月別アーカイブ: 2011年3月

救援物資

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古くからの知人からメールがきた。
アウトドア義援隊の一員として、岐阜県警察から緊急車両通行証を発行してもらい(取得済み)、被災地にボランティア+支援物資の運搬にいくとのこと。
一昨日の朝にメールがきて、現場用のジャケット、フリースを選択して、昨日先方に届けてきた。
インドネシアにいくときに購入した寝袋は一度もつかうことがなかったので、それを提供(あとは使いまくっているので提供無理)。青春時代の小冒険の携帯ガスコンロも二個。家での鍋用のコンロも燃料とともに。そして、好きでかっていた鉄製の灯油缶・軽油缶は燃料を入れて。ガソリン缶は空で。また手元にあったポット類も4つ家のもの全て提供。ブルーシートも3枚。

しかしアウトドア義援隊は素早いなぁ。行政主導ではない業界だからシタタカだ。被災地のためにもなるし、自分たちのPRにも地位向上にもなる。林業業界はどうだろう?

アンパンマン

大地震、まことにこころが痛くなり、日々のテンションも下がりがちの毎日。
加えて、政治問題では日本人の意識の低さにガッカリしていた私も
地震で被災されたかたがたの節度ある行動・言動を目の当たりにするたび
日本人はなんてすばらしいのだと感動の日々。

被災者の言葉。そしてラジオの応援メッセージ。
日本はほんとうにすばらしい。

・・・が・・・。
はからずも今日車に乗っていたらアンパンマンのテーマソングが放送された。
涙が自然と溢れて危なかった・・・。
ハンカチで涙を拭きつつ車の流れに乗る。

3月24日に引越し

昨日、引越し業者を呼び、私の職場の荷物を新しい職場に移動する日にちがきまった。3月24日が、引越しの日だ。そんな少々センチな話を上回る事件、地震と津波・・・。

ちょうど、リビア・エジプトの政変を見ながら、幕末の大政奉還とダブらせていた私。一生懸命、大政奉還とこれらの政変を比較していたが、呆然とする大惨事で、すべて頭の中は真っ白に。

地震が起き津波で家が流され、鉄筋コンクリートの家が残る。原子力発電所の事故で感心が高まる安全なエネルギー。前者は林業にはマイナス。後者は林業にプラス。これから仮設住宅建設が始まり木材需要がグンと伸びるだろう。実際、営業マン時代に阪神大震災を経験し、そのとき合板を売っていたが、値段は相当あがった。

いま、国産材時代を業界の努力によって向かい入れるなら、国を上げて、木材・製材の生産量をあげる施策を打つことだろう。でも、きっと林業業界はぼーっとしているんではないだろうか?

そんな中、林業・製材業が生き残るには、宮城に飛んで、直接ユーザーを見つけて営業をすることだろう。値段よりも納期が優先するはずだ!

新天地

今日は卒業式。竹庵組の皆さん卒業おめでとうございます。また私の番外卒業セレモニーもしていただきありがとうございました。

今日は四時過ぎから新天地の部屋を見に行って来ました。およそ3m×6mプラス 水道 の居室でした。フロアーはカーペット。とても部屋で木工・なた研ぎできそうにありませんでした。さて新天地のスペースがわかりました。引っ越し業者を手配していこうと思います。

今日の昼でアカデミーでの仕事ミーティングは打ち止め。10年の店じまいです。お世話になりました。

こんな気難しい私に関わってくださった皆様に感謝。私が今日あるのは皆様あってこそ。ありがとうございます。

しょうもない話

先日東京に出張にいった。

訪問先の方が、お昼ご一緒にいかがですか?と誘ってくれた。
銀座にある三州屋という魚メインのお店だ。
私はそもそも刺身は好んで食べない。なぜなら、刺身と刺身になる前の魚は本質的にはなにも変わらない。包丁を入れるか入れないかだけの違いだ。だから刺身が好きだという人間は、魚に醤油をぶっかけて丸かじりでき、それがうまいならば、刺身が好き公言するに値する。しかし、魚に醤油をぶっかけてかぶり付くのに躊躇する場合は、刺身は本質的に変わらないから、魚に包丁を入れるという幻想で味覚を変えるのは”けしからん”と思っている。極端なこと、馬刺しが好きだという人間は消費を左手にもって馬のケツに醤油をぶっかけ、かぶり付ける気持ちがあ者は馬刺しが好きだとなのっていいが、それができない人は馬刺し好きを名乗る資格がない!!!などと思っているのだ。

さて、三州屋。魚屋と聞いて、まずい・・・と思った。骨は多いし・・・。しゃーない、海鮮丼でも頼むか(本当は刺身は好きではないが・・・)。出てきた海鮮丼、とてもおいしかった。やっぱり東京は、食べ物がおいしいなぁ。日本の人口の一割が東京にいて巨大マーケット。しかも地代も高い。だから儲かっていないの廃業せねばならない。だから長く続いている東京の飯屋は、ともかくうまいはず!三州屋。歴史はふるいようだが、なにより刺身に躊躇する私でさえ、とてもおいしくいただいた。おそるべしトーキョーマーケット。

東京に行く

課題研究が終わり、自分の仕事に奔走する毎日。
今日は、東京に行ってきた。リモートセンシングを森林を舞台に如何に使うかということを考える委員会の委員なので、その年度末の会議だ。しかし、なによりも有意義だったのは、会議が終わった後の技術的な話ができたこと。”もうかる林業”をするための情報整備に光明がさした。そして、私が信じる道をあと押ししてくれそうな共感を得られたと思う。この一年が楽しみだ。

小ネタ

以前、日本の林業界のなんだかしっくりこないのは、国産材時代の到来といいながら、その到来は業界の努力ではなく、新興国の努力によってもたらされたものだと、一年くらい前の授業でいいました。なのに、自分の手柄のように「いよいよ国産材時代到来」とはけしからんと。

二つの出来事がこの二日でありました。
一つは広島。
ラジャータパインというニュージーランドの松を専門に挽く工場が、最近中国のせいで松を入手しにくくなり、一月に一回、スギを挽くようになったとのこと。大分のスギです。もったいないのは直径30cm以上あるハリケタに十分使えそうな材を梱包材に挽いているということでした。昔は日本が100万立方を超えるほど輸入していたものが、現在は70万立方。むかし、中国はほとんどゼロだったものがいまでは600万立方、ニュージーランドの松を購入しているとのこと。つまり、価格決定力は中国が持っているということです。

二つ目は浜松。
むかしの職場で大変お世話になった、製材工場に今日電話しました。20年ぶり?くらいの電話です。昔からロシアの欧州赤松を中国経由で挽いている製材工場ですが、このところ原木が入りにくくなったので天竜のスギを挽いてみたとのことです。

それぞれ、普通は材が違えばノコも違うようですが、いままでのままで対応したようです。

だから、言ってましたよね。国産材時代の到来を業界の力で引き寄せるには、日本が中国にもっと木を使え!とCMを打つことだと。

この二つからいえることは、いま困っている人があちこちでいるはず。そしてこれからも・・・。だから、いち早くそんな困っている人をピックアップして自分のシンパにすること!
熊本の講演では、一円でも生産コストを下げるだけではなく、生産コストを下げるのは、現場の作業員であり、施業プランナーは一円でも高く売るための営業のほうが効果がある。そういいました。ますます、それを実感しました。いまならチャンスはまだありますが、ぼーっとしていると、もう余地もなくなります。急いだ、急いだ!

岐阜に戻った

15時に広島福山を出て20時に岐阜につく。
日本は広いようで狭く、狭いようで広い。
また森林の状況が地域によってまったく違い、岐阜県だけを見ていてはダメだと思った。
今年の夏はなにか理由を見つけて、車で北海道に行こう!とこころに決めた。
いろんな森林状況がちがうんだろうなぁ・・・。