カーネーション 龍馬伝

習慣とは恐ろしいものだ。
特にNHKの連続ドラマを習慣にしてしまうと、それを生活のリズムに入れてしまう。
だから、この秋始まった朝のドラマ「カーネーション」も見るものかっ!と思っていた。見てしまうものなら、その時間は全ての行動を規制される。テレビに釘付けぇぇぇ。

ところがカーネーション、何かのキッカケで見てみたら、面白かった。
いまではすっかり、それを見終わってから職場に出かけるようになった。

習慣が恐ろしいのはそこからだ。最近は、腹が立ってきた。なら、見なければいいのに!しかし、習慣・・・。見ちゃう。腹が立つのは物語そのものではない。

カーネーションで使われているカメラは、最近NHKでよく使われるようになったカメラだ(民放のドラマは見ていないのでしらないが)。龍馬伝で使われ、おそらく坂の上の雲でも使われた。なんというか・・・、全体に映像が締まって見える。いままでのカメラとは明らかに違う。ちょっと映画っぽく見えるというのか・・・。

龍馬伝では、そのカメラと小道具・照明・衣装・舞台・ロケ等に大いに気を払われていたため、カメラの臨場感で大いに楽しめた。

カーネーションでは、小道具・照明・衣装・舞台・ロケのバランスが良くない。気づいたのは先週。年末忙しいからということで、12月に子供を預けに旦那の実家に行ったくだり、引取りに行ったくだり。
野外ロケだったが、12月だというのに周りの草は青々している。龍馬伝ならありえなかっただろう。あえて、野外でロケをした理由はなんだろう。余計なことを考えてしまう。なぜ、野外ロケではなく、舞台でやらなかったのか。お金か?スタッフか?外でなければ表現できないことがあったとしたら、それは何だったのだろう。

それ以来、あらが見えて仕方がない。

今日は、雑煮を食うシーンが出てきた。テーブルの上に並べられた椀。陶器でできたお椀の口が少しかけていたものがあった。龍馬伝なら、当時よくある家庭としての演出として、あえて欠けたものを出すこともあろう。けれど、12月に森が青々しているカーネーションだ。一瞬(たしかにパッと出たシーン)だけなら、まぁいいか!で済ましてしまったのではないか。あれが演出だとはとても思えない。

こんちくしょう。習慣。
というか、これでいいんだろう。別の意味で朝から、テレビのディレクター気分で脳みそが活性化している。

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