回想 上洛

 金曜日、岐阜城をでて都に向かった。気分は織田信長、戦国武将。群雄割拠するあの時代を想像して都一番乗りを目指す。そんなつもりで家をでる。

 道のりは遠かった。都は遠い。

 昔から、ちょっと気にはなっていたことがある。信長の尾張から都への進行具合がおそいなぁ・・・と勝手に思っていたが、今回の「バイク」の上洛で、そりゃ大変だと思った。一人勝手に都にいくなら簡単だが、大勢の兵隊をつれていくとなれば、食料の確保が大変だ。敵地での食料供給ラインが確保されているか、それとも敵地を味方の土地に替えてからでないと、仮に一日都に到達しても、そこで退路が絶たれるか、それとも都の食料を買い占めて都住民の不評を買い、統治は無理だ。だから、岐阜から京都まで、尺取虫のように陣取り合戦をしながら、前線に城を築いて京都に近づいた。そんな気がした。
 大垣から京都までの城の多いこと・・・。しかも、歴史上有名な城。戦国時代も江戸時代も、あの地形からすれば大垣から米原までのあの場所はとても戦略的に重要な場所だったに違いない。今回、改めて思った。

 また、京都から大阪まで。伏見城、淀城。大石内蔵助の山科。小学生のときに視た「大河ドラマの『黄金の日々』」でできた堺。そして仁徳天皇陵。経験しないとさっぱり理解できない体質の私には、今回の下道の大阪は、日本の歴史を体得するためのとてもよい経験になった。時間はかかったが、得られるものは多かった。ただ、尻が痛かったという移動だけではなく、実りの多い一日だった。
 これから時間があったら、それぞれの「史跡探訪」でもしながら、知ってる僅かな知識を総動員して、居合わすことなかったそれぞれの時代を妄想して楽しもうと思う。

 まずは佐和山城あたりか・・・。やっぱり関が原の古戦場か・・・。岐阜から京都は楽しそうだ。いつかは昔の旅人よろしく、歩いて上洛してみたい。

 

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