月別アーカイブ: 2011年9月

石巻 その2

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もう半年たっているのに・・・。すべてのことは時間が経てば戻るもの。疑いなくそう思っていた。けれど、よく考えればそうではないことをまざまざと思った。
いまだに船は地上に打ち上げられたまま。

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テレビで電柱にしがみつき一晩を明かしたという方がいたが、もしも、松の木に登っていたらこのように根こそぎ倒されていた。

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トラックは田んぼに変形した形で残存。まるで、サイパンの海で朽ち果てていた戦車のよう。田んぼの中で、ひっくり返った状態で一部を水面上に出している車・トラクター・船を沢山見た。

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道路の中央分離帯に横たわる巨大タンク。

時間が解決するのではなく、誰かがやらないと物事は進まないことを改めて実感。
lこの惨事に、いま自分は何ができるのだろう。

被災地へ物資を提供した。
すくなからぬ募金もした。

けれど・・・。それだけで足らないことを実感。

そして恐ろしいこと。これと同じ規模の地震が・・・、地元でも、故郷でも・・・。

石巻 その1

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仙台ではほとんど震災の後は見られなかった。すくなくとも駅周辺、ホテル周辺では。しかし、異変は石巻の手前から現れ始めた。不思議なことに、高速道路近辺の杉の木が枯れているのだ。さて、その杉がれについては後日言及するとして、石巻の港で目にしたもの・・・。あまりに多すぎて、しかも心が痛い・・・。

写真は港に面した民家の後だ。基礎を残して跡形もない。津波直後は幾ばくか・・・。

人生初めてのことが、私に起きた。
港に面した民家の横を車で通る。道を挟んで海。

・・・よくある夏の海辺、港町の光景。

真っ黒の日焼けをした小学生。
釣り竿とバケツを持って海に向かって一目散。
堤防に乗り付けた何台もの自転車。
海に飛び込む少年。ぎらつく太陽。きらめくさざ波。

歓声が聞こえる盛夏の港町。

毎年の光景。

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そんな光景の主人公だった子供たちはしっかり生き延びてくれただろうか。
こうした壊れた堤防を風となって走り抜ける真っ黒に焼けた少年。
もちろん、見えはしないが、見えたような気がした。

人類の歴史はこの繰り返しだったはず・・・。

とはいえ・・・、あまりにも痛い・・・。

いま自分がこの世に存在する奇跡に感謝。

仙台

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人生三度目の仙台に降り立った。明日、石巻にいくためだ。石巻では、被災地の被害(つなみによるヘドロなどの堆積状況)マップづくりを一緒にしようという話があるらしく、職場でいわれるがまま東北にきた。

東京発の「こまち」+「はやて」の新幹線は全席満員。
名古屋→東京とほぼ同じ時間、おなじ料金で東京→仙台に。

昨晩遅かったので、新幹線の中では、紙と鉛筆で悶々とアイデア出しをしながら、ウトウトしてしまった。被災された方々が、暮らしているそのまち町を眠って素通りしてしまう失礼とは知りつつ・・・。

仙台の手前の福島あたりで目覚めた車窓からは、まだ震災の影響と思われる屋根の修理が終わっていない家々が多くみられた。とくに寄せ棟の屋根の棟の部分が壊れている家が目についた。

仙台から石巻までは車で一時間、レンタカーをかりての移動となる。

新しい研究道具

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足掛け2年以上・・・。念願の製品が納品された。
衛星画像を擬似的にデジタルカメラで撮影する器具だ。5年以上前、インターネットで豊川の工場を見つけ、押し掛け企画したもの。あのときはマーケットが小さいということで試作してもらえなかった。
しかし、2年前学生さんの知り合いの会社が、それを作る能力があるということで作成を依頼した。

ただ、お金はないので、先方の都合のいいときに・・・ということで、先方の空いた時間を使って作成してもらった。念願の機材。

これで一年間森林を見続け、衛星からどれだけのことが判るかの基礎データを収集しようと思う。

知らんかった・・・。

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さて、怒濤の二週間が終わった。JICAとGISデイなどのイベント。やっと自分のための時間ができた。台風パトロールも終わったし。
昨夜は早々と寝て、今日に備える。そして早々と目が開き、元気にバイクで職場にきた。
到着は8時。くぅーーー、寒ぃーーーっ!

あれぇ~。今日は人が少ないなぁ。
そりゃ、なんたって俺今日早いもんねぇ。
早いと人も少ないさ。

あれぇ~。図書館の工事でハツリ機がコンクリートを砕いている。
仕事や学習の邪魔ではないか・・・。

あれぇ~。職場の同僚もいない。事務の女性もきていない。もうとっくに9時をすぎているのに・・・。

先日のイベントで台風がかき回したような状態だった私の居室も一通り、掃除ができた。
さて、仕事に取りかかるか。閑散としたキャンパスの木陰を探し、ベンチでメモをしながらここ2ヶ月くらいの予定を考えていた。

居室に戻る。

そして目の前のカレンダーに目をやった。
今日は何日だったかな?
今日は23日。あれっ、秋分の日。なんや・・・休みだったか・・・。

俺はわざわざ何しに職場に来たんだろう。

台風一過

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名古屋で足止めをくらい一泊。そしてJICAの研修も終了。自由に行動できる時間を手にした。そして最初にやらねばならないこと。パトロールだ。

美濃市に借りている倉庫。その倉庫の雨除けのために梱包用の材料でふさいだ開口部も、一年以上にわたる紫外線で劣化し、蚊でも当たれば破れるくらいもろくなっている。したがって、名古屋で私が足止めをくらった台風で破壊されている可能性が大。心配で心配で・・・。倉庫が水浸しになっていたらまずい・・・。なかにいれているレアなバイク・・・。まずい・・・。そこで、研修もおわり自由になったため、職場にいくよりも美濃の倉庫をパトロール。

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大丈夫だった。ほっとした。そして、劣化した開口部の塞ぎを、手持ちの材料のある限りで交換してきた。そしたら・・・。なんと、台風でアリンコも開口部のところの隙間に避難していた。びっくりすほどの蟻の数。ちゃんと卵も避難させていた。ただ・・・、ごめんね、世間はあんまり甘くない。残念だけど、殺虫剤をプレゼントさせていただきます。蟻の佃煮のようなものができた。

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さて、もう一つ気になっている箇所。最近入手した、別荘(?)。廃屋だが、それが台風で吹っ飛んで近所に迷惑をかけていたらまずい・・・。これもまた気になって・・・。
私がそこに到着した時は、大雨が降っていたが、廃屋がふっとび近所に迷惑をかけていることはなかった。これで一安心。ちなみに気温は14度だった。

さて、美濃もOK、廃屋もOK。
これで明日から職場に行ける!!!

カプセル

JICAの研修で名古屋に来ている。岐阜・名古屋の電車が止まることないだろうと思って研修していた。終わって帰ろうと思ったら、電車が動かない。早々にカプセルホテルにはいり、今夜はここで、酒のんで寝ちまえ。

ハードワーク

月曜日からJICAのGIS研修が始まった。

しんどい・・・。体力的にみ精神的にも・・・。講義は英語。俺に英語をしゃべらすなぁ!英語が母国語の人にはまず通じないし、英語が母国語ではない人には、もちろんのことながら私の怪しい英語は伝わらない。
しかし、講習はしなければいけない。

英語の何が苦しいかといえば、しゃべる方は相手が輪からなければ、あの手、この手でいろんな角度から波状攻撃をかけて伝えたいことを伝えるのだが、聞くほうが本当に相手に申し訳ない。

相手は、ニコニコ得意がってしゃべりかけてくれるのだが(質問・コメント)、聞き取れる英単語をとおし、得意の妄想力で意を解するのがやっと。きっと、英語がちゃんと聞き取れれば、もっとうまくやれるのに・・・。

今週・来週はJICAの研修。体力的・精神的にしんどい毎日が続く・・・。

あーーーーーーーーーーー、終わったらどこかリゾートにでも行きたい!!!夏休みをくれぇーーーー!!!

浜松のウナギ

くそ忙しい・・・。
悲しいことに今日は空手を休んだ。そして来週も休まねばならん。コンチクショー。

その忙しい折なのに、来週末のイベントの仕込みのために今日は浜松まで行ってきた。会社員時代におせわになった製材工場にいって木材(木端)もらってくるためだ。先日、ロシア材を引いている社長のところに電話をして、今日16年ぶりに社長を訪ねる。

社長に昼をごちそうになった。浜松のウナギ屋だ。浜松のウナギは関東風。関のウナギは関西風。美濃生活の10年で関東のウナギはもう受け付けないと思っていたが、一口入れてビックリ!これはうまい!!!
なんでもこの界隈で繁盛しているのはこの店というお店に連れて行ってもらった。週末は他県ナンバーの車ばかりというお店だ。

16年ぶりにお会いして、そして林業ネタで盛り上がり、また会う約束をして今日は帰ってきた。こんど浜松に行く楽しみが増えた。たしか・・・浜松餃子もあったなぁ。

ラフティングのボート

2年前に、職場で8年前からカヌー部を創立していたけれど、彼らの川意欲も夏だけで終わってしまい、結局カヤック(一人乗り)をマスターするまでの人は出てこなかった。それに剛を煮やし、まずは川下りの楽しさを知ってもらって、冬でも川に行きたくなり、やがてカヤックもマスターしたくなる人が出たらと思い、川を手っ取り早く楽しめるラフティングを2艇購入した。このブログでもそんなことを報告した。

さて、そのラフティング、この4月からラフティングで楽しい長良川のポイントからはなれてしまったうえ、忙しく川に出られない。眠り資産だ(そんなんが多いのだが・・・)。そこで、かつてからそれを売ってくれといっていた従兄弟に1艇譲った。またその従兄弟が職場の近所で、私の通勤路である犬山ライン下りにも近い。美濃の倉庫で一人重たいラフティングを乗せたりおろしたりすることを考えたら、彼に積み込みを手伝ってもらえることあるかと、もう1艇も彼に保管してもらうことにした。したがって、美濃の倉庫にはラフティングボートはなくなった。