再 サイパン2

0d049788.JPG一般論として知られていることだが、人類はアフリカから各地に広がったといわれている。人類の祖先はなんども、アフリカから出て各地に広がったが、何かのきっかけで常にアフリカ以外のものは死に絶えた。死に絶えたもののひとつが、ネアンデルタール人、北京原人、ジャワ原人・・・。そんな中、10万年前にアフリカを出た一集団が世界各地に広がった。つまり、どんな民族もすべて10万年前のアフリカを起源にした集団に先祖たどりをすると行き着くということになっている。

さて、日本に初めて人類がやってきたのはおよそ3万年前。7万年の歳月をかけてアフリカからやってきた。そして石器時代がはじまり、後に縄文時代につながる。

一方、ハワイはいまから800年ほどまえにやっと人がハワイにたどり着いた。日本が平安時代の終わりを迎えるころ。鎌倉時代の前夜とでもいうタイミングだ。またニュージーランドに人類が始めて上陸したのは、平安時代の初めの1200年前といわれている。

サイパンにはハワイなどと比べて、ずっと早く人類が到着していたようで、現地にいくと詳細は忘れてしまったが、3・4千年前の住居跡などがあったりしている。

さて、そんなサイパンも1500年代のスペインのマゼランによって発見されてしまったため、その後サイパンはスペインの支配を受けるようになった。後に、アメリカとスペインの戦争が1800年代にあり、敗戦したスペインはサイパンをドイツに売却し、サイパンはドイツの支配を受けるようになった。

スペインにしてもドイツにしても、サイパンを領土にしても、そこに茂る熱帯ジャングルに手を焼いたようで、何をすることも出来ず、”ただ持っている(きっと船旅の中継地点くらいだろう)”だけだったらしい。ドイツなどは流刑の地としていた。

そんなサイパンも日本が第一次世界大戦時に南洋諸島を占領したときに日本がドイツから奪い、戦争が終わったあとは、国際社会からサイパンの統治を任されることとなり、本格的な日本領としての開発がはじまることとなった。

今回私が読んだ本は、その頃、サイパンに漂流してきた、山形出身の「山口百次郎」に焦点を当て、彼が裸一貫で流れ着き、サイパンの隆盛とともに栄華を極め、大戦の終戦ですべてを失った経緯を記したルポルタージュだ。

つづく・・・。

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