月別アーカイブ: 2009年1月

サイパン2

数日前に、「日本領サイパン 一万日」の本を読み終えた。

ドイツ領だったころに漂流した日本人の話からはじまる「起」。ドイツ領を日本が占領して日本人が「砂糖工場」を中心にして、「日本」の一部として機能していた「承」。第二次世界大戦の始まりに始まるサイパンの急速な変化「転」。そしてサイパンの陥落と陥落に際しアメリカ軍を逃れ「水や食料」のない中でジャングルを右往左往し目の前で家族が死に、現地に置き去りにしてこざるを得なかった壮絶な一月「結」。

自分が現在に生まれたことに感謝。そして今度サイパンに行くことがあるなら、前回あまり深く考えずに戦災の傷跡を通り過ぎていたが、今度は心から「当時の人たちが見ていたサイパンに心のチューニングを合わせ」お祈りしたい気分だ。

1月16日

今週はじめから微妙に頭が痛く、それがいまも少々気になる程度あります。今日は職場を休みますが、週末は職場にいます。アポがあれば入れてください。

サイパン

最近、時間の合間を見つけて読み始めた本がある。10月ぐらいに「ルポルタージュの書き方」のような本を読んでいたとき、その著者によって書かれたほかの本だ。ルポルタージュの書き方の本の中で例として上げられていた彼の筆が、あまりにも生々しく、迫力があったのでインターネットで彼の本を検索して買った。タイトルは「日本領サイパン島の一万日 野村進」。

昨年、正月プライスで燃料別で19800円でサイパンに行った。ヒマラヤ帰りで暖かいところに行きたかった、それだけの理由だ。暖かい風に吹かれて浜辺で潮騒を聞きながら読書をしたい、そんなところだ。19800円なら、沖縄、屋久島、小笠原よりも安いではないか。

それまでのサイパンの印象は、賑やかなリゾート(私には無縁)。戦争に負ける前まで日本人が多くすんでいた。そして、詳しくはわからないが、悲しい歴史がある。その程度だ。

しかし、昨年サイパンに行ったとき、印象と大きく違った。JALの直行便がなくなったことにより観光客は激減。町を歩けば客引きに日本語で呼び止められる。そして、時折見える戦争の影。

私は戦争の影。当時これが気になっていた。原始人の話、戦国時代の話、幕末、大戦・・・。いつもそんな話を目に耳にすると「わが身を置き換えて」「おれだったら・・・」と妄想している。
たとえば、グアムにいったことがある。そのとき海岸に残った塹壕から海を見たとき、もしも自分が日本兵でアメリカの船をこの塹壕で発見したら、気持ちはどんなんだろう、そんなことを考える。しかし、私が見たサイパン、どうも雰囲気がそんなのでは収まらない大きなものを感じた。だから、その背景を知りたく帰ってきてからインターネットでサイパンのことを調べた(昨年3月のブログで報告してあると思う)。

そんなことだから、サイパンのことを知りたい気持ちと、野村進の本に興味があるのの両方で「日本領サイパン島の一万日」を買った。

まだ、途中だが・・・、サイパンの歴史、スペイン⇒ドイツ⇒日本の変遷、当時の日本の背景、サイパンの軍事的重要性、そしてなによりも、そこに生きた人々の背負った人生・・・。・・・まどが、わかってきた。

ガラパンという繁華街。彩汎神社(サイパン神社)、精糖、テニアン・ロタ。まだ途中までしか読んでいないが、山形でくいっぱぐれた男が流れ流れてサイパンにたどり着き身を起こした人物とその取り巻きの人々の昭和10年後半の息遣い、日々の会話。町の明るさ、暗さが手に取るように投影される。いま、風呂やトイレやコタツの中で「安全」なところで、激動のサイパンを疑似体験している。

また行きたくなっている・・・。

方向性

いま岐阜大学に行ってきた。例の森林の話をしてきた。
その結果、どうやら「方向性は間違っておらず」現在、それに取り組むものが感じていることをクリアにしようとしている取り組みで、「すごいとになるかも」しらない事項というコメントをいただいた。
なるほど、方向性はよさそうだ。
あと3人に話を聞きたい人がいる、東京に2人、筑波(宇宙センター)に1人だ。近々訪問して実作業に入ろうと思う。

連絡

今日は10時から会議で、3時から岐阜大学にいきます。
なので、ほぼ部屋にはおりません。忙しいときすいません。
連休は、アポを入れていただければ出勤しますので遠慮なく。
ブログのコメントでアポをいれてください。
(ほかの人からもわかるので)

やっとここまできた

c97aaa37.bmp無から有を作りだし、研究の真似事をしている。パソコンと少しのプログラミング、無料のソフト(LINUXとその他科学解析のためのソフト)を駆使し、やっといまここまできた。全部で16個くらいの手順があるが、それぞれ時間がかかる処理なので、自動処理する必要があるが、なんとか、あと一つの手順を残して自動処理でご覧のグラフまで作成できるまでいたった。この16個のくらいの手順を約300種類ぐらい行ってみようとおもっている。さて、今年のうちにできるか?気にはなるが、心は踊る。

その後、上記グラフの最終形にするための方法を学習し、またどうやら最後の自動処理の問題も解決できた。これで準備は万端。
graphこのようなグラフをエクセルで作成しようとすると、いろんな細かい設定を手動でしなければならず、時間もかかるし、指も疲れた。しかし今回は、ほんの1秒で出来てしまう。これは進歩だ。

回想 上高地

kami13話は前後するが、年末年始、宣言したように乗鞍・上高地に行ってきた。目的は「温泉」「冬の上高地」「6年ぶりのスキー」だ。
夏の上高地は言わずとしれた観光地。多くの人が訪れる。私がそこに始めて足を踏み入れたのは高校一年のときの林間学校だ。私が卒業した高校は修学旅行が2年で全員参加。一年には「キャンプ」か「スキー」を選択する。もちろん、2つ行ってもいいし、どちらもいかないでもいい。当時の私はスキーやテニスなんていうのは軟派な男のすることだっ!と決め付けて、問答無用、興味もなかった。一方、キャンプにも特に興味があったわけではないが、なんとなく、キャンプを選択して行かせてもらった。
そのときの上高地の印象は、その後の山人生に大きな影響を与えたと思う。あの時は天気が悪く、小雨+霧。本当なら綺麗に見える穂高の山々。唐沢カール。しかし、何も見えない。いまから思えば、ウィンダムヒルズオーケストラのジョージ・ウィンストンのピアノが流れてくるような静寂に魅了された。もちろん、一大観光地、人は多い。しかし、人をかき消すような霧。暑い夏に涼しい別天地。初めて体験する空気・・・。
自分で車を運転するようになってからは、おそらく機会を見つけて出かけていた。
また、91年サラリーマンになって東京で働いていたときは、実家に帰らず、本とテントを持って3日間、上高地で一人キャンプをしながら本を読んですごした。
とにかく、私は上高地が好きだ!

そんな上高地。まさか冬に簡単にいけるなどとは思っていなかった。大学の山岳部のOB達に5月の上高地に誘われたことがあるが、そのときは都合がつかずいけなかった。頭の中で、山岳部クラスの人たちのみが冬の上高地にアクセスできると。

ところが、4・5年前、知り合いの野外活動を商売にしている会社が冬の上高地スノーシューズツアーをやり始めた。なにぃ!これは行くしかない。そして念願かなって彼らのツアーに参加した。
kami14なんのことはない、スノーシューズという欧米の「かんじき」をはいて新雪の上を歩く。それだけのことだ。しかし、これがなかなか楽しいのだ。先シーズン、ホワイトアウトナビゲーションということで標高2600mまで乗鞍岳に厳冬期上った。一緒にいったメンバーが頬を凍傷にかかったくらいのところだ。それくらいの厳しいところでも、スノーシューズの裏についた鉄の爪が滑り止めになって雪でも氷でも歩ける。

kami12そんなスノーシューズをはいて上高地の中を歩き、適当な場所で休憩しながら景色や雪を堪能する。参加しながら感慨深いのだが、たったそれだけのことで、自分を含め「お金を出してまで体験したい」と思う人が増えてきた。

kami10道具(私は自前だが、レンタルもある)と案内人がいたら、素人でも冬の上高地にアクセスできる。そんな時代になった。

kami11確かに、楽しいイベントだった。しかし、私の中では少々不完全燃焼だった。達成感がなかいからなのか、それとも夏の上高地のように別天地の感がないからなのか。夏の上高地は暑い平野で暮らす私には信じられない「別天地」。だから私に価値がある。景色もそうだが、まずその生活圏との乖離がすばらしい。ところが冬の上高地は、雪景色。この冬景色にどうして自分はグッと来なかったのだろう。考えてみた。
上高地の夏の涼しさは「快」である。一方、夏の暑さが「快」でないように(もっとも私には快だが)、冬の寒さは「快」ではなく「不快」だ。冬の寒いときに寒いところに行ってグラッとくるのは、おそらくよっぽどの好き者ではないだろうか。私はそこまで好き者ではない。冬は暖かい海に、私が夏に感じる上高地の別天地を実感するのだと思う。だから冬の上高地には別天地という感覚をもてなかった。だから今回は上高地の景観と冬の寒さ、別天地具合を算術演算したら、少々プラスになったに過ぎなかったのだと思う。
しかし、状況はわかった。これなら一人でも行けそうだ。冬の上高地はそんなところだった。

仮想 ヒマラヤ ステップ3

boat30昨日は、撤退。正月休みもまだある。
気圧配置がどうであれ、朝なら昼より風が弱いのでは?だから、今日は早朝・・・というか夜から行動を開始した。目標5時半に海岸から梶島を臨む!

boat301五時半に着いたのはいいが、少々暗い。ただ、天気図の等圧線の間隔が広がったためか、それとも朝だからなのか、海は凪いでいる。チャンスだ!これなら行ける。ところが、あまりに暗く、海面が見えない。果たして白波が立っているのか・・・。そこで、もう少し明るくなるのを待つことに。

boat31行動開始は6時15分、出航6時40分。梶島に向けて出航。昨日は波にもまれる木の葉の状態だったが、今日はマイ・クルーザーという気分だ。もちろん、朝は寒いし、水も冷たい。しかし、心は晴れ晴れし、興奮で寒さは感じない。快調・快調。しかし、やはり長良川で感じたようにスピードが以前の艇と比べて遅い。それでも出航から5分もすれば、半分の行程をクリアした。
boat32約10分のクルージングで無人島に到着。
島の北側は出航してきた海岸に面している。そこで船を対岸から見えぬよう目立たぬ島の東北面に置き、無人島を一周して帰ることにする。どうでもいいことに時間を使って、風が出始めたら、帰れないというイベントが待っている可能性もあるからだ。残念だが、まずはこれが一番安全。
しかし、この島、10年ほど前にカヌーで上陸したが、そのときは子供の頃両親に連れられて海水浴に来たときと同じような”手付かず”の状態だった、と記憶している。しかし、今回上陸してみると、島一周囲むように堤防が出来ていた。
うーん、どういうことだろう。出航した海岸には、藤原何とかという人の梶島を題材にした和歌があった。ということは平安の頃から梶島が存在し、1000年以上もそこにあるということだ。だから、いまさら堤防を作ったところで、どうなんだろう・・・。しかも、もしもこの島が個人の島だとしたら、個人の島の便宜を図るために税金を使って防波堤をグルリとつくるということはどういうことか。
もしも、個人の島が税金を使って守られているのなら、そこで養殖される潮干狩りに個人・団体がお金を取るということはどういうことだろう・・・。

boat33しかし、そんなことは割り引いても、なかなか気分のいい新年になった。昨日、無理やり武勇伝を作るために海に繰り出さなくてよかった。危うく荷物を全部流したあげく、新春初泳ぎ・・・。そして・・・。

復路は同じ凪いだ海面なのだが、潮の流れのせいだろうか、フルスロットルで船を動かすと波を切って海水を被る。そこで、スロットルを緩め、ゆっくり移動する。それでも友人は水を被って濡れてしまった。復路17分。

boat34岐阜に来てすでに8年たつ。毎日山に囲まれていると少々、圧迫感を感じないでもない。たまにはこうして、スカッと晴れて限りなく青い空。広い空。水平線。海はいい。気分がいい新年の始まりとなった。

仮想 ヒマラヤ ステップ2

boat21 さて、話は1月3日に飛ぶ。今日は「航行テスト」の日だ。走行テストのフィールドは三河湾に浮かぶ梶島。無人島だ。無人島に上陸し、その行程を通して船の速度・燃費・耐久性などをテストする。そして、オマケとして現地調達した魚介類をつかったダッチオーブン料理でゴージャスに焚き火+酒+キャンプ。つまり無人島サバイバル。一年の始まりはこれがふさわしい。

問題はいくつかある。先日の予行演習ではまだ1.5キロくらいの実績しかない。はたして無人島につくまでにエンジンが焼けてしまうトラブルなどないだろうか・・・。船は2人乗り。果たして無事に着けるだろうか・・・。未知&道(求道)のチャレンジに無駄にダッチオーブンのような重いものを持っていっていいものだろうか・・・。これらの問題を解決するため、当初は寺部海岸(4・5キロの行程)から出発しようとしたが(以前、カヌーでそこから梶島にわたったことがある)、宮崎海岸(1キロ少しの行程)から出発することに。またダッチオーブンなどはやめて、最小荷物での上陸に決めた。

はてさて、キャンプに間に合うには昼過ぎに出航すればいいのだが、食材の現地調達のために余裕をもって出かけることに。昼前に出航。朝起きる時間や正月休みなどの「休養時計」で10時に家をでて、11時半には出航だ!

すべては予定通り、11時半には出発準備完了。ところが、一つ大きな問題が。当日新聞を見て気にはなったが、西高東低の冬型の気圧配置で天気図の等圧線が込み合っていたことだ。しかし、まさかあの天気図がこれだとは・・・。白波が・・・。しかも、梶島の岸壁には波が砕け散るさまが・・・。

そこで、防波堤周辺をテスト走行。防波堤の向こうの白波と比べれば、まったく凪いでいる。安全な地帯。ところが、戻るために曲がると、横波なのか風なのか、「ヒヤッ」とする場面が3回ほどあった。しかも、ボートが白波を切り、私と友人はびしょ濡れだ・・・。これはやばい。

さてそんな中だが、出航してして見事、怖い思いをしながら上陸でき武勇伝をつくるなどということもあるのだろうが、私はそれは好きではない。武勇伝などはいらない。・・・というかあってはならないと思っている。目標の実現は確実でなければならない。特に自然相手のことでは。先日の川ではエスケープルートがある。しかし、この海にはエスケープルートがない。伴走してくれる船でもあれば話は別だが・・・。さて、君子危うきに近寄らず。風がやむのをまつことに。

boat20友人は釣竿をもってカレイ狙いで時間をつぶす。私は海岸にたそがれて波を見たり、空を見たり・・・。また友人も釣り糸を投げ込んだあとは、私と同じような行動。コーヒーを入れたり、紅茶を入れたり・・・。天気はいいが・・・風が強い・・・。

boat22あまりにも暇だったので、海岸の砂をほじってみた。小さめのアサリが・・・。もちろん、キャッチアンドリリースだ。

仮想 ヒマラヤ ステップ1

boat10 話はさかのぼること昨年。修理にだしていたデジタルカメラが年末に戻ってきた。その一方で、正月休みは職場が全館閉鎖になり、デジタルカメラから画像を取り出す道具をとりにいけなかった。そのため、せっかく写真を撮ったのだが、それらの写真をブログにアップすることができない。その結果、年末から新年にかけての行動をブログにアップする機会を失った。これから何話か過去の話が登場することになる。ご容赦を。

10月9日のブログに研究目的で「ボート」を購入したと書いた。また、12月15日に2馬力の船外機を購入したとも書いた。ボートと船外機を自分の物にしたにもかかわらず、購入した(オークション)梱包さえ解いておらず、中身の確認さえしていない。これではダメだ。なぜなら、正月に「ボート」の走行テスト(速度・スピード・耐久性)をしようとしているからだ。そこで12月29日、研究機材を置いてある職場から前日に機材を持って帰り、29日は長良川での走行テスト(機材チェック)をすることにした。ところが、単にゴムボートを膨らませ、静水にうかべるだけではつまらない。そのため、家の裏(長良橋)から千鳥橋まで繰り出すことにした。およそ5・6キロ。この距離なら、正月に予定している「走行テスト」のフィールドの予行演習にもなるハズだ。あーして、こーして、こんなとき・・・。いろいろ頭でシュミレーションしたが、川での出来事だ。簡単、簡単・・・。

60385129.jpg
まずボートの梱包を解く。電動ポンプが入っていた。ウシシ、こいつは楽だ。手元にバッテリーも沢山ある。ボートの空気入れ、これで、大体いつも汗びっしょりになる。それから開放!・・・とおもったが、あまりにも非力だった。話にならん。そこで手動ポンプで空気を入れる。

おっと、穴も開いていない。少々小さめだが、丈夫そうなボートだ。

次は船外機、オイルを入れて・・・。

ボートと船外機をセットアップ。うーん、マイボート。いい感じだ。それっ、進水式!レッツゴー。

boat11うーん、なんだかスピードがいまいち乗らない・・・。ボートの底の形が以前、メーカーから提供してもらったボートと違うことがそんなにスピードに影響するのだろうか・・・。それとも気のせいか・・・?しかし、長良川を逆流しているときのスピードは手元のGPSでは時速6キロ。まぁ、こんなものなのか・・・。少々不満ではあったが、滑り出しは好調。

ところが、事件は最初の瀬で起きた。

岐阜市は県庁所在地でありながら、そこを流れる長良川の水はキレイで、しかも白波の瀬がある。そこが岐阜市の長良川の魅力だ。この瀬、見ている分には楽しいが、船に乗ってみるとかなりきわどいことが今回わかった。時速6キロ程度の推進力では瀬を遡れなかった。いままで何度かその場所を川くだりしているが、瀬はあっという間に終わってしまう楽しいところ、それくらいの感想しかなかった。ところが、遡ろうとして近づくと、ショウもない小さな瀬でさえ、明らかに断層かなにかの段差がある。登山するときに斜面を見上げる、そんな感じの圧迫感だ。
しかも石だらけ、水深は浅く、船外機のプロペラが石にあたり、破損しそう。

私はここでやっと後悔した。長靴、もしくはサンダル(水はとても冷たいが)にしとけばよかった・・・。私は、簡単に考え、長靴は職場においてきたし・・・、しかし、買うほどのこともない。まぁ、皮のエンジニアブーツでも水につかることはあるまい。そう思って、皮のブーツで乗船。しかし、この瀬が越えられない今、撤退か継続か・・・。判断の分かれ道にきた。私は継続を選択した。

船から降り、船を川から引き上げ、船外機をはずし、ボートと船外機を別々に担いで瀬を越した。この川原でボートや船外機を担ぎながら、重さにあえいでいる私は「植村直己さんの北極点のときの苦労に比べれば、いまの苦労なんて、鼻くそみたいなもの」と自分を奮い立たせ、汗をかきながら荷物を運んだ。このとき、エンジニアブーツはまだ、長靴のような働きをしてくれた。

再度ボートをセットアップして川に乗り出す、するとすぐに、また小さな浅い瀬。こんな瀬・・・と思って直進したが、エンジンフル回転であるのに川に流され始める。あれ・・・。思い当たる節がある。ヒマラヤでも起きた。スクリューと本体をとめる金具が、スクリューが石にあたったときに破損したのだ。

しまった、簡単に考えていたので工具を持ってきていない・・・。しかし、手持ちの車の鍵とキーホルダーを使いなんとか部品交換できた。

再出発。100mいかない間に、また同じ症状・・・。またスクリューを石にぶつけて・・・。しかし、その過程でやけくそになり、エンジニアブーツが長靴代わりになり、さらに、やけくそ度がパワーアップしてエンジニアブーツの中に水がガボガボ入りながら、自分も汗と水でびしょぬれになりながら、がんばったのだが・・・。

・・・今回のテストはこれでギブアップ。走行距離1.4キロほど。結局、長良橋から鵜飼大橋までしかいけなかった。