ちょっと不安な、柿…

空港からホテルに向かうタクシーの中での話。

ヤンバル地方の話を聞いてみた。
私が「自然保護に興味を持ったきっかけの一つは」25年前の沖縄徒歩旅行で、ヤンバル地方の青い海が毎朝の大雨の度、青い海が赤土流亡で真っ赤に染まっていたのを目の当たりにしたことだ。だから、タクシーの運転手さんに、いまもヤンバルは雨のたびに赤土が流れるのですか?と聞いた。答えは、「あっ、しまった」という感じだった。運転手さんの話は大まか以下の話だった。

沖縄が本土に復帰して40年(私が小学2年生のときに同級生の一人が沖縄海洋博に行っていた。だから、沖縄が日本の領土に再編されたのはあのあたり)。私が沖縄を訪れたのはそれから15年後。そして今回25年の空白で再び沖縄に足を踏み入れる。いまから25前といえばちょうどバブルの走り(?)と、本土復帰から本腰を入れた政策的な沖縄開発が相まって、アチラコチラで無秩序な開発があった頃。今は、砂防工事なども行い、以前程ではない。特にいまの知事になってからは土木工事は厳選して行うようになったから、開発と保全のバランスもよい。そんなニュアンスのことを言っていた。

しまった・・・。私の頭の中にある沖縄は25年間、赤土が流れ続けていた。いまどうなっているんだろうと心配していた。あのパイナップル畑は・・・。あの漁村は・・・。銃の薬きょうが落ちていた国道の景色は・・・。すべて25年の景観が生々しく思い出される。

そして、もう一つの言葉が追い打ちをかける。
あー、25年前ねぇ。あのころと比べたらずいぶん変わったよ。昔は何もなかったけど、今は・・・。
高江小中学校のあたりは、米軍のヘリ関連施設で住民運動が起きていたりして・・・。

地域の人々がすさんでいたらどうしよう・・・。

そういば、昔はカブトムシ型のワーゲンや、古い高度成長期の頃の車が走っていて、東海地方と明らかに質の違った車が、東海地方の車と変わらぬ年式。昔と比べて豊かになったんだなぁ。

25年前の、民宿のばあさんの言葉を思い出す。
「本土に復帰してから若いもんは贅沢になった」。

「あっ、しまった」というのは、
いつも自分に言い聞かせている「時間は人や物をかえる」ということば。
沖縄だって、昔のノスタルジックなままじゃぁない。変化している。もう自分を受け入れてもらう余地が無いほど変わっているのかも。しまった、想定していなかった。僕の沖縄は25年前で冷凍保存していた。

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