月別アーカイブ: 2008年11月

ここ数日の予定

76b5decd.jpg 夏のGRASSでいためた視力の改善もあまり見られず、まぁ、こんなものかと受け入れることにして、ここ2日コンピュータの前にいる時間を増やすようにした。やりたいことがあるのだ。たわいもないことだが、コンピュータの中に森林を創ってシュミレーションしてみたいことがあるからだ。そのアイデアは4年前に行っていた研究からでてきた疑問点にはじまり、2年前に疑問点を解決するであろうアイデアを思いつき、今年の夏そのアイデアの実現方法の手順の目処をたてたものだ。ほんとうにしょーもないデスクトップ・フォレストだが、少なくとも何か意味ある知見が得られるのではないかと思っている。

 それにしても4年前の話を・・・、という具合に自分でも思うが、そこが自分の甘さだ。世界のどこかで、いま”私が”思いついたアイデアを誰かが思いつくことだって何ぼでもある。もしも、世界をターゲットにした大学や研究機関なら、思ったら即行動でなければ生き残れない。しかし、私は・・・。忙しさという口実のもと、ヒマラヤ行ったりしながら遊んで(?)いた。
 私の人生の漠然とした夢は、「エベレストをこの目で見る」と「丸い地球をこの目で見る」である。前者は幸運にも達成した。後者を生きているうちに達成するには、いまの仕事の衛星画像解析で頑張ってNASAと共同研究などをすればいいのかな・・・、と冗談とも本気とも思えないようなことを考えている。そんな私にしてみたら、ダメだ、ダメだ、忙しさの口実でのんびりアイデアを塩漬けにしていては・・・。

 いま、まずは一本の木を上から見たときの形をつくってみた、これから一本の木を数本、数千本、数万本つくって林にしていこうと思っている。上の画像、木というよりも山だが、とりあえずプログラムは”正解”だ。

感謝・感激

3018a3dc.jpg 思い返すと、子供の頃からシールが好きだったようだ。家の柱に「大阪万博」のパビリオンのシール。子供部屋のドアには下から上まで仮面ライダーやらなんやらのシールがびっしり。洋服ダンスにも・・・。いまとなっては自分で貼ったのか、兄貴が貼ったのかわからない。しかし、大学に入って一人暮らしをし始めると、冷蔵庫にペタリぺたりとシールを貼っていた。きっと私がシールが好きだったのだろう。そう思う。 なぜなら、その後も車にステッカー。などを好んで貼っているのだから。

 だからといって、無節操に貼っているかといえばそうではない。ポリシーがある・・・ようだ・・・。ポリシーとは、シールやステッカーは買はない。景品だとか自分が参加した何かのプロジェクトなどのものではなければならないというポリシーだ。

 さて、周知のように最近乗り始めたバイク。やっぱりステッカーを貼り始めた。まずは、水難救助の資格をとったときのレスキュー3のステッカー。一般ルートでは入手はできないレアものだ。そして、2008ヒマラヤ遠征のときにKO大学でつくったステッカー。これはまず、一般には流通しない。超レアものだ。バイクはもちろん市販品。世の中同じバイクは五万とあるが、この組み合わせのバイクは他にあるまい。つまり、自己主張するバイクなのだ。そんななか、「こんなんがあったらいいなぁ~」とおもうステッカーがあった。究極には憧れの「NASA]。しかし、NASAと現在直接やり取りはしていない。将来的には狙っているが・・・。だから、いまこの時点で買ってまでつけるというのは私の美学に反する。だから、私の美学にあいながらも、あこがれるステッカーは、宇宙に関するステッカーだ。それで狙っていたのが、仕事がら「ALOS]という衛星と関係が深いため、ALOSのステッカーをもらえないかと思っていた。
 先日、ALOS衛星関連の集まりで東京に出張にいった。その際、関係者に「ステッカーあったらください m(_ _)m とお願いしてきた。まぁダメだろうと・・・。そしたら今日、ステッカーが送られてきた。写真のステッカーだ。しかも、NASDAとかいてある。いまは解散してJAXAと名前が変わった団体だが、NASDAはつまり日本のNASA。劇的なレアステッカーである。しかも4枚も。そして、それを保管するJAXAの最後の4枚を全て私に下さったようで・・・。きゃー、うれしい。早速バイクに貼った。

 さて、単純なことなのだが、さらに仕事に気合が入る!!!
 もし、街でレスキュー3、イムジャ氷河湖、NASDAのステッカーをはったバイクを見たら、たとえフルフェイスのヘルメットでも運転手は私だ!

これで31日

 このところ、ブログを一生懸命更新してきた(?)。理由はある。
実は私に資料を持ってくるとき、箇条書きでしか資料を作れない学生がいた。こちはら期待してA4一枚分くらいの説明が論理的に展開されるのかと期待しているのに、順不同の箇条書きである。就職試験の小論文などで、彼がまともな文章が書けるのかはなはだ不安だ。そこで、コンピュータも特に得意ではない彼に、ホームページを開設し、ブログを開設し、ブログに毎日400字の文章を毎日更新せよ、と課した。そしてブログを通した作文教室をしている。
 いまでは毎日のブログで400字の文章も普通に読めるようになった。そこで、次のステップとして、いまは800字を目標に毎日作文させている。そんな彼に聞いた。ところで、文章は読めるようになったが、いったいあの文章を書くのに何分かかっているのか?彼は言う。4、5時間・・・。いくら、文章が書けないという問題を抱えてたにせよ、長くかけすぎだ。驚いたことに、毎日のネタはコンピュータの前に座って考え始めていると・・・。それはかかる・・・。なぜなら、毎日のトイレ・風呂・通学・・・それらの中で「ネタ探し」をやっていないのだから。能力の向上は負荷がかかることでも向上する。彼のパワーアップのために負荷が必要だ。彼は授業料を払うわけだから、パワーアップしてもらわないと困るのだ。
 彼はには目標を40分以内で書けるようにと言ってある。彼にはもう少々、努力をしてもらおうと思っている。もちろん、彼は苦しいには違いないが・・・。

 そこで、彼一人を苦しめるわけにはいかない。同じような苦しみ(私の場合文章を書くのは苦しみではなく気分転換だが)を共有し、彼への指導の足しにしよう。そう思い立ったのが、ひとつき前。ブログをごらんいただくとわかるが、10月4日から途切れることなく、毎日記事をアップしている。

 そういうわけだ。このところのブログの頻繁な更新の背景は・・・。

究極だった・・・。

 岐阜は繊維の街として知られている。最近は輸入物にやられているようだが、いまも繊維、とくに縫製が盛んだ。縫製工場も郊外のあちこちに見られる。ちょっと前まで、岐阜と美濃の間にある武芸川のスーパー周辺では、集団で自転車にのって買い物にくる中国人らしき娘さんご一行をよく見かけた。もちろん、いまも見かける。ところが、最近は岐阜市の市街地でも、カルガモ親子のように自転車で一列編隊を組んでいどうする、中国人の娘さんご一行を見かけるようになった。どうして中国人と思うのだろうか、自分で自分に自問する。服装?髪型?自転車の編隊の組み方?それとも自転車のスピード?いやいや、アイホンなどの小道具を持つことないシンプルないでたちが彼女たちを中国人と思わせるのか?

 カンフー好きの私である。あの中国の娘さんたちに、もちろん、声などかける勇気はないが、こころの中ではエールを送っている。どんな事情があるのか、それはわからない。しかし、とにかくこの異国に来てがんばっているように思う。私の知り合いの縫製工場の経営者がいっていた。彼女たちは本当によく働くと。休みの日なのに、働かせてくれと・・・。少々賃金が安くても、自国での働きの20日分くらいの自給となるので、喜んで働くと・・・。(しかし、研修制度を利用して低賃金労働を強いる日本人がいるということで、最低賃金が示され、それによってその経営者は憤慨していた・・・)。お金をためて自国に帰り、親を楽させるために、貰ったお金も無駄遣いせず貯めている。ほんと、あの娘達はしっかりしている。縫製工場の経営者は感心しきりだ。

 さて、日曜日岐阜市街地を車で移動していたときのこと。ちょっとした住宅街。家と家との間には昔の畑の名残なのか、いまでこそ耕作されていないが、家にも駐車場にもなっていない家一戸分の土地があった。そこには丈が10cmくらいのいくつかの種類の草が生えていた。その土地の脇に、二台の自転車が止めてある。その主はおそらく中国人の娘さんだ。二人は、まるで茶摘をする娘さんのように、お互い向かい合い、中腰でおしゃべりしながら草をむしっていた。というか、草を収穫していた。手には、厳選された雑草が。

 なるほど、彼女たちの節約もここまで来たか。先日、自分の畑の食材でてんぷらをつくり、買った食材はたまねぎだけで喜んでいたが、まだまだ甘かった。雑草を見分ける眼力は私にはないが、参考になった。いざというときの発想につながる。究極のサバイバルだ。
 
 新聞報道などで、遭難についた記事を読むことがあるが、記者の中には、「この3日間、500mlのポットのお湯で乾きをしのいだ」だとか「渇きを、沢の水でしのいだ」だとか、つまらん記事を書く者がいる。きっと彼らは山に登ったことがないのだろう。そんなもん、3日を500ミリリットルだけの水で我慢できるわけがない。そんなことに苦しむくらいなら、沢の水を飲んで水に事欠くわけはない。しかし、彼らには「沢の水を飲む」のは勇気が必要なことでタブーに近い。よっぽどの特殊な環境化におかれたときに、仕方なくやってしまうこと。そんな認識なのだろう。そんな記事が氾濫している日本の”おかしさ”に頭に来る。

 しかし、私。水については「そんなもん飲むワイ」と軽くいえるが、食い物についての認識は「水についてコメントする記者並」なのかもしれない。スパーで食料が変えなくなった、または遭難して食料が尽きた、などしたら・・・。困る・・・。飢えに苦しむかもしれない。しかし、先日、中国娘たちの行動を目撃した。これからは、この雑草、卵と一緒にいためたら食えるかなぁ~くらいの発想で眺めてみることにしようと思う。備えあれば憂いなし。大地震で食料供給が途絶えたとしても、長良川の魚と雑草で数日は、のんびりと過ごせる余裕を目指そうと思う。

川原町界隈

6ed7c47c.jpg この3連休、芋ほり、本読み、ビデオ観をして、なるべく頭の中身を入れ替えようと思っていた。今日はその最終日。柿が大好きだという九州のあるお方に柿を送る手配をするため街にでかけることにしていた。この季節の年中行事だ。バスでいけば待ち時間やアプローチで15分から20分。バイクでいけば、およそ5分か10分、自転車でいってもせいぜい10分のこの地だが、昨日の深夜、不摂生したくなり、近所の「ベトコンラーメン」を食べてしまった。摂取したカロリーを消費すべく、約2.5キロの道のりを歩いていくことにした。往復5キロ。

 とにかく無類の路地裏好きの私。大通りを避けて路地から路地へ。このときの発見がたまらなく楽しい。特に、私が住む界隈は川原町といって、岐阜市でも昔の街並みを残しており、岐阜市が観光に力を入れている場所である。電柱を地下に埋める、まではしていないが、昔の商家の家並みが軒をつらねて、ここ数年でも街の整備が進んでいるのを実感できる。格子づくりの二階建て。漆喰の白と年月を重ねた木製の格子。ずらりと一直線に続く古い家並み。白と黒のコントラスト。傾きかけた家もあったが、二階の天井が一階よりも高く、さらに屋根が道にせり出し、まるでヒマラヤで見上げた雪煙まう孤高の雪山のような迫力のある二階建てもあった。
 私は休みの日なら、岐阜駅までの距離(4キロ)は自転車を積極的につかって移動することにしている。これまでも、いろいろ路地裏を自転車探検してきたつもりだが、今日のようにゆっくりと路地裏を探検すると、自転車では入れない、また自転車では気づかない通路をいくつも発見し、まるで、あみだクジの横棒を描くように、これまで知った路地から路地をつなぐ、路地裏を結んでいった。とくに今日は、行き止まりを含めいろんな路地を発見した。

 そんな探検をしていると、車のスピードではまず気づかなかった(実は昨日、蛍光灯を廃棄するため近所の公民館にいった道と同じ道だが、昨日は気づかなかった)看板に気づいた。この川原町を説明する「たて看板」だ。歴史の表舞台とは言わないが、この地にまつわる能書きがいろいろ書いてある。その看板で危うく見落としそうなところがあった。それは看板に書かれたQRコードだ。携帯電話で読み取る二次元バーコード。
 残念ながら、私の携帯にはQRコードの読み取り機能はついていない。しかし、いろんな可能性を感じるQRコード。いま私が仕掛けようとしている、”商売もどき”への発想がいろいろ思いつく。なるほど、いまの観光業はこうなっているのか。

 はやり散歩、散策はラーメンのカロリーを消費する以上の成果を私にもたらしてくれる。これからは、路地裏マッピングなどをしながら、川原町界隈を楽しんでみようかと思う今日この頃だ。さて、いま近所の歴史博物館で「戦国時代の美濃刀」展が開かれている。来週あたり探検してみようかとおもう。このお手軽さが、この地に住む魅力だ。

思えば本末転倒

 近所に比較的ガソリンが安いセルフのスタンドがある。しかもそのスタンドは土日だと平日よりも1円安い。この夏から、この高騰する(といっても最近は下がってきたが)ガソリンスタンド対策に、土日のいずれかで、毎週給油することにしている。まぁ、そのうち、ちりも積もれば山とならないかというゲーム感覚だ。スタンドまでの往復八キロ(通勤路なのでいつも通っている)。そして2ヶ月間、このゲームを楽しんでいた。しかし、このゲームも今日で終えることにする。

 今日、ガソリンを入れていて気づいた。私のバイクは満タンでも5リットル。今日は先週平日にも入れているので、3.2リットル。つまり節約しても、最大5円ということだ。さて燃費が一リットル最大で40キロとしよう。8キロ移動するということは、5分の1リットルのガソリンを使って、わざわざガソリンを入れに行っていた。現在、1リットル133円。その5分の1だから、26円。つまり私は、最大5円の得をするために、26円使っていたのだ。しまった、うっかりしていた。

 通勤の途中にいれれば、マイナスはないが、給油のために遠路はるばるというのは不経済だったのだ。パジェロを満タンにするばあい、80-90リットル入る。まぁ、それなら往復のガソリン代を含めても、そのうち山にもなろうが、たかだか5リットル入れるために、足を運んでいたとは・・・。また、ガソリンは下降傾向にあるので、今、パジェロも満タンにするのも不経済。

 週末のスタンドゲームも、今日でゲームオーバーだ。

こんなものなのか(さつま芋・・・)

 この連休は本を読むことにしている。特に「ルポルタージュ」というやつだ。先日、野村進著「調べる技術・書く技術」という本を読んだときに、彼が引用していた本の原本にあたりたくなったからだ。もちろん、先日の「我が空手哲学」については、風呂などで小分けに読み続けている。そんな中、昨晩から「スローカーブをもう一球」という本を読み始めた。そして昼には読み終えて、気分転換がしたくなった。もうこれは芋ほりしかあるまい。私は1.5キロくらい離れた農場にクワを担いで歩き出した。

 おそらく9苗植えたと思う。そのうちの5本くらいは掘ってきた。しかし、1蔓に大体2個しか実っていなかった。芋づる式というくらいだから、もっとワンサカ取れると思ったのに。残念。ワリとショックだったので、にんじんも全部取ってきた。またピーマンが3つなっていたので、そいつも取ってきた。また5cmくらいのナスが落ちていた。そいつは拾ってきた。

 さつま芋・にんじん・ピーマン・ナス。こんちくしょー。リュックの中に入れた作物が背中で揺れているなか、私は考えた。こいつらをどうしようか・・・。よーし、天婦羅にしてくってやる!!!にんじんと玉ねぎでかき揚げを。さつま芋・ピーマン・ナスは衣をつけて。以外にうまかった。あと4本くらいさつま芋があるが、もう少しまってみよう。人蔓に3つくらいなるかもしれない。