昨日、今日の朝とても寒かった。というか冷たかった。参った。
しかし、日差しはまぶしく、今日の午後は暖かった。つまり、春と冬が同居しているけれど、確実に春の陣地が広くなってきている毎日。
心理学的には、春の陽気によって人は「ワクワク」して積極的になる季節らしい。一方秋は、もの悲しく消極的な季節らしい。
しかし、私は若干違う。
春の暖かさ、喧噪、湿り気具合を肌で感じるたびにもの悲しい気持ちになる。
原因は明らか。
18歳の春。桜が咲く季節から私は浪人生活を始めた。
23歳の春、桜が咲く季節から私は留年生活が始まった。
春、皆が新しチャレンジに浮かれているとき、私は2度、激しいどん底に落とされた。(もっとも今を思い返せば、どん底に落とされたというのではなく、自らどん底に落ちるべく人生を選んでいたようだ・・・)
だから、暖かくなり、光がまぶしくなり、フレッシュマンが街を闊歩するようになるこの時期、私は毎年18・23の春を思い返し、とてもーーーーー、シンミリする。
だた、このシンミリ、さみしい気持ちになるのは嫌いではない。冷静に自分を見つめ直し、これまでの毎日を振り返り修正するには、この春のヒカリや雨の夜ほど心地よい時期はない。むしろこの季節、自分を見つめなおす「今」の季節感は私には必須になっている。そして、もしかした秋よりも好きなのかもしれない。
※春になると暖かくなり、夜でも窓を開けて夜の時間を過ごせるようになる。そんな夜、季節の移り変わりによくある小雨が降ることがある。夜、そんな小雨の音を聞いているのが私は好きだ。夏や秋は虫の音色で雑音がはり、冬は風の音がつよい。春は、雨が草の葉をたたく音だけが闇夜に響く。そんなことのある春の夜の雨、これがいまでは一番心地よい季節になっている。
毎度
浪人、留年がどうしてどん底なの?
私は楽しかったけど。
そうだねぇ。まぁ「取り残され感」という寂寥感で、ほんと俺ってダメだなぁと痛感した2つの機会だったなぁ。
一方、いまのアイデンティティーはあのときのどん底感での七転八倒ゆえ。
いまから思うと、求めてどん底にいきつつ、あのどん底感を自覚したのが今のアイデンティティーにつながっていると思う(いまのアイデンティティーがいいのか悪いのか・・・というクエスションはあるんだけど・・・)。
僕は秋が好きだね。
秋の物悲しい雰囲気が好き。
自称ロマンチストだからね。
春は嫌いじゃないけど、
冬眠からの目覚めみたいで、
寝起きが悪いんかな。
ガーデニングやるようになってからは、春も悪くないね。
薔薇が楽しみ。
僕も秋がすきですよ。
でも秋と春がどっちが好きだというのは、僕にとって県道と書道とどっちが好きか?というクエスチョンに似ているかな。
Leeさんのロマンチストには、僕もそう思うよ。そうは見えんけど(笑)・・・。ちなみに僕もロマンチスト。
百姓ではなく、ガーデニングかなぁ。僕は百姓を目指します。
いいですねーこの「ことば」が出てきては放っておけません!参戦です。 このところは裏山の樫の葉っぱを利用しての堆肥作り、山すそに何箇所も板で囲いを作りアラカシの落ち葉を集めています。今年は「ぷうたろう」やってます、堆肥でひともうけしようと・・考えてます!! 野良作業もこれから忙しくなります。
ひともうけですか。
でもtossan のことですから、本心は「稼ぐ」ことより「与える」活動のほうが本心なのではぁ?