伊豆大島

日曜から慌ただしかった。
9日、大学の車両をフェリーに積み込み、10日夕方仙台入り。
11日、仙台から松島、石巻、気仙沼を大学の車両(360°カメラ搭載)を運転して被災地の3次元データ計測を行う。
12日、私単独で仙台から東京経由で伊豆大島に入り、13日の嵐到来で船便が結構する中、なんとか熱海経由で岐阜に戻る。

感慨深い5日間だった。
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三原山から被災地を望む。
そして、現場から三原山を望む。
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半年前だからということなのだろうか、堆積した土砂は一部を除いてまだそのまま。
火山灰は固くしまっている(雨になるとドロドロだが・・・)

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まだ、家財道具がおかれたままの家もあった。
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ホテルは廃墟。

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大山崩れした場所以外も大打撃を受けていた。

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復旧の形跡が見えない箇所もあちこちにあった。

さて・・・。
この5日、大規模被災地を続けて見てきた。

復旧や復興ってなんだろう。つくづく考えさせられた。

東日本大震災では、半年後石巻周辺を見聞し、だいぶ片付いたとはいえ、凄まじさが残っていた。
あれから2年半。廃屋や壊れた車両はほとんど片付き、あちこちで大型重機がフル回転で復旧作業。
荒れた被災現場も整地され、そして嵩上げのためのダンプが土を運び、ある場所では数キロのベルトコンベヤーが架設され近くの山を崩しながら土砂を沿岸部に運ぶ。
化石燃料を重機のエネルギーにかえ、人間にはできない大技を繰り出し、人は自然に抗う。
関連業者は全国から集まり、災害復興として大金がつぎ込まれ続ける。

地形は全ての自然に無理がないように(安定するように)、時間をかけて形を変えてきた。
けれど、津波対策だけに特化して、大地をかさ上げし、そこに人が住む・・・。

うむ~。考えさせられる。

さて、江戸時代だったらどうだろう。
災害にあえば、廃屋・土砂は人力では片付けられず、人は被災地を避けて住まざるを得なかった。・・・たぶん。
だから、大地の爪あとは過去の災害を語る後世の大事な記録になった。・・・だろう。
人は、自然と安全なところに住むようになっていく。

ところが、東北。
被災した地にまた、人が住む。
先祖代々守り続けた土地を離れがたいという人もいるだろうけれど、果たして先祖がいまの状況を見たら、そこに子孫に住み続けるのを好ましく思うだろうか。
全てのリスクを承知で、あえてそこに住みたいというのなら(生業との兼ね合いで)、その方々に対しリスク軽減をすることは国民の義務なのだろうか?そんなことを道中考えた。嵩上げしたら嵩上げしたでまた、なにか問題がでて(例えば、高齢者の移動負担や、川筋を埋めることによる水の流れの変化による地盤への影響など)。
なにか、1つに特化すれば、予想しなかった他のマイナス面が出てくるのが常。そんなマイナスが出てきたらまた、力づくで抑える作戦をとりつづけるのだろうか?
うーーーーん。

さて、伊豆大島。まだ半年しかたっていない。爪あとは残っている。
堆積した土砂はまだ除かれていない。もしかしたらそのまま土砂が除かれることなく、人は新しい生活を考えることになるのかもしれない。
結局、元に戻るか戻らぬかは、住人の情熱や労力によって決まるではなく、重機を入れる予算を国が作るか作らないか。予算を付けるかつけないかのさじ加減で、災害復興のあり方が決まってしまうことを痛感。
それでいいんだろうか・・・。

これから時々、伊豆大島の様子を見に行ってこようと思う。
東京から高速船で片道7千5百円くらい。いまなら復興支援のキャッシュバック千500円あり。
熱海からなら高速船で45分。4千5百円くらい。こちらもキャッシュバックあり。

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