月別アーカイブ: 2010年11月

ケニア交通事情2



ケニアで何が一番恐ろしかったか?

ライオンに食われることか?
否。

身ぐるみはがされて刺されることか?
否。

一番恐怖は、運転手付きのレンタカー。
N大学が借り上げたドライバー達、やたら飛ばす。
120キロのスピードで車間距離は20mくらいのときもある。昨年のインドネシアのドライバーにもビビったが、ケニアはそれ以上だ。

本来左側通行なのに、なぜか右側をあえて走るときもある。



しかもスピードが早くて車窓の景色写真(これが仕事のネタになる)が撮れないことが何度も!
(これが日本の中古車の実力。10万キロ走っていた車だが新車なみの安定感)


こんな感じの街中を通り過ぎる。街に入ると道路を横断する凸の出っ張りがあり、それを通るために車も20キロくらいになる。



日本と比べれば通行量はすくないが・・・。

DSC00792

ほれ、言わんこっちゃない。
DSC00916

あっちでも、こっちでも事故。

ケニア最後の日。ホテルから空港に向かう途中の道路で、ダンプカーと自転車の接触事故。
道に横たわり身動きできない少年の姿があった。

あんたら本当に危ないよ。

しかも、ケニアは携帯電話の普及はすさまじく広がっており、120キロで車を運転しながら電話をしまくる。

なにが怖かったか・・・。
救急車が駆けつけることができないようなところでの事故・・・。

生還できてよかった!

アフリカ交通事情


治安の問題から、移動はタクシーにしろといろんな人から言われていた。そんなことをいわれても・・・。日本でさえタクシーに乗る勇気がない私が、異国のちで乗れるわけがない・・・。しかし、乗らないとなにもできない。ケニア到着で最初にしたことは、タクシーの交渉。何とか足を確保する手段をマスターした。

そして、この動画がケニア第二の都市、モンバサの市街地風景。まぁよくある景色だ。車も日本車が多い。

タクシーにのると、必ずいわれたことが二つある。

①「どこの国から来たのか」
(いままであまりいわれたことがない。いつも日本人としていきなり話しかけられた。最近の中国の台頭から、日本・中国・韓国・・・と東アジアの住民が海外進出してきたからなのかとおもったが、親父が30数年前に滞在したときから同じ質問されていることから、どうやら最近にはじまったことではないらしい)

②「トヨタの車はいいねぇ。日本では安いのか?」
の二つだ。

値段を聞けば、中古車で60万のタクシーといっていたカローラフィルダー。まぁ日本とあまり値段は変わらない。中古といえども、まだまだ新車のようだ。ニュージーランドも日本の中古車が多く走っていたが、ケニアはそれ以上。ほとんどが日本の中古車だ。

なかには、40年前のカローラも走っていた。たぶん、日本にもってきたらメチャメチャ高い値段で売れるのでは(?)。

しかし、この現状。ちょっと考えるところがある。

日本で乗り換えのための下取り車。これが海外に輸出。まだ十分、というか十二分に走れる。海外では憧れの的。一方日本は、プリウスに始まるエコカーブーム。日本の車は低公害。低燃費。そして、中公害・中燃費の日本車が途上国に持ち込まれ、さらには高公害・高燃費の不良車が”ただ走る”ということだけで黒い煙を青い空・白い雲の国に撒き散らす。そして裸足で10キロ~20キロを徒歩で友達に会いに行く人々の横を通り過ぎる。黒鉛を吹っかけながら・・・。

そして、日本は京都議定書だ、生物多様性だときれいごとを言う。

・・・なんか、間違っていないか・・・。

しかし、さすがのケニアでも私の車のように28万5千キロという車もあまりないだろう・・・。私は”動く限り”いまの車に乗り続けようとおもう。
DSC00633
ともかく、交通の手段はいろいろだった。

よくある車・人・自転車

DSC00379
日本ではとうに絶滅した三輪車

DSC01727
もちろん、バイクもある。ただ、このバイク多くは中国製とインド製とのこと。ホンダ・スズキ・ヤマハはめったにみない。ケニア人に聞いたら日本のバイクは高いからだとのこと。しかし、日本車とちがって中国・インドは耐久年数が短い。日本車は長持ちするといっていた。

DSC00646
こんな風にバイクショップがまちのあちこちでみられた。ネパール・インドネシアにいったときは、エンジン音が静かで、こんなバイクがいいとおもったが、日本でアフリカにいく直前に大型バイクCB1100を試乗させたもらってから、こんな風なバイクがやけにおもちゃのような気がして魅力がうせた。

DSC01329
インドネシアはもっぱらスクーターが多かったが、ケニアではスクーターはまれだ。スクーターよりも道を闊歩する牛のほうがはるかに多かった。

ひさしぶりの空手

ケニアに滞在中も、ホテルでは空手の練習を欠かさなかった。

しかし、それらの自己練習よりもスクールの練習のほうが自分に負荷がかかり、能力アップになる。昨日は2週間ぶりのスクールだ。

やはり自己練習ではうちきってしまう練習も、師匠の号令によって続けざるをえなくなり、ハーハー、ゼイゼイの域に!おかげで今日も筋肉痛だ。

しかし、ありがたい。スクールの2回目、蹴りの打ち込み練習をしているとき、二段回し蹴りでミットを持ってくれていたインストラクターにとって私の動きが予期せぬ動きだったらしく、インストラクターの首に蹴りが入ってしまったあの失態の蹴り。あのころの蹴りが、自己流の限界。せいぜいミットをもって屈んだ人の脇腹に一発、そして首に一発。そして蹴り足を着地。これが限界。

しかし、自分でも驚いていることだが、最近では脇腹、首、頭の位置に蹴りが連続して出せる(右足で蹴ったなら、右足を着地することなく次の蹴りを打ち出す)。しかも、その位置なら体勢を崩さず、何発でも・・・。まるでジャッキーチェンの映画のように・・・。(ただし、体が温まっていたらの話)

恐るべき教育体系。自然と能力が向上している。

さて、私がアフリカに飛び立つ直前、師匠の教えを請いにマカオから小さな黒帯の女性がスクールの片隅で練習していた。なんでも、私がアフリカ滞在中、彼女を交えての飲み会があったそうだが・・・。その彼女、今回のアジア大会で銀メダルとなった。確かに、動きが鋭かった。

マカオは香港の近くなのに、カンフーでなくてどうして空手を習い始めたのか?今度会うことがあったら聞いてみたい。

アフリカレポートの前に

DSC01930

ケニア滞在3日目でこわれた携帯。帰国して最初にやったのは、ドコモショップに駆け込むこと。

まったく運が悪い・・・。7月に雨で携帯を濡らしてしまい再起不能。修理の期間かりた携帯をさらに水塗れで再起不能。5000円を失う。

新しい携帯を購入して3ヶ月。異国の地でまたお蔵入りに・・・。

けれど、今回は保険に入っていた。修理に出して5250円。保険のおかげで新しい携帯をゲットするためには5250円。前者は修理からもろってくるのに1週間から2週間。後者は即納。

そこで私は5250円の自己負担でまったく同じ携帯の新規入手。

前回は修理期間の代替機を壊して弁償したので、今回は代替機はかつて使っていた防水ムーバでしのぐことに。そして今日代わりのフォーマをゲット。

保険に入っていて良かった!」

さらばケニア

map1

先日写真をアップしたのが上図の真ん中のところでとまったホテル。その後、左上の地域移動しインターネット環境がわるくなりブログアップどころでなくなった。今日、最後の夜をナイロビで過ごすため、ケニアの首都ナイロビに移動してきた。
map2

もっとも長く滞在したのがキスムという町。上図の部分。ビクトリア湖というタンザニア・ケニア・ウガンダに囲まれたでかい湖のほとりの町。ここでも稲作をやっている。私の仕事もそこの地域を対象にした解析なのでじっくりまわる。レンタカーとドライバーを借り上げての調査だ。

DSC01173s

時速100キロで飛ばす車から、一瞬私の視界にある残像が・・・。

DSC01174s

なんと師匠である。さすが世界の隅々まで・・・。

DSC01579s

しかし、今回のアフリカでアフリカのイメージが大きく変わった。あまりにも自分の中に偏ったアフリカのイメージがあり、あまりにも浅くしか貧富の格差について考えたことなかったことを改めて自覚した。

仕事の内容などや、その私が捉えたアフリカ像は後々語るとして・・・。

DSC00829s

さらばアフリカ。人生に豊かな実りを与えてくれた赤い大地と青空の国。

ケニアで米

1611

DSC00487S

この画像は、私がケニアについてから移動した範囲をしめしている。今日はずーっと車での移動。

DSC00565s

ヒマラヤやインドネシアとは違って、あめがふっても大勢に影響がない。これまでとは大違いだ。

DSC00582s

ケニアには大きく3つの稲作地帯がある。日本の援助によるものだとのこと。写真の場所がケニア最大の稲作地帯で、すくなくいとも把握されている田が8000ヘクタール。10キロ8キロ見渡す限りが田園風景だ。水はケニア山から流れてくる川のものをつかっているとのこと。

なにも、ケニアで稲作(アジア的)とおもっているが、援助する側にしてみれば、毎年ケニアには80万トンの米の消費があるものの、ほとんど輸入しているので、国内で生産させることが善である、という考えのようだ。
DSC00629s

驚くのは田植えと収穫が同時に行われていることだ。
また、植えるのは一回、しかし収穫は二回ということにも驚いた。
稲刈りの後に生えてくる新芽を収穫までほっとくとのこと。

DSC00707s

今日は移動距離がなかがった・・・。あしたも長いようだ・・・・。

さらばモンバサ

DSC00350

昨日の夕方、ナイロビにてN大学の方と合流した。これで一人旅のリゾートは終了。仕事が始まる。
DSC00353

しかし、モンバサは楽しげなところだった。最後の午前中1時間、カヤックを借りて海に出た。もちろん、本当にインド洋は魚が少ないか!の検証のためである。
DSC00348

インド洋。海はきれいで透明度も高い。しかし、魚はやはり沖にでもほとんど見当たらなかった。サイパンやグアムの海なら、水族館という感じがしたが、ここは違う。
ほとんど魚は見かけない。

DSC00421

空港までの道中、モンバサの市街を探検する。昭和54年に2ヶ月モンバサに滞在していた親父の記念写真の背景の樹をさがす。バウバウの樹。親父の記念写真のときとは右側の枝振りがちがうが、切られた後がある。きっと親父が記念写真を撮ったきだ。みなと近くの公園だ。
DSC00468

モンバサからナイロビへの飛行機から、キリマンジャロが顔を出していた。氷河のある赤道直下の山。この氷河もまた消失の危機にさらされている。

昨夜は大変だった・・・。

昨夜、突然停電。

自家発電に切り替わり、かろうじて電気はつくが、エアコンはダウン。

夜寝るときに窓を開けて寝ることにしたが(日本の夏の暑さ・蒸し暑さ)、網戸のないこの部屋、おもいきり、モスキートウェルカムという具合だ。

しかし、蚊帳があるので、アッパパーにした状態で寝る。

ところが、なんと蚊のようなものに食われたのか、足先をかまれおきる。マラリヤ?黄熱病?恐怖がはしるが、それよりも熱さの恐怖で眠れない。とにかく熱い!

ところが、それ以上に眠れないことに気づいた。眠る前に「あれ、携帯がないなぁ」と思ったのだが、深夜痒さと熱さでおきてみると、布団の中に携帯が・・・。しかも、二つ折りの携帯が広げたままであって、寝返りをうったときに、液晶をわってしまったらしい。したがって、いま電話の受信はできるが、着信の確認、メールの送受信ができない。ほとんど役に立たなくなってしまった。

ションボリ・・・。・・・。