いつまでたっても改善できないこと

大学生のときに指導教官から A.トフラーの「第三の波」という本の話を聞いたことがある。聞いた内容は忘れてしまったが、大学のお茶のみ場での指導教官との話で、高校までの教科書に載っていない科学・哲学の話をきいた。そして、わかった気になっている自分がいた。

ところが、やはり原本にあたりたいもの。それで、第三の波は手に入らなかったが、リースマン『孤独な群集』などを買っては見たものの、やたらと難解で、指導教官から聞いた以上の情報をいまだ持ちえていない。そういえば、その後、KO大学の学生に「あなたの考え方は、フーコーの『狂気の歴史』の考え方に近い」といわれてその本を買ったものの、これまた難解で読めなかった。

つまり私は、大変悲しいことに、社会学・哲学に興味は十二分にあるのだが、難解なため自分で思索する以外、私の好奇心を満たすことができないのだ・・・。本を読み出したのが、留年した23歳のときからだから、もう頭が本を読むモードに切り替わらない。

さて、今回も懲りずに本を注文した。いまではインターネットで簡単に中古本も入手できるので、これまで読んでみたくても入手できなかったA・トフラーの『第三の波』を満を持して注文した。理由は、どうも、私が最近この時代に感じていることはA・トフラーが言っていることに似ているようなのだ。だからなんとしても理解したい!懲りずに注文をした。今回はなんとか読みきれるだろうか。大変不安だ。

私が言っていることは、いまインターネットなどの情報機器がでてきたことで、世の中が大きな転換点を迎えている。だから、それにともない、教育の内容や方法も変化を求められているということ、という主張をしている。私は、そう信じているが、さてAトフラーの主張とどこがどう似ていて・違うのか・・・。

以下の原稿をあるところに出した。
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(中略)
【時代の転換点】
ところで、25年くらい前の機動戦士ガンダムというアニメをご存知だろうか。宇宙戦艦ヤマトで宇宙に興味を持った私は、ガンダムも宇宙ものの1つとして”モビルスーツ“が繰り広げる戦いに釘付けだった。あれから25年以上経っているが、ガンダムの熱狂的なファンの学生がときどき入学してくる。もちろん彼らはリアルタイムでガンダムを観ていたわけではない。彼らを惹きつけるガンダムの魅力はなんだろう。そう思っていたころ、ちょうど衛星放送で再放送があった。そこで25年ぶりにガンダムを観てみた。すると、そのアニメの「リアリティ」や「物語の複雑な構成」に全く驚いた。とはいうものの、私的には、その高度なリアリティにも残念なことが1つだけあった。戦艦を任されている管理者(シャー)が、戦艦を部下に預け、自分がモビルスーツに乗っかり、戦いの最前線に出て行くことだ。現在の戦争や、会社組織で、組織のトップが全体の指揮管理をほっといて、現場の戦闘・営業現場に出かけていくなどとは考えにくい。
そんなことを考えていたころ、三国志の「赤壁の戦い」を題材にした『レッドクリフ』という映画が上映された。私は映画館でハッとした。あの時代は組織のトップ(関羽・張飛・張雲)が、戦闘の最前線に飛び込んでいく時代だったのだ。
三国志とガンダムとの間に大きな違いをもたらせたのはなんだったのか?私は「飛び道具(鉄砲)」の出現だと思っている。

【時代の転換点と教育のあり方】
世の中に革命的な道具が普及するとき、それにともない、社会のありようも変り、身につけるべき素養・知識・技術は大きく変わる。新しい道具の出現で、華々しく活躍していたヒーローはオールドタイプとなり、まるで晩秋のコウロギのように、時代から人知れず消えていく。そしてニュータイプの出現。やがて万人はニュータイプになるための教育を受けることになる。
さて、“現在”なにか新しい革命的な道具が普及していないかと見渡してみる。すると鉄砲の出現以上の大きな道具がすでに浸透しているではないか。インターネットに代表される情報処理ツールだ。この道具の出現によって人間活動は大きく変った。インターネットの出現で人間は覚えることから開放されたのだ。知らなかったこともインターネットで検索すればフォローできないほど多くの情報が得られる。しかも最新の…。10年前なら、自分が必要とする内容にぶち当たるまで、何冊ものぶ厚い本を読みまくらなければならなかった。
それにともない時代は、教育にも変化を求めているハズだ。では、時代の要求とは何であろう。私は次のようなものではないかと考えている。これまでのように「成功事例や既存の知識を理解・吸収し、それを実践できる準備をする」スタイルの学習から「なにげない毎日の中で問題に気づき、情報ツールをつかって臨機応変に情報収集し、溢れる情報から必要な情報を取り出す。そして、それら既存の情報を使って新しい情報を自ら生み出し、問題解決方法を創造し、検証、実行する」技術を学習するスタイルへの変革だ。

加えるならば、さらに閉塞感のある現代は「こうしたら、うまくいく」という処方箋がもはや効かなくなった暗澹たる時代だ。この時代の閉塞感から抜け出す扉は、これまでのような、先に見えている皆で目指す1つの大きな扉ではなく、無数の未発見の小さな扉ではないだろうか。この未発見の扉はどうしたら開くのだろう?それには、各人が自分の立ち位置から、失敗が大きな社会的影響を与えない程度の小さな取組を、あきらめずに続けていくことだと、私は思っている。
(以下省略)

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