梅雨のほんのわずかの晴れ間のように
毎日修羅場の間隙をぬって、大型自動二輪の免許を取ってきた。
一年くらい前に普通自動二輪の免許をとったときの、自動車学校の入学金38000円がまだ活きており、大型自動二輪の教習にかかる時間もお金も射程圏内だったからだ。
今日免許の更新をしてきた。
(7月21日に検定合格)
ナナハンに乗る予定はないが、定年まで元気でいられたら、オーストラリアの横断でもしてみようかと・・・。
毎度ぉーーー!
という感じで、また最近修羅場だ。
6月末は中部財界から頼まれた仕事で、修羅場だった。
その後、ちょとラフティングなどをしていたら、書籍の原稿を頼まれて修羅場。先週の今頃は大変だった。一月も余裕があったにもかかわらず、書き出したのは4日前。どうなることかと思ったが、自分でも不思議な集中力で、あっという間に出来上がった。
それが終わったと思えば、先週の金曜日・土曜日・日曜日で、2年越しの県からの仕事の後処理でヒーヒー。それもなんとかめどがついたかとおもったが・・・。
ということで、県からの仕事の残務に対応しながら、実は明日は東京に出張。しかも、なんだか偉い人を前にしての発表とディスカッション。
なんと!今朝にはなにもできていなかった。朝職場に着てから、解析をはじめ、いまやっとなんとか凌げるものができた。
今朝の夢は、明日の発表で、人の発表を聞きながら自分の発表を組み立てていたものの資料が見つからず(コンピュータの中のファイル)、あせって目が覚めたというもの。いやーーー、本当に今日はどうなることかと思った。
休んじゃえーーーとも思ったが・・・。
なんとか話はまとめられそう。めどがついたので家に帰るとするか。
今日は、飯も食わず、お茶も飲む時間もなく・・・。疲れた・・・。
小学校のころ、学校から帰ると屋根に上り、部分日食を観測した。それ以来、30年ぶりに日食を見た。それもこれまでの日食とは桁違いに欠ける日食だ。小学生だったころの、俺の一生の間に「ないかもしれない」と思っていた皆既日食ではないが、大掛かりな部分日食だ。
何のことはなかったが、夕立直前のときのような、薄暗さになっていたのが印象深い。
下の写真は、その日の夕暮れの写真。
印象深いのは、あれだけ注目を浴びて一大イベントを果たした太陽は、なんの疲れも見せず、その日の夕方には、日食の余韻を微塵も感じさせず、いつもと同じ太陽になっているところだ。今朝もそうだった。一夜明けた太陽は疲れを見せることなく、日常に戻っている。平常心、平常心・・・。
自分で、そう書いていて笑えてきた。太陽が日食を意識することはないし、別に太陽に感情はない。また太陽の立場に思いを馳せること自体がナンセンス。
けれども、この40過ぎのおっさんになっても、子供の頃から感じる感性が「そのまま」の状態で歳をとり続けている自分を発見したことが、もっとこの日食で印象深いことなのかもしれない。
ともかく、何があっても、平常心に心がけることを太陽から学んだ。
きっとこういった「思い込み」「考え違い」を積み重ねることで、人はそのオリジナリティーを増していくのだろう。
田舎に育った私の子供時代は夜に外を出歩くなんていうことは、「夏の盆踊りの練習」か「おおみそか」だけ。夜は暗いもので、月夜に照らされる銀色の瓦が闇夜に光り、夜は別世界、知らない危険がいっぱいの時空間。そんな印象だ。
しかし、どうだろう。最近のガキんちょは!夜だろうが、昼だろうがかまわず外に出ている。街燈は田舎の果てまでいきわたり、ネオンはチラチラ明かりをともしている。そしてコンビニからは光りの洪水があふれている。夜は明るくなった。そして塾帰りの子供たちはコンビにでたむろし、危険がいっぱいのよるの時空間に心の
防護服も着用する必要性を感じないまま、想像力や妄想力をつかうことなく、ただ明るい現実でいつものように戯れる。
コンビニは怪しからん。街燈は怪しからん。ネオンは怪しからん。
もしかして日本中を30年前の夜の暗さにしたら、二酸化炭素は50%くらい削減できるのではないだろうか・・・。
などとは思うが、コンビニは輪をかけて怪しからん。理由はこうだ。
コンビニの商品は下克上。商品の回転が速い。新製品は試しにおかれ、売れない商品は直におろされる。私が気分を害すのは、アイスクリームとジュースだ。
アイスクリームの回転が速すぎる。私は上の写真の「井村屋のモナカ」がうまいと思っている。数年まえは、毎日職場からの帰り道、ファミリーマートで買って帰った。そして、あの井村屋のモナカを職場の帰り道以外で買おうと、コンビニに立ち寄ると、ない、ことが多いのである。もちろん私だって学習する。なるほど、あのアイスはファミリーマートで扱っているのだなぁと。
というわけで、出張先のファミリーマートによってみる。「ないときがある!」。そしてあたふたしているところで、秋の始まりとともに、いつものファミリーマートからもそのアイスは消えていた。(9月の人間ドックで中性脂肪が多くなっていたのは、そのアイスの食いすぎだと思われるので、目の前からアイスが消えてくれてほっとしたのであるが・・・)
また、私は石油が高くなるほんの直前あたり、ジョギングあとにキンキンに冷えたオレンジジュースをがぶ飲みするのに快感を覚えていた。だから、オレンジジュースにはうるさい。そんな私が偶然買ってのんだところ「おっこれはうまい」と思ったのが井村屋のオレンジジュースだ。おー、これはいいと思い、あれが飲みたい!と思ったら片っ端からコンビニのはしごをした。・・・しかし、ないのだ。あの井村屋が!そして、なんだあの店だけが扱っているのかと思って、再び入ると、その店からも井村屋のオレンジジュースは消えていた。
私はそれ以来、たまたま入ったコンビニでアイスかジュースのお気に入りを見つけると、次にコンビニに入るのが怖くなる。過剰なお気に入りアイス・ジュースへの期待でコンビニに入ると、結局、まがいのもをつかむはめになることが多いからだ。せっかく、車から降りたのだから、まぁ今日のところは、これで手を打つか。といった状況が10回に9回くらいはあるからだ。
あー、なんとアン・コンビーニエント なのだろう。
こんにゃろう、アン・コンビニエンス・ストアーsめ!!!
もう一月くらい軽トラックが動かない。
バッテリーがおかしいのかとおもって充電したが、動かない。
うちの若い衆に頼んで押しがけをしたが、動かない。
どうやら、セルモーターが回らないようだ。
そんなときは自動車修理工場に出せばいいのだが、見知らぬ土地では「だまされやしないか」などと不安で・・・。車を修理に出せない。何しろ車は、値段が高い。
今日昼に外に出た往復の道中、156号線沿いの車修理工場を探す。割とある。選べないほどある。この世の中に1つしななければ、そこに行くのだが、いくつもあるので悩むではないか・・・。
なにが不安かというと、親切さと料金だ。
大きい方がいいのだろうか、それとも小さいほうがいいのだろうか・・・。個人営業のほうがいいのだろうか、それとも会社のほうがいいのだろうか・・・。
ボラれたらどうしよう。不安ばかりが先行する。
おー、ここはいいじゃないか。○○モータースを発見。適当な規模だし、ピットもきれいそうだし、店構えもいい。よーし、こんどここに持ってこよう、と心が動いた矢先、その先に○○モータースの旧仕事場があった。
なるほど、新社屋というわけか。となると社屋建設にともなう借金返済もたいへんだろう。となれば、お安くやってくれないかもしれないなぁ・・・。意識してみれば、いままで気づかなかったモータースが沢山ある。これは悩ましい。どうもあと、1月くらい悩んでしまいそうだ。
4月以来、市の農園を借りている見ず知らずのじい様たちに、挨拶すると話し掛けてくれる。そのコミュニケーションによって、農作業の悩みを解決できたおかげで、瀕死のゴーヤ(職場のゴーヤとは違う)や丈の小さなピーマンやナスも収穫できるようになった。Tossanにもらったサツマイモの活着して順調・順調。
昨年は、無農薬などといってオシャレに農業をしようと思ったが、無農薬だとか有機栽培などは、神さんのやることで、私のような初心者には「化学肥料のドーピングにつぐドーピング」でも、まずはまともに収穫に行き着くことが先だと気づいた。
さて、今日話し掛けてくれた人との立ち話は面白かった。
3週間前にその人が植え付けた秋に収穫できるキュウリの種をもらったが、一週間で芽がでたのだが、二週間前に見に行くと跡形もなく消えていた。あまりにショックだった、あの事件。せっかくもらったのに、上手に育てられずにすいません。お詫びしたが、初老のおじさんは、肥料のやりすぎで根が腐ったんだろう。などと世間話・・・。につぐ、世間話・・・。
そんなとき、彼が腰のウエストバックからデジタルカメラを取り出し、畑にいたコオロギを写真に撮った。まさかとおもったが、おじさんに「ブログ」ですか?と尋ねたら、シャイな笑顔で「そうなんやてぇ~」と岐阜弁で応えてくれた。なんでもこういうことらしい。
退職後、ボケ防止にと思い近所のパソコン教室に一時間1050円でパソコンを習いにいき(仕事でつかったことはなく、退職後に初めてパソコンをつかう)、メールのやり方を教えてもらった。さらに、「ブログってなんやろう」と思い教室で教えてもらいブログ開設にこぎつけた。
結局、ボケ防止のために毎日ブログをつけようとしていると、どうしてもネタ探しをいつもするので、毎日の発見が多くて楽しいということ。毎朝は確実に記事を投稿するとのこと。これはいい事だ!と思った。確かに、毎日つけようと思うと、ネタを探す脳細胞が活性化するような気がする!しかも、そのおじさんのブログには固定客がつくようになり、北は北海道、南は九州の方々からコメントをもらうそうだ。しかも、「今日はキュウリが取れすぎた。食べきれん」と記事をアップしたところ、「それなら、あーやって料理しろとかレシピを書いてコメントしてくれる」などと、うれしく笑っていた。
なるほど、ブログのコミュニケーションとはこういった老人の余生の過ごし方に入り込んできているのだなぁと実感した。
7月21日締め切りの原稿がある。
700字を1ページとカウントして、頼まれたのは10-14ページくらい。文字数にしたら7千字から1万字。1月くらい前にそんな依頼があった。まずは、無意識にまで「原稿テーマ」を沈ませて、時々思い出しながら、ネタと構成を考える。
さて、昨日の時点で1文字も書いていない。編集者がそのことを聞いたならさぞかし気をもむだろう。しかし、私はなんとかなると思っている。それよりも、頭がいたいのは7月29日の東京での発表と、7月末までに期限を定められたある仕事だ・・・。
しかし、いい加減あと一週間しかない。まずは推敲する元となる素稿が必要だ。そいつを書かないことには締め切りを乗り切れない。そこで、昨日は家に帰る途中、安いワインを買ってきた。「酔拳」をするのに必要なのだ。(ここ2週間は酒は飲まないようにしていた)。
ところで、誤字脱字が多くて、読みづらく、誠に申し訳ないが、こうしてブログを書き続けるのも、筆の修行だ。Leeさんからいつも「長い」といわれる文章も、まずは素稿として長い文章をかくための修行なのだ。気合を入れるときは、推敲で水分を蒸発させた内容にすればいい。とにかく訓練としては、心に閃いたことを、ツラツラと書ける体に慣らしておく。そうおもって日々修行。
さて、今日は原稿用紙にしてみたら20枚~25枚の分量を、自分が安心できる量まで書かねば、締め切りを乗り切る自身がなくなる。そう考えて、今日を「山」とした。集中と「その世界への没頭」が必要だ。そこで必要なのがお酒・・・。朝形に移行しつつある私のライフスタイルである。朝、酒を飲みながら原稿を書くわけにも行かない。そこで、夜に「夜に書くラブレター」のような恥ずかしくなるような大胆な文章を書き、朝アルコールの抜けた頭で原稿を見つめなおす。そうしよう!
どうやら、酒を飲まなくても日ごろから酔っ払っているようなことを書く私は、今朝も深夜のような大胆な作文だった。昨日の夜から先ほどの間に、1万4千字の素稿ができた。これから大きく削りながら、なんとか7千字までに落とし込みたい。・・・うふふ、もちろん酔拳で!
早寝、早起きに体を切り替えて3日目。悩ましい問題が出てきた。
昨日の朝は、誠に気持ちのよい朝だった。新聞を取りに階下に降り、その足で長良川の船乗り場に。静かな朝の風の匂いは、30年以上前の「夏休みのラジオ体操」に出かけるときの匂い。草の香り、土の香り。ほほを通り過ぎる、朝露を含んだ涼やかな風。こいつは早起きに限る!家に戻って仕事を始めれば、長良川に面した北の窓、金華山に面した東の窓から、輝く川面を滑ってきた風、目覚めた木々の上を急ぎ下ってきた風。久しぶりの朝。こいつはいい!
とおもったのもつかの間。昨夜、床についてから12:30に目覚めてしまった。あまりにも暑くて・・・。冷蔵庫に冷やしておいた水をガブガブ飲む。そして朝が来た。4時50分にセットした炊飯器の音で目が覚める。さて、今日も気持ちのよい朝か?とおもったら、昨日と比べて風が無いため、ただ「ちょっと涼しい朝が来た」というだけの感覚。
悩ましい。夜更かしして寝苦しい夜を回避するか、それとも寝苦しい夜を乗り越えて時に涼やかな朝を優先するか・・・?
しかし、岐阜の夜、実家の愛知県三河地方の夜、名古屋の夜、これらと比べれば、寝やすいこと間違いないが・・・。そろそろ水風呂で体を冷やして寝なければいけない季節だなぁ。