時は無情

東京に出張に行くときは、たまにいく東京出張を有意義に過ごそうと、メインの用事は午前中に済ますようにしている。午後は、方々の挨拶まわり。そのため、朝の新幹線は、職場が払ってくれまいが「のぞみの指定席」ででかける。前日遅くまで仕事をしていても、新幹線を睡眠の場とすれば、ぎりぎりまで仕事ができるからだ。
そんなことで、今回の東京出張も前日、岐阜駅に指定券を買いにいった。

まず職場から家に向かう途中、カーラジオで岐阜駅の下り線ホームで貨物車両と人が接触事故を起こし、運転を休止しているとのこと。そんな話を聞いてはいたが、完全に忘れて岐阜駅につく。いやに多いパトカー。それで人身事故のことを思い出した。

エスカレータにのって2Fの緑の窓口にいき、指定券を購入して、家に帰ろうとおもったところ、改札から4人で1つの担架をかついだ警察官、そして先導役の警察官が、私の目の前を通り過ぎた。担架に乗っているのは担架全体にかかる銀色の袋だ。見れば、イラク戦争のときの米軍の死体袋に似ているが、その袋の中に人が入っているならば、頭のふくらみ、足のでっぱりが分かるはず。しかし、その袋には、そんなふくらみも出っ張りもなかった。

さて、出張からの帰り、名古屋からくだり電車にのって岐阜に帰る。近づく岐阜駅で昨日起きた人身事故を思い出した。つまり、私が降り立つホームでは昨日、その冷たいコンクリートの上で人身事故が起きたのだと。

そして妄想した。もしも、あの人身事故で人が亡くなったとする。ホームは血の海だっただろう。頭のふくらみの足の出っ張りもないということは、見るも無残な事故だったのではないだろうか。貧血で思わず倒れこんだホームに、貨物列車が入ってくる。突然の悲劇に家族は混乱し、こころの整理もつかない。

そんな、ある家族にとって、いまだかつてない、最大の事件が起きているまさにそのとき、今日も無邪気なおしゃべりをした女子高生や仕事で疲れたサラリーマンたちは、いつものようにホームの冷たいコンクリートを踏みつけて家路に急ぐ。ホームに木霊(こだま)す今日の出来事を楽しげに話す人々の声。

家族にしてみたら、心の整理がつくまでは、その現場もそっとあってほしいのだとおもうけれど、そんな気持ちにかまうことなく、今日もいつもと同じ一日がくれていく。

時は無情なり。

※昨日の新聞で確認したら、飛び込み自殺だったとのこと。あの袋に入っていたのは、自殺した女性だったに違いない・・・。

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