3月10日の夜に日本を発ち、白くモクモク立ち上がる入道雲を探しにいってきた。そして昨日の昼にサイパンから帰ってきた。二度目のサイパンだ。
日本では、視線の正面で凍てつく冷たい漆黒の闇に光り輝くオリオン座は、サイパンでは見上げた天頂の位置に座し、穏やかに瞬いていた。満月は明るく環礁の白波を際立たせていた。雨上がりの夏休みの朝のような、草木が出す生命に満ちた空気。やしの木が風にゆれる音と潮騒。聞こえるのは風の音と潮の音。日本とは別世界。昨年もちょうど同じ頃、サイパンに来た。今も昔も変ることない空気や音や景色だが、今回は違って感じられた。
スキー&温泉&雪の上高地をしながら読んでいた「日本領サイパンの一万日」。これによって、昨年よりも、グッとサイパンが身近なところになった。まるで知り合いの多い地元に帰ったような身近さだ。そして訪ねたいところが沢山あった。しかも、「苦労しなければ」訪ねる資格がないと自分に言い聞かせている場所出来た。
第二次世界大戦が昭和16年に真珠湾攻撃に始まり、20年の無条件降伏に終わったことくらいは知っていた。しかし、恥ずかしながら、それ以上の詳しい話はあまり知らない。これまで戦国時代に思いを馳せることはあっても、歴史上大きな傷跡を残している第二次世界大戦に思いを馳せるには、それがあまりに身近すぎて、避けていたのかもしれない。「レイテ」「ガダルカナル」「ラバウル」「サイパン」「沖縄」「グアム」「硫黄島」・・・、それらの関連と背景についてさっぱり分からなかった。
そんな状態で、昨年、常夏のリゾート地のイメージがあったサイパンに出かけた。理由は、単に、値段が1.9万円(サーチャージ別)で「ヒマラヤの厳しい自然」から暖かいところでのんびりしたかったからだ。
そして現地で「第二次世界大戦」に直面した。何気なく参加した自然体験活動の「マウンテンバイクツアー」での出来事だ。万歳クリフ・スーサイドクリフ・最後の司令塔・・・、そして「サイパンでの沖縄人の惨劇」「朝鮮人の惨劇」「砂糖」・・・。思ってもいなかったキーワード。なぞに満ちた常夏の楽園。
そこで、家に帰ってから、自分がサイパンで見てきたものはいったいなんだったのか知りたくなった。なぜ沖縄人か、なぜ朝鮮人か、なぜ砂糖か・・・。少しづつ、サイパンが見えてきた。極めつけだったのは『日本領サイパン島の一万日』という本を読んだことだ。もう一度、サイパンに行きたい。そう思い今回のサイパン行きとなった。
詳細は今後時間をみて報告することにして、いままたもう一度サイパンに行きたいと思っている。