月別アーカイブ: 2009年6月

ファイナルアンサー

de2958b9.jpg今日は休みをもらって、家で解析をしていた。
先ほどのグラフもさることながら、その後の処理もなんとかできた。この図がファイナルアンサー。なかなか、やるワイ!

さて、これが一件落着したなら、CGとインドネシアに踏み込む前に、マイ・エンジン付ボートで”海”に繰り出そうかと思っていた。しかし、2日前に”本を出すので、執筆してくれないか”という話があった。GPSに関する本の一部を書くことになりそうだ。これは命を削ってでもやりたいことだ。海が少し遠くなった・・・。なにしろ、締め切りは7月21日だということだ。

だれも、かれも看板方式で、アウトプットを求める・・・。研究や文章は、私の能力ではすぐに成果はでてこない。じーーーっと考えていないと、いいアイデアや切り口が見つからないのだが・・・。

これを待っていた

graph1
4月からのフィールド調査と衛星画像解析など・・・。このグラフをつくることに集中していた。昨晩下準備したあと、寝る。
そして、特別な朝を迎えた気持ちで満ち、今朝、襟を正してパソコンに向かう。ここが私のオタクなところなのだとおもうが、フィールド調査のデータ解析をしながらグラフにするときには、小心者の私は心臓が止まるくらいドキドキする。スパッと出たグラフ。ひとつは満足いくものではないといえば、ないが、その不満足の原因を推理するところが面白く、不満足な結果もまた楽し。
ところが、その原因は、きっと「あれにある?」と思いながら作成した下のグラフ。これがスパッと出たときは、息をのんだ・・・。思ったとおりだ。

graph2

悲しい一日

61b2cc1f.jpg中部の財界から依頼されているデータ処理をするために、梅雨の晴れ間なのにもかかわらず、ランニングや金華山もせずに、コンピュータに向かっていた。
いまやっているデータ処理には大まかに、①フィールドデータ処理。②航空機からのデータ処理。③衛星データ処理。そして①②③を統合する処理の4段階がある。先週①を完全に終え、②の下ごしらえをして、土曜日に③の下ごしらえをするよていだった。ところが、下ごしらえの処理は単純だが、3つのソフトウェアを介すうえに、地図としての作り方もまちまち。見積もりでは半日だったのだが、昼に職場に来て、観念して家にコンピュータを持ち帰り、延々と3時半まで処理していたが、同じ位置を示すはずの出来上がる複数の地図がずれてしまって重ならない。そのまま、バタンッっと寝てしまった。

朝起きて、なぜ、重ならないのか考えるがわからない・・・。昔は、昨日見積もっていたようなやり方でできたはずだが・・・。

そこで思い当たるのは、もしかしたらソフトウェアのバグか?たしかに、バージョンアップした。また、私がつかっているOSはウィンドウズ・ビスタ64ビット。以前はウィンドウズ・XPで処理できていたが、あのときと機材の環境が違う。

今朝は、また職場にきて、職場のウィンドウズXP32ビットと昔のバージョンのソフトウェアで試した。すると、できた。どうやら、投影法の変換ルーチンでなにか、不具合があったようだ・・・。

バージョンアップとは、よりよくなることなのだろうが、俺の一日を返してくれ~。あー今日も日が暮れる。

水難救助

昨晩、春日井で消防につとめている従兄弟からメールがきた。明日、長良川に消防の同僚を誘って水難救助訓練をするが、きませんか?という内容だ。森林調査で疲れた体を長良川で泳いで流そう。そう思って、昼から休みを取って長良川の上流に言ってきた。ラフトとカヤックを持って。

雨の中だったが、どうせ濡れること。かまわず、ラフトの操船練習と激流泳ぎをしてきた。やはり川は面白い。

写真があれば迫力があったが、カメラを忘れてしまって残念。

TTD

TTDはプロセス技のDDTと似ているが、似て非なるもの。Things To Doのことで、会社員づとめをしているときに取引先の電話横においてあった、「やるべきことリスト」のことだ。私は、それを発見して以来、時に応じてTTDリストを作る。

さて、そろそろ夏のTTDリストを作る頃だ。中部財界の以来の結論もまだ出ていないが・・・。ともかく、あと一月後くらいから2ヶ月間の”やりたいこと”を念頭に入れて環境を整えなければ。つまりスケジューリングのことだ。

さて、今年の夏のTTDは、「エンジニア体質」の私は、やはり技術向上に燃えたい。GRASSというソフトは昨年燃えた。またGnuplotというグラフ描画、LinuxのOS、TerraModelerというレーザープロファイラー処理ソフト、PovrayというCGソフト・・・。

今年の夏こそ、
Rという統計ソフト、PostgreSQLというデータベースソフト、Perlというプログラミング言語、シェルプログラミング。これら4つについては、その高い山の取り付きポイントまでは行き着きたい。そんなことを考えながらスケジュールを立てると、もうすでに夏は終わっている?
おー、そうそう。何度やっても物にならない英語も、いいかげん何とかしないと・・・。

虫の雨

八月下旬にバイクを購入してから、すでに9ヶ月がたつ。走行距離も6千キロを超えた。はやり、毎日風をきって走るのは爽快だ。

さて、最近暖かくなって(暑くなって)虫がフワフワとんでいる。ときに、カゲロウなどが大量発生するときは、交差点では車がスリップするくらいのカゲロウ地獄(年に一日くらいしかないが)。最近は、虫の飛来もすくなくなったので、今日は8時頃の帰路、長良川沿いの堤防を走ることにした。最近の釣り人の動向をしりたかったからだ。

そんなことはほっといて・・・。まるで土砂降りの中を走っているように、堤防沿いの道には虫が浮遊していた。ヘルメットにたたきつけられつぶれる「蚊や蛾」。挙句の果てにはフルフェイスのヘルメットの中にまで入り込む。耳元がくすぐったく・・・。こりゃぁたまらん。

本題。釣り人だが、8時になってもパラパラいた。今年の鮎は連れるのか?

カウンター席

昨日は、また雨の中、2年近く前のフィールド調査の場所に出かけ、一人、急斜面のスギ林を歩いていた。

そして、一日頭が痛かった。そして今朝もその痛みが残っている。寝不足のときのような頭痛・・・、風邪を引く直前のときの痛み・・・。この体の抵抗が弱っているようなときである。インフルエンザも怖い。

しかし、この頭痛、おそらく原因は前日の居酒屋が原因だ。今朝、私はそう確信した。

一昨日、東京からお客がきた。午後6時ごろ到着の予定だったが、ついたのは午後8時半。是非、かれに話を聞いておきたいこと、確認してもらいたいソフトウェアの不具合があったので、遅くの到着だったが、ウェルカムだ。

彼は次の日、名古屋で仕事。そのため、宿は岐阜駅周辺でとったほうが便利である。だから、私は用事がおわったら彼を岐阜駅のホテルまで送っていった。そして、「飯を食う」というだんになった。

JR岐阜と名鉄岐阜の間にはさまれた繁華街があり、そこの居酒屋に入った。

テーブルが5つくらい。カウンター席が7席くらいの小さな居酒屋だ。私は、昔からカウンター席が嫌いである。が、彼はテーブルが3つ空いており、カウンター席がすべて空いているのを見渡すと、迷わずカウンター席に座った。そして私は想像した。「あー、彼はマンモス都市住人の習慣で、2人なら、後のお客のことも考え、カウンター席に座ったのだなぁ」

その気遣いが正解だとしたら、それは私も賛同したい。

がだ、とは言っても私が分からず困るのは、カウンター席に座ったときに、どこに視点を定めたらいいのか、ということだ。カウンターの正面の壁か?料理か?それとも隣の人の料理か?それとも相手の目か?私のコミュニケーションは後者が基本だ。

・・・となると体を90度ねじって話を聞かねばならない。30分たつ。1時間たつ・・・。ラーメン屋のカウンターと違い、居酒屋のカウンターでの時間は長い。一時間たてば、私は右首筋が痛くなってきた。結局、その居酒屋には一時間半~二時間の滞在だった。しかも、車の私はノーアルコール。さらに、午前0時を過ぎていた。

そして、次の日、つまり昨日、起きてみたら頭が痛い。あれ?寝不足かと思って、アリナミンを飲んで、雨の山に入った。体調を整えることに努力したのだ。・・・が、今朝も頭が痛い。まさかと思い、右首筋をもんでみたら、堅い・・・。つまり凝っている。あー、これはカウンターでの筋肉疲れによる頭痛だな。私は確信した。

誰か、カウンター席で飲むとき、その視点はどこに置いたらいいのか教えてほしい。

時代もの 年代もの のテレビ番組

家でボーっとしているときにテレビをつける。チャンネルをカチャカチャ動かしていると、結局行き着くのは、教育テレビ。たしかに、番組の内容も興味をそそるところだが、教育テレビのカメラは固定されているものが多く、アングルの動きがない。そのため、自分の興味のあるところを観察する余裕や、なにげなく画面を見回したりして、暇つぶしにはもってこいだからだ。

それが、最近、教育テレビに加えて、私のチャンネルサーフィンにあらたなジャンルが加わった。昔のテレビ番組だ。NHKアーカイブス、仮面ライダー、ロボコン、時代劇・・・なんでもいい。めまぐるしく動くカメラアングルで私は何をよろこんでいるのかというと、主人公やヒーロが活躍する野外の風景だ。特に、背景に山をつかったシーンなどは、私の目を釘付ける。(スカパーにはとくに古い番組がおおい)

今でこそ、大面積で木を伐り、山肌を見せているような山はほんの一部だ。しかし、昔の番組に登場する山は、今と全く様相が違う。授業で、高度成長期の頃、広葉樹の森を針葉樹の森に替えていった・・・。昔と比べて労働人口は激減・・。そんな話をしていても、なかなか実感がないのだが、高度成長期の頃に作られた番組の背景には、そんな記憶のかなたの情景を思い出させてくれるところが、私をひきつけて止まない。

特に時代劇はさらに興味深い。先日、木枯らし紋次郎の再放送を見ていたら、1970年代前半の背景はたしかに興味深いが、こんなシーンが出てきた。夕暮れ木枯らし紋次郎が、ある村から出て行くとき、道を説明するシーンでのできごと。そこの○○を進んでいったら、「きんま道」にでるので、それを登っていけば峠につく。そんな言葉を言っていた。なんとも、まにあっくな「きんま道」。時代劇で「きんま道」という言葉を聞きそれにビックリしたが、番組の脚本家の教養にビックリ(もっとも、東京にでてきたキコリの息子が番組の脚本をつくっていたのかもしれない)。

また、これまたマンガだが、「カムイ外伝」を視ていたとき、「おれたちはサンカだ」というセリフがあった。これまたビックリ。

「きんま」も「サンカ」も今では知っている人はほとんどいない。年代もの、時代ものの番組を見ていると、最近はNHK教育テレビ以上に興味深い発見が多い。

それに比べて、最近のNHK大河ドラマ。天地人の「北斗の七星でさそり座?」や「日本地図を南を上にして新潟を説明する地図」など、常人の常識を逸脱する番組作り。それに加え、オープニングのテーマソングのとき「時代劇」の演出をしているにもかかわらず、「お船 常盤貴子」の名前がでてくるその場面の背景になっている田んぼ。あの田んぼは明らかに「機械植えした苗」であり、時代劇には不自然。北斗七星や田など・・・、明らかに自然に関する観察力が足らない・・・。番組をつくる人に求められる能力が大きくかわったのだろうかなぁ・・・。