病院の長い待ち時間で得たもの

今日、近所の病院に行ってきた。

昨日、行ければよかったが、昨日は仕事でいけなかった。明日こそは行くぞ!そうだ、病院の待ち時間も長くなることだから、朝一番で病院に行く!そう決めて昨晩床についた。

・・・が、朝いつもの時間に起きたのだが、今日は土曜日だからと、もう少し寝ることを選択。まぁ多少待ち時間が長くなっても・・・。

結局、9時に起きた。9時半に出ようと思ったが、さすがに「うっかりさん」である。診察券がない。20分探したが出てこない。あきらめて再発行することにして病院に出かける。

さて、何で病院に行ったのか?
2日前、足の踏み場もない勉強部屋で、電気が完全につく前、部屋に足を踏み入れてしまった。それがために、暗闇の中でトレーニング用のブロックを左足の薬指でもろにキック!もちろん、勝敗は知れたもの。足の指の負けである。40数年の人生、これまでも、家具や壁に足の指をぶつけることはあった。しかし、「んーーーーーん、イテェーーー」と5分くらいのた打ち回れば、痛みも癒えたが今度は違う。金曜日の朝、起きると指が紫に変色して、まるで凍傷にあって腐ってきた足の指のようだったのだ。しかも、靴を履いて歩くと痛い・・・。
ときどき、手の指の骨を折っても治療をしなかったために、指の形が曲がったままの状態の方を見かけることがある。この足の指、もし折れて曲がったままくっついては、ジョギングや登山に差し障るのではないかと思い、この腐りかけたような指の現状を知っておきたかった。これが病院にいった理由だ。

さて、寝坊+診察券さがしで大部遅くなった。病院に行く。もちろん、待ち時間は長い。それを想定して、診察券の変わりに文庫本を持っていった。沢木耕太郎の「彼らの流儀」だ。

沢木耕太郎の書く文章の静かだけれど力強い文章に改めて触れた。

中学のとき国語10段階評価2(もちろん、1が一番低い)をもらった私だが、大学を留年する頃から文章に興味を持つようになり、やがて「梅棹忠夫」「本多勝一」「沢木耕太郎」の書く文章にあこがれるようになった。

最近は、忙しさにかまけ「憧れの文章」を見失っていた怠惰な自分だったと、沢木の文章を読んで感じた。今日の長い待ち時間は、最近挫けていた「”ゆーが”」に気づかせてくれた重要な時間になった。

・・・と考えながら、あの足を指をぶつけた惨劇は、「貴重な気づき」をもたらす、伏線でもあり、代償でもあった。あの惨劇なくして、この無二の収穫。

などと、考えないことには、足の指の痛みが痛すぎるぅ~!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です