新たな研究テーマ

今朝、回覧板を次の人のポストに入れるため、下まで降りたついでに外に出た。そして、折角外に出たのだからと、河原に降りた。

長良川の川面を眺めながら、高校のころの物理で考えたことを思い返し、場所によって波打ち際の水の色が違うことに思いを馳せ、マイ・農業への可能性を想像した。

川原に仰向けになって空を見上げると、青い空に流れる雲。雲の形の変化。湧き上がる白。消えていく白。そんなのを見ながら、雲の高度を想像し、雲に飛び込みその肌寒さを感じながら、雲の三次元構造を見渡している気分に浸る。そして、諸葛孔明の采配を思い出した。

何を見ても面白い毎日なのだが、厄介なテーマに行きあたった。空手だ・・・。

最近、空手の動きで疑問がフツフツと湧いてくるため、休憩時間に師匠に訪ねたりしている。昨日は、これまた細かいことだが、全てのコースが終わるまで待って疑問を投げかけた。それに対して、なるほど!という返答を得たはいいが・・・。

雑談の中で言われた。「あなたの動きはなぜか、カンフーチックですね」「きっと染み付いているのでしょう」「なにがカンフーチックに見えるのか分からない」「私にその動きをやれといってもできない」

私が夢中になった高校生のときの知識を持ち出せば(いまは変わっているのかもしれない)、カンフーには中国の北の方の「北派」と、南の方の「南派」がある。北は動きが曲線的で流れるようなもの。皆には直線的で一つ一つが力強いもの。

私が憧れていたのは「北派」の動き。一生懸命、見よう見真似。(←これが、人から教わらずにものを学習する技術につながったと思う)。一方、空手はたぶん「南派」(流派がいろいろあるので、定かではないが、いま習っている流派は確実に南派の流れ)。

私の動きが、カンフーチックだと言われるのは(私の不可解な動きを「とりあえず不可解なものをカンフーとして片付けているのかもしれない」)なんだか動きが根本的に違うのだろう。もしも、そこまで根本的に違うのなら、そこまで身につけた怪しげな動きを褒めてやりたい気持ちにもなるが・・・。

このテーマは、川や雲の流れのように「妄想して楽しむ」テーマではなく、「苦しんで見つめなければいけない」テーマ。新しい研究テーマができてもうた・・・。

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