沖縄本島一周なんて、歩いて出来るようなことだから、私がいる沖縄南部とヤンバルの森(沖縄北部)なんて毎日の通勤の1時間くらいだろうと思っていた。しかし、沖縄上陸から、なんか違うなぁ・・・そんな気がし始めた。
沖縄ツアーしめて4万8千円(レンタカー込)。レンタカーをキャンセルして、自らレンタルバイクにした。CB1100を今日、明日をCB1300STという具合に。願わくば、自分があるいた道をとぼとぼ大型バイクでノスタルジックツーリングと行きたかったが、どうやら高速使っても2時間くらいヤンバルまでかかりそう。しかもバイク屋は10時時開店。ガイドとの待ち合わせは12時。しかたないからおっかなびっくり高速を使ってヤンバルに走る。那覇→名護→国頭村安田。2時間はかからなかったが、すげぇーーー遠かった。すごいじゃん俺。昔、それを遙か凌ぐ距離歩いたなんて!!自分に感心。
さて、ヤンバルの森。案内をしてくれたガイドは生家の沖縄市から2,000年に国頭村安田(おそろしいほどの田舎)に家族揃って移住した方。エコツアーで生計を立てている方だ。
移住先の「おじー」や「おばー」から聞き取りをされているらしく(酒飲みながら)、昔の話、本土に復帰する前の話などを取材されていた。
曰く、このヤンバルの森は首里王朝の王朝林で、首里城などの建築の際木材を切り出した森。もちろん、杉檜ではなく、スダジイだとかシラカシだとかの照葉樹。
だから、大きな木がたくさんあったそうだ。明治政府・大正・戦前などは、その森の盗伐は現金収入の唯一の方法だったらしい。農業・漁業は自給。
そんな彼らの伐採方法は、斧一つで立木を伐り、斧一つで角材にし、そしてここからが驚きだ。角にした材を人海戦術で運びだし、お金にしていたとのこと。しかも、裸足の山あるき。
ハブがいたら裸足でハブの頭を踏みつぶしていたという。
まるで私がインドネシアであったローカル・ピープルのようなタフさ…。
またアカメガシワは胃薬、ススキと赤土をまえてガム代わり…。恐ろしほど自然の生かし方をしっていたららしい昔の人々。しかし、いまはその伝承も途絶えようとしているとのこと。
さて、明日は1300CCのバイクでゆっくり沖縄を走れるように、8時間で予約したバイクを24時間に変更してもらい、朝早くから柿の宅配人となり沖縄をゆっくり走ってみることにした。
沖縄にも1つだけ森林組合があるそうだ。補助金の受け皿として・・・らしい。育成複層林事業の痕跡が。しかも照葉樹の複層林(?)。