目からウロコ

 最近、「吟じます」ではじめるネタをやっているお笑い芸人がいる。それが面白いか、面白くないかはさておいて、私は彼に「感心している」。よく、お笑いと「詩吟」とを結び付けたなぁ・・・と。発想と、それの節でギャグに持ち込む構成力。ときどき、お笑い芸人の着想には感心している。他にも最近は「ナイツ」にも感心しているが・・・。とにかく、多くの芸人の発想には目を見張るものがある。
 そんな中でもとくに「吟じます」が私の注意を引くのは、その内容からではない。思わずあるCMを見ていると、そこでの挿入歌を聴きながら、思わず思い出し笑いをしてしまうからだ。そのCMとは「毎日コミュニケーション」の『マイナビ』で流れてくる「大塚愛」の『クラゲ、流れ星』という歌のサビの部分だ。

 「クラゲ、流れぼしぃ~い~。見つけられた らぁ~あ~あ~あ」

 の「らぁ~あ~あ~あ」の部分の音階が、まるで詩吟のギャグのサビに入る直前の節にそっくり、というか一緒なのだ。
 一方では、いい感じのバラードなのに、一方はギャグ。大塚愛は、詩吟のギャグにヒントを得てこの曲をつくったわけではないだろうに・・・。思わずCMを見るたびにあのギャグを思い出す。つまり、一日何回もCMを見るたびに「ギャグ」を思い出してしまうために、詩吟の芸人を思い出す。そして、ギャグと詩吟の調和した新しい世界に思いを馳せる。

 しかし、目からウロコとはその話ではない。
 
 昨日、車に乗っていた。ちょっと神戸にいってきたのだ。ラジオの選曲が違うこの地域。高速に乗りながら、手早くオートで地元(大阪)のラジオにチューニングをあわせていたときの出来事である。ラジオからは民謡が聞こえてきた。どうやら若手の民謡のコンクールの全国大会の様子のようだ。

 普通の人間が、民謡を聴く機会といえば、日曜日NHKの「昼の のど自慢」でたまたま聞くくらいなものだろう。これまでそれを聞いても「別世界の人種が歌う歌」として感心もなかったし、むしろ、そんな歌よりも他の歌・・・。そんな気持ちがあった。しかし、昨日、車に乗って「民謡」が流れたとき、私の民謡への「心のチューニング」がぴたりとあった。民謡はすばらしい、これから聴いてみたいと思ったのだ。それが目にウロコだった。

 理由を考えてみた。なぜ、ピタリと合ったのか。思い当たることがあった。それは、民謡の節を聞いていると、かつての日本の情景が脳裏に浮かぶからだ。山々に木魂す、かつての民衆の声。漁村に響く大漁を祝いながら網から魚をとっている情景と喜びにあふれた顔。もちろん、見たこともない景色、あったこともない時代の人々、想像の世界でしかないが、耳から景色が「見えた」のだ。

 大河ドラマや歴史小説、歴史の教科書で「昔の日本」を知ることはできる。しかし、そんな「書」に残る事実なんかは、日本の人口のほんの一握りの人に関係があった話であって、ほとんどの人間にとってみたら「別世界」の話だろう。私達は、「昔の日本」を知った気になっているが、それは、一部の為政者が残したものから、つまり、為政者が残した記録から組み立てた世界。
 そんな中、民謡をきくと、そこには「歌い継がれた」日本の情景と生活が織り込まれている。そんな気が、突然昨日したのだ。目からウロコが落ちた思いだ。これからときに振れて民謡を聴いてみようと思う。手元に人からもらった「三味線」もあるし・・・。おっと、まずは聞くことだけをはじめてみよう。そう思った。
 

 まさかと思うが、民謡にチューニングがあってしまったのは、最近のCMで詩吟に対する心構えが出来ていたせいか!?

 たぶん、ヒマラヤにいって「素の人間として生きる」人々の生活と、電気や水道、車のない社会を見たためだと思うが・・・。

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