金曜日の帰りは、寒かった。
そこで、別荘周辺の様子をチェック!!
別荘の周辺の写真がネットで見れる。このリンクの中の12番というのが私のエリアと思っていいところ。あーこれから春まで雪で閉ざされるのかな?
なんとかダルマストーブくらいは設置したい!!
金曜日の帰りは、寒かった。
そこで、別荘周辺の様子をチェック!!
別荘の周辺の写真がネットで見れる。このリンクの中の12番というのが私のエリアと思っていいところ。あーこれから春まで雪で閉ざされるのかな?
なんとかダルマストーブくらいは設置したい!!
フェイスブック修行中。
初期の頃、フェイスブックとはこんなものかと来るもの拒まず状態のとき、飛び込んできた友達リクエスト。マラソン好きの方のようで承認。
今日、フェイスブックの「ホーム」の存在に気づいた。
その「ホーム」に移動してみたら、マラソン好きの方は音楽好き。特に洋楽好きみたい。私にはさっぱり有益な情報ではなかった。
彼の情報が山のように表示されると他の方の情報が下の方に追いやられ、見にくいので困った。
そこで勇気を振り絞って、友達「削除」。
削除通知って、先方にいくのかなぁ?
悪く思わんどいてね。
先日、元職場の同僚(建築専門)に別荘を見ていただいた。旧職場の教材として提供しようと思っているからだ。彼との道中との会話で時代の大きな変化を感じた。
ご存知のように、私は数年前からエコ生活の探求をしようと、農業してみたり脱冷暖房だとか・・・。チャレンジしている。
建築を専門にしている彼の客先にも、そういったエコな生活を日常に取り入れている人も多いとのこと。その中の一人は、家族で電気代は千円台だそうだ。昼間は電気を付けず、建築の打合せのときテーブルが暗ければ、テーブルを明るい窓際に持って行くのだそうだ。部屋を明るくするのではなく、明るいところに自分が移動する。
テレビもないそうだ。(お金が無いわけではないその方。なぜなら設計士に依頼しながら納得の家づくりをしているわけだから)
・・・極めつけは50mのホースを夏に外においておけばホースの中の水は50-70°になるからガスを使わなくても、また効果な温水器を使わなくても風呂にお湯をはることができるという同僚の話に心を動かされた様子。
そんな話の中での同僚の生活を聞いた。
彼の家庭もテレビがないそうだ。しかも、この季節冷蔵庫は電源を抜いているらしい。この現代にあって冷蔵庫なしの生活があり得るとは!!驚きだ。
野菜は年600円でかりた農場から収穫。食い切れないそうだ。
おそらく、私が学生の頃、上記の会話は「悲壮感を持った貧乏話」でしかなかった。しかし、いまはもっともオシャレな生活スタイルのようにみえる。
持つことを良しとした時代から、持たないことを良しとする時代への変化。
物もお金も・・・。
そんな話を聞いた後は、家のテレビのコンセントを抜いて使うときだけ入れてみようかなぁと思った。
財布忘れ事件。世の中の進歩にとりこされつつあるのを実感する今日この頃。一人回し蹴り修行に明け暮れる。・・・とばかりはいかないので、アンチエイジングのための行動計画を実行することにした。
まじめにフェイスブックに取り組んでみようかなぁ。
いままでフェイスブックで余計なことをしてはいけないと触れずにいたリンクをいじってみようという気になった。
というのは、
1(自分)対1(相手)だけのメッセージ。
1(自分)対他(皆)のメッセージ。
たぶん、グループを作ったメッセージの交換?
ができるようだし(使うかどうかは別にして)
先日、自分の顔を分からぬようにと気を使って写真を選んでいたのに(ジャーナリストの本多勝一氏はジャーナリストはどこでいつ狙われるかわからないので顔を公開しないと現役時代言っており、それに陶酔している)、友人より私の顔写真をでかでかと公開されるにいたり、かなり驚いた。
こいつは、フェイスブックを「より知る必要がある」。
いまは無防備になされるがまま状態だが、世の変化の波に溺れない方法を身につけなきゃ!
これが、アンチエイジングになる。
しかし、まだそんなフェイスブックによるアンチエイジング対策はうまく効果が出ていない。
今日は、夕方、職場の同僚(この大学で知り合った同僚に初めてお酒に誘われた)と夜の町に消える予定であるため電車で職場に来た。
そして・・・。
職場に着くなり事務室で
「おはようございます。いつものやつお願いします!!」
「えっ、いつもの」
「ハイ、いつものです」
「あーー、うふふふ」
「はい、部屋の鍵です」
今日もまた自分の部屋に入る鍵を忘れた。
今日の昼間はそんなことがあったので、今日の午後ぽっかり穴が開いてしまった。財布を忘れたショックで息も絶え絶え家についき、そのままイジケテ昼寝してしまった。
そして目が覚めると、こんなことをしていてはいかん!と気分一新。ひと月以上まえに部品を取り寄せ、取り付け方法構想中だったバイクのサイドバックを取り付けることに。部品を加工・工夫しないと取り付けできないシロモノだ。アルミのLアングル、ステンレス製のLアングル、タップ、ヤスリ、カネノコ、ドリル。総動員でなんども家と自転車置き場を往復して取り付けた。
戸建ての家なら、こんな苦労はないだろうが、マンションだと何回も部品をあてがい加工の形をだし、部屋で加工しては下に降りて・・・。随分疲れたが、取り付け完了!!
きっとこのサイドバックを見るたびに、財布を忘れた悲しい今日を思い出すだろう。
GISに関連した仕事をしている中部地方の有志で、お互いの情報交換を兼ねた第一回の勉強会が開かれることになった。私も参加を照会され、発表を頼まれた。
昨日、夜なべをして資料を作り、今朝起きて緊張しながら話すトピックを整理しようと意気込んだ。
ところで、最近世の中便利になった。いろんなカードがあるが、とくに電車やバスのカードは便利だ。小銭はいらないし、切符を買う必要もない。ピッとカードを通せば、バスや電車に乗れてしまう。
ちょっと早めに家を出る。
ふふ、岐阜バス。アユカというカードがある。ピッ!
ふふ、JR。トイカというカードもある。しめしめまだ残金は3000円以上あるぞ!
岐阜でのったJRも、一宮に差し掛かる頃、目の覚める現実に気づいた。
財布を忘れた!!
昨日、空手の道着を入れたカバンの中だぁーーー!今朝、財布を気おつけなきゃって思ったのに、話すトピックを考えることに脳みそを占拠され、取り出さずにいた。
名刺入れにも、カバンにも定期入れにも金目のものはない。
・・・
・・・
いろいろ手をうってはみたが、万策つきた。
会場までは、歩いていける距離ではない。
主催者に「名駅まできたが止むに止まれぬ事業があり参加できなくなった」とメールをうって踵を返した。
不幸中の幸いだったのは。トイカの残金だ。岐阜に帰るまでの残金があった。これで残金がないものなら、私は名古屋から岐阜まで歩いて帰らないといけなかった。
うー、カード社会。世の中の進歩に自分のライフスタイルが付いて行かない。
いててててぇぇぇ。
空手歴1年半にして初めての痛さ。
空手の教室は、
体操に始まり、基本稽古(突き・ケリ・受け・体幹トレーニング)、型、ミットを使った打ち込み、というのが大体の流れ。
このところ、型に多くの時間をさき、ミットをつかった打ち込み(蹴り込み:ストレス解消?)は少なかった。
しかし、先週から型を基本から学びたいという新しい人(松涛館の黒帯)が入会し、我々初心者クラスに来た。そしてたまたま先週、彼とミットを使ったケリの練習をした。
彼のケリの凄まじいこと。先週、彼のケリをうけたため、ミット越しなのに、一週間腕が打撲で痛かった。
そして今週。今週もミット蹴りの時間ができた。彼と私と先生でペアになり、先生が二人のケリを交互にうける。彼のケリは凄まじい音を立ててミットをひしゃげさせる。そして私も調子にのって、渾身の1蹴り。あいたたた・・・。先生がミットを構えて、私のケリをカチッと固定した両腕でうけたため、私がけっても先生の腕は後ろに下がらない。つまり、電柱にミットを巻いて、私がミットめがけておもいっきり蹴った状態だ。ちょうどミットには足の甲でインパクトするようにしていたため、足首が蹴りの勢いで伸びてグキッ。(足の甲でミットにあたり、そのまま蹴り込んだため、足の甲は動かないけれど足全体は前にのめり込む。ちょうど電柱を足の甲で思いっきり蹴った状態)
初めての感覚。
日々体力が衰えているというのに、若い黒帯青年に負けないようにという、この自分の浅ましい根性。
いかん、いかん、もっと自制し、品よくやらないと!!
押忍!!
習慣とは恐ろしいものだ。
特にNHKの連続ドラマを習慣にしてしまうと、それを生活のリズムに入れてしまう。
だから、この秋始まった朝のドラマ「カーネーション」も見るものかっ!と思っていた。見てしまうものなら、その時間は全ての行動を規制される。テレビに釘付けぇぇぇ。
ところがカーネーション、何かのキッカケで見てみたら、面白かった。
いまではすっかり、それを見終わってから職場に出かけるようになった。
習慣が恐ろしいのはそこからだ。最近は、腹が立ってきた。なら、見なければいいのに!しかし、習慣・・・。見ちゃう。腹が立つのは物語そのものではない。
カーネーションで使われているカメラは、最近NHKでよく使われるようになったカメラだ(民放のドラマは見ていないのでしらないが)。龍馬伝で使われ、おそらく坂の上の雲でも使われた。なんというか・・・、全体に映像が締まって見える。いままでのカメラとは明らかに違う。ちょっと映画っぽく見えるというのか・・・。
龍馬伝では、そのカメラと小道具・照明・衣装・舞台・ロケ等に大いに気を払われていたため、カメラの臨場感で大いに楽しめた。
カーネーションでは、小道具・照明・衣装・舞台・ロケのバランスが良くない。気づいたのは先週。年末忙しいからということで、12月に子供を預けに旦那の実家に行ったくだり、引取りに行ったくだり。
野外ロケだったが、12月だというのに周りの草は青々している。龍馬伝ならありえなかっただろう。あえて、野外でロケをした理由はなんだろう。余計なことを考えてしまう。なぜ、野外ロケではなく、舞台でやらなかったのか。お金か?スタッフか?外でなければ表現できないことがあったとしたら、それは何だったのだろう。
それ以来、あらが見えて仕方がない。
今日は、雑煮を食うシーンが出てきた。テーブルの上に並べられた椀。陶器でできたお椀の口が少しかけていたものがあった。龍馬伝なら、当時よくある家庭としての演出として、あえて欠けたものを出すこともあろう。けれど、12月に森が青々しているカーネーションだ。一瞬(たしかにパッと出たシーン)だけなら、まぁいいか!で済ましてしまったのではないか。あれが演出だとはとても思えない。
こんちくしょう。習慣。
というか、これでいいんだろう。別の意味で朝から、テレビのディレクター気分で脳みそが活性化している。