月別アーカイブ: 2012年3月

空手の道

来たる4月22日に、空手の試合に出ることにした。まずは”型”での勝負だ。

私が通っている空手はスポーツクラブのカルチャースクール。師匠は元世界チャンピョンだけれど、スポーツクラブが全日本空手道連盟に属していないので、昇級審査はないし、試合もない。

とはいっても・・・。

空手には様々な流派がある。←これは私は知っていた。そして流派にはそれぞれ会派というようなものもある。←これはあまり意識してなかった。そして、昇段・昇級や試合は会派内、流派内のものがある一方、全日本空手道連盟(全空連)が主催する昇段・昇級や試合もある。全空連の昇段・昇級はいろいろ厳格なようで、その段位はかなりのステータス。会派・流派のそれとは別格らしい。また、全空連の空手大会は国体に通じ・・・←これは私のあやしい知識での勝手な解釈。

というわけで、私たちのスポーツクラブは連盟に属していないので昇級も試合もないわけだ。(ただし、ちびっ子クラスは、スポーツクラブ内での昇級があるようで、子供たちの帯の色は変わっていっている)

さてそんなクラブなのだが、師匠が自ら”全空連”に加盟する団体を立ち上げた。その名は清流スポーツアカデミー。我々が、そのアカデミーに加入し、自分個人の連盟への登録料を払えば、全空連の昇級試験にエントリーできる道を師匠が開いて下さった。

それが、2月の下旬のこと。そして3月早々、4月22日の国際予選の参加を打診される。

折角、団体を立ち上げてくださったのに、誰も参加しないという醜態を見せるわけにはいかない。ここは立つしかない。まっさきにエントリーを決断。

ただ、あと1月しかない。しかも、あと1つ大会前までに型を覚えないことには・・・。

そこで、寝る子を起こす。職場の空手部の道場を使わせてもらうことに再びチャレンジする気になった。

今日の昼から画策した。総務部(どうしたら道場を合法的に使えるか)→スポーツセンターに問い合わせ(ここが申請の受付場所)→空手部顧問(学生空手部が私の動きを承知してくれるためのとりなしをお願い)に問い合わせをし、晴れて合法的に道場を使わせてもらえることになった。

次へのチャレンジは・・・、これをキッカケに空手部の練習に混ぜてもらうことかなぁ。

tossanありがとうございました。

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tossanありがとうございました。ヤマザクラの丸太・皮を受け取りました。季節がまだ早かったのか、それとも枯れ始めていてなのか・・・、皮をうまく剥がすにはとても時間がかかりそうだったので、丸太から皮を今回は諦めました。

本当だと、皮は面白いようにつるつる剥けます。もう少し暖かくなった桜なんかは、ほんと、面白いほど皮がズルムケしますよ。

スマートフォンの調子がわるいのか、俺の調子がわるいのか

この二週間は随分移動につぐ、移動をした。

私は、インプット(学び)とアウトプット(講演や発表)のうち明らかに「インプット」が好きだ。だから、何か「知りたいこと」「解決したいこと」を設定して、そのための計画をたて、立てた計画を黙々とすすめる(インプットする)タイプ。それが性(しょう)にあっている。しかも、インプットは外からの刺激で”ヒラメク”インプットではなく”一歩ずつ階段を登り徐々に視界がひらけてくる”インプットだ。私の性格上、それは毎日が規則正しい生活でなければ、腰を落ち着けて黙々とこなすことができない。だから、こんな出張続きなのは得意ではない。ほんの一瞬のアウトプットのためにこうも多くの時間を移動にかけていると、ちょっと困ってしまう。一番良いのは、毎日同じ時間に起き、同じ時間に出勤し、同じ時間に帰り、同じ時間に寝る。これなら、計画も立てやすい。予測不能な出来事が舞い込むのは心穏やかではなくなっちゃう。

さて、今回、新しい境地を発見。もっとも当たり前なのだが・・・。

昨日の夜、用事が終わり、松山駅についたのはよる6時40分。スマートフォンで路線を検索し、乗り継ぎの時間を見た。すると7時に松山駅を出れば、22時30分くらいには岐阜駅に着く。ほー、案外早いなぁと思って詳細をみれば、空路の話。私はあんな不自然な乗り物であるヒコーキは怖い。揺れるたびにドキドキする。だから、地面がつながっているならなるべく地面を移動したい。

そこで再度、空路を使わぬ設定にして、再検索。そこで驚いた。その日の内に岐阜にはつかない。新大阪までしかその日の内にいどうできない。

私は、出張はなるべく次の日の朝から、また新しい一日を迎えたいので、どんなに遅くなってもできるなら帰宅したい。新大阪でとまれば、次の日のあさ、移動で半日潰れてしまう。

そこで、意を決した。よし!ヒコーキで帰ろう!!
ヒコーキに不慣れな私の認識では、駅で切符を買うようには飛行チケットは買えないと思い込んでいる。だから、路線でしらべた航空会社をスマートフォンで検索し、空席を調べ、あればチケットを買おうと思った。

空席あり。よし、チケットを買おう!
とおもいきや・・・、空席確認し、予約をいれようとした。しかし、画面のどこから予約するのか分からない。しかも、スマートフォンの反応が鈍い(これが私の最近の大きな不満。ボタンをおしても反応が帰ってくるのに時間がかかる。そーゆーものかと諦めているが・・・)。だから、「ここぞ!」と思うものを何回も押してみたが、反応がない・・・。なんでだろう。

そこで、松山駅から松山空港に向かう途中のバスの中でパソコンを立ち上げ、ネットに接続し、航空会社を検索し、予約を入れようとした。しかし・・・。どうやら、その予約画面は航空会社のオリジナルのホームページではないようで、出発1時間まえのチケットでは「便がありません」と出てきた。焦る焦る・・・。空港までバスで着いた挙句に、チケットがかえなければ、私は松山空港で宿泊となる。

そこで、また反応の鈍いスマートフォンに切り替え、「会員登録」しないといけないことに気付き、揺れる車内で入力間違いを繰り返しながら、会員登録をして、空席確認をして、予約をしようとしたが、やっぱり予約ボタンは、どれだか分からない。そこで、さっきと同じように「?」と思うリンクを何回かクリックした。しかし、画面は動かない。

よくわかないまま、何回もあっち、こっちを触っていたら、決済画面に行き着き、なんとかチケットを購入できた。ふー、空港に付く前にチケットが買えた。

喜び勇んで、出発30分前の搭乗手続きカウンターに滑りこむ。
「さっき予約した竹島です」
「あのぉー、14席予約してありますが、14席でよろしいですか?」

うぎゃぁーーー!!何それ。あのポチポチなんかいもクリックしていたので予約が入ったとしか思えないが・・・。14✕23000円を考えたが、どうやら13席を取り消していただけ事無きをえる。

スマートフォンの調子がわるいのか、俺の調子がわるいのか・・・。まぁ後者だろうなぁ・・・。

さて、盲点だったが、ヒコーキはやっぱり早いなぁ。これなら不定期な出張がはいっても時間の調整がしやすいかも?怖いのと、便利なのとのシーソーゲームむむむむぅ。
これから、もう少しヒコーキを活用することを考えてみよう!

松山再び

先週の金曜日、松山にいき日曜日に岐阜に帰る。

そして、今日、4時に岐阜を出て10時半に松山に再び。電車の接続がよくなく、結局車で行き来するのと同じくらいの時間がかかった。愛媛は遠いなぁ・・・。やっぱり・・・。

先週から、豊田市下山村、山形米沢、愛媛松山、美濃(旧職場)、東白川(今日)、愛媛松山(今日の夜)と移動ばかり。インプットする時間は一日を通してほとんどなく、一方でアウトプットする時間は一瞬。一日の大半は移動の時間。特になにも生産していない時間。こうして乗り物に座って移動しているだけで給与を頂いてしまうという罪悪感。

もっと生産して、勤労しないと!

さて、本日が確定申告の最終日。15年ぶりに確定申告をしてみた。
昔と比べてなんと簡単なことか。驚いた。
そして、やっぱり・・・驚いたことが。確定申告に伴い所得税を払うことに。この国家予算の逼迫時だ。よろこんで税金を払うことに。

とかく世間は難しい

なんだかよく分からんが・・・、アメリカと日本は中国のレアアース輸出規制の解除をもとめてWTOに提訴したらしい。

今朝のNHK朝のラジオでは、オバマ大統領は「アメリカの雇用を守るため」の決断だ・・・、なんていうことを言っていた。まぁ、そうだろう。レアアースが入手しづらくなれば、アメリカでものを作るより、中国でものをつくったほうが安くなるから、アメリカの産業は大打撃。そういう理屈なんだろう。

しかし、私は分からん。いーじゃん、中国は中国で自分のことを優先して考えているんだから。じゃぁ、アメリカはレアース代替製品が見つかり、中国のレアース鉱山が衰退した時、そこの従業員の雇用を考えてくれるのか?儲けられる時に儲けるというのがフェアな仕組みなんでは?WTOという考え自体おかしいと思うのだが・・・。アメリカ(広い意味で西洋)はいつも自分中心(まぁ国益優先の民主主義だからしょうがないのだが)。

そのおかげで、小さいものが大きいものに勝つというのが柔道の面白みなのに、オリンピックの土俵に上がった瞬間、重量制がでてきた。だったらさぁ・・・、バスケットやバレーだって身長制にしてよぉ・・・。どう考えたって、バスケットやバレーはちっこい日本人には不利なのに・・・。

コンチクショー、アメリカ。レアアースぐらい許してやれよ!

お詫び

竹庵道場の卒業生の皆さん。御免なさい。

先日、発刊された「私の書籍」皆さん全てに配りたいのだけど、配る余裕がなくて・・・。本当に御免なさい。いろいろ配布していたら、手元に購入した40冊があっという間になくなってしまいました。

皆さんには、本以上のフィードバックがいくよう、日々おのれにむち打ち精進しますので、それでなんとか今回は許してください。

ここ一週間、もう一冊書こうとしている本の構成がフツフツと湧いて、創作意欲が桜島の一歩手前の状態になってまいりました。

これが長距離運転の楽しみ方?

富山のスギ(屋敷林)
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私が7年前、新潟の学会に参加するため車で岐阜から新潟長岡に車で行った。東海北陸自動車道経由して北陸道を走った。北陸道を走っているときに、気になった景色の1つが日本海側のスギの形状だ。ポッキーというお菓子のように、幹に葉が薄く巻き付いた状態で頭から下まで。ちょっとカナダの研究をしている時にオモシロイと思った寒帯林のような樹のカタチだ。
だから、私は日本海側と寒帯の共通点である雪をキーワードにして、なるほど雪が多いと枝ぶりがよければ雪を被り枝が折れる。だから、日本海側のスギの樹は、枝ぶりがすごブル弱々しい。そんなことを思っていた。

(兵庫と岡山の県境兵庫よりのスギ)
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それが、最近頻繁に車で愛媛を往復するようになった。いつの頃からか瀬戸内海の山林に、富山で見たようなポッキースギがあることに気づいた。あらら・・・、雪がないのにどうして枝ぶりがすごく弱いのだろう・・・。そんな不思議を感じていた。

ところが、今回、新潟・山形と走ってみたら、山に一本もポッキースギがない。あれ、私の記億は何だったのか?そこで、帰り道は行きとは違い、忠実に昔ポッキースギを発見した道中を再現してみた。そして判った。ポッキースギは、山にあるのではなく屋敷林だということを。

そして岡山と富山の共通点を見出そうと、考えをめぐらしてみた。
1 雪ではない。だから当初の仮説は不採用。
2 瀬戸内海に面した山は、昔から塩田事業で薪の採取のため森林が伐採され続けてきた。まるで愛知の瀬戸の森が、瀬戸物を焼くために森林が伐採されていたように。したがって、そんな森は土地が痩せている。だから、痩せた土地では葉を広げる養分がない。富山の屋敷林もきっとスギには不利な立地条件ではないだろうか?・・・そうかも・・・。
3 瀬戸内海も富山(黒部から富山にかけて)も海岸に面している。もしかして・・・、富山湾での塩づくりのために江戸時代あたりに、瀬戸内の職人が呼ばれ、故郷を思い出すために、岡山に自生する品種のスギを植えたのでは・・・?・・・そうかも・・・。もしも大名についてきた武士なら田んぼの中の屋敷林ではないし・・・。
4 瀬戸内のスギはブッシュ状態の天然林の中にある。つまり、混み混み状態でスギが自生している。だから、一本のスギが優先できる地下のスペースは極めて狭い。普通、根っこは枝の先端の場所まであると言われ、枝ぶりのいい木は根もドッシリとついているが、枝ぶりの悪い(樹木密度の高い森林)木は根のはりも弱いという。
屋敷林は密植して植え(しかし、横だけが密植していて、前と後ろは樹がないので枯れずにすんでいる)、岡山の密植すぎ。となれば両者の共通点は根のはりが弱く枝ぶりも脆弱。・・・そうかも・・・?

(国道21号線長良川周辺から眺める屋敷林)
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そんなことを運転しながら考えていたら、岐阜の屋敷林にもポッキーすぎはあった。
塩づくりができない岐阜に置いてもポッキースギがあるなら、仮説の3ではないことは確かのようんだ。
・・・となれば、4が正解なのか・・・?

私のドライブ中の楽しみはこんなことを考えること!!

化石燃料をずいぶんつかっちゃった。

月曜日は、豊田。
水曜日は、山形。
金・土は、愛媛。

車による走行距離およそ2400キロ。
北海道から九州までがおよそ3000キロだから、走ったような、それほどでもないような・・・。微妙な距離だ。人は、大変そうだとよく私に声をかえてくれるが、昔から車を運転するのは好きなので、取り立てて大変だとは思わない。今日も8時に愛媛をでて、一度も休憩することなく2時頃には岐阜についた。ともかく運転するのが好きなのだ。

ところが、ハンドルを握っているのが好きなわけではなく、
1景色が流れる
2誰にも邪魔せず考え事ができる
3出発時間を人にあれこれ言われない(電車や飛行機バスだと、小心者の私は出発前からソワソワして、気が散る)
という点が車のいいところで、私が車運転を好きになっているところだ。

もしかして、まだよく知らない人がとなりに乗っていたら
話す話題を探したりして、運転に疲れちゃうかもしれないけど・・・。
だから、私が好きなのは一人運転だ。今回も山形では講演のために集中したかったので、ラジオも付けずに走り続けた。ボイスレコーダーとメモ帳を手の範囲に起き、運転しながら思いついたことを録音・記載していた。

大学時代から思っていた。
もしも、体が2つあるんだったら、いまの人生と運転手の人生を歩むだろうなぁ。
そして、いま体が3つあるんだったら、いまの仕事第一、林業経営者第二、運転手第三とう感じだ。

山林経営、ちょっと本気でやりたくなってしょうがない。
誰か山を売ってくれないかなぁ?
あっと思ってもらう着眼で新しい商売を思いついた。山形・愛媛の林業ディスカッションで考えを深め始めたぞ。

定年の意味

今日愛媛にきている。名古屋の大学生時代、愛媛の社会人大学院時代の恩師の定年記念祝賀会に参加するためだ。今日一日なかなか感慨深かった。

私が先生と知り合ったのは、大学2年生の12月。大学入試のときに入った学科から、別の学科に替わろうとしてたとき、相談に門を叩いたことに始まる。

それを皮切りに、先生と深い付き合いが始まり、「スキー」「キャンプ」から始まり「物事の考え方」「世の中の教養的な話」などを授業時間以外でいろいろ教わった。
自転車ののり方を覚えたらそれが一生もののように「スキー」「キャンプ」「物事の考え方」は、おそらく一生ものになっていると思う。その間、理不尽な屁理屈によってだいぶ心が折れたときもがあったが・・・。いまは素直に感謝している。

その先生、「大学では好き勝手」してきたと誰もが認める。そんな先生に限って・・・。この退職をどう受け止めているのだろう。

祝賀の挨拶に「定年退職おめでとうございます」という言葉をちらほら聞いたが、彼に限って言えば、定年退職はなにもおめでたいことではないのでは?むしろ、定年退職という寂寥感をもって迎えなければいけない人生の区切りを、受け入れがたき気分で迎えたのでは・・・。
そんなことを思いつつ、先生と私がであったのは先生が今の私の年齢の頃。先生の出会いから現在まではあっという間の時間。私も「目の前に退職」が視界に入ってくるころだということを意識した。

あと残された20年で、何を世の中に、そして出会う人々にお伝えできるのだろうか?
先生にしていただいたこと以上のことを、私は出会う方々に身を削って提供できるだろうか?

先生の退職にあたり、退職の意味合いと、自分の終わり方をつよく意識した今日だった。

林業ウィーク

豊田→山形→愛媛と今週移動してきた。

豊田では、負の興奮して(ガッカリ)
山形では、正の興奮して(先方に、ご評価いただけた)
今日、愛媛では中規模山林所有者の将来計画について一緒に議論する。

今回のことをキッカケに、いままで止まっていた林業時計に少しネジをまいたおかげで、いままでとは違った視点ができたように思う。

行政と林業会社の行動の深層がいままで見えなかったところまで見えるようになったきがする。歳をとったために、乱視がきつくなって目が見えにくくなったのだが・・・。