月別アーカイブ: 2008年10月

出張2

 明日、大阪に行くことにしている。目的は、GPSをつかった測量技術の件、販売の件、もろもろの件・・・だ。先方の訪問を待っていてはなかなかお互い時間がとれない。一方、私のほうは測量技術(氷河湖の測量)の件で、切羽詰り始める前に彼と議論しておきたい。ようぅし、私が先方に出向いて行こう!
 先方からは夕方に来て夕食もいかがかといわれた。しかし、私はそもそも「飲み会」「接待」が苦手である。接待をすることは好きだが、接待されることはむしろ嫌いだ。接待されると気を使ってしまう。一対一でのお酒をはさんだトークは得意だが、接待されるのは・・・。しかも、公務員の身である。接待される理由もない。先方の儲けに貢献しているわけでもない。私を接待したところで一文の得にもならないだろう。そんなことで、用件のみ。そんなことで、「そうだ、大阪にいこう!」となった。でも、用件だけだと時間も1・2時間。せっかくの大阪行きがもったいない。

せっかく大阪に行くのだ。用件は3時以降。じゃぁ大阪にいくついでにと、午前中に京都に行くことにした。京都の大学の先生と「アイデアだしのためのお茶のみ話でもして、仕事ネタを発見」するためだ。そうだ、京都へ行こう。

 また、京都には、もうひとり訪問したい人がいる。元同僚で、彼から有形無形の「考え方 DNA」を学べた。いま、ちょっと「考え方」で詰まっているところがある。そこで、彼と「お茶のみ話」でもして、開眼の糸口をつかみたい。彼にアポを入れると、よる9時以降だったら時間を作ってくれるとのこと。そうだ、京都へ戻ろう。

 というわけで、京都に行くのだが・・・。いまいろいろ調べていたら、よる9時から人と会っていてはその日のうちには岐阜へ帰れない・・・。そうだ、京都で泊まろう!

 ふふふふ・・・。京都は外国人・日本人がザワメク一大観光地。おもろい宿があるに違いない。インターネットで調べてみたら、やはりあった。次回東京出張の練習のため「2000円台」の相部屋宿にとまることにしよう。一泊2500円。10人部屋。いまから、どんなところなのかドキドキする。どうやら、京都御所や二条城が近いようだ。翌日は、散歩しながら帰るとしよう。しかし、イビキをかかないように寝るにはどうしたらいいんだ!新たな悩みが勃発した。

東京セッカチ

1328cfc6.jpg 東京に行くたびに、「おやっ」というものに気づく。今回気づいたのは写真のものだ。地下鉄のプラットフォームに貼ってある写真のポスター。駅名と色が塗りつぶされたり文字が書かれている。これの意味がわからなかった。が、これは、各駅で乗り換えるとき、何両目の車両に乗っていれば、時間が短縮されるかわかるということを示したポスターだそうだ。つまり、自分がどこどこの駅で、なになに線に乗り換えるときは、何番目の車両に乗っていると便利がいいかを示すもの。なんでも主婦の発明品だそうだ。

 これを聞いたとき、悲しくて笑えてきた。そんなぁ~・・・、電車くらいすいている車両を見計らって乗れよ・・・と。込んでいる車両に乗ることと、ちょっと歩くこととどちらがいいか。もちろん私は「込んでいる車両に乗るくらいなら、長い距離歩いたほうがマシ!」と思っている。
 ポスターがあるということは、それを知りたい人がいるということだろう。多くの東京人はあまりにもセッカチだ。歩く時間がないならば、1分家を早くでればいいじゃないか、と私は思う。

 社会の中で「ある役割」を背負って生きなきゃいけない私たち。確かに歯車のひとつに違いないし、そう自覚していなくちゃいけないけれど、本当に歯車になりきることもあるまいにぃ・・・。組織の中で歯車だからこそ、個人が全責任をとれる行動くらいは人間らしいスタイルで生きたい、と改めて思った。

東京スケッチ

1bbbf217.jpg 昨日・今日で東京出張していた。昨日の朝から今日の夕方まで、合計5件のアポをとって割りと精力的に仕事(?)をしてきた。これまでヒマラヤに集中するあまり、自分の得意分野がおざなりになっていたので、その挽回の為の種まきだ。自分の立場でこんなことに感心があるのも不思議だが、いくつかの「ビジネスチャンス」の種まきもしてきた。

 さて、東京というのはやはり、すむには良くないが、いろいろ刺激の多いだ。

 私が昨日泊った宿。ロビーには外国人ばかり。英語が聞こえてきたし、フランス語も聞こえてきた。はたまたエレベーターで一緒になった若い女性は東南アジア系のスレンダー美人だった。そのホテルの隣の交差点では、ワンカップ大関を2カップ飲み干したオヤジが交差点の隅に腰を下ろし、ラジオを聴きながら夜が更けるのを待っていた。銭湯を発見するため、南千住探検をしていたときに、一泊1900円の「宿」の前を紙袋をもって、うろうろしている60過ぎたと労働者がいた。きっと、今晩の宿を「贅沢しようか、我慢しようか」悩んでいたのだろう。さらには、路地裏に広がる「安宿」、『全室カラーテレビ完備』という広告、「二畳部屋 ○○円、3畳部屋 ××円、4畳部屋 △△円」そんな料金設定が覗き見れるホテルのロビーもあった。ロビーの奥はひっそり静まり返り、青白い蛍光灯だけが、静かに木製の廊下を冷たく照らす。よくよく見てみると一泊1000円の宿もあった。

 この日の当たらない南千住、地味な南千住。そこで、人知れずその日暮の生活をおくり、誰に見取られることなく、どこかで死んでいく人生を送っている人が多そうなこと。彼らに帰れる場所はないのだろうか。もしくは、帰る場所ばかりか、帰れない理由もあるのだろうか。私の妄想力は絶好調に働き始める。

 「津軽海峡冬景色」『上野発の夜行列車・・・』とあるように、上野は東北と東京を結ぶ起点なのだろう。その上野にちかい、この南千住。きっと、家族を置いて出稼ぎにきた人々が最初に降りた町、上野。その上野界隈では、東京のことがよくわからなため、舞い降りた周辺で職探しをすることになったのだろう。そんな人がうごめいていた町、もしかしたら、いわゆる「部落」だったもかもしれない。いまwikiぺディアで南千住をしらべたら、そこには「首切り地蔵(江戸時代の処刑場)」や「投げ込み寺(江戸時代 遊女の遺体を放置した寺」などがあり、江戸時代の 木賃宿の宿場町として始まり、いまに至る町だそうだ。そんな木賃宿が、きっと東北からの出稼ぎ労働者を吸い込んで行ったのだろう。

 家族に仕送りをと思い、出稼ぎにきた労働者も、仕事がうまくいかず、仕送りもママらず、そのうち家族への音信も滞り、帰るところをうしない、かろうじて自分の命を維持する生活を続けている60代、70代の人々が、いまうごめいている。そんな感じの街だった。

 そんなことを思うと、インターネットカフェ難民などと世間がいうが、先日、石原慎太郎がいったように「もっと安い宿はいくらでもある」。彼ら「ネット難民」と呼ばれて悲劇の主人公のようにスポットが当たってる人種がいるが、なんだか南千住の宿を探検すると、ネット難民は「悲劇の主人公を演じている」ひとつの若者のファッションではないだろうかと思わざるを得ない。もっと無言で、もっと重い背景を背負った、しかも発言する権利があることさえ理解していない、日本の高度成長を影で支えてきた、老人達がこの日本に多数いる。そんなことに思いを馳せる町、南千住。次回は2000円のオーダーの宿にチャレンジして、さらに潜入取材を試みようと思う。

 あさ、大衆食堂で朝食をとった。自分でご飯やおかずを注文するタイプの食堂だ。右隣のカウンターには、朝から一杯やっていた仕事帰りだとおもわれる二人組のオッサンがいた。一方、左側のカウンターには5つの空席を挟んで会話する二人の60くらいのオッサンがいた。その二人のオッサンの会話が聞こえてきた。その座席配置からすると、別々に食事をとっていたオッサンが、何気に話かけて、今日始めて話をしている二人だろう。

 「どうも○○は、さきの「西南の役」で西郷隆盛と戦い、戦功があったということで多くの褒美を賜り、そこで”ひと財産”できたということだけど、人生、本当になにがあるかわからないねぇ。まぁ、俺なんかも人生本当に何があるかわからないよ。どれだけ生きられるかわからないけど、これからどうなるんだろう」「なにぃ、まだまだ、これからじゃぁないかね」「なに、日に日に体が弱っていっているのを実感してね、どうなるんだろうねぇ・・・」

 一方、霞ヶ関ではテクノクラートの官僚達が小走りに行きかい。渋谷・新宿・池袋では若者達が着飾り闊歩している。地下鉄には無表情なOLやサラリーマン。

 岐阜のような均一さがなく、このドロドロ、ごちゃ混ぜになった人間模様が、私にとっての東京の魅力なのだ。

宿

15fb2c32.jpg今日の宿は見覚えある地域だった。宿までの道中、一泊3500~1900円の宿が並ぶ。しかし宿といっても構えは2500円以上ならビジネスホテル。それ以下は30年前の学生下宿のよう。今晩とまる「ホテル」、ガイジンしかみあたらない。背広きたおっさんは私だけ。場違いと思いつつ、海外旅行気分のおすそわけ。
近くの銭湯探してお湯につかるとチープな石鹸の匂いが立ち込めて、学生時代にタイムスリップ。
帰りのコンビニでビールとミンチカツを買い、湿った畳の臭いと網戸のない窓からのメトロポリタン・空想するうごめく人間模様を肴に、暮れてく夜に精神は溶けてゆく。

出張

明日、明後日出張で東京にでかけてくる。目の前にある差し迫った仕事をこなすための出張ではなく、今後の仕事への投資と考える出張だ。今度、フィリピンからお客が来るが、彼とALOSという衛星画像の利用についてディスカッションをすることになっている。そのための情報収集にと、ALOSセミナーが20日に開催されるので、それを核にして、どうせ東京に行くのなら・・・と、本当はセミナー半日だけが出張の目的だったが、その前後でスケジュールをアレンジして、あれも、これもと東京を訪問する。その結果、一泊二日で行くことにした。

それでいつも困るのは宿泊先である。

ここ数年前まで、宿泊の予約を入れて出張することはなかった。理由は、宿泊地を探して東京の町を、あっちこっち訪ね歩くという行為が、学生時代の小旅行を思い出しリフレッシュになったからだ。しかし、最近、そうはいかなくなった。私の感じでしかないが、平日空いているビジネスホテルというのがとても少なくなったように感じるからだ。おかげで、あるとき知り合いにつれていってもらった「ラテンバー」でよぱらったまま、六本木から歩き出し、そうとう歩いた経験がある。酔っ払わないとあるけない距離だ。

そんなことで今回は、あらかじめ宿をとった。さて、どのような宿を取るのかだが、私は常々、宿泊所は「寝て過ごす時間が一番多い」ため、「目をつぶればどこでも一緒」だから、冒険的宿泊所予約がすきである。それはなにかというと、「格安」で風呂も便所も共同のようなところの、高度成長期のような雰囲気を残すところが「当り」で、どこにでもあるようなビジネスホテルが「はずれ」である。

今回はそんなワクワクを期待して一泊、3000円の宿をインターネットで予約した。2年ほど前、それくらいの値段で東京で宿泊できるところがあることをしった。その部屋は和室2畳。テレビがちゃぶ台の上においてあり、布団がたたんだ状態で畳の上にある。もちろん、風呂は共同(たしかシャワーだけだったとおもう)。しかし、私はそんな部屋にとまり、近所で銭湯をさがし、夕食は大衆食堂で肉体労働者達の声に耳を傾ける。そんな東京での過ごし方がすきだ。

今回の宿はそれに輪をかけて期待することがあった。安いので、格安旅行をしようとする外国人が多いらしいのだ。和室の日本スタイルで・・・。もちろん、見知らぬひとと仲良く話し出すような性格は持ち合わせていないが、彼らと共同の空間を占有することで、少しだけ、バックパッカー気分になれればと思う。

今日のイムジャ湖

imja_11 先日も書いたが、いまヒマラヤの報告書を書いている。その一環でヒマラヤにおいてきたフィールドサーバーというコンピュータが送ってくるヒマラヤイムジャ湖の映像を最近時々みている。左の写真は、2008年10月17日午前11時(日本時間)の映像だ。まだ湖は凍っていない。氷河の末端から崩れた氷山が湖の反対側まで移動してきている。

imja_20 そこから、9時間の間、イムジャ湖とナムチェバザールとのインターネット回線が切断され(日中は水蒸気のせいで途切れるらしい)、次の映像が送られてきたのが午後8時(日本時間:現地時間は日本時間からマイナ3時間45分)。そのときには、ほとんど全ての流氷が溶けている。驚きの様相だ!

 と思いきや、別の角度からイムジャ湖をとらているカメラの画像で見てみたら、風で氷河のほうに押し戻されているということが判った。まぁ、それだけのことだけれど、よくもまぁ、電気もインターネット回線もないこの天空の地の映像を、こうして日本から見れるものだ。感心してしまう。

コーヒー

60a4e6b1.jpg 学生の頃から旅の資金を貯めるために、日々節約をしていた。しかし、そんな滅入る生活の中で、すこしだけ、「ゆとりを!」と思ってやっていたことがある。それは、コーヒー・紅茶へのこだわりだ。大学2年生のあたりから、コヒーは豆で買い、手でコリコリ挽いてコーヒーを入れている。当時いろいろ飲んでいたが、友人にも「あっ、このコーヒー旨いねぇといわれていたのが、大学生協にあった安いモカだった。

 そんな中、大学3年だか4年のときに、2年生のときに旅の道中、筑波でお世話になった友人の先輩が名古屋に来ることがあった。私も一目置いた方だ。その方が来たときに、自炊でもてなすことにした。(筑波でも毎日自炊をしていたので)その買出しにいくとき、先輩に聞いた。「コーヒーはなにがいいですか」。すると彼はいった。「マンデリン」。
 「なに、それ?」と思ったがもちろん、返事は「了解」と答え、マンデリンを購入してきた。そして、先輩に試に聞いてみた。「マンデリンはどんな味が気に入っているのか」と。すると彼は言った。「マンデリンッって味がするところ」と。分ったような分らないことを言われ、そのご20年、マンデリンが気になっていた。

 自称コーヒーにこだわっていたが、いまいち、ききコーヒができるわけではなかったが、最近、年のせいか「マンデリンッ」という味が理解できてきた。味と理屈の両面からだ。近所にある、「バリスタ」のいるコーヒーショップで聞くありがたい能書きもおかげでもある。

 いまそこで学んだ能書きを記述しようとし始めて、文章が途方もなく長くなりそうなので、マンデリンだけにしぼって手短に表現してみることにする。

 マンデリンは現在、「いい豆」が少ないそうだ。理由は、インドネシアのアチェ州で生産されるその豆は、その独特の風合いから、牛乳とあうとされ、スターバックスが「いい豆」を買いあさってしまい、市場に出回るのはあまりいい豆はすくないらしい。たしかに、マンデリンの風味をしったうえで、コンビニにうっている「カフェラテ」か「カフェオレ」、スターバックスの「カフェオレ」「カプチーノ」「カフェラテ」など、マンデリンッという風味がする。たしかに、渋く乾いた風合いの味だ。実は、ここ数年、私もマンデリンファンになった。

 いい豆が市場にあまり出回らないということだったが、実は私は「神戸の中華街にある『もえぎ』というコーヒーショップ」の自家焙煎の「マンデリン」はおいしいと思っている。そこで、先日神戸にいったついでに飲んできた。しかし、私は保守安定のタイプではない。店から、マンデリン以外のインドネシアの豆と「コロンビア」の二種類の豆を買ってきて、味試しをすることにした。新規開拓、これが私のモットーなのだから。

 ところで、モカだとかキリマンジャロだとかコロンビアだとかいろいろあるが、モカはエチオピア、キリマンジャロはケニア、コロンビアはコロンビア、マンデリンはインドネシア、トラジャはインドネシアという具合に、コーヒーの味と地域は密接な関係がある。近所のバリスタから「この地域の豆は・・・、こんな味がする」といわれてもチンプンカンプンだったが、意識すると、たしかに、国によって、地域によって味が違う。焙煎方法などのちがいもあるが、どうやら、その豆の味をより引き立てる焙煎方法が採用されているようで、コーヒーの味を決めるのはどうやら、地域だということに最近、やっと気づいてきた。

 ちなみに、近所のバリスタの店は「その時々に応じた豆」をしいれているので、毎回同じブレンドというわけにはいかない。いまはこの農園のこの豆・・・という具合に買うたびに違うのだ。そんな中、職場への来客に、いろんなコーヒーを出していて、自分もお客も「これはうまい」と思う豆があった。しかし、残念なことに、どこの豆なのか分らず、同じコーヒーを二度と飲むことができなく困っていた。

 さて、話は戻るが、先日かった「コロンビア」に自分にとって幻のコーヒー味を見た。そうか!俺が気に入ったのは「コロンビア」の軽さだなと。また試行錯誤しているなかで、エチオピアの豆も好みにあう。

 そういうことが「明らかになった!!!」のでこれからはブレンドにしばられることなく、「エチオピア」か「コロンビア」のような風味の豆ということで、コーヒー探しをすると楽しそうだということが、先日の神戸で買った豆をとうして発見できた。

 さて、コーヒーの味は、「入れ方」にも左右される。コーヒー豆の分量もさることながら、お湯の温度と、お湯をそそぐスピードで味が変わる。残念なことに「手」でいれると「味が不安定(私の技量だと)」、一万円近くした「コーヒーメーカー」はおいしくない。980円のもらいもののコーヒーメーカーが一番うまい。写真のように、ぼろぼろだが、お湯が注がれる温度・注ぎ方・量、残念ながらこれを上回るコーヒーメーカーにまだ出会っていない。

地に足をつける

 いまヒマラヤの報告書を書いている。先週、突如として降ってきた話。もちろん、ケツをちゃんとふかなければと思いつつ、話がないのをいいことに忘れようとしていた話だ。今年、去年のヒマラヤの財源が今年度で終わるため、次年度以降もヒマラヤでの活動をつづけるために新しい資金を獲得せねばならず、それにはこれまでにやったことをまとめる必要がある。その文脈だ。ちょうどこの時期、研究費の申請が締め切りを迎えるのか、ヒマラヤ以外にもいくつか話しは私の元にも舞い込んでくる。

 いま、インドネシアの話が舞い込んできた。これは今年の初めごろ打診があった話で、私のもっとも近い筋からの誘い。私にとって、それは召集令状、赤紙に近い。

 そんな中、おとつい、岐阜大学から相談があり、昨日、帰宅がてらに岐阜大学にいってきた。そこで語られた、私には分不相応に大きな研究プロジェクトの話を頭で考えつつ、鵜飼の終わりの花火をバイク上から見ていた。この岐阜という地は本当に花火といい研究プロジェクトといい、私を飽きさせず、というか休息をあたえず、次々と新しい展開をもたらす地だなぁと感慨にふけった。

鵜飼の終わり

 今日が今年の鵜飼の最終日。これから静な夜になる。おそらく、花火がにぎやかに打ち上げられ、川面が歓声で満たされると思うけれど、それが最後の冬支度。
 
 しかし、天気は不思議なもので、昨日は最高気温19度の予測だったが、今日は26度の予測。バイク通勤の毎日だが、着る物に困る・・・。

 つい先日まで暑い毎日だと思っていた。最高気温39度だとか・・・。しかし、今日なんかの最高気温予測は19度だったりする。つまり、あの暑いギラギラした夏の日差しとセミの声。アイスクリームに風鈴。あのころから20度温度が低いというわけだ。つい昨日のような、あの夏。あの日々から20度低い。では、今日からさらに20度低かったらどうなるか。最高気温が-1度。・・・それはココ美濃では一年を通してない。となると、暑い夏と冬との間を半分で割ると、今日のような日は冬に近いということになる。あの暑い日が懐かしく、そして寂しい気持ちになる。もう冬に近いのだ。

 こどもの頃から思うのだが、冬から春にかけて気温は、ゆっくり、ゆっくり上がっていくのに、夏から秋にかけての気温は、まるで坂道を転がるように急に寒くなる。気象学的には、冬から春、夏から秋は同じように徐々に気温が変わっていくらしいが、体感としては夏から秋は急変するような気がするのは私だけなのか・・・。

 金木犀の香りもそろそろ終わり。もうじき、枯葉がまう季節がやってくる。