月別アーカイブ: 2012年3月

新年度目前

明日から4月が始まる。新年度スタート、授業が始まり(しかも、専門外の内容も)大きなプロジェクトもスタートし始める。時間のマネジメントを変えないと・・・。

油が高くなってきた

車で移動することが多いので、軽油も沢山使ってしまっている。
いっとき1リットル116円くらいだったのも(昔は50円台もあったような・・・)、今日には130円に届きそうな勢いだ。私は、油を出光の毎度プラスというクレジットカードをつかってセルフスタンドでいれている。もっともお値打ちなスタンドとして、江南のスタンド。つぎにお値打ちなスタンドは長良川沿いのスタンド。

さて油切れのランプが点灯してしばらく走っているので、今朝、早いところ油を入れないと職場で辿りつけない。そこで、まずは長良川のスタンドに直行した。1リットル129円。思いの他高かった。そのため2000円分くらい入れて、なんとか最安値の江南のスタンドまでたどり着き、そこで満タン給油しよう。

長良川のスタンドでは15.5リットル入れる(2001円)。

そして、そこから25キロ位走って江南のスタンドに到着。そこでは1リットル128円。そこで満タン給油。給油量は74リットル(9475円)。

今朝の給油89.5リットル。

えっ、ちょと待てよ。入りすぎではないか?
リッター9キロ走るこの車、最初に入れたガソリンは少なくとも12リットルくらいはまだ残っているハズ。ならば、少なくとも12+74=86リットルがタンクに入っている。

おっ、このパジェロは82リットルのタンクではなかったか?どうして86リットルも入るのか!

このガソリンスタンドは、近隣のスタンドよりも単価が安い。けれど・・・。もしかしたら給油量に細工がしてあるのではないだろうか。単価を安く見せかけながら800mlくらい入れただけなのにメーターは1リットルをさすとうような・・・。もしも、そんなサイクがしてあれば訴えものだし・・・。よーし、今度は10リットルのガソリン缶を持っていて、そのスタンドのメーター表示の正しさを検証してやれ!!などと、検察官のような気分になって昼間妄想していた。絶対おかしい、86リットルも入るなんて。

さて、車で家に戻り、念のため車のマニュアルで燃料タンクの量を確認してみた。そしたら・・・。タンクの量は92リットルあった。なんとも凄まじい量の油が入ることよ。5000円台で満タンにできた昔が懐かしい。

山の中のCafe

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今日は職場で休みをもらい両親をつれて郡上八幡に行ってきた。これまでも何回も八幡には足を運んだが、散策をするのは始めてだった。
驚いたことがいろいろ・・・。木造3F建ての建物がたくさんあり、しかも、写真のようなコジャレたカフェも何気なくあった。もちろん、日本風の重厚な家屋もたくさんあったが、思いの外山村の街の割りには洋館を思わすような面影が随所に。
この傾向があるのは、特筆に値すると思った。

「鮎談義で夜が明ける」

そんな街として記憶していたが、これはもう1つ特徴を記憶しておかねば。

国語力ゼロの私にはよく分からん

NHKのニュースで、「◎◎となるのもやもーえない」と言っていた。そうそう、気になるんだなぁこのことば。”やもーえない”。私としては、どこぞの芸人が言うならまだしも、日本語のトレーニングを受けているNHKが「やもーえない」というのは・・・。気にかかる。「止むを得ない」(やむをえない)が由緒正しき言い方では?

また、もう1つ最近気になっている言葉。「◎◎はありうる」という表現。うーーん、「◎◎はあり得(え)る」なんじゃぁないのかな?

そんなことを思って調べてみたら、下二段活用、下一段活用・・・。まったく意味が分からんことで説明してあった。

あかん、解らん・・・。

山荘再び

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昨夜、空手の稽古が終わると、その足で一月半ぶりに山荘に行ってきた。第1目的は、飲み会。第2目的は、調子を取り戻した発電機をつかった”電力インフラ”の可能性チェック。第三目的は、イグルーでの宿泊。

1と2の目的は達成できたが、残念、第三目的は未達。なぜなら、すでに溶けて崩れていたから。残念。イグルーの師匠が作成した大きなイグルーを見ることができなかったのは残念だ。

雪は、もう残り40cmか50cmくらいになっていたし、スノーシューがなくても歩けるほど、雪は締まっていた。

しかし・・・。昨晩から今朝にかけて降雪があり、25cmくらい新雪が積もった。

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高鷲インターから美濃の古城山サービスエリアまでは降雪だったが、今日の雪景色は息を飲む綺麗なものだった。なぜだろう?

などということを考えるイトマもなく、PM1時には海部郡佐屋町の体育館で、空手仲間と自主練習。1-5時まで。これまで空手着を着た活動で、最長の練習時間だった。

酔拳の恐ろしさ・・・。

木曜日の夜、知人と3名で名古屋駅周辺で飲んだ。

私は冷静だった。なぜなら、私以外の2人は、あまりお互いをよく知らないからだ。私は二人が深くお互いを知ることで、何か二人の活動が充実するものと思い、飲み会の人選をコーディネートした。
だから、二人がお互い、”いい気持ち”で、会話がとぎれることなく、場が持つように注意しながら、話のネタをつないでいく必要がある。

ところが、いまハッっとした。私は、冷静ではなかったのではと・・・。

理由は以下のとおりだ。
私は1人で飲んでいると、太陽が落ちてからワインを飲むと、寝る頃にはボトルの半分がなくなる程度の体質だ。

昨日、私は冷静だった。他の2人と同じスピードで飲もうと2人の減り具合を見ながら飲んでいた。その結果、3人でボトルが2つなくなった。

それなのに、昨日帰る時、眠くて仕方なく(電車の中で名古屋→岐阜は完全に寝てしまった)、しかも、なんだか飲み過ぎた時のような気分の悪さ・・・。何故だろう・・・。昨日、私なりに出した答えは、ボトル半分なくすときは、時間が6時間と長い。けれど、昨日は3時間飲んでいた。だから、時間あたりの消費量がいつもより多いのだろう。それが私の結論だった。

いま、もちろん若干酔ってはいるが、昨日を振り返る。

まてよ、1/3(三人が同じペースでボトル一本を飲んだとした時の消費量)✕2(ボトル二本)=2/3(3時間での私の消費量:ボトル換算)は、1/2(6時間かけての通常の私の消費量:ボトル換算)よりも多いではないか!!これでは酔っぱらい度が高いわけだ。

冷静だと思っていたが、実はシコタマよっていたのかぁ・・・。

あかん、俺には理解できん・・・。

職場にいったら、背広を着たり、袴を着たりした学生と思しき人々が講堂の前に集っていた。ははーーん、今日は大学の卒業式なのか?

さて、卒様式私には理解出来ないことがある。
父母の参加だ。
小中高まではなんとなく、父母が参列するというのは判らないでもない。けれど、大学生、大学院生の入学式・卒業式に父母が喜び参加するというのが、私の感覚にはない。

自分でいうのもなんだけれど、私はさすがにウブだった大学の入学式には参加した(参加しないといけないという、これまで自分にされてきた教育の延長線で考えていた)。小中高は授業は欠席しないもの、遅刻しないもの・・・。そんな教育をされてきた。けれど、大学に入れば、授業に出席しない自由もあることを知り”信じるものを信じて進めばいい”ことを知った。だから、卒様式だといっても、その意義がわからなかったので、出席しなかった。また、大学院の入学式・卒業式も出席していない。

そんな私からすると、父母が着飾って子供の卒業式に参加するということが理解出来ない。22歳以上の大人をつかまえて父母が子供の卒業に出席し、子供の卒業を祝うというのはどのような心境なんだろう。私にはノーアイデアだ。

ただ、唯一考えらえれるのは、子供への仕送りをし続けた親が「あーやっとこれで授業料と毎月の仕送りを卒業できる」という安堵感を得るために、子供卒様式に参加するということだ。つまり、卒業式の主役は子供ではなくて、本人(親)だ?しかし、よー判らん・・・。卒業式や入学式はなにがメデタイのだろう。入学式は、そこがゴールでもないし、卒業式もそれがゴールではない。単なる道の途中にある石ころみたいな儀式だと思うのだが・・・。

思いがけず・・・

今日、一枚のはがきが職場に届いた。
その思いがけない、丁寧なごあいさつをみて、少々放心状態になった。葉書は、いまの自分に「色」と「精神」をくださった方の縁者からのものだった。その縁者とは世界のヒーロー、そして私の永遠のヒーロー、世界7大大陸最高峰世界最初登頂者、ナショナルジオグラフィックで表彰された国民栄誉賞受賞者の奥様からだ。

大学1年生までの私は、別段アウトドアなことに興味があったわけではなかった。単なる、カンフー好き、ギター好き、天文好きのノー天気少年。そんな私が、大学入りたての春、何気なく映画館に入って見た「植村直己物語」によってアウトドアへの経絡が開かれた。それ以来、入った大学の学科を変わり、大学の長期休みは小冒険に費やし・・・。そして今に至る。

そんなことで、彼は私にとって”目指すべき方向”であり”追いつけない偶像”だ。

最近出させて頂いた、私の本の中で、彼には2度ほど登場していただいた。自分が彼にどう影響をうけたか・・・を説明するために。

といわけで、私は、いまは亡き彼の奥様に、そのことを知っていただこうと思った。しかし、もちろん住所は知らない。そこで、彼を支援していた出版社気付、奥様当てに書籍とご挨拶の手紙を送った。

そして、それい対する挨拶葉書が本日来たというわけだ。

私は手紙の中で、「どれほど彼に影響をうけ」「それによって、どんな意義ある生き方を知ったか」「自分に意義ある生き方を彼がくれたよう」今度は私が「植村スピリッツをいただいたものとして」「後進のために彼を語り継いでいきたい」とご挨拶した。

そして、それに対して「ご挨拶を拝読し植村に対する思いを知りました。うれしいことでございます」との言葉をいただいた。

これにより、また一人、その人に対して恥ずかしい生き方をしてはいけない対象の方ができた。いつまでもその方に正面から顔向けできるような生き方をこれからも続けていこうと思った。、

オートマオイル

んんん・・・、と思っていたことだけど。たぶん、やっぱり、きっと。
先日、オートマオイルを交換してから車の音がすごく静かになった。

実は山荘にいくようになった12月頃から、雪道ではエンジンブレーキを多用する運転をせざるを得なくなった。すると、ときに3速から2速、2速から1速にギアを落とした時、ギアが落ちるタイミングが遅いことに気づいた。こっちは、雪道のカーブ手前で減速したいのに、減速しないというわけだ。

まぁ、そういうこともあるのかと思い放ったらかしにしていたが、先日のエンジンオイル漏れのときに、車屋にその旨を話したところ、調査してくれ、「オートマオイルが汚れていて」、寒い時に粘性が上がり、その影響でシフトのダウンでギクシャクするとのことだった。
そうならば・・・思い当たることがある。昨年の5月頃から、加速の時のシフトアップのタイミングが遅いときがあった。おそらく、その原因もオートマオイルでは?

そこで、オートマオイルを交換した。エンジニアはいった「多分、違いがわかると思うので、しばらくこれで走ってみてください」。なにがわかるものか!?と思っていたが、3000キロ走ってみて実感した。エンジンの振動と音が小さいと感じるのは、きっとオイル交換のおかげだと。

侮りがたし、オートマオイル。

終わっていくもの、始まるもの

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今朝、ベランダから見える景色。
ひと月前には分厚い雪をまとい、勇猛果敢、孤高の雄姿、伊吹山。この一週間、時の流れに抗えず雪解けが進行。いまでは、ずぶ濡れの野良犬のような姿になリつつある。

その一方で、長良川に面した桜並木におったてられる、花見屋台。先日、敷地に囲いがされ、昨日は屋台の骨格ができはじめた。ここには、躍動を始めようとする季節がある。
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閉じていく季節と、生まれていくる季節が共存する今。なんとも感慨深い。あけましておめでとうございますから、既に3ヶ月近く立つ。もう1年の四分の1が過ぎちゃった。