月別アーカイブ: 2011年3月

さらば10年の月日

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人生のおよそ4分の1をすごしたこの職場。今日が最後のお勤めの日。当時を思い返す。開学当初の校舎は、木の香りに満たされた、サクラの舞う、眩しく暖かい春の日差しに包まれた静止画として思い返される。
今日の天気は、晴れ・曇り・雨。暖かいかなぁと思ったらつめたい風が吹く通り雨。この10年の総決算なのか、それともこれからはじまる新チャレンジの予告編なのか?

よくはわからないが、とにかく”昨日の自分を責めることないよう、今日を精一杯”。

皆さんのおかげでここまできました。
これからのよろしくお願いします。

天体観測小屋

僕のささやかな夢は天体観測所を持つこと。
小学生からの夢。

そのために山を10坪でいいから購入したいと思っている。・・・というか思っていた。
なぜ過去形かというと、今日、僕に山を無料で貸してくれるという方に出会い、了解を得たからだ。場所は岐阜県、恵那峡。

あとは、夜にこの場所に来て、夜が暗いかを確認し、暗ければ天体観測小屋にむけて動き出そう!

ご挨拶

もう職場には荷物がない。あたらしい仕事もないから、やることもない。したがって今日明日で仕事を休ませてもらった。あしたは念願の(?)天体観測小屋に向けた山を見にいくが、今日は近隣に挨拶しにいくことに。
まずはG大学に。G大学の副学長がよく声をかけてくれたので、そのご挨拶。あいにく出張だった。置手紙を残していく。その他7人の先生にご挨拶にいくが、お会いできたのは唯一、こんどの新職場のセンター長の大学時代の同級生のK嶋先生。へやを尋ねると被災されたかたと同じ思いで暖房なしの研究室生活だとのこと。

G大学が終わると、県庁関連。毎朝、すれ違う県職員の方がいる。一緒に仕事をすることはなかったが、いつも気にしてくれたパンチパーマのおよそ県職員とは思えない方だ。本庁にはいないが、まずは出先の彼にご挨拶。

それがおわって本庁に。ある課にいったら見た顔が非常に多かったので、大きな声で「お世話になりました」といったら、課の多くの方が立ち上がって頭を下げてくださった。おっとビックリ。

次には連合会。先日会議で、冷や水ぶっかけるよう議論をして後味がわるかったが、ともかくご挨拶。そして、その出先の職場に近い共販所所にも。

もっといろいろ挨拶すべきだが・・・。本庁で現副学長にあった。副学長はビックリした顔をして私にいった「なに、挨拶まわりしているの?そんなことしなくていいのに」。
その感覚が私と職場のずれなのかと再認識。なにがあったにせよ、この10年飯を食わせてもらったかたがたには、人として挨拶すべき!僕はそう思う。

被害額20兆円

このところの、地震・津波・余震、そして原発。
こころ痛まない日はない。しかも、原発については「?」と思ったまま他人の情報の解釈を信じないといけないストレスな毎日。

この2日前のテレビで復興に必要な総額の資産があった。約20兆円。たしか麻生内閣のとき定額給付金というのが配られた。国民一人当たり1.2万円。子供と老人は2万円。そのときの財源が2兆円。したがって、義援金ですべての復興をまかなおうとすれば(しかし、その資産は道などの復旧が入っていないらしいが)、義援金は定額給付金の10倍払えば国家予算を食わなくても街を復興できる。一人暮らしなら、12万。4人家族だと約50万。一方で子供手当てだなんだといっているのだから4人家族の50万を強いるのは無理。

なかなか厳しい復興。

義援金のみで復興は無理
既存の国家予算を使えば他が冷えるから好ましくない。

よーし、どうしていいのか判らないので、
大型バイクの代わりに国債を買ってみるかと、今日国債を買ってみた。
これなら義援金よりも大きなお金を出せるし、まぁ日本がコケたら、債権が紙になるが、日本と心中してみる覚悟があるからまぁよしだ。

次は復興やこれからの社会を大きく変えていくであろう、会社の株でも買って、微力ながら復興を側方支援してみようかなぁ・・・。

ここの3Fです。


tossanコメントありがとうございます。
ここにいます。拡大・縮小や地図と写真の切り替えなどをしてみて現地の位置をご記憶いただければ、バス停から降りてもっとも近い建物です。お越しをお待ちしております。

引っ越し その2

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10年も同じ職場にいると物がたまる。物がたまるのは、私の”捨てられない”性分もある。いまここに写真で積上げられたダンボールのほかに、現職場の近くに借りているガレージにもてんこ盛りの荷物を既に運んだ(ラフト×2、アルミボート×1、カヌー×2、ライフジャケット×たくさん、ヘルメットたくさん、新職場では使わないだろう現職場での書類・・・)。いつか使うだろうと捨てられない。
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そして、捨てられない第1。兄貴が下宿したときにつかっていた冷蔵庫。1983年の代物。これだけが残った。
・・・。やっぱり捨てられない。ガレージのもの入れにするかぁ。

偶然 発見!

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新しい職場にうつるにあたって推薦状を書いていただいた先生がN大学にいらっしゃる。アフリカにご一緒した先生だ。いぜん沖縄の久米島に勤務していたこともあるこ先生は定時がおわると、ひとり軽く酔拳をしながら仕事をするという。そこで、焼酎をもっていくことにした。大学近辺で酒屋を探す。偶然入った酒屋で「三岳」の一升瓶を発見。これはいい。「久米せん」と二本購入三岳が3980円が安いのか高いのかわからないが、こんなところで手に入るとは!

N大学の帰り道。自分用に一本買ってしまった。今日は贅沢してしまおう。

引越し その1

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現職場の荷物もだいぶ整理がついた。そこで本引越し前日に新しい職場にPCやハードディスクなどの精密機械を運びにいってきた。すでに看板には国際GISセンターという名も。

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新職場の居室はこんな感じの部屋だ。カーペット仕様でとても木人など部屋の中でつくっていられない。

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確かに大学の雰囲気をかもしだしている空間。

緊急事態

yamasan,tossanが職場に訪問くださった。そして引越しの大荷物のラフト・カヌーの移動をお手伝いいただきた。ありがとうございました。
そこで、実家から借りていた軽トラの用事は終わった。お二人にお会いした後、車の交換に実家に向かう。
yamasan,tossanにお手伝いいただいたとき私のつかっている軽トラ、右前輪の空気が少ないなぁと思った。しかし、慎重に高速に乗っていれば大丈夫だろう。空気圧が低いまま高速を乗っていれば、バーストする(?)ような認識はある。だが、高速ではなく中速くらいで走っていれば・・・。・・・大丈夫だろう。甘かった。空気が少ないのではなく、パンクだった。

あれっ、路面がでこぼこしているかなぁとあるとき思った。タイヤの確認に退避所に車を寄せると、明らかにパンク。高速道路でタイヤ交換をする羽目に・・・。背中をビュンビュンくるまが走る。

往生こいた・・・。

追伸
tossan柑橘めちゃくちゃおいしかったです。あれは、地元産ですか?
yamasan そば大切に食べさせていただきます。

義援金

確か・・・四川地震だったか、インドネシア地震だったか、ポルトーフランスの地震だったか・・・、あの時も心を痛めて募金をしようと思ったが、結局しなかった。
しかし、今回こそは!!!と日本赤十字に年収の1%程度を振り込んだ。
東海・東南海地震もあれクラス何だろうなぁ・・・。
ラジオで阪神大震災を家が全開した方に給付できた義援金は一世帯30万とラジオで聞いた。本当に少しでも役に立てば。

阪神大震災はボランティア元年と言われるが、東北関東大震災(東日本大震災?)は、なんの元年だろう。きっと脱中央集権(政治もエネルギーも食料も)になるのではないだろうか。そんなことを思う。