月別アーカイブ: 2011年6月

今日も5時起き・・・

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昨日、起床は5時。目覚めると外が異様にまぶしく、太陽がギラギラ。こんな朝っぱらというのに暑いではないか!眠かったし・・・。昨日は金華山は遠慮することにした。3日つづけて登って筋肉痛だから1日筋肉を休ませる。・・・とかなんとか言っちゃって・・・。
要するにサボった。

今日、5時起床。おっ、太陽はぎらつかずまだ雲の中だ。よーし、今日も金華山。

これまでの3日間、気になるおじさんがいる。年のころは70代・・・。
驚くことは私が登る急斜面をじいさんが登っているというだけではない。
ひざには、バレーの練習で使うサポーターを装着。
そしてないよりも奇妙なのが、上半身裸なのだ。
短パンに、黒の編上げのワークブーツ。

最初に目撃したのは月曜日、時間は5時30分。金華山の登り口。おじいさんは自転車の傍らにいた。そのときすでに裸だ!私は彼の横を目を合わさぬように「おはようございます」といってすり抜ける。あさっぱらからこんな変わり者のじいさんにかかわっていては・・・。
「おはよーーーございます。」という腹式呼吸で出されたと思われる大きな声だった。

さて、そんなことが登り口であったが、ともかく私は金華山の山頂につき、下り始めた。すると、その登山口最大の難所でおじいさんが、機関車のように力強く進んでくる現場に出くわした。おー、じーさん、やるなぁ。「おはようとざいます」と声をかけて素通りしようとしたら、じーさんは立ち止まり私のほうを向いて何か言おうとしていた。だが、私は気づかぬふりをして走って下りた。

次の月曜日、時間は5時50分。昨日じいさんとすれ違った最大の難所にさしかかったとき、上半身裸のじーさんを視界にとらえた。おー、じーさん、やっとる、やっとる。機関車のようなじいさんに追いつき、立ち止まり、声をかけた。「おはようございます。昨日おあいしましたね」「おはよーーーございます。昨日、会いました。ハイ」。「毎日登っていらっしゃるんですか」「お勤めのあるときは、金華山を留守しますが、お勤めがないときは、毎日登っていますハイ」「馬の背をですか?」「行きは馬の背ですが、帰りは瞑想の小路です。ハイ」「靴がつるつるなので、ハイ」。二キロ先からでも聞こえそうな大きな元気な声だ。

さて本日、時間は5時20分。金華山登り口。
おっ、ジーさんの自転車がある。ということは、彼を初めて目撃したあの時間、彼が裸だったのは、もしかしたらじいさんは何回も登っていて、数回の登山でシャツが汗でびしょ濡れになったので、裸で登っているのでは?きっとそうに違いない。ならば、今日あの爺さんとすれ違うかするかなぁ・・・。
そして、不思議なことにまたいつもの場所でじーんを視界にとらえた。彼はもしかしたら高橋正二郎さんかもしれない・・・。3年前に発見した、一日に3回深夜金華山を上る謎の人物。とうとう足を捕まえたか。
裸のじいさんはほれぼれするほどマッチョな体だ。あの体なら深夜の金華山も可能だろう。

視界にとらえたじいさんに近づき、今日も声をかけた。
「今日ははやいですねぇ」「ハイ」「一日に何度も登っていらっしゃるんですか」(聞いちゃった!)
「昔は一日に6回登っていたこともあります。ハイ。でもいまは一日に一回です。ハイ」「夜も登るのですか」(俺もしつこいなぁ~)」「いいえ、夜は登りません。ハイ」「冬なんかもこの時間帯ですか」「冬は30分遅くなります。ハイ」・・・。

どうやら彼は高橋正二郎さんではないようだ。

さて、この金華山登山いつまで続くか・・・。

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葛藤

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朝5時。目が覚める。そして、金華山に登らない理由を一生懸命探そうとする自分がいる。

雨が降ってないかなぁ。
今日は夜、スポーツクラブで走るか・・・。
葛藤の渦。

しかし、今日も金華山に行くことに。
理由、実習(本番)で体がキツイことより、練習で体がキツいほうが自分ごのみだし、
こうしてもんもんと悩んでいると意識がはっきりしてきて、(心はそれを期待していたが)二度寝もできない状態。えーーーい、悩んでいるんだったら、行ってこい!!!自分を鼓舞して金華山に。

金華山 再び・・・

昨日、一年半ぶりに金華山に登った。

ヒマラヤに行く予定はない。変態的な山力はこのひ弱な体に装着する必要はなし。
ただ、授業・実習でバテない程度の体力は必要だ。そこで、昨年度は職場の裏山を仕事と称して登ったりしていた。

それが、転職とともに、ブルーカラーからホワイトカラーの仕事に変った。体力勝負での仕事はなくなった。
週に1回、空手をやり、ときどき平地を走っていれば、まぁアンチエイジングにはなるだろう。そんなところだ。

ところが、いかん忘れていた。

7月の上旬に愛媛の演習林で外国人対象のGPS講習を二泊三日で行う。そのうちの一日は激しい山登りだ。昨年やったが、あれはキツかった。私が限界状態では、受講生の安全確保は勤まらない。

加えて8月の下旬に、今度は愛媛大学の大学院で三泊四日のGIS/GPS/測量実習が今年から入った。いまのところ演習林でキャンプをしながら、を考えている。これまた学生さんに山歩きで負けるわけにはいかない。
(やみくもに山を早く歩く体力が必要なわけではなく、自分に余裕がなければ他人(授業料を払っている学生)の安全確保や非常時での冷静な判断のため、私は余裕をもって山に入らないといけない)

・・・というわけで、今朝、またしても朝5時に起きて山のぼりをしてきた。

鍵の交換、そして復調!?

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今日は、先日調子が悪くなってしまったバイクの再調整をしてみた。
大きな原因が2つあった。動いていたのが不思議なくらいな、大きな失態だ。
その失態を修正し、そして、重要なパーツを一つ変えた。鍵だ。
バイクを入手したときの鍵の数は一つ。つまり、なくしたらそれでアウトという状態だ。そこで、鍵のシリンダーごと変えてみた。これで鍵が4つできたことになる。しかも、純正の鍵だ。

さて、本題。復調したのか?
たぶんした。あとはオーバーヒートが解決されていたらいいのだが。
今日は時間の都合で15キロの走行をしただけだた、好調だった。

一時の夢・・・

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先週、調整が完了したバイク。今日、家で仕事をしている合間を縫って美濃の倉庫からバイクを取出し、岐阜市を往復した。なじみの喫茶店のマスターが元暴走族でバイク好き。そこでバイクの自慢をしがてらランチをいただこうと思ってのことだ。

・・・がっかり。

調整前は、走行距離15キロで、走るのも困難な状況になった。
しかし、今回は走行距離15キロでも、まったく快調。一般道を走る乗用車をあおり、スロットルもとても敏感に反応していた。
ところが走行距離20キロを超えたら、なんだか以前と同じような状況に・・・。

かなしぃ・・・。
いま残された課題は4つ。
(ホンダにお勤めだった方とインターネットで知り合い、アドバイスをいただいた)

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しかし、新調したメーターの走行距離もやっと60キロになった。

出稽古

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今日は東京。東大に出稽古だ。東大の航空宇宙チームに林業の流れと私の取り組みについて話してきた。

天体少年だった私は、宇宙開発に貢献したい正義がある。私から使えるものがあれば何でも持ってってくれ。そんな感じだ。

帰りに携帯が鳴り、立ち止まった構内で四葉を発見!いいことあるかな?

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・・・そして、その足で次のアポのS友林業の山林部を訪問。先日の東京の講演で反響があり、東京出張のついでにお邪魔する約束を入れていた。ところが、携帯に転送されてきたS友林業のご担当からのメールを東大構内にいるときに確認したら、そのメールには!!!
「明日よろしくお願いします」と・・・
確認したら、明日の約束だった・・・。けれど、今日帰ることにしていた。明日は春日井にアポがある。

遅くなってもいいから・・・と、無理いって夕方遅くから打ち合わせをさせてもらった。


30万キロのメーター

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記念の30万キロは、職場から名古屋市内に向かう高速道路上で迎えた。細心の注意をはらってパシャリ。

旧職場で美濃市に住んでいた5年間は、職場と家とが2・3キロしか離れていないので通勤ではたいした距離を走っていない。また2007年ころからバイクが通勤の足も加わった。

10万キロは1998年頃に迎えた。愛知・藤沢市・松山市を右に左に行っていたころだ。
20万キロは覚えていない。ともかく、岐阜の山を良く駆け巡った。
まさか30万までのているとは思わなかったが、こまめに修理にだしているしまだまだ走りそうだ。

リモコンのドア開閉装置・左側のドアミラーが動作しない・右側のスピーカーから音が出ない。走りとは関係ないところはそのままにしている。

40万キロ?果たしていくかなぁ?

絶好ちょーぉーーー!

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足かけやく1年半。

1969年生のバイク。問題が4つあった。①時速50キロ以上でない。②坂道になると力が落ちて車の流れに乗れない。③音がめちゃくちゃうるさい。④20キロくらい走っていると、スピードが落ちてくる。今日①~③の問題を足かけ1年半で、やっと解決できた。これまでオランダから4・5回部品を取り寄せた。同じバイクをもう一台購入した(不動車)。
その甲斐あった。素直にうれしい。あとは微調整と外装を整えれば立派なバイクになるハズ。

時速は80キロ以上はでるようになった。坂道も車の流れに従う。音も許容範囲。あとは、一度ツーリングでもして④が解決できているかを試してみよう。

ちなみに、先週の金曜日、これまた祝い事。H6年モデルのパジェロも30万キロの大台を突破。この夏、パジェロは4回の愛媛に付き合ってもらうことになる。大丈夫か・・・という不安はあるが・・・。まずは30万キロ突破。めでたいことだ。

たのもぉー

新職場に来てはや三ヶ月経とうとしている。
とうとう、今日でかけてしまた。大学の空手部に。
風前のともし火のような部員数だった。
人が2人しかいなかった。
本来なら部員は10名くらいいるところだが、最近低迷しているとのこと。
一日の練習を見させてもらった。

今日は我慢できずに、ミットを持たせてもらい
ケリを入れてもらった。
やはり若い人の動きは俊敏だ!

今度は胴衣をもって見学させてもらおっと!

東京の木材製品市場

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昨日、ここ2年の間で3回目の東京の市場に行ってきた。一回は、一昨年の卒論のための取材で学生と二人で。もう一回は、その学生の卒論報告で一人で。そして今回で3回目。
理由は、8月1日に和歌山で講演を頼まれたからだ。和歌山で講演を頼まれ、どうして東京の木材製品市場?理由は、和歌山の製品は東京市場で多く流通しているという認識が私にあり、講演の内容を考えるためのネタ探しだ。

1年ぶりの市場。前と比べて大判の板が多い。市場の顔見知りの方に聞けば、いまは建築材がでないから家具用に板くらいしか動かないということだった。
写真のスギ板は、2千円から5千円。悲しくなる値段だ。

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「アトピーキラー」というシールが貼ってある木材をみた。特殊な加工をしているのかとおもったが、なんのことはない。ただの木材。しかし、こうして差別化やブランド化をする取組はすばらしい。理由はわからぬが「響」と印刷された柱もあった。これまた、購買意欲をそそられるネーミングだ。

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とうとうここまできたか・・・。日本で板にした木材を中国に持っていき、サネ加工をして日本に戻す。そんな商売が始まっていた。無垢の紀州ヒノキだが半坪6500円でも不落だった。

こういった情報収集も収穫あったが、なによりも大きな収穫は「人」だ。

市場で不思議な買い方をしていた方に、隙をみて「林業を勉強している者ですが、お話を伺っていいですか?」と何人かの人とお話をした。今回は、話す方々反応がいい。
そして、すばらしいのは、私が聞く一方ではなく「それで、先生はどんな研究をしているの」「何で市場に来るの」と皆さんが尋ねてくれたことだ。「国際GISセンター」という名詞で、「材木市場?」、さぞかし不思議だろう。

そんな一人と激しくお話できた。5代つづく材木屋。薄利多売で年商15億だった商売を体力のあるうちに年商3億に下げ利益率を上昇させる体質に変革させた社長。東大にあるバーのオーナー。あまりに盛り上がったので、社長が駅まで送ってくれた。彼はよく勉強をしていて、材木屋なのに「新生産システム」「森林林業再生プラン」「集約化」についてよく勉強されていた。彼は、三重の美杉村に50ヘクタール、群馬に50ヘクタールの山林を持つ森林所有者でもある。