月別アーカイブ: 2009年3月

わりと走った週末

ee21323b.jpg木曜日に学会で京都にいった。この学会が終われば、新学期に向けて気持ちを切り替える。というわけで、週末はコンピュータに向かうことなく日々をすごす。

昨年、農場を借りていたが、少々家から遠く、しかも駐車場も水場もない(手を洗うための)ので、なかなかうまいこと農作業がすすめられなかった。そこで、今年は場所を変えて、市営の農園を借りることにした。年間1万2千円。水場ある。駐車場ある。トイレある。シャワーある。農機具小屋ある。貸しクワ・・・。なんでもありだ。ただ問題なのは岐阜市のはずれにあるために、家から遠いことだ。

しかし、週末ランニングとかねて畑に行けば、一粒で二度おいしい。そこで、果たして何キロあるのか分からないが走ってみた。55分。たぶん10-11キロの距離だ。もうすでに二回走っている。これが土曜日。

さて、日曜日。金華山に上ったのはサイパンにいく前。もう3週間以上金華山に上っていない。登っていないということは、あのドライブコースの「苦しいランニング」をしていないということだ。苦しみを求めて日々精進する私である。いかん、今日こそは金華山の登山、そしてドライブコースのランニングをするぞ!
しかし、いつもどおりに家を飛び出すには不満がある。登山40分、ランニング40分、ちょっとランニングの時間が短い。そこで、今日はランニングを一時間以上するようにコース設定をする。理由は3つ。これまでサボっていたペナルティ。ことしも東京マラソンいとも簡単に42キロを多くの人が走りぬいていた。ジョギングシューズを買った。以上の3つである。

というわけで、日曜日は登山40分。ランニング・・・。よく分からないが山道40分、平地30分を続けて走った。おかげで、足の付け根の腰部分が痛い・・・。筋肉については低周波治療器でほぐしていたから、ひどいことはないが、間接が痛い・・・。

しかし、近所の桜も満開直前。これから暖かくなってくれば、ランニングも気持ちよくなる。

長良川の治安

2db499c4.jpg昨日は雨だった。まぁこんなときは金華山に登れば、土が流れているので土器が出てくる。山に登ろうか、走ろうか悩んだ挙句、どちらもやめて気になる仕事をするために職場にいってきた。さて、通いなれた通勤路。旧美濃橋、なつにはビキニのお姉さんがわんさかいるところ。いまは季節ではなく殺風景だが、見慣れぬ物体が水の中に。流木にしては角がきつすぎる。岩場はあんなところにはないはずだ。

道路から見たところ、テントのようだ。川原に3台の車が置いてあるのを確認して職場に・・・(二台の車の上にはカヌー)。

さて、帰り道。気になるテントを確認しに川原に下りた。二台のカヌーを積んだ車の姿はない。そして、携帯で写真をとる。ドーム型のテントが川の中でひっくりかえっている。

はぁ、はぁ・・・。川すれすれでキャンプして、寝ていたところ、水位が上昇してとるのも取らずに身ひとつで脱出したのか?美濃橋までくれば鉄砲水にはならないだろうから命拾いできたのか?と思いつつも、寝袋から出られずに流されてしまって水死・・・。気になる・・・。周りに目をやると、1艇の青いカヌーが主人の帰りを待っているように橋の下にポツン。さっきもあった一台の車が気になる・・・。しかし、どうもテントが風に飛ばされて川の中に入って沈んでしまったようにも見えるので、とりあえずその場は引き上げた。

さて、昨晩から今朝にかけて春の嵐。長良川は割りと増水している。昨日見つけた美濃橋のテントを探す。車を探す。カヌーを探す。もしも、同じ車があり、カヌーもあったら、きっとその主人は冷たい川の中だ。5年くらいまえに、そういったときの第一発見者になったことがある。

長良川をこよなく愛する私。長良川の治安を守るため、今朝川原に下りてパトロールしてきた。気になるところはなし。テントはどうなったかは分からぬが、車もない、カヌーもない。ようし、人が行方不明だなんてことはなさそうだ。

これからも長良川のパトロールはつづく・・・。

再 サイパン2

0d049788.JPG一般論として知られていることだが、人類はアフリカから各地に広がったといわれている。人類の祖先はなんども、アフリカから出て各地に広がったが、何かのきっかけで常にアフリカ以外のものは死に絶えた。死に絶えたもののひとつが、ネアンデルタール人、北京原人、ジャワ原人・・・。そんな中、10万年前にアフリカを出た一集団が世界各地に広がった。つまり、どんな民族もすべて10万年前のアフリカを起源にした集団に先祖たどりをすると行き着くということになっている。

さて、日本に初めて人類がやってきたのはおよそ3万年前。7万年の歳月をかけてアフリカからやってきた。そして石器時代がはじまり、後に縄文時代につながる。

一方、ハワイはいまから800年ほどまえにやっと人がハワイにたどり着いた。日本が平安時代の終わりを迎えるころ。鎌倉時代の前夜とでもいうタイミングだ。またニュージーランドに人類が始めて上陸したのは、平安時代の初めの1200年前といわれている。

サイパンにはハワイなどと比べて、ずっと早く人類が到着していたようで、現地にいくと詳細は忘れてしまったが、3・4千年前の住居跡などがあったりしている。

さて、そんなサイパンも1500年代のスペインのマゼランによって発見されてしまったため、その後サイパンはスペインの支配を受けるようになった。後に、アメリカとスペインの戦争が1800年代にあり、敗戦したスペインはサイパンをドイツに売却し、サイパンはドイツの支配を受けるようになった。

スペインにしてもドイツにしても、サイパンを領土にしても、そこに茂る熱帯ジャングルに手を焼いたようで、何をすることも出来ず、”ただ持っている(きっと船旅の中継地点くらいだろう)”だけだったらしい。ドイツなどは流刑の地としていた。

そんなサイパンも日本が第一次世界大戦時に南洋諸島を占領したときに日本がドイツから奪い、戦争が終わったあとは、国際社会からサイパンの統治を任されることとなり、本格的な日本領としての開発がはじまることとなった。

今回私が読んだ本は、その頃、サイパンに漂流してきた、山形出身の「山口百次郎」に焦点を当て、彼が裸一貫で流れ着き、サイパンの隆盛とともに栄華を極め、大戦の終戦ですべてを失った経緯を記したルポルタージュだ。

つづく・・・。

この師匠にしてこの弟子か?・・・

5d922bdb.jpg愛媛の師匠のところにいってきた。つもる研究話があるからだ。なんでもここ3年で数億円のプロジェクトを推進していくことになったとのこと。おかげで今年はインドネシア(バリ島経由)にいくことになりそうだ。

さて、師匠のお宅に泊めてもらった。いつもそうだが・・・。朝4時まで、こちらが、もう新聞屋がきましたからといって話を切り上げることになった。よほどの覚悟があるときでないと、師匠の自宅には泊まれない。

そんな次の日の朝、お前しっとるかぁとたずねられたことがある。それはスプレー缶ほどの大きさの透明容器に入った白い粒々だ。ナタデココくらいのサイズ。さっぱり見等がつかないので、その旨を通告すると、彼は別の部屋から物騒なものを持ってきた。写真のライフル(自動小銃)だ。どうやら、白い粒々はエアガンの自動小銃の玉らしい。なんだ、このおっさん、気晴らしに鳥でも撃っているのかと思った。なので、たずねた。「猫や鳥を撃っているのか!非常識な!」とコメントしたが、彼の答えはこうだった。

「去年の夏、えらいセミがうるさかったので、セミを黙らせるために自動小銃をうっていたのだ。たいぶ静かになったでぇ・・・」。

62歳のおっさんだが、相変わらずだった・・・。

CGその後

例のCG、880時間かけてやっと処理が終わった。ウィンドウズだったら絶対にフリーズしていただろうと思うが、LINUXでは880時間も処理がつづけられた。しかし・・・。そのCGも研究素材にならない。この880時間の間に、東奔西走した行脚によって知見を得て、さまざまな改良点に気付いたからだ。ただひとつだけ、880時間の価値があるのは、ラジオシティー法では880時間かかるという事実の価値は大きい。

さて、東奔西走の行脚も、明日あさっての愛媛で、一旦終了。ボロカスいわれてくるだろうけれど、くじけることなくまい進しようと思う。

再度 サイパン

48cc55a5.JPG3月10日の夜に日本を発ち、白くモクモク立ち上がる入道雲を探しにいってきた。そして昨日の昼にサイパンから帰ってきた。二度目のサイパンだ。

日本では、視線の正面で凍てつく冷たい漆黒の闇に光り輝くオリオン座は、サイパンでは見上げた天頂の位置に座し、穏やかに瞬いていた。満月は明るく環礁の白波を際立たせていた。雨上がりの夏休みの朝のような、草木が出す生命に満ちた空気。やしの木が風にゆれる音と潮騒。聞こえるのは風の音と潮の音。日本とは別世界。昨年もちょうど同じ頃、サイパンに来た。今も昔も変ることない空気や音や景色だが、今回は違って感じられた。

スキー&温泉&雪の上高地をしながら読んでいた「日本領サイパンの一万日」。これによって、昨年よりも、グッとサイパンが身近なところになった。まるで知り合いの多い地元に帰ったような身近さだ。そして訪ねたいところが沢山あった。しかも、「苦労しなければ」訪ねる資格がないと自分に言い聞かせている場所出来た。

第二次世界大戦が昭和16年に真珠湾攻撃に始まり、20年の無条件降伏に終わったことくらいは知っていた。しかし、恥ずかしながら、それ以上の詳しい話はあまり知らない。これまで戦国時代に思いを馳せることはあっても、歴史上大きな傷跡を残している第二次世界大戦に思いを馳せるには、それがあまりに身近すぎて、避けていたのかもしれない。「レイテ」「ガダルカナル」「ラバウル」「サイパン」「沖縄」「グアム」「硫黄島」・・・、それらの関連と背景についてさっぱり分からなかった。

そんな状態で、昨年、常夏のリゾート地のイメージがあったサイパンに出かけた。理由は、単に、値段が1.9万円(サーチャージ別)で「ヒマラヤの厳しい自然」から暖かいところでのんびりしたかったからだ。

そして現地で「第二次世界大戦」に直面した。何気なく参加した自然体験活動の「マウンテンバイクツアー」での出来事だ。万歳クリフ・スーサイドクリフ・最後の司令塔・・・、そして「サイパンでの沖縄人の惨劇」「朝鮮人の惨劇」「砂糖」・・・。思ってもいなかったキーワード。なぞに満ちた常夏の楽園。

そこで、家に帰ってから、自分がサイパンで見てきたものはいったいなんだったのか知りたくなった。なぜ沖縄人か、なぜ朝鮮人か、なぜ砂糖か・・・。少しづつ、サイパンが見えてきた。極めつけだったのは『日本領サイパン島の一万日』という本を読んだことだ。もう一度、サイパンに行きたい。そう思い今回のサイパン行きとなった。

詳細は今後時間をみて報告することにして、いままたもう一度サイパンに行きたいと思っている。

卒論評価

 今日昼から中部の財界の方がいらっしゃり、これからの仕事の話をした。中部財界と行政と私+N大学のコラボレーションの話。森林再生ビジネスを起こそうということになっている。そんな彼らに、卒論のプレゼンをかいつまんで紹介した。

 ある方のコメント、最後の詰めのもう一歩がちょっと物足らないが、林業の関係者の話を聞いて数字で追って、理詰めで説明されたのは始めてで、驚いた。そのデータを買いたいくらい。しかし、学生は時間があるのでジックリできるのですね。うらやましいとのコメント。

 またある方のコメント。過疎の話は大変面白かった。いままでわれわれが議論している視点とはまったく異なった視点で、新鮮で興味深い。○○さんが入学して、勉強したくなるといったのを実感した。ほんと、入学して勉強したいですよ。

 いろんな人が異論な評価をするけれど、マーケティングが専門の彼らが、今回のような評価をしてくれるのだから、まぁいまの方向性で突き進んでも、世の中に還元できることは大いにある。そう実感。

名古屋マラソン

bfed2c7f.jpg今日名古屋をバイクで通った。ひどい渋滞。するともうじき先頭集団が通ります、と宣伝カー。バイクを停めてランナーの到着をまつ。世界の一線で活躍してきた、シモン選手をまぢかでみれたのは大きな収穫。もちろんQちゃんも。

シモン しかし・・・、42.195キロも皆よく走れるものだ。今年は、私も挑戦したい気持ちはあるが、しり込みしてしまう。

さて、名古屋にいった目的は、矢場町にあるジョグ小島という「ランニングシューズ屋」にいこうと、あえて下道でいった。ひどい渋滞だったが、マラソン観戦がてらにと我慢した。途中、トイレに行きたくなったが、我慢して渋滞の中にいた。膀胱が破裂しそうだったが、我慢した。さて、矢場町に着いた。するとジョグ小島の店がクレープ屋に変っていた。・・・。あぁぁ~。俺は何しに名古屋にいったんだ。この渋滞の中。
まぁ、いいや。昨年に引き続きマラソン見れたし。

一位

行脚

 あした九州の博多にある大学にいってくる。
 目的はCGと森林について取り組み始めている人とのコミニュケーションをするためだ。昨年の今頃は、福岡(八女市)・熊本・鹿児島そして屋久島と九州をあるいていた。今年も3月は九州にいくことになった。
 用事は、ディスカッションだけなので、2・3時間で済むだろう。博多には別に知り合いもいない。したがって、遊んでくれる人もいない。そう考えながらインターネットの路線メニューで電車をしらべてみた。どうやら朝八時発で博多には13時にはつき、夜の7時発で11時には岐阜につきそうだということがわかった。これは日帰りができる。日帰りすれば土曜日は丸々一日自分の時間。いつものトレーニングもできる。目指せ九州日帰り。

 しかしながら、一点だけ博多を素通りするのが気がかりなことがある。ラーメンだ。博多ラーメン。麺食い中年の私である。博多ラーメンだけは食べてきたい。