月別アーカイブ: 2009年5月

有限

小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、大学生の頃・・・。ノストラダムスの大予言、1999年に人類滅亡。それ以外にこの世の終わりがあるだなんて、意識することはなかった。この世は無限に過去から未来へ流れていくと。いまから考えるとなんとも無邪気な少年だった。

30を過ぎてから感じはじめ、このところ特に思うのは、たとえ宇宙の時間は無限に流れても、「私が意識」する時間には限りがあるということだ。例えば・・・つまり、あと何回冬を迎えるか・・・。換言すれば、正月を迎える回数を指折りカウントダウンしていると、毎年終焉にむかって、確実に残りの回数を減らしている。しかし、そんなことは恐れることではない。誰もがそうだ。そうして生きているのが生き物なのだから、そこから逃れたいだとか、カウントダウンの数字を伸ばしてほしいという考えにも、まだいたっていない。

人間は何のために生きているのか?と昔考えたことがある。考えて、考えて、考えてみたら、「別に意味はない」ということで、気分がとても楽になった。この当たり前の結論。人は、別に与えられた使命があるわけでもなく、「ただ生きている」ということだ。そこで頭が切り替わり「せっかく、この世に生を受け、いまも皆さんのおかげで生きているのだから、自分が楽しいと思うこと」を精一杯、生(せい)ある間(あいだ)にしてみようと思うようになった。だから、楽しいと考えることを仕事にして、山に川に海に自然に・・・。そしてダイヤの原石の若者たちと一喜一憂の日々。

さて正直、自分の中では、もしかしたらあと10年生きられるかなぁと思わないふしもないではない。体を壊すような不規則な生活をしたり、常に限界に挑んだり・・・。まぁそうすることが「好き」だからしょうがない。しかし困ったことは、例えばあと10年と考えると「やっておきたい」ことができななくなるかもしれないということだ。だからここのところ特に、あと10年という期限で、自分の到達したい境地にたどり着くように、「竹庵丸」の羅針盤をセットしようとしている。・・・しようとしている。・・・しようとしている。・・・が・・・そうは問屋がおろしてくれない。

年をとってくると、またアチコチで法螺を吹いていると、「協力してほしい」だとか「共同で・・・」だとかいう、予期せぬ話が舞い込んでくる。そんなときは、『士は己を知るもののために死す』である。自分を必要としてくれる人のために命を燃やせる幸せ。だから、なるべくなら、自分個人的なことはほっといて、こんな「しょうもない私」を必要としてくれる人のために命を削ってみようと思うのだ。

ところが悩みは、相手がどれだけ「私を必要としているか」だ。一年に精魂込められるのはどうやら、私の能力だと、ひとつのプロジェクト。あと10年だとすれば、10個のプロジェクトにかかわれば、それでエンド。不用意に、しかも代わりの人が探せばいるのに・・・、たまたま私と出会ったために「お願い」されただけなのに・・・、そのプロジェクトに乗っかってしまえば、私は不用意に手持ちのカードを一枚きったことになる。つまり、さがせば代わりの人がいる仕事を受けてしまったがため、私は自分のかけがえのない貴重な有限の時間を浪費することになる。私が唯一無二の「人」であると先さんが本気で思ってくれるなら、命を削るのは幸せなのだが・・・。

つまり、ゴールデンウィークだろうが、休日だろうが、深夜だろうが、一生懸命、命を削ってお役に立とうとするのだが、依頼主は、「やれやれ、これで安心」とリラックスされていては、私も自分の貴重なカードを切った甲斐がないというものだ。

最近、G大学やら中部の財界やら倉敷の建設業界やらから、これまで何の義理もなかったところから話がちらほらあるが(KO大学やE大学、名古屋のソフト会社には、私は人生上大きな義理(というより恩)があるので、それらと意味合いが違う)、あまり安請け合いしてしまえば、残り少ないカードを切ってしまうことになる。これだけは避けねば・・・。

自分がプロデューサーであれば、話を振り振り、いろんなプロジェクトも同時に受けられるというものだが、どうやら私は「エンジニア」として自分の技量の向上に幸せを感じるタイプのようだ。自分の手や足を動かしていたい。となると、できるプロジェクトも人生残り両手で数えられるほどだろう。

人生が有限なのは歓迎して受け入れるとしても、こんちきショー、もっと魂を込めるべき事柄は厳選しないと・・・。と、このゴールデンウィーク前後からの森林調査をしていて思う。

しかし、今週は・・・。あらためてフラフラだった・・・。

今日は雨の中

今日は午前中の授業を終えると、また高速にのって森林調査のやり直しに出かけた。

うだつ美濃はうだる暑さ。かんかんと太陽は照り付け、車の温度計は外気温30度。日差しはつよく、とにかく暑い。さて、そんな中の調査。・・・私も学生も覚悟した。昨日から今日の天気は悪いとお天気姉さんはいっていたが・・・。

現場に1時すぎにつくと、車の中に入れっぱなしだった測量機械は「アッチッチ」。おかげで二個ある器械のひとつは動かない。6人二チームとして人を手配したが、二チーム出せない。そんなとき、ポツリ・ポツリと雨が降り出した。そのときの気温は19度。

学生の何人かは美濃の天気にだまされて雨具を学校に置いてきた。つまりずぶぬれになる。そのため、雨具の予備も含めて4人分の雨具があったので、一チームだけで作業を進める。

私の雨具は20年前の初めて買った登山用の雨具。もちろん、ヤッケとして機能しているだけのもの。雨でずぶぬれになりながら、震える体をおして3時間作業を続けた。そして調査後は高鷲の温泉に。コージュ高鷲という山の中のホテルの「ふたこえ温泉」。愛媛に住んでいた一年、道後温泉など四国の温泉を探訪したが、岐阜にしては泉質のよいお湯だった。これはいい。15mくらいのプールとルームランナーなども使える温泉だ。宿泊も一泊8500円。これはいい。

果たして太陽は沈んでいるのか?

bad
今日、朝4時半におきて、フィールド調査に行ってきた。先日はなした「再測定」のデータを取るためだ。私に相談があるはずの学生二人に声をかけて(車の移動中に話せば、お互いメリットあるので)職場に6時集合で現場に7時についた。雨が心配だったが、なんとか雨に振られず、午後からのG大学でのリモセンゼミに間に合った。
6時前に職場に車で向かったが、そのとき太陽にはある程度の高度があった。まだ私がおきて間がないのに、あんな高さに太陽が・・・。

もしかしたら太陽は沈んではないのではないかと思った。寝不足でとうとう頭もいかれたようだ。

画像は再測が必要となった画像と再測をして「使える」状態になった画像。

good

時は無情

東京に出張に行くときは、たまにいく東京出張を有意義に過ごそうと、メインの用事は午前中に済ますようにしている。午後は、方々の挨拶まわり。そのため、朝の新幹線は、職場が払ってくれまいが「のぞみの指定席」ででかける。前日遅くまで仕事をしていても、新幹線を睡眠の場とすれば、ぎりぎりまで仕事ができるからだ。
そんなことで、今回の東京出張も前日、岐阜駅に指定券を買いにいった。

まず職場から家に向かう途中、カーラジオで岐阜駅の下り線ホームで貨物車両と人が接触事故を起こし、運転を休止しているとのこと。そんな話を聞いてはいたが、完全に忘れて岐阜駅につく。いやに多いパトカー。それで人身事故のことを思い出した。

エスカレータにのって2Fの緑の窓口にいき、指定券を購入して、家に帰ろうとおもったところ、改札から4人で1つの担架をかついだ警察官、そして先導役の警察官が、私の目の前を通り過ぎた。担架に乗っているのは担架全体にかかる銀色の袋だ。見れば、イラク戦争のときの米軍の死体袋に似ているが、その袋の中に人が入っているならば、頭のふくらみ、足のでっぱりが分かるはず。しかし、その袋には、そんなふくらみも出っ張りもなかった。

さて、出張からの帰り、名古屋からくだり電車にのって岐阜に帰る。近づく岐阜駅で昨日起きた人身事故を思い出した。つまり、私が降り立つホームでは昨日、その冷たいコンクリートの上で人身事故が起きたのだと。

そして妄想した。もしも、あの人身事故で人が亡くなったとする。ホームは血の海だっただろう。頭のふくらみの足の出っ張りもないということは、見るも無残な事故だったのではないだろうか。貧血で思わず倒れこんだホームに、貨物列車が入ってくる。突然の悲劇に家族は混乱し、こころの整理もつかない。

そんな、ある家族にとって、いまだかつてない、最大の事件が起きているまさにそのとき、今日も無邪気なおしゃべりをした女子高生や仕事で疲れたサラリーマンたちは、いつものようにホームの冷たいコンクリートを踏みつけて家路に急ぐ。ホームに木霊(こだま)す今日の出来事を楽しげに話す人々の声。

家族にしてみたら、心の整理がつくまでは、その現場もそっとあってほしいのだとおもうけれど、そんな気持ちにかまうことなく、今日もいつもと同じ一日がくれていく。

時は無情なり。

※昨日の新聞で確認したら、飛び込み自殺だったとのこと。あの袋に入っていたのは、自殺した女性だったに違いない・・・。

時代

f2d162be.jpg今日は営業のため休みをとり東京にいってきた。用事は午前中で終わった。そのまま帰るのはもったいないので17年振りにあの場所にいった。
私には近付けないheroが二人いる。ジャッキー・チェンと植村直己。あの場所とは植村直己ゆかりの板橋区の仲宿商店街の奴という豚カツ屋だ。東京で会社員していたとき、東京赴任になったとき、なにはともあれいった場所。探したが見当たらない。近所のお店を回って、ドラマで昔の恋人の消息を尋ねるように、古そうな店、年寄りを探して、「昔この近くにあった奴というトンカツ屋を知りませんか?」と聞き込みをして回った。そして得た答え。すでに廃業したとのこと。いまではその地は、洗濯屋に変わっていた。所業無情がシャバなのだとあらためて感じた。

写真の豆腐点は植村直己の奥さんの実家の豆腐屋。一度お会いし話したこともある方だ。植村直己の写真集に私の名前を書いて、私にくださった。

何が起きようと僕のヒーロはいつまでも、同じ形で時代にとどまってほしいと願うけれど、そうは行かない現実社会。
一方、渋谷道玄坂の名曲喫茶ライオン 創業1926年は健在だった。

夜まで・・・

日曜日にチェックしていたフィールド調査のデータ。担当した学生を昨日呼び、事情を聞いたが、ちょっとデータの信頼性に疑問が・・・。そこで、悩んだ挙句、今日授業がおわった4時半に職場を出て、また高鷲村に行ってきた。鷲が岳の麓だ。こうも簡単にスキーリゾートにアクセスできるのが美濃の魅力だが、再測のためのリーゾート地行きは少々気が重い。

7時過ぎまで測量をしていた。森は真っ暗。

木曜日は日が出る前に現場に行き、金曜日の午後の調査の下準備をしないことには仕事が終わらない。

先日まで仮想空間でCGの毎日だったが、いまはリアルフィールドで右往左往の毎日だ。このギャップが毎日の面白いところか。

久しぶりの休フィールドワーク

ゴールデンウィーク前から休みは毎回山にいって森林調査をしていた。調査しなければいけないところも、先週で一段落。昨日は、データの整理をしていた。

先日のブログで紹介したような図形が他の2つの現場でも出来ていれば完璧。そりゃ最後の現場になるに従い、隊員たちも向上するし、現場で「カイゼン」の提案などを取り入れ「早く・正確に・沢山の量をこなす」ノウハウをケンコなものにしていたから、当然だ。しかし、最初の現場などは、この調査をしたことあるのは私だけ。あとは初めての人ばかり。だからアルバイト代は払うものの、オン・ザ・ジョブで試行錯誤してもらわなければならなかった。

そんなデータを処理していたら、どうしても問題が出てきた。二つの現場でだ。

したがって、データの取り直しが発生する。

まいった。草の丈は高くなり、測量しにくくなるし、毎回高速ででかけていてはきりがないし、調査は衛星解析のためのものなのに、その解析がどんどん遅くなってしまう。かといって今日の明日のでは隊員は集まらない。

困った・・・。困った・・・。

工場見学

昨日は、中部財界の、ある工場見学をさせてもらった。小学校の社会見学以来の工場見学だ。この工場計画の意図は、林業に「トヨタ式改善」や「工業車両」を生かすことで、林業のビジネスモデルが確立できないだろうかということを議論するための工場見学だ。

工場見学はおよそ1時間。しかし実りある1時間だった。麻生太郎の「とてつもない日本」(新潮新書)で「カイゼン」が外国の生産現場で共通語として使われているという話を聞いてから、私も改めて「日本の改善(←外国に輸出される知としてのもの)」を意識するようになったが、この工場はその本丸だ。

しかし、改善にくわえ「教育」も「技術教育」とはどうあるべきかだとか、まさに歯車として人間の労働を考えるだととか、しばらくはこの昨日見ててきたことを一月以上は反芻できそうな実りある時間となった。

工場見学のあとのディスカッションも「古今まれにみる面白いものだった」。私を含め林業を取り巻く産業に従事している会社や学者などが、「林業もビジネス云々」というのを言うたび、聞くたび、自分らにビジネスについて能書きをタレル資格はあるのか?と自問自答しながら恥ずかしい気持ちになっていた。しかし、昨日の会社の部長が「ビジネス」といっているのを聞くたびに「おっさん、何をいう」と当初いつもどおり感じていたが、ディスカッションの中でこの部長の発想に触れることで、「納得」できた。なるほど、なるほど。

やれることをやる、のではなく、やるべきことをできるように考える。大賛成。

・・・しかし、工場見学をして思った。
大学受験、変な縁で意図せず農学部の林学科というところに行き着いた私だが、おそらく、三河に育った私が、強烈な個性をもたないまま生きていたら、きっとこういう生産現場にかかわる仕事についていたのではないだろうかと思う。なぜなら、生まれた環境に加え、「改善」という考え方が自分生き方の中で違和感がなく、工場見学をしていて、なんだか昔からよく知っている自分の居場所のような感じがしたからだ。

さて、昨日のような「改善」や「教育」が林業の中に根付くのか。根付けば大革命だろうけれど、根付くのは宇宙に行くのより難しいだろう。しかし、同じできないにしても、できないからやらないよりも、私は、がんばったけどできない、ほうがストレスがなくていい、と感じるタイプの人間だ。

風邪をひくということ

とかく新型インフルエンザで持ちきりの今日この頃。どうやらインフルエンザにかかった人の1%が死にいたっているようだ。インフルエンザで人が死ぬなんて・・・。かなりびっくりで、衝撃的だ。

インフルエンザもしばらくはイスラム圏の国が感染していなかったようなので、細菌テロかとも思いつつ・・・、これまでの自分の人生を思い返すと背筋が冷たい。

基本的な方針として、私は「風邪なんて寝て治せ!」という方針である。おそらく大学に入ってから一人暮らししていて、風邪で医者にかかったことは、ほとんどない。たまたま、風邪を引いた次の日なんかに大きなイベントがある場合、一度か二度医者にかかったことがある。それくらいだ。自力で寝て治しているうちに免疫も高まるだろう。下手に薬で改善したら体の回復力の底上げにはならんだろう。そう思っているからだ(根拠はまったくない)。風邪をひきそれを薬を使わず自己力で治し、自分の抵抗をパワーアップさせる。

そんな私には、会社員一年生のときに一度、いまの職場についてから一度、間接ががいたくなり大いに熱がでたことがある。・・・といっても体温計がないから分からないが、とにかく寒かった。

いまを思えば、あれはインフルエンザ!新型インフルエンザでは1%が死んでいるが、下手すりゃ普通のインフルエンザでも死ぬ可能性があることを今回知った。

これは怖い。ちょっと私の風邪引きのときの方針転換を今回を機にしてみようと思う。