月別アーカイブ: 2009年10月

インドネシア副産物

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E大学のチームが持っていたGPS。前から気になっていたが初めてつかってみた。通常使ってきたeTrexというGPSでは話にならなかったが、この機種はジャングルの鬱蒼とした森の中でも確実に場所を示してくれた。

そこで、これは使える!そう思ってインドネシアから帰ってきたらなによりもまずインターネットでこのGPSを発注した。

入手して一週間。

出来るわけないとあきらめていたが、さすがに自分のものとなるといろいろ苦労して調べるものである。グーグルアースやArcMapやGRASSとのGPSデータの互換はもとより、とうとう岐阜県の森林計画図や等高線をこのGPSの中に入れることが出来た。

測量などの業務には使えないが、森林境界管理には十分につかえそうだということが分かった。
keikaku

というわけで、インドネシアで大枠で感じたことを数回にわたって書いてみた。

今回は、小枠で感じたことをまとめてみようと思う。「水」だ。
今回のドロップアウトは「水」といっても過言ではないと思う。確かに、出口のない森を伐り開きながらの道の開設、虫や鳥獣への心配、底なし沼・・・などがあったが、ドロップアウトの一番の原因は「水」に違いない。

あのとき水を午前7時から午後4時半までの活動の中、4リットル飲んだ。しかし、後半は足らなかった。この足らない状況で、43年生きてきた中ではじめての体験をした。普通なら飲んだ水は汗でほとんど出てしまう。だから小便などは出ない。これまでの経験では、そーゆーことだ。ところが今回は違った。

午後からだったが、あれっ、おかしいなぁと思ったが尿意をもよおした。そこで用を足そうとしたのだが、出るのは数滴の小便のみ。尿意があるのに、なぜ小便がでない!しかも、それが15分に一度くらいの頻度で尿意がやってくる。最終的にはパンツの中でリキンでも問題なさそうな感じだが(さすがに万が一のことを考えそれはせずに、いちいち、日常動作をしていた)。

もちろん、のどは渇いている。あせも出ている。しかしなぜか、尿意が・・・。水を飲みすぎならば、尿はでる。水が足りているなら、のどは渇かぬ。なぜだ・・・。
その日、森からかえってしばらくしても、その感が治らなかった。なにか、臓器がおかしい・・・。(あとから考えると、体を冷やすために尿を出すように脳は指令をだしたが、尿がない。そういうことかなぁと思うに至ったのだが、もちろん、私は素人、真実は分からない)。

日本にかえってからインターネットで調べたが、熱中症の手前で、そんな状況になるらしい。・・・なるほど、熱中症かぁ。

しかし、ドロップアウトしたのはその症状の問題ではない。実は、同日、E大学の学生が現地の人(ローカル)と森にはいっていたが、ローカルの人は水を1・5リットル飲むか飲まないかという話を聞いたことが、ドロップアウトの一番のきっかけだ。

つまり、私はローカルの2倍以上の水を私は飲んでいる。この仕事はキャンプで前進する。となれば、水の量が二倍以上必要ということは重さも倍以上。しかし、キャンプでは水は「重り」を担ぐようなものなので、極力減らそうとする。となるとローカル並みの適応力があれば、なんのことはない森も、現在の熱帯への適応状態だと私はついていけない。前にも後ろにも進めないジャングルの中で置き去りの可能性大。これはリスキーだ。

となれば、この仕事、リスクをしょって”日本人”がメインでやる組み立て方ではなく、リスクの少ない”ローカル”をメインに道の開設をするように、組み立てたほうがよい。プロジェクトの全体のリスクも下がるし、付加も少ない。命を懸けるのは、予期できる問題に対して最善の対処したあと不測の事態と仕事を追行して得られるものとを天秤にかけ、最終決断!

私がそこで命をかけるにはもっと準備が必要だった。

乾季のジャングルでは水がない。しかも360度平らなところでは、沢もない。

人間が生存するには厳しい状況だと実感した。まさに”命の水”。

さて、話は一年前のヒマラヤに行った頃の話に戻る。

ヒマラヤの氷河が溶けて、ヒマラヤ発インド洋の川の水量が今後変わってくるとの予測がある。11億人のインドはヒマラヤの水で生きている。しかし、その水が欠乏すれば・・・。人間の生存にかかわる。飲料水と農業用水のドライアウトだ。・・・いまヒマラヤで起きている氷河の融解が、将来えらいことにつながるなと実感した。

インドネシアで考えたこと

地球温暖化という観点からすると、おそらくインドネシアで山火事が起きている地域に住む人々は加害者であり、被害者は世界中の人というところか。

しかし、現場でつつましく生きる人々の生活を垣間見ると、人として地球温暖化よりも大切なことがあるように思った。すべては人口が増えすぎたということが問題の根源なんだろうが、狭い地球の人口を増やす技術を確立したのは、先進国。おかげで、森林が大きくなくなり、農業生産があがった。医療も高度になった。

地球温暖化について真剣に議論しているのも確かなこと。
エコなライフスタイル・省エネカー・省エネ家電の開発も活発。

しかし、インドネシアで妄想した。
地球温暖化について”とことん議論”したその日の会合の後。「今日はいい会議だった。これでなんとかなるだろう。じゃぁ飯でも食いに行くか」。会議の後、そんなこともあるだろう。さてそのとき食卓に並ぶのはなんだろうか。たとえばワイン。取っておきのワインは、どこの国からだろうか。そのブドウは森林を切り開いて、焼き払って畑にしているのではないだろうか。チーズ。そのチーズを作った牛乳は、森林を切り開き、焼き払った牧草地からのものではないか。小麦でも米でもそうだ。

さて、きている服はどうだろう。ウール。このウールのもとになった羊は・・・。3年前のニュージーランドを思い出す。亜熱帯の森が広がり直径が10m近くの巨木が乱立した森は、イギリス人の入植によって丸裸にされ、いまでは牧場が地平線のかなたまで広がる。

森林を切り開いてきたおかげで、その国の人々は暮らしを守ってこれた。そして私たちは、いまでは”名産”となった世界各国から取り寄せた”えり抜き”の食材に舌鼓をうつ。

携帯電話でもそうだ。レアメタルといわれる金属を南アフリカから化石燃料を使いまくって日本に持ってきて、エネルギーを使いまくって製品にしている。車でもそうだ。化石燃料をつかいまくって日本にもってきて、エネルギーを使いまくって鉄板にして、エネルギーを使いまくってプレスして車にしている。自転車だってそうだ。

近くの森で家を建てるという運動があるようだ。しかし、仮に近くの森から伐った木で家を建てたところで、エネルギーを使いまくった屋根・外壁・断熱材・・・。エネルギーを使いまくった電動工具でつくる。果たして、それの環境負荷の軽減はいかほどか。家を作らない、中古住宅、改築・冷暖房は我慢。そのほうがよほど環境に負荷がすくない。

エコだ・省エネだなんていうけれど、結局、環境につけこんだ商売で自分が儲けようとしているだけではないか。

インドネシアの人々は世界からみたら、地球温暖化の加害者だけれど、歴史的にいっても現時点でいってもインドネシアの人々は被害者である。私たちは地球温暖化の原因となるエネルギーをつかいまくって現在の生活を築き、その恩恵を受けてきたし、いまも受けている。つまり最大の加害者は、私なのだ。

私は、いまでも「美味しいもの」「便利」「快適」に貪欲に生きている。しかし、インドネシアで観てきた人々は「美味しいもの」「便利」「快適」などをもとめているわけではない。ただ、家族を成立させるだめだけに野をやき、木を伐っているだけ(違法伐採と取り締まれているが)。

今回のインドネシアではそんなことを大いに感じた。

そして、自分が日本人に生まれて「美味しいもの」「便利」「快適」をのぞめる幸せを同時に感じた。ただその幸せは私が気づいたものではなく、歴史的に多くの犠牲によって自分の豊かな基盤が出来ていると思う。

やはり幕末の志士、世界大戦の犠牲によっていまの自分の豊かさがあるのだろ思うと、盆にみたテレビの
「今より攻撃をかける。・・・山河破れたりと言えども、いつの日か国民が諸君らの勲功を称え、諸君らの霊に涙し、黙祷をささげる日が必ず来るであろう。 安んじて国に殉ずるべし。」を思い返さずにはいられない。

山火事の元?

どうやら山火事は自然発火ではなさそうだ。はっきりしたことは素人の私が判断するのもなんだが、どうも、メガライスプロジェクトによって森林伐採がされた後に、生えてきた藪を焼き払い畑にするために、人が燃やしているように思えた。

ある村の村長を訪問したときにいろいろわかった。
それにはインドネシアの国情を簡単に知る必要がある。

インドネシアの人口は現在約2億人。そしてジャカルタはアジアでも最大の都市。このところの医療の発達で死亡率は下がり、人口が急増。特に、ジャカルタのあるジャワ島では、ジャワ人の人口増加が著しい。通常、このように発展途上国で人口が増えれば、その人口は耕作地で養いうる人口を超えれば、都市に仕事をもとめ人口の移動が起こる。そして、職にあぶれた人が都市の周辺にスラムを作る。また村の少女は都市に売られていく。日本でも東北と上野周辺はかつてのそれだった。

さて、インドネシア。ジャワ島で増えすぎた人口にたいしてインドネシアがとった政策は移住・入植だった。その入植先が中部カリマンタン。私が訪問した土地だった。

インドネシアでの入植は次の条件で行われている。
入植した人に対して、1ヘクタールの土地と住居が与えられ、一年間の食料が保障される。その一年の間にちゃんと食料を自給できるようにせよということだ。そこで、生活の基盤を立てられれば、都会のスラムに行くことなく”独立世帯”になれる。
一方、土地の悪い泥炭のに入植したものは5ヘクタールの土地と住居、5年間の食料が保障される。5年の間に自立できれば、”独立世帯”である。スラムに行く必要なない。

写真のおばはんは、畑でジャガイモ・とうもろこし・ナス・米・・・などを作っているといっていた。
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子供たちは、親たちの入植の苦労も考え及ばず、元気に遊んでいる。
親たちは子供たちを食べさせるために、一生懸命畑を開墾している。
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日本が明治時代、北海道に入植したのを思い出した。
また、岐阜の山村に入植した人々の苦労話を思い出した。
そして、いまではそれらは美談の1つとして、思い出されている。

また日本は、ブラジルへ入植団を送っている。
ハワイへも送っている。
そして、サイパン・テニアンでの万太郎たちの苦労を思い出した。

大東亜共栄圏の発想は、日本で増えすぎた人口を養うため、東アジア・東南アジアの外国の植民地から外国を追っ払い、アジア諸国へ日本人を送り込み、日本への物資の安定供給を目指しながら、アジア諸国とともに発展しようというものだった。

それを思えば、インドネシアは他国に攻め入ることなく、自国の資源の中でやりくりし、この増えた人口を養おうとしている。入植した人々は村をつくるが、その村にも電気はほとんど裸電球があるだけで、夜は真っ暗な、街灯・ネオン・コンビニなど深夜もこうこうと電気を浪費している先進国などとは比べ物にならないくらいのつつましい生活だ。

しかもイスラム教徒の彼らは信心深く、確かに私たちが訪問したときは、イスラムの断食期間の終わりとその後の祭りの始まりだったことには違いないが、それでも朝の午前2時半から夜の9時半までほとんど常にコーランが大音響で村中にこだます。

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また、それだけではない。インドネシアの中部カリマンタンにはジャワ人ではない先住民がいた。ダヤックと呼ばれる人たちだ。宗教もイスラムではなく、生活スタイルもジャワ人とは大いに違う。

漁をして暮らしを立てている人々。壊れかけた掘っ立て小屋で生活している。2・3の世帯で村を作っている団体もある。かと思えば、ポツンと道もなにもない、唯一船が外界との移動手段であるところに、夫婦と子供だけで生活している家族もある。ここには電気もない。あるのは家族だけ。
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私にはインドネシアの中部カリマンタンで火をつけ、畑を開拓する人々は、ただ明日も家族と食卓を囲めることだけに、一生懸命に荒廃した土地と戦い、自立しようとしているだけに思った。