月別アーカイブ: 2012年3月

明日は愛媛

今日は山形の米沢から岐阜に戻ってきた。
あしたは、岐阜から愛媛の松山だ。
こうして、一人重い車を北から南に走らせていると、化石燃料を無駄につかているような気がして気が咎める・・・。ごめんなさい。荷物があるので・・・。

距離は長くなるかもしれないけど、やはり四国は瀬戸大橋経由でいくのが一番気持ちがいい!!

豪雪地帯の妄想

米沢の市街地にも1m以上の積雪がある(アメダス)。しかも、ここ一週間前はその1.5倍の雪の量だったとのこと。平年は雪がだいぶ溶けているが、今年は随分残っているとのこと。

山形に来る道中3人の山形人を思い浮かべた。

NHKの「直江兼続」の印象である戦国武将 上杉謙信・景勝。
そして、世界の「おしん」だ。

NHKの大河ドラマを見ながら今ひとつ「しっくり来なかった」のが2つある。
雪が豊かな水をもたらせ、米の産地。
雪になれば、戦が小休止しささやかな幸せが家族にもたらされる
そんな話だ。

けど、これだけの雪を見て思った。
こーゆー大雪は陸上のダムのように水を蓄えて、そいつがチロチロ流れれば、たしかに安定した水量を田植えまで確実にもたらせるだろうし、これだけのドカ雪など敵も攻めようがないし、敵の行軍も大変だ・・・。納得。

しかし、これだけの大雪だと住民は冬の間なにして暮らしているのだろう。

そこで”おしん”が妄想に登場する。

なるほど、雪国の生活は苦しい。冬は動けないから夏の間の収穫で食いつなぐしかない。伊藤四郎が「ツチノコ」叩いて稲わらでむしろをおっている後ろ姿が思い浮かぶし、泉ピン子が囲炉裏で粥を煮る姿が思い浮かぶ。冬は出稼ぎに行くか、じっと耐えるか・・・。大変な時代だったんだろう。

そして、いま思い出した。大学生のとき建設業のバイトで、秋田からの出稼ぎの集団と一緒に仕事をしたことがある。なんで、わざわざ・・・と思ったが、こーした大雪を見るとなっとく。

岐阜は1年をとおしてその街に入られるところが、北国との違いだなぁと豪雪妄想。

冬の林業は・・・と尋ねたら、稀に雪道をつくって重機で出材しているらしい。

初めての町

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山形にきた。始めてきた。まさか会津若松よりも遠いところに来るとは思っていなかった。

私が子供のとき、親父の母ちゃん、つまり私のばあちゃんとは、4キロくらい離れて暮らしていた。ばあちゃんの家は、市街地の繁華街の長屋。一方、親父のうち(つまり私が育った家)はフクロウが鳴く森の一角。

そんな環境で無邪気に暮らしていたころのひとコマ。

子供の頃の新鮮な一番の驚き!
ばあちゃんの家に遊びにいき、ちょっと散歩で歩いたことのない景色に出くわした時、”私のしらない人間”が、そこに生活をしていた。ものすごくビックリした。あー、僕のしらない世界でこうして人が僕のしらない生活をしているんだぁ~と、すごく感銘を覚えた。

あれから40年以上立つ。
いまだに、そんな知らない町に行くたびに、あー、俺のしらないこの町でもみんなが一生懸命生活をしているんだなぁ~。いつも感慨深い。

さて、今日は岐阜→長野→新潟→福島→山形と移動してきた。小学生4年生のときの教科書で見たような景色にリアルに足を踏み入れた。ビビビビビィと胸に迫るものがある。心地よい感動。

一つ目のお話し完了(すません、興奮しています)

今日は、愛知の山奥に出かけてきた。林業の話(森林境界明確化の話)をするためだ。
随分、不思議な研修会だった、と帰りの道中思ったりした。

私の関心は、林業の「産業としての自立作戦」。
ただ、マーケットの動向を考えると、今は何をやってもしょうがないときだ。無理してまで新しい取り組みをするときではない。私はそう考えている。

しかし、国は「儲かる林業」を目指して舵をきった。それを実現する大きな手段として導入されるのが「森林経営計画」。万人に経営計画をたてさせるため、国はこれをたてないと補助金がもらえない仕組みにする。政策を実現させるためのムチ(経営計画)とアメ(補助金)というわけだ。実はこれは矛盾していると私は考えている。

儲かる林業をするということは(政策目標)、補助金をもらわずとも林業を目指すということだ。ならば、それ(儲かる林業を構築したい)を目指せとする一方で、その実現のために儲からない林業を支援する(補助金を経営計画をたてたところに集中)ということは矛盾している。私はそう考えている。(しかし、先日林野庁にいき、そのことをおかしいじゃないかと出稽古してきたら、そのバックグラウンドで起きている実情を理解したので国の方向性は理解した。)だから、儲かる林業を本気で目指すなら(私が目指すこと)、経営計画なんて無視!だ。一番賢いやり方は、のらりくらりと行政に対応しながら、いただくものは頂くこと。生真面目に政策に振り回されるのは気の毒な話だ。私は、現場はそうすべきだと思っている。

今日の研修会は私のその理解と大きく異なっていた。
「林業を自立させるための政策が始まった。だから、そのためには経営計画をたてなければならず、森林境界も・・・。」どうやら本気で研修の主催者は「森林経営計画=儲かる林業」と考えているようだ。

『それは違うだろう・・・』と思ったが・・・。

また、研修会で「スウィングヤーダー・プロセッサー・フォワーダー」という話があった。これをつかうことで生産性があがった。一人あたりの集材量が◯◯立法メートルから××立法メートルになった。だから機械を導入して生産性があがった!
私は質問した、生産性が必要なら、どうして皆伐をせず、列状間伐なのか?この山はどんな山づくりのビジョンを持っているか?会場の人も加わり情報交換ができたが、大方の意見は「今はきっても儲からないから主伐は行わず間伐をして出している」、どんな森づくりをするか?なんという考えはまだない(ちょっと極端だけど、そんなニュアンスを感じた)。

また生産性のデータを比較するときは、その林分から収穫する本数で比較しないといけない。なぜなら、同じ10本を収穫するのでも、小さい木でも大きな木でも収穫デマは大してかわらないので、大きな木を収穫したほうが生産性が高く数字上映る。ニュージーランドの林業をみてそう思った。彼らの生産性は日本の10倍以上だが、木の大きさも10倍以上。一日の収穫本数は日本と大して変わらなかった。

先の私の「生産性を全面に出して説明するならどうして皆伐で生産性をあげようとしないのか?」という質問に対して、その回答は「今は材価が安く、育林に260万くらいかかってきた」だから「いま250立法を出しても所有者は儲かる計算にない」「したがって、いまは主伐をせず手入れをする時期と考えている」といことだった。

この説明、よく聞く話だ。私はそれは違うと考えている。260万の育林費を所有者は出したのか?半分以上、もしかしたら3分の2以上は補助金が入っているではないか。国際マーケットで流通する世界の収奪林業(生えている木を伐る林業;木のコストはゼロ:収奪林業の原価=収穫コスト)に対抗できるよう、高い人件費の日本での育林費を国が肩代わりするため(植えて収穫する林業には、木にコストが発生している:育林林業のコスト=収穫コスト+育林コスト)補助金が投入されているのではないのか(日本の主たる産業を二次・三次産業とするよう政治決断がされた代償として)?だから、育林費が260万という原価の考え方は、間違っている。

林業業界、保育なのか、儲かる林業なのかもっとはっきりさせて考えないと、錬金術探しをしているだけで、政策を実行に移す側がその理解では、現場は政策に翻弄されて消耗してしまう。そんな風に私は考えている。

施策は一体何をみているのか?いま、分かっていることは、現場は市町村をみて、市町村は県を見て、県は国を見て、国は世の中を見て・・・。なんだかこの伝言ゲームどこかで変なことになっているように思う。現場が困らないためには、もっとみんなが勉強しないと、と思った研修会だった。

※追伸
前述、「今はきっても儲からないから主伐は行わず間伐をして出している」ということならば、それは間伐を肯定する理由にはなるが、生産性重視を肯定する話(私が彼の話が生産性があがったから良かったということに終始していたので、私は質問しただけだ)にはならない。あくまで生産は販売とセットだ、と私は思う。市場が熟していないなら(私のマーケット分析では現在市場は熟していない)、伐り捨て間伐で放っておくほうが業界のためだと思う。
一方で、機械化を肯定する理由が、少しでも、所有者に還元したいからという理由で材を出すなら(儲かりはしないが小遣いにはなるという話はたしかにあったので)、じゃぁ小遣いを得るために、借金して、借金させて林業機械を導入しているということか・・・?そうではないだろう・・・。

勧めるがわも、乗っかるがわも、すべて世間のオモテウラを理解し、あうんの呼吸でやっている話なら、安心なのだが、どうも実情そうではなさそうで・・・。だから、私を含めてみんなもっと勉強しないといけないと思った。

二人目の神様 ようこそ

今日は、昼からもう一人の神様がきた。香取大明神だったのかなぁ?
なんとか、講演で話せる状態になった。

こうして考えるたびに、また新しい発見がある。なるほど、そういうことか。

毎日こうして修羅場なら・・・。ウヒヒヒ、すごいことが自分に起きるのだろうけれど・・・。

でも、考えれば考えるほど、「集中すればするほど開放している時間が私には必要」のようだ。修羅場を続ければ、考えるバランスをなくしてしまいそう。だから、金華山にのぼり、走り、アサリを採り、山荘に走るんだろう。

さて、良い選択かどうかはわからないが、4月22日に岐阜の空手大会に出場することにした。師匠が「全日本空手道連盟」に所属する団体を立ち上げ、単なるスポーツクラブの空手教室から、世界標準での土俵に上がれる道を開いていただいた。

これは、やっぱり職場の空手道場で練習するしかないか?これまたすごい精神の開放だ!

一人目の神様 来たる

今朝、5時半。ハッと目が覚める。
イカン、イカン、寝てる場合ではないんだなぁ・・・。講演どうする?まずは愛知県の講演を考えないと・・・。あーーーぁあ・・・、ああー、あ。ムニュニュ・・・。
(まどろむなか・・・)
まずは、これを言い、そして・・・。
夢うつつで、筋立てが思いつく。
(7時に起床し、朝食を食べ、カーネーションをみていつもの一日をスタートさせる)
よーし、これでいこう!
神様降臨!!!

朝起きて、景気付けに缶ビールを飲み机に向かう。
愛知県での講演の筋立てできた!
続いて
山形県での講演の筋立てまでできた!

そして愛知県の講演のスライドできた!

これでいこう。

筋立てができてしまえば、後は酔拳でも仕事は前進する。
よーし、一人目の神様(愛知県向け)ありがとうございます。

あとは、二人目の神様、これは力技の八幡さまか香取大明神の降臨を待つか!

万年筆

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あーーー、本当は来週の講演の準備をしなければならないのに、神が手に降りてこないから、こうしてブログを書いて降臨を待つ。

さて、私のささやかなコレクションは万年筆だ。なにも”モノ”として好きなわけではなく、物書をするモチベーションを維持するために、モチベーションが下がり始めるたび、万年筆を買い、モチベーションの向上に務めている。決めている基準は1本1万円以下。それ以上の万年筆になると、時にペンが重く書き味が悪いものがおおいという印象がある。だから実用的なことを考え、チープな万年筆が私のお気に入りだ。

普段使いは、ペリカンというメーカーのペリカンジュニア。2千円もしない万年筆。これなら、なくしちゃっても許容範囲だ(実際、すでに一本なくした)。

ちょと気張る時には、「ウォーターマン」「パイロット」の1万程度のものを使うのだが、持っていて楽しい気分になるのが写真のペリカンのスケルトン。

私は小学校から中学校に上がる時、子供会から名前入りの万年筆をもらった。それが嬉しかった。なんだか大人に近づく感じで・・・。

そこで、弟の子供が来年中学生になるにあたり彼に万年筆を送ることにした。もちろん、彼の名前入りで。出来れば、写真のブルーのスケルトンの中字を送りたかったが、すでに完売の様子。しからば・・・、別の実用万年筆を!デジタル世代の彼は万年筆をどう思うのだろう。DSよりもずーーーとつまらないものにうつるだろうなぁ・・・。

比較的こまった、キリギリス?

月曜日に愛知県のとあるところで30分話しをすることになっている。
水曜日に山形県の米沢で1時間30分の話しをすることになっている。

話を受けた時には、「まぁなんとかなるだろう」と思っていた。しかし、山荘で遊んでいたせいか(?)、話そうとする内容の骨格が定まらない。

とっ散らかった話にならないようにと構成を考えてはいるのだが、一昨日(携帯の機種交換の待ち時間)から考えているのだが、今ひとつ「ビビッ」とくる筋が見つからない。そして、話しの資料を事前に提出せねばならない。久しぶりの生みの苦しみの週末が待っている。