今日愛媛にきている。名古屋の大学生時代、愛媛の社会人大学院時代の恩師の定年記念祝賀会に参加するためだ。今日一日なかなか感慨深かった。
私が先生と知り合ったのは、大学2年生の12月。大学入試のときに入った学科から、別の学科に替わろうとしてたとき、相談に門を叩いたことに始まる。
それを皮切りに、先生と深い付き合いが始まり、「スキー」「キャンプ」から始まり「物事の考え方」「世の中の教養的な話」などを授業時間以外でいろいろ教わった。
自転車ののり方を覚えたらそれが一生もののように「スキー」「キャンプ」「物事の考え方」は、おそらく一生ものになっていると思う。その間、理不尽な屁理屈によってだいぶ心が折れたときもがあったが・・・。いまは素直に感謝している。
その先生、「大学では好き勝手」してきたと誰もが認める。そんな先生に限って・・・。この退職をどう受け止めているのだろう。
祝賀の挨拶に「定年退職おめでとうございます」という言葉をちらほら聞いたが、彼に限って言えば、定年退職はなにもおめでたいことではないのでは?むしろ、定年退職という寂寥感をもって迎えなければいけない人生の区切りを、受け入れがたき気分で迎えたのでは・・・。
そんなことを思いつつ、先生と私がであったのは先生が今の私の年齢の頃。先生の出会いから現在まではあっという間の時間。私も「目の前に退職」が視界に入ってくるころだということを意識した。
あと残された20年で、何を世の中に、そして出会う人々にお伝えできるのだろうか?
先生にしていただいたこと以上のことを、私は出会う方々に身を削って提供できるだろうか?
先生の退職にあたり、退職の意味合いと、自分の終わり方をつよく意識した今日だった。