青白く冷たい蛍光灯の明かりが、まるで夏の虫を寄せ付ける紫外灯のように私をひきつける。11月13日、東京で会議がある。また足を伸ばしてみようかと思う。

芋ほりが・・・。

eaa44e56.JPG そろそろ農園のサツマイモの収穫だ。今日は、先日の入試のときの休日出勤の代休をとって芋ほりをしよう。昨日の昼までおもっていた。ところが、先日の東京出張でまいて来た種の水やりに、名古屋で打ち合わせの用事をしなければいけなくなった。そのため、休みを取りつつも、名古屋で打ち合わせだ。午前中の打ち合わせ+午後2時からの打ち合わせ。場所は丸の内と伏見。バイクで出かける。

 午前の打ち合わせがおわって次の打ち合わせまで、1時間10分ある。そこで、伏見にある科学館(じつはここがたまらなく好きな場所)か美術館で1時間を過ごそうと、まず科学館にはいるとプラネタリウムがあと5分後から開催されることを発見。本当はロケットのエンジンなんかを一時間眺めていたかったけれど、いそいで券を買い着席した。なんといっても自称天文マニアの私。プラネタリウムは楽しい憩いの時間。とおもいきや、小学生・中学生の団体様と一緒の上映だった。大人の時間という感じではなかった。

 しかも、残念ながら「話が原始的すぎ」おっさんの好奇心を満たすプログラムではなかった。しかし、解説者の話をききながら「このプログラム、なんでこんな構成にしているのだろう。なんという変な説明のしかたをしているのだろう」。プラネタリウムを見ながら初めて、不満がでてきた。そうというのも、このところ「コーチング」に関心を持っているからなのか・・・。とにかく人の説明を聞いていると「ハラハラ」する。

読書の秋

 最近、本を読む時間ができた(ヒマラヤの報告書はまだだが・・・)。自分の中では解決済みだが、それを学生についたえようとしたとき、表現にこまるときがあるので、なにか「参考」になるものがあるのかと、読むのである。そんな中、ヒットした本がいくつかあった。というわけで、いま活字が頭の中に入りやすいモードになっている。
 本は、いま読むか読まぬかはおいておいて、買いたいと思ったときに買え。そう教わってきた。若いときはあまりピンとこなかったが、今は実感する。なので、割りに家にも職場にも「本棚」には読んでない本もいくつもある。
 あるときは、といってもいまもそうだが、本棚においてタイトルを見ているだけでも本の内容が想像できるようになってくる。実感としては、本を買った後も、いろいろ本を買って読んでいくうち、まだ読んでいない本があっても、読んだ本で引用してあったりすると、読んでない本の雰囲気がわかる。本を買ってから、その後いろんな知識を増やしたりしていると、本のタイトルから大体内容を想像できるようになる。そんな具合だ。

 そんなわけで、読んでいない本を見ながら、読書モードになっている今、手に取った本がある。空手の達人、大山倍達の「強く生きたい君へ 我が空手哲学」である。
「空手バカ一代」で彼の大体の話は理解していたし、漫画ではあるが、いろいろ思うところがあった。あの漫画は良本だ。私の理解である。加えて彼の著書を読んでいたら、彼がいろいろ考えていたことを実感し、少々驚いた。こんな文章が目に留まった。

「本能的な動物の世界は、自然のルールによってバランスを保っているが、人間社会は、理性的なルールをもつに至った。このルールが礼である。だから、礼は、本能や自我としばしば対立する。ルールは、こちらのしたいことをさせてくれない。ここで私欲に従ってほしいままに生きれば、失礼、無礼、非礼の一生を送り、人の世から排斥される。つまり、人とともにあることができなくなる。
だが、私欲の強い人ほど、孤立しては生きてゆけないのである。だから、この世に私欲によって生きようとすることは、本質的に矛盾していることになる。」

 この文章、人それぞれに解釈する場面が違うが、なかなか、私はこう整理できていなかった。論理の飛躍もあるように思うが、それを補ってもあまりある、整理の仕方で読み進むのが楽しくなった。

二条城 ああ、勘違い

二条門 昨晩、風呂に入りながら京都を何回訪問しただろうと考えていた。最初は、ばあちゃんの納骨に東本願寺に行き、京都タワーに上り、記念コインを買ってもらった、おそらく小学校4年のときだ。次は、小学六年生の就学旅行。その後、大学1年生のとき船で大阪から沖縄に行ったときの帰り、京都の大学にかよう友人に泊めてもらった京都ステイ。その後、会社を辞めてから・・・。いろいろ思い出すが、もう覚えきれない。学会や会議や打ち合わせ・・・。さて、京都に何回いったのだろう。そんな中、修学旅行の京都で、どこに行ったのかだけはよく記憶している。三十三間堂、清水寺、金閣寺、平安神宮、そして二条城。(ほかにもいったかもしれないが)。

 さて、二条城に足を運びたくなるモチベーションはひとつ。仕事がら「森林資源と建築様式」に言及することがある。森林資源の潤沢なときは木を贅沢につかうが、森林資源が脆弱になると家の柱は細くなる。海外に残る古い家並みを見ると、そのことがよくわかる。日本でも然り。これは人の受け売りだが、戦国時代多くの寺院・城郭・町屋が戦乱で焼けては建て、建てては焼けて、となっていた。すると、京都の周りの山々は禿山になり、柱一本つくるにも遠くから木材を運んでこなければならなくなった。そのため戦国時代末期までは、絢爛豪華を売りものにした建物が多いが、それ以降の建物は簡素を売りものにするようになった。前者の最後が二条城で、後者の始まりが桂離宮。それは単なる建築様式の変化をともなっただけでなく、日本人の美意識の変革も迫るものだった。
 なーんて、話をすることもある。

 そんな二条城ではあるが、私は小学校のころの印象しかない。大政奉還の場所として正装した丁まげ姿の人形が正座して、正面の将軍と思しき人形に向かっていることしか思い出せない、二条城。これではいかん。この目で見ないと・・・。

 御所から、さらに西南西の方角に歩き出した。途中、思ったよりも二条城が遠いように感じ、「まさか、道を間違えた?」と思ったこともあったが、「二条城」と「御所」とを家茂や慶喜が往復したことを考えると、そんなに遠くはないはずだ!それを信じて歩き続けた。朝のお勤めを済ませていない(トイレ)私は、近所の公園などを探したが、案の定、探すとなかなか見つからないトイレも、あと少しで二条城。絶対にトイレがある筈だ!と迫る危機に不安で脂汗をかきながら登城を目指した。

 あった。これだなぁ。

確かに城 私の理解では二条城は城と言えども、お寺のような一階建ての大きな建物があるだけで、城とはいう名ばかり城という理解だった。確か昔お寺だったところに堀だとか塀だとかを補強した・・・。しかし、目の前には大きな堀がある。あれ、何んだコリャ1。受付を通り、トイレを探すが、まわりの景色はあきらかに「城」である。何だコリャ2.・・・
 さて、小学校の修学旅行で入った「寺のような建物に入った」。二の丸御殿というらしい。私は手にしたパンフレットでようやく理解できた。二条城は城であり、天守閣は火災で燃えて再建されないまま幕末を向かえた。そして幕末の大政奉還は二の丸御殿という建物(私が寺のようだと思っていた)で行われた。そうか、私は自分の印象とその後どこかで読んだ「本能寺」とが同化してしまい、二条城⇒寺のような建物(二の丸御殿)⇒お寺⇒本能寺⇒寺を改良した城郭(づくり)の建物、と理解していたようだ。これはまずい・・・。百聞は一見に・・・というが、そのとおり。

 二の丸御殿から出て奥にいくと本丸跡(天守跡)もあり、ちょっと小さめだが確かに平城だ。なるほど、世界遺産ねぇ~。

 さて、おっさんになって改めて二条城にあがると、いろんなことに「気づいた」。そのひとつが、二条城が世界遺産だ、ほれなんだといわれながらも、私を満足させてくれるような解説がどこにもなく、「この間(ま)は、何々の目的で使っており、絵は誰々がかいた絵で」というだけ。私は、もっと時代背景や建築や絵画の背景など、目の前の事象の必然性を感じるための素材が欲しいのだが、「書籍の販売(通常美術館、博物館などにいけば、かならず本を買ってくる)」も見当たらないし、解説もない。私は単に小学生の団体や外国人の団体の人の波に流されて、入口から出口まで、溺れずにかろうじて泳ぎ着いたという感じだ。もっといい展示法があるだろうに。そう思った。しかし、いま書いていて気づいたが、もしも、そのような解説所を設けたとしたら、人の動きがとまりパニックになるのでは・・・。となると、ボランティア解説者のご出陣・・・。いや、目の前に行きかうひとを見たら、これでも人は足らないことが用意に想像できる。いまそう思うに至った。
 つまり、世界遺産と囃され、人が押し寄せる「文化遺産」では、見物人の対象を「不特定多数の物見遊山の人」にせざるをえなく、それから漏れる人は、熱意を持って自助努力で自分の好奇心を満たせ、ということか・・・。そんなことを改めて気づいた。

遊びの土間 しかし、そんな二条城だが「ただ、見るだけでも、”おかし(風流)”なものがあった。縁側から庭に下りるための沓脱石と縁側の土台柱との”あそび”だ。沓脱石にあわせて柱を刻んでいる。現代的にはこんなことをしていては手間がかかるので、通常の住宅では沓脱石を小さくして柱をまたがないようにするか、それとも沓脱石を前面に出してすべての柱を同じ長さで工事できるようにするかだろう。しかし、ここはちがう。風流な遊びごごろ。大工や作事奉行にこころが共鳴する。

土プレゼント さて、一方で”可笑しい””おかしい”ものも目にした。なんでも二条城祭り期間だそうで、「二条城土プレゼント」というイベントもあった。もちろん、そんなものを貰って帰る余裕はないが、世界遺産の一部を配るほうも配るほうだが、流血騒ぎだらけの京都の土を貰うほうも、貰うほうだ(笑)。

 さて、京都。御所、二条城、それぞれ知りたいことを調べていけばもっと面白いと思った。それぞれ一箇所で一日十分満足でき、リフレッシュできる。残念なのは、京都にはそういった面白そうな場所が多すぎることだ。あと、何回私は京都にくるのか。積極的に来たとしても、満足しきることはないほど、奥深い。そんな京都を40過ぎて初めて知った。

京都御所

御所地図 大学時代、私の話の「わかりにくさを」指導教官は、たとえ話をつかって説明した。たとえ話は、「道順の説明」だ。京都出身であるその指導教官は、京都の地図はわかりやすい「東西、南北に碁盤の目のようになった道があり、○○といわれたときに大体場所の検討がつく。しかし、名古屋はどうだ、同じ道がそのうち別の名前になるし、南に下っていたかと思えば、道が西に曲がっていたりと、これじゃぁわからん」といってよく、私の話を名古屋の地図にたとえて説明のまずさ・論理のまずさを指摘した。そんな苦い思い出が染み付いているために、京都の地図はわかりやすい(はずだ)と思い込んでいる私には地図など必要ない(と思っている)。なぜなら、出発前、インターネットで宿と御所・二条城の位置関係を把握したら、あとはなんとかなるだろう、そう安心しきっているからだ。というわけで、「ゲストハウス」をでて、およそ4,5キロと思う道のりを、散歩がてらに西南西の方向に歩き出した。ときどき、インターネット地図で把握した大通り、鴨川などに出合いながら自分が道を間違っていないことを確認しつつ、朝の京都を歩きつづけた。

あった。京都御所だ。

京都御所を見ておきたいモチベーションは「篤姫」の影響だ。和宮が江戸にいくことを嫌い、京都をいつまでも懐かしんだという話を原作でよんだ。そのため私には「都はそんなにいいとこなのか」という疑問があった。そのため、和宮が育った「御所」の雰囲気を感じたいと思ったからだ。もうひとつのモチベーションは、漫画「おーい、竜馬」、司馬遼太郎の「竜馬が行く」など、その他幕末ものの本を読んでいると、長州が天皇を拉致しよう(幕府から救い出そう)と御所に攻め入った「蛤御門の変」で、長州が蛤御門に砲撃をし、御所の公家集は恐れおののいた、というようなことが書いてある。・・・が、私はその感覚がいまいちピントこなかった。江戸城にも何々門というのはいろいろあるが、本丸からえらく離れたところにある門もある。蛤御門だって、御所のえらく遠くの門だろう。だいたい、御所の間近にそう簡単に大砲をもった部隊が近づけるわけなかろう。そう思っていたので、読んだ本にでている表現は「え~、誇張じゃぁないのぉ」と思っていた。だから、御所と蛤御門の位置関係を体で把握したかった。この2つのモチベーションが私を御所にいざなった。

水路 もちろん、御所がどんなものなのか、調べていってもいない行き当たりばったり。果たして、皇居のように核心がみえず、人々は遠巻きに塀をぐるりと回われるだけなのか・・・。よくわからないまま御所の北東角についた。その後、あてもなく塀をつたって歩いていたら、塀に「切れ目」があった。その切れ目から「御所」の内部に潜入する(京都人の散歩道で、犬を連れた人がずいぶんみた)。なるほど、これが御所か。背中から聞こえる京都の喧騒がだんだん、遠ざかっていき、やがて私が踏みしめる玉砂利の音に変わっていった。うーん、いいとこだなぁ、ここは・・・。そう感じた。整然として静寂で、空間の使われ方が伸びやかだ。私の妄想力がカチンとなった。

御所の塀にそって掘られた水路。おそらく300mくらいはあるだろう。その水路が一直線に、しかもまったいらな土地なのに、水がとどまることなく流れている。しかしよくもまぁ、機械もない時代に、盆地といえども森林を切り開き、大地を整地し、道をつくり、そこに都を置いた労力はすさまじいものだろう。しかも、このまっ平らに整地されたところにとどまることなく流れる水流をつくるとは・・・。
 目の前に、平安貴族を配置してみた。そこで、行きかう牛車。日本の中心の「都」の賑わい。目の前の景色に雪を降らせ、花を咲かせ、蝉を鳴かせ、ススキに鈴虫を配置してみた。うーん、枕草子・源氏物語。さらに時代は下って、幕末の志士や公家にも登場してもらった。勅旨をせがむ勤皇の志士に公家衆・・・。
 なるほど、これが都、雅なのかなぁ。そしてそんな歴史と同時並行で、誕生から成人していく「和宮」。ふーん、彼女が恋しいとおもっていた「都」はこんなとこなのねぇ~。私はタイムカプセルで現代に立ち戻り、我に帰ると、和宮の気持ちがちょっとわかったような気になった。

蛤御門 納得したのは、蛤御門の位置だ。こりゃぁ近い。きっと新庄・イチローの肩ならば、御所に石を投げ込める位置だ。これはびびるに違いない。やっと歴史の一こまを体で理解できた。・・・と同時に、中国や他の外国ならば王や皇帝が倒される(砲火をあびる)ことなどあたりまえだったこの地球において、これまで時代がいかに揺れようと、御所に砲弾が打ち込まれることがなかった日本の国民性の不思議にも想いが及ぶ・・・。ミステリアス・ジャパン。

弾痕 ちゃんとお約束の弾痕も御門にあった。

京都探訪

 変哲もない、4、5階建ての学生アパート。1Fの駐車場は京都ナンバーの車1台と数台の自転車で埋められいた。しかし一階は店舗になっていた。だだし、網ガラスで中の様子はわからない。そしてその店舗のドアの右がわの目の位置には、インターホンが設置してあり「御用の方はインターホンでお尋ねください」とある。私は、もしかしたら、なにかの会社かもしれないと思いつつ、何度か場所を確認し、間違いないことを確かめて、そのボタンをおした。すると内側から、明るく元気なこえで「どーぞーぉー」と聞こえてきた。どうやら、怪しい店舗ではなさそうだ。
 ドアを開けると数人がリビングでくつろぐ姿がみえた。若い男、女・・・。人種的には60年代のヒッピーの類の人たちだ。我が家でくつろぐ仲良しクラブ、そんな雰囲気だった。まいった。「ヒッピー」的な「仲良しクラブ」の人種は、私が苦手とする人たちだ。ちくしょー、このドアから出入りするとなると、何をするにも「ヒッピーS]と顔を合わせなければならなく、少しだけ後悔・・・。

 しかし、店舗の奥からでてきた声の主は、ヒッピーの幼虫のような状態の人で、まだヒッピーになりきっていない。しかも、「ハキハキ」「丁寧な応答」で、宿のチェックインに応じてくれた。促されて宿帳に名前と住所を書く。そのページにさっと目を通したが、韓国人らしき名前はあるが、ほとんどは日本人。そこで私は仮説を立てた。なるほど、「基本はヒッピー・コンドミニアム」で、値段の安さ(大部屋一泊一人2500円、寝袋使用部屋の場合は一泊1000円)から、日本慣れした外国人が稀に使う宿かと。
 炊事・テレビ・トイレ・パソコンなどはここでします。鍵はオートロックですが暗証番号はこの紙にありますので、何時につかっていただいても結構です。そういわれて部屋に案内された。

 驚きは、その宿の構造だ。私はてっきり、リビングの奥の階段で、建物の奥の部屋に行くのかと思ったが、じつは、リビングは単なるたまり場で、宿泊は、リビングとは違う入り口になっていた。停めてあった車の奥の螺旋階段を上って、1F、2F、案内人は「ご旅行ですか?」などと親しげに、しかし、礼儀だだしく尋ねてきた。あぁ~この兄ちゃん、だいぶ気を使ってるなぁと思う間に、私は3Fに通された。

 3Fは、トイレをはさんでプライベートルーム(個室)が西に2つ、東側に1つの大部屋という構成だった。私が案内された大部屋には、二段ベッドが5つ設置され、さらに二段ベッドより高い位置に、二台分のベッドの広さのロフトがあり、その大部屋は都合12人が宿泊できるようになっていた。その大部屋には、浴室と便所がある。私は、その二段ベッドのうちの1つに案内された。すでにチェックインしている人がいるらしく、各ベッドには寝そべる人、またはリュックがあり、この宿の繁盛振りがうかがえた。

 さて、驚いたのはその部屋のつくりだけではない。まず、チェックインしたがすでに大部屋は消灯されていたことだ。しかも、人はベッドのエリアから出てきて、空いているスペースで「だべっている」こともなく、行儀よく、どうやら天を仰ぎながら静かに寝入るのを待っているようだった。つまり、私のような新参者が大部屋に入ってきても、誰一人声もかけないし、関心も示さない。「よかったぁ~」

 私は深夜9時に待ち合わせがあったので、京都の北白川というところで人に会うようにしていた。そのため、チェックインをしたら、早々に出かけなければならない。ただ、気になるのは、帰りの門限だ。そのことをたずねると「門限はありません」とのこと。そこで私は気になった。右手が手持ち無沙汰だったからだ。「あのぉ、鍵は・・・?」「鍵はありません。施錠しませんから」。なるほど、これならいつ帰ってきても、すでに消灯されているし、ドアは開いているし、迷惑かける行為(夜中の風呂や便所など)をしなければ、ほんと快適に気を使うことなく寝れそうだ。さきほどの、私のヒッピー仮説は間違っていた。ほっとした。

 さて、9時の会合も先方の打ち合わせが長引き、教えを請うために面会できたのは10時45分。そこから食事をしながら教えを請い(これが非常に勉強になった)、イビキをかかないように「酒を控え」、深夜12時40分に宿にもどった。もちろん、大部屋は暗く、あちこちで、「いびき」「はぎしり」が聞こえてくる。私は手早く、靴下とズボンを脱いでパンツとシャツで布団を被って眠りについた。

 あさ、6時、誰かの鳴らした目覚ましで目を覚ましたが、快適な朝だった。耳栓をもっていたので(ネパールで学習した)、深い眠りをえることができた。とはいうものの、目を閉じたら再び寝入ってしまった。

 7時ごろ、話声で目が覚める。女性の声だ。たしかこの大部屋は男女兼用だったはず。そういうわけで女性も、ベッドのどこかで一夜を過ごしていたのだろう。その声の主の言葉に耳を澄ます。また話しかけられた男性の返事にも耳をすます。「おそらくタイ語」である。なるほど、インターナショナルな宿でもあるなぁ。そう思った。そうやって私が目覚めたとき、私のベッドの下段から人がむくっとおきてきた。お利口そうな白人男性だった。なるほど、この宿は面白い!そう思った。ヒッピーではなく、確かに「ゲストハスウ」そのものだ。
 
 もちろん、鍵はないから、チェックアウトもそのまま、部屋からでればそれで終わり。またとまりたくなる宿だ!

 私は、その宿からの帰り道、散歩がてらに御所と二条城に向かった。

余韻覚めやらず

40c7ee9a.jpg昨日、大阪・京都にいってきた。昨日は仕事だったが今日は帰るのみ。帰り道およそ6キロくらい歩けば宿泊地から御所・二条城にいける。そこで路地裏を選びつつ各所にいってきた。大興奮!まだ余韻に浸ってる。また、京都探検に行くぞ!