月別アーカイブ: 2009年8月

インドネシアその後

まだ、どうやるのか分からないが、どうやら私が9月15日関西空港出発というのは間違いなさそうだ。しかも、あとから一人で乗り込むので、ビザや調査許可などの手続きでずいぶん時間がかかりそうらしい。通常一週間その交渉にはかかるらしい。そこを交渉を一人で短く短縮するという冒険も今回にはある。

しかも、もっと冒険は、宿泊はキャンプだということだ。赤道直下。生物多様性の宝庫。どんな虫や獣に遭遇するのだろう。熱帯のジャングルと言うわけではないが、熱帯林を伐採して耕作放棄された100km四方が今回のフィールド調査地だ。

呆れた話

まったく信じられない話だ。しかし、これは実話だ。

私は250ccのバイクを昨年から乗っている。250ccといっても正確には249ccだ。まぁそんなことはどうでもいいが、これから書く話のために249という数字を覚えて欲しい。

さて、昨年バイクを購入して乗る前にやることは、保険に入ることだ。自賠責ではない、任意保険だ。各社見積りをとっていた最中の出来事、車とバイクの抱き合わせのような保険はないかと思い、車の保険に入っている近所の農協に電話で問い合わせた。すると彼女はこう言った。249cc以下なら農協では原付特約で抱き合わせできると。そして、購入予定のバイクのナンバーを聞かれた。

さて、後日バイクの来る前に農協を訪問した。そして原付特約の追加料金を払いに行った。すると、すでに私は原付特約(それまで乗っていた50cc)に入っているうえ、その原付特約では何台でも対象になるので、追加料金も必要ないと言われ、少々手続きに時間がかかったが(彼女が調べてる)、そんなことも余りある喜ばしい思いをした。つまり、農協では通常250ccのバイクでも原付として扱うために、お金を追加することなく車の保険をバイクに適用してくれるのだと。

・・・あれから一年が過ぎた。6月に原付のバイクはもとの持ち主に返却した。そのため、車の保険の継続のついでに原付特約の50cc分の解除に行った。それを家族に頼んだ。そこの窓口での出来事。250ccのバイクは分からないが、原付を解除するので、車の保険料が安くなりますと・・・。

家でそれを聞いた私は、「?」と思った。それで、農協に電話で聞いた。昨年の経緯を説明し、249ccのバイクの保険が入っているかどうか、聞いたのだ。私は昨年、原付特約で何台でも保険対象ときていたが、原付特約を解除したなら、249ccの保険はどうなるのか?

一旦電話を切って、調べて再びかかってきた。すると電話のアンちゃんはこう言った。249ccのバイクは原付特約の対象ではない。
おいおい、ちょっと待てよ。冗談だろう!249ccが私の原付の常識とは違うので、昨年だって念を押したはずだ。ちょっとアンちゃんも分からないことがあったようで、明日また私に電話くれると言う。

次の日、農協から電話があった。彼はすんなりこういった「249ccは原付ではないので、いままで保険に入っていません」。私は「なんやそのいいかたは?前の担当に聞け。彼女は249で原付だといって私は対応したのだから」。私はひとしきり怒りをぶつけ、彼は彼女に確認してまた電話するということになった。

そして電話が再びかかってきた。「農協では149cc以下のバイクが原付であり、249は原付ではないので、保険には入っていません」。私は農協の不誠実対応に文句をいいつつ、「あんちゃん、ちょっとまて。どう考えても149というキリはわるい。125ccだとか80ccというならわかる。149ということは249の間違えではないか?もう一度よく調べてみよ!!!」

そして再び電話がかかってきた。「誠に申し訳ない。訪問して説明をしたい」とのこと。私の怒りは頂点だが、時間がもったいないから、結論だけでいいといったが、訪問したいと・・・。私は時間に縛られるのが嫌だから、そんなら、こっちが訪問しようということで、その日の晩に仕事帰りにたちよった。この顛末にどういう対処をするのだろう。そう思いながら・・・。

農協の次長と保険のリーダーがやってきて。頭を下げてすいませんと・・・。私は、事故がなかったからよかったものの・・・、いまさら頭を下げられても何も変わらん。私がここにきた理由は一つだけだ。どうして249ccという間違いが起こったのか?百歩譲っても普通125ccなんていうのは明らかではないか!

すると、次長はこう言った。原付の件は、まことにすいません。あなたが言う通り普通125cc(つまり124cc)が原付特約の範囲です。云々・・・。彼の話を一通り笑顔で聞き終えて、私はこう言った。

ちょっと待て。なにが125が原付特約だ。私は今朝、149と言われたばかりだ。それも彼には念を押した。149とはキリがわるいから、249との間違えではないかと。それでも149と主張していたが、一体、御社はどうなっているのか!人の命を預かっているという意識はあるのか!バカにするのもいい加減にしろ。私が農協の管理者だったら二人を首にする!私以外にもそういうふざけた商売をしているんじゃないのか!どうなっているのか!

まことにすいません。本件、本部に報告し、社員教育を再度徹底します。

・・・

いろいろやりとりがあったあと、次長はいった。
「本当にすいません。お話することもありません」
「そっちが話がないなら、私にも話はない。では失礼」

「これ・・・」と菓子折りのようなものを出しててきた。
私は言った。
「こんなもんをもらったところで私の怒りは収まらない。いらん!」

これは本当に有った話だ。

農協に車の保険を二台入れているが、タンカをきって保険を引きあげてしまいたいところだが、農協より安い所がなく、バイクの保険を農協以外でするのが、やっとだ。
かっこ悪い、私・・・。しかし、気分は未だに収まらない。

とうとう ・・・天地人

以前からNHK大河ドラマの天地人の「?」ということを報告してきた。毎回ものなので、続きをどうしても見てしまいたくなる。そして見る。そしてフラストレーション。
こんな状況を脱すべく「原作」にあたってみた。コンピュータ処理の待ち時間、風呂、便所、ソファー・・・。細切れの時間を使いながら、ここ3日で上中下巻を読んでみた。

ところで、昔に起きた事象とそれのドラマについて
私はこう思っている。
歴史に書いてあることは、当時の事象よりも脚色がかり
歴史小説が書くことは、歴史よりも脚色がついており
脚本は、さらに歴史小説を脚色し
演出は、脚本に輪をかけて脚色してる。

だから、大河ドラマの描く歴史は大きく歪み、現代人受けに当時の事象とはかけ離れたものになっている。そう思っている。

さて、演出と脚本のなせる技の大河ドラマでは、世の評価は知らないが、今回の天地人、私には面白みがかけている。ところが、原作にあたってみたら、それはそれでそこそこ面白い本だった。

しかし、よくわからないのが、物語をとうして主張している「義」のカタチだった。上杉が豊臣に臣下の礼を取ったころから、ドラマも原作も、そこで言っている義が理解できない。感触としては、物語が描く世界をより人受けするために、強引に「義」というツッカエ棒で支えている感じだ。本来たいした話にならないものを、たいした話になるように・・・。

しかし、大河ドラマの大河とは、時代の大きな流れという意味で使われているのだと思う。そう考えると、今回の話は大河というより中河くらいの大きさの話で、大河の面白みが少ない。中河を大河に強引にするために、義という概念で繕っているような気がする。そこが残念・・・。

また、ドラマの石田三成がいつも同じ着物を着ているのも残念。
私が小学生の頃みた「黄金の日々」という大河ドラマでは、多くの大名達が秀吉や家康、信長の前に出ていた。大会議室で会議をしている様相だ。しかし、今回のは出てくる大名が少なすぎる。大名が少ない割には重要なことがすぐに決められている上に、上杉の家臣がその会議に参列している。子供ながらに戦国大名の名前は大河ドラマから覚えたが、今回のドラマからでは主だった戦国大名を網羅せず、歴史が進む・・・。歴史が代わっていく瞬間を目撃するような気持ちにはなれない。篤姫のときは、まさに歴史の転換点の目撃者になったような気分になれたが・・・。

脚本・演出が残念。衣装も残念(篤姫のときはゴージャスな着物だらけ)、登場人物も少ない・・・。そう考えると、NHKは大河ドラマにさけるお金がすでに尽きたのか?

原作をよんで、NHKの困窮に思いあたった。

大河は大河であってほしいなぁ。

ことしも始まった外国人向け研修

昨日、いつもN大学が開催している外国人を対象にしたGIS研修の講師としてN大学に行ってきた。私の担当は全部で6日あるが、昨日はその初日だ。次は9月7-10、9月14日というスケジュール。それが終われば、次の日からインドネシアのボルネオか?

今年は、アルゼンチン2名、スリランカ2名、ミャンマー1名、スワジランド1名という顔ぶれ。今年は通訳に頼ることなく一日こなしてみたが、果たして私の酷い英語を皆が理解できただろうか・・。

ヒマラヤから帰ってきてからすぐのころが一番、英語がしゃべれていたような気がする。去年の夏、GRASSの習得のために英語の本を読んで覚えていた。そのとき英語の読解力があがったような気がしたが、そこで消耗し、以後リハビリのために英語に接しないようにしていた。そして、それによってガクッと英語力が落ちたように感じる。

私には、英語は、コンピュータを覚えるように簡単にはいかない。11月でドイツで、冬ではフィンランドでそれぞれ気になる勉強会があるけれど、この語学力では行ってもなんの役にも立たない。ちょっと、それらに参加することを考えて、もうすこし英語の練習をしてみようかと思ったりする。・・・が、そーゆー感じは毎年、この研修をするときに感じること。

英語力向上計画、今年はいつもと違う年にしたいなぁぁぁ・・・。

ジーンズ

a6da13f8.jpg特に理由はないが、ジーパンには25年来のこだわりがある。というか、・・・あった。ジーパンをはくなら、リーバイスの501。服をあまり買うほうではないが、ジーパンを買うときには、ほとんど501だった。そうでないときは、記憶が確かなら3回だけ。浪人のときのUS505、大学1年の春休み沖縄国際通りで買った702か701か703(とにかく後ろにベルトがついているやつ)、あと大学生のときにかった品番は忘れてしまったがスリムのジーパン。あとは全て(といってもそれほどの数ではないが)501。

最近、研究目的の(?)ゴムボートと船外機を購入したり、ラフティングボートを買ったり、学生さんを自費でアルバイトにやとって調査をお願いしたり、コンピュータのパーツを買ったりして、羽をつけて財布からお金が飛んでいった。もう飛ぶお金も残っていない・・・。

運悪く、私の履いていた501は昨年秋ごろ膝が破れた。しばらくそのままで履く。すると破れが大きくなった。そこで今年の春に破れを補修した。人前に出るときには、綿パンをはく。(←しかし、それもクタクタに疲れている)。ちょっとした会議では、ジーパンも綿パンも履いて出かけられなくなり、サラリーマン時代のスラックスをはくようになる。このころから学生に誤解されるようになった。あの人はいつもちゃんとしたものを着ている。・・・違うんだ!ズボンがないんだ。

6月、ラフティングをしながらズボンの話になるときがあった。船上での会話。
「ボートを買ったのでズボンが買えない・・・」
すると、学生がボートを買うほどのお金はないけれど、ズボンだったら、○○という激安ショップで数百円のズボンを買ってあげますよ」
・・・。

何をいう!俺はリーバイス501以外のズボンはいらんのだ。

さて、7月。破れたズボンをはこうと思ったら、破れていなかった左の膝がビリリと派手に破れた。これやぁどう考えてもヒッピーだ。まずい・・・。もう外へは履いていけない。

さて、8月半ば。先日のことである。インターネットで「ダイエー880円のジーンズを発売」を知る。心が揺れる。

昔、買っていたのは4980円のワンウォッシュの501。しかし、最近はそれが倍以上の価格になっている。チクショー、ジーパンが何でそんなに高いのか?そう思ってもなかなか501を買うことができなかった。最近履いていた破れたジーパンもセールで5千円台だったとき、やっと買えたもの。

880円。880円なら、まぁいいか。ランチ一回分(昼飯は食べないが)。もう40過ぎのオッサンや、ジーパンごとにきにこだわる年でもなかろう。発売日の翌日、早速近所のダイエーにジーパンを買いに行った。

すると、昨日だ。夏休み帰省していた学生と久しぶりにあった。するとラフティングのときボートの上で、「ズボンを私に買ってくれる」と言っていた彼が言った。
「あれ、先生ズボン買いました?」
「買ったよ。880円」
「えー、先生がはくと880円には見えないですよ。カッコいいっすよ」
私は、ズボンをいつも見られていたということに、驚いた。そして思った。彼は夏休みの宿題をやってこなかったなぁ・・・と。

さて、最近破れたジーパンが売り場にある。ならば、私の両膝の敗れたジーパンはどこかで売れるのだろうか・・・?

(ジーパンのベルトももう、25年使っている)

奇跡的な出来事

昨年からコンピュータはLinuxを覚えるようにした。昨年の秋から冬にかけてのCGやその後の研究のことを考えてのことだ。以前は敷居が高かったが、技術も進歩して、私でも扱えるようになってきた。

そこで、昨年夏に燃えたのがGRASSというGIS、Pov-rayというCGソフト、Gnuplotというグラフ描きのソフト、そしてLinuxの基本的な使い方。
縄文人が鉄器を手にした進歩ができた。

今年の夏の目標に設定しているのは、PostgreSQL/PostGIS、シェルスクリプト。それぞれの部分で達成目標を書き出し、一つ一つしらみつぶしでやってきた。最後の関門。竹島法という画像処理をGRASSで自動処理するためのプログラム。4日間、出口のない暗闇をさまよったが、今日の夕方奇跡的に成功!

シェルがかければ、GRASSもPOV-rayもGnuplotもpostgresqlなどのソフトも自動で動かせる。いま弥生時代で組織編成されたころにたどり着くような進歩だ。

なんとか、これらの技術をつかって秋にはCG研究・インドネシア研究・ヒマラヤ研究をコンピュータが自動でやってくれるように、仕事をコンピュータにアウトソーシングだ!

ゴーヤのその後

40b52dc5.jpg職場の秘密農園でそだてていた、唯一残ったゴーヤも、ここまで大きくなった。
なんだか、成長が遅いような気がしないでもないが、なんとかスクスク成長しているようだ。ただ、まだ花が1つも咲いていないのが気なる。

白いゴーヤができるはずだが、なんとか身ができるまで生き残るだろうか。

護国神社

近所に岐阜護国神社がある。岐阜県出身の戦死者を祭っている神社。
なんだか、今年は終戦記念日に護国神社に行きたいと思った。サイパンを通して第二次世界大戦が身近なものになったせいだろう。

夕方に行ったが、ほとんど誰もいなかった。ただ、一組の老夫婦が私の前に拍手を打っていた。しかも、拝詞を婦人はあげていた(?)。また本殿とは別の場所でも拍手をうち、そして拝詞(?)。あれっ、そんなところに何かあったかなぁと思い、参拝したあとに、拝詞の聞こえたほうに足を運んでみた。そこで唖然とした。「サイパン・テニアン」でなくなった方の祠だった。

サイパンのガラパンというかつての繁華街から少し外れた道路の片隅に、岐阜の軍隊の碑が立っていた。それとつながるものだろうけれど、なるほど、「知る」ことによって見えてくるものがいろいろあるものだ。

また、一年以内にサイパンを訪問してみたい。

同日、「硫黄等からの手紙」をテレビで放映していた。気にはなっていた映画だが、劇場でみてはなかったので、視聴した。戦争物を見るたびに「この時代に生まれてよかった」とつくづく思う。・・・。

映画の最後の場面、玉砕に向かうシーンでの栗林中将のセリフが印象深い(脚本家が書いた言葉だろうが、心に響いた)

「今より攻撃をかける。・・・山河破れたりと言えども、いつの日か国民が諸君らの勲功を称え、諸君らの霊に涙し、黙祷をささげる日が必ず来るであろう。 安んじて国に殉ずるべし。」

私の心境そのものだ。

ところで、8月15日といっても、日本で暮らす分にはあまり意識したことはこれまでなかった。しかし、数年前韓国に行ったとき、あらためて8月15日を考えさせられた。
当時、8月13日に学会の発表が終わっていたが、お盆シーズンで飛行機が取れずソウルの安宿に止まって「路地裏」を歩いたり「銭湯」を探したりして、ソウルを探検していた。8月15日に人に会って、その日の地下街が「ガラスキ」だったので、韓国人のその人に「今日は何かあるんですか」と聞いた。彼はいった「韓国の独立記念日ですっ!」。うーーーん、そうか、そうつながっているのかと60年を振り返った。

インドネシアその後

昨日、殿から電話がかかってきた。
インドネシアで調査許可が下りるかどうかは、まだ分からない。インドネシア大使館経由で可否の連絡が8月の末になる。・・・。

今年は、エルニーニョで山火事が起きているので、計測器を積んだ調査用の飛行機が飛ばせないかもしれない・・・。

いろんな不確定要素盛りだくさん。

果たして、赤道直下に行くことになるのだろうか。